今月のメッセージ



あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、

自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。

そんな小さな事さえできないのに、

どうしてほかのことを思いわずらうのか。


ルカによる福音書第12章25節~26節







自分の寿命がわずかでものびるということは、

わたしたちにとって大変に切実で重大な問題です。

もちろんただ寿命が長ければよいわけではなく、

自分のいのちが少しでも幸せで充実したものであるようにと、

誰もが心から願っています。

そのために健康に気を遣い、将来にわたって生活が少しでも豊かであるようにと心を用います。

しかし同時にそこで思い知らされます。

どんなにわたしたちが心を尽くしても、

自分の寿命、自分の生活は決して自分の思うようにはなりません。

それなのに自分の健康のこと、生活のこと、将来のことがいつも気がかりで、

いつの間にか思い煩いに心が奪われてしまっている自分の姿に気づかされる。

そんなわたしたちに主イエスは言われます。

「そんな小さな事さえできないのに、どうしてほかのことを思いわずらうのか」。

最も大切で最も大きなことだとわたしたちが思っている自分のいのちの問題を、

主イエスは小さなことと言われます。

わたしがこの言葉に最初に出会った時、

どうして主イエスがわたしたちのいのちの問題を小さなことなどと言われるのか、

よくわかりませんでした。

けれどもだんだんとこの言葉に込められている恵みに目が開かれてきました。

主は決して、わたしたちのいのちのことを軽んじておられるわけではないのです。

 

寿命のこと、健康のこと、生活のことがどんなに切実な問題であっても、

決して自分の思うようになるわけではありません。

だからこそわたしたちは、

自分の力がどんなに小さく頼りにならないものであるかを思い知らされます。

しかし神はわたしたちの手に余るこれらのすべてを、

ご自分の大きな手でしっかりと握り締めていてくださる。

これらの問題が、神の手に余ることなどということは決してあり得ません。

すべては神の大きな手の中に捉えられている、小さなことなのです。

そしてその小さな一つ一つのことを、神が大切にしていてくださる。

神が心を尽くしていてくださる。

それなのにどうしてその神を信頼しないで、

自分の力で何とかしようとして思い煩うのか。

主イエスはそんなふうに、わたしたちに問いかけておられます。

ですからこの主の言葉は、わたしたちの傲慢に気づかせ、

安心して神にお委ねする心に導いてくれる恵みに溢れた語りかけなのです。








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