■ Vol.1 | 2006年3月20日号 ■
グスタフ・クリムトと伊藤若冲
 クリムトと同時代のデザイナーが作ったテーブルがウィーンで今も同モデルを作っていて、それを松本市で、カフェ・クリムトを経営していた方から譲り受けることになりました。

 その方との出会いは3年前、私がウィーンへ行く前にお会いして、クリムトの最後のアトリエ保存活動をしておられることをしり、そのアトリエ訪れたことからつづいています。

 横林さんの日本滞在がもう残り少ないのですが、テーブルのことでファクスや電話でやり取りしているうちに、私が学生時代から身震いするほど好きな江戸時代の画家伊藤若冲に彼女も惹かれておられることを知り、今年秋に若沖の最大のコレクターであるプライスコレクション展が京都国立博物館に来るという話から、私が住む家から歩いて10分ぐらいのところ浄土真宗西福寺に彼の傑作障壁画「仙人掌群鶏図」があることを御教えしたところ、京都展覧会の後、豊中服部にあるノワ・アコルデ音楽アートサロン(2006年5月1日オープン)を見に来られるとの由。

 その日前後が丁度そのふすま絵の公開日(11月3日)なので、是非ご案内しますということで盛り上がりました。

 伊藤若冲は、2000年に同博物館で開催された没後200年記念展でポピュラーな江戸時代の画家として、当の日本人が認識した年でもありましたが、1985年大阪市立美術館で開催された心遠館コレクション展でその重要な作品群(駄作が彼の場合ないと言ってよい)が紹介されており、私も西福寺の作品や「大根涅槃図」書院葡萄壁画などや後は画集で想像するだけであったのですが、彼の全貌の扉が開かれた感動が忘れられません。

 その「心遠」とは、若沖がつけたアトリエの名前(堂号)であります。アメリカオクラホマ生まれの企業家の息子であったジョー・プライス氏が1965年来日し、自らの感性と審美眼(落款や美術書、美術館などに頼らず)で収集し、悦子夫人と結婚後、その住まいと隣接して邸宅内に作った作品展示館の名前であったのです。

 当時の図録を今日読み返してみると、優れた収集家と作家との出会いにも驚かされます。2000年の記念展でも、エツコと最初にコレクター名がつけられた作品群は、駄作のない彼の作品の中でも群を抜いて、当時の画壇では想像もつかない奇想天外、ユーモアと徹底した技術と好奇心の固まり若沖の真骨頂が表れておりました。私と同じ名前のコレクターと言うことですごい女性なんだと思っていたら、プライス氏の奥様だったのです。

 横林さんとお話ししていて記憶がよみがえることが出来ました。横林さんにパソコンで手紙を書いている最中、ふと伊藤若冲の会などないかと思いインターネットで検索しましたら、なんと10年ほど前皇居尚蔵館で彼の超傑作群が公開されたとき、すわ鎌倉ならぬ若沖さん待っててとばかり、新幹線に飛び乗り、独り占めで見た人生最高の眼福がこの3月25日から9月まで公開されるという記事が飛び込んできました。

 今日はお彼岸で、西福寺の方も見下ろせる川沿いの我が家の墓所参りをして来たのですが、きっと若沖さんが呼んで下さったのだと思った日でした。

 作家自らが墓所として京都相国寺に寄進した「動植物綵絵」30幅が、素晴しい保存状態で見ることができます!

 もちろん横林さんに御伝えしましたが、最近行動に関しては韋駄天のごとくになりました私は、同時に「伊藤若冲in豊中クラブ」を立ち上げることに致しました。同好の方が彼の作品の魅力についてまた情報を御寄せ頂ければ幸いです。

 冬眠からさめた熊のような(どんな目をしているかわかりませんが)心境?で昔の感動にまた火がつきました次第です。間違った記憶等多々あると思いますのが、ご指摘とご容赦の程よろしくお願い致します。
また、11月公開の情報も交流し合えたらよいと考えています。

 エツコ&ジョー・プライスご夫妻の功績に驚嘆するともに、純粋な目の力を信じることの大切さを改めて私淑したいと思います。

ご健康ご多幸を。 3/20/2006

「伊藤若冲 in 豊中クラブ」 主宰 平井悦子

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