今月のメッセージ

悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、

多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている。


コリント人への第二の手紙第6章10節





わたしが愛読しているある信仰の書物は、その最初のところでこのようなことを言っています。

神を信じること、それは喜びである。

神に向かって、「父よ」と呼びかけることができる。

どんな時でも、神はわたしたちを子として受け入れてくださる。

子としていただくのにふさわしいことをしたから、

わたしたちが神に気に入っていただくことができる「いい子」だから、

だから神がわたしたちを愛してくださるのではありません。

わたしたちが神のことを知らず、

神を悲しませることしかできていなかった時に、

神はご自分の独り子主イエス・キリストを十字架に献げてくださり、

わたしたちの罪を赦していてくださった。

神がそのようなお方だからこそ、どんなに疲れ切っていても、

どんなに自分の不甲斐なさに打ちのめされていても、

自分自身を神に委ねるようにして、

「父よ、わたしを憐れんでください」、そう祈ることができる。

この恵みこそ、信仰に生きる者に与えられている喜びではないか。

 

この聖書の言葉は同じ喜びを語っています。

いつも笑顔で、元気に、神を呼ぶことができるわけではありません。

悲しみに顔をゆがませながら、苦しみのあまり顔をあげることもできず、

それでもここにしかわたしの生きることのできる場所はないと思って、

神の前に立つ。

「なぜわたしはこんなに苦しまなくてはならないのですか」、

そう神に問いかけ、訴え、時に神に怒りをぶつけてしまう。

そういう自分であることが、自分でも悲しく、口惜しい。

しかしわたしたちがそのようにしてでも神の前に立ってその名を呼ぶことを、

神は受け入れていてくださる。

神ご自身の喜びとさえしていてくださる。

わたしたちに与えられている喜びとは、これほどのものなのです。

悲しみによって消されてしまうのではなくて、

悲しんでいるわたしたちをどんなことがあっても手放すことをなさらない神の喜びが、

いつもわたしたちの心を包んでくださいます。















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