利根運河物語

目 次
第1章 利根運河前史     
第2章 利根運河開削運動  
第3章 利根運河会社の設立
第4章 運河開削         
第5章 利根運河の運行    
第6章利根運河の落日    
第7章新しい利根運河     

第1章 利根運河前史


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 利根運河は、千葉県の北西部にある利根川と江戸川を結ぶ全長約8kmの運河です。
 千葉県野田市、柏市、流山市の3市にまたがり流れていますが現在は残念ながら「運河」 の役割は果たしていません。

 東武野田線の「運河駅」が最寄りの駅で、常磐線柏駅から電車で13分です。

東武野田線運河駅

 運河駅付近には東京理科大学野田キャンパスが有ります。

 この運河の生いたちには利根川、江戸川両河川の地理的、歴史的な背景が大いに影響しています。
 ご存じの方も多いと思いますが利根川は元々は隅田川を下流に持ち江戸湾(現在の東京湾)に 流込んでいました。そして現在の江戸川のあるところは太井川という川が流れていました。

 関東平野は大きな河川や沼が多く、治水も良くありませんでした。天正十八年(1590年)、徳川家康 が関東に入府しましたが、この時、利根川、荒川、渡良瀬川が洪水でよく氾濫するのを見て、 関東群代に任じた伊奈備前守忠次を治水工事にあたらせました。
  この工事は、
 (1)利根川を熊谷付近から東に流し新利根川として銚子に導く
 (2)その放水路として太井川(現在の江戸川の付近を流れていた)を改修し江戸川を作る
 (3)荒川と入間川を墨田川の上流に結ぶ
 というものでした。

 伊奈家では、忠次の後二代忠政、三代忠治が治水工事を受け継ぎ苦労を重ね60年後の承応三年(1654年)完成させました。
 工事の完成で大洪水はかなり避けられるようになりました。

 工事の完成で利根川は江戸川と結ばれた為、江戸へ至る重要な水路となりました。
高瀬舟

 大消費地である江戸の発展と人口の急増は利根川、江戸川の水運をおおいに発展させました。
 大量輸送、低運賃などの利点を持つ水運に物質流通の手段を求めるようになった結果 多くの船が行きかうことなりました。そして銚子、小見川、佐原、木下、関宿、 野田、流山、行徳、浦安などの河川港が栄えました。  
 当時の利根川水運の主役は高瀬船とよばれる大型の川船で大きいもので全長30m近くあり、 1,300俵程の米を積載することができました。

   また、早く送らねばならない物や、鮮魚類は利根川の木下や三ツ堀、船戸に陸あげされ陸路で野田、流山に 運ばれ再び船で江戸川を下って江戸に送られました。利根川、江戸川の分流点である関宿を回るよりも 40〜50Kmの短縮になりました。利根運河発想の原点はかなり以前からあったわけです。

 流出土砂の多い日本の川の運命でしょう、江戸末期頃、関宿から現在の野田市付近に浅瀬ができてしまいました。
 このため積荷を布施、船戸(ともに柏市)付近でハシケに移し浅瀬を過ぎたら本船に積み替えるか 昔からあった船戸付近から陸路、野田、流山の河岸へ運び船に積み替える方法をとらねばならなくなり 運送に要する時間と費用が増大することになりました。  

                             「第2章 利根運河開削運動」に続く

  *参考文献     (1)利根運河  北野道彦著 崙書房
              (2)江戸川物語 伊藤 晃  崙書房
              (3)千葉県立関宿城博物館 常設展示図録
              (4)取手市史 近現代史料編T、V  取手市

              


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