■ Vol.8 | 2008年1月19日号 ■
〜2008年1月19日コンサート「祈りのとき」によせて〜
『神戸の防火壁』とオランダ人アーティスト=トン・マーテンスさんと私
 1995年1月17日午前5時46分。背中を突き上げる衝撃と地の底からの轟音。我が家の内外の土壁が落ち、2階の家財はミキサーでかき混ぜたように散乱し、地球の力の凄さを体験した。トラック8台分の土壁を運び出し、瓦屋根は断念してトタン屋根にできた時は、春を過ぎていた。それはともかく、神戸の町に何かしたいとの思いが押さえられなかった。

 テレビ、新聞でオランダ人アーティストが、神戸長田区の防火壁を拓本のようにして制作しているが、材料の和紙が足りないと知った。「“残す”ということで悲しみを助長させないか?」との疑念も生じた。しかし、この防火壁は、神戸大空襲とこの度と、2度も人命を救ったという。復興のシンボルと犠牲になられた方への鎮魂のモニュメントに。「これだ!」と思った。

 幾メーター分かの寄付金を贈った。保存運動が成功し、淡路島へ移築された。
 98年の暮れに制作者マーテンスさんから、おもいがけなく、遅れたことへのお詫びと感謝の気持ちのこもった自筆の手紙を添えて、ご自身によるリノカット版画『赤い神戸の壁』の作品が届いた。以来、震災祈念日が近づくと展示している。

 前後するが、私は97年5月にオランダ・ベルギーの旅をした。デン・ハーグの国立美術大学で教鞭をとっておられる高名な方とは頭のすみにあったが、短い旅では、アポイントをとることは不可能。はばかられた。が、偶然か必然か、いや又幻か人違いか分からぬが、旅の終わりにデン・ハーグの駅で、氏に会っている!私にとっていつも大切な収穫は旅のスケッチと写真だ。その『邂逅』のエピソードを墨彩画に描き留めた。念ずれば通じるは真なりか。このことを eメールすると「次回はぜひ電話をください!会いましょう」との返事が入った。

 13年目の今回、祈りの時というテーマでコンサートを企画した頼田麗さん(ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者)に話すと、「ぜひマーテンスさんと平井さんの絵‥平和の天使を展示してください」とのこと。先日、心新たにして、“神戸への親和力”を高める展示ができた。ノワ・アコルデ音楽アートサロンのステージ奥に、私の描いた天使が『神戸の壁』を見守り、客席側壁面にはデン・ハーグ駅での「マーテンスさんとの邂逅」の絵を。それと対峙して、大人もわくわく童心に帰り、ガリバーになれる楽しい町、「マドローダムの夕暮れ」(デン・ハーグ近くの町)とアムステルダム「アンネの銅像」の絵など、平和と希望を分かち合える絵を選びました。

 震災は過去のものとは言い切れません。天災を最少に食い止めるには、普段からの人と人との節度ある暖かい絆が大切。音楽やアートは震災を予知することはできませんが、人びとの心を勇気づけ、癒し、よりよく生きる糧となることを信じます。 

 今日ノワ・アコルデにおいても心に染入る音楽が奏でられることでしょう。

2008.1.19  ひらい悦子(画家)

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