今月のメッセージ



わたしは主のはしためです。

お言葉どおりこの身に成りますように。



ルカによる福音書第1章38節







このマリヤの言葉について、以前ある方がこんな感想をもらしました。

「マリヤは自分の自由を捨てて神の言葉を信じ従ったが、

わたしにはとても真似ができない」。

わたしもまたこの言葉について思い巡らしました。

「神の言葉に従うことは、本当に自由を失ってしまうことなのだろうか」。

自由とは自分の気持ちや考えに従って生きることだ、と普通は考えられます。

確かにそれは自由だと思いますし、重んじるべき大切なものだと思います。

しかし聖書はもっと深い次元での自由に生きるように、

わたしたちを招いていると思います。

そしてマリヤは神の言葉を信じ従ったことによって、

自由を捨てたのではなく、深い意味での自由が与えられたのではないでしょうか。

わたしたちは自分の気持ちや考えに従って生きていると思っている時にも、

不自由を味わうことがしばしばあります。

例えば、わたしたちの人生は自分が願った通りに必ず道が開かれる、

というわけにはなかなかいきません。

そんな時に、願った通りにならないのはあの人のせいだ、

環境が悪いのだ、と思いたくもなりますが、

それ以上に、これは自分のせいだ、

自分がこんなにも不甲斐ない人間だからこうなったのだ、

と自分を責める気持ちにさいなまれることがあるのではないでしょうか。

そんなふうに自分自身を裁く心にがんじがらめに縛りつけられている状態から解き放つものこそ、

神が与えてくださる自由です。

マリヤは自分自身の人生が、自分を愛していてくださる神によって支配され、

導かれていくことを受け入れ、

「お言葉どおりこの身に成りますように」と言いました。

そのようにしてマリヤは、たとえ自分の人生にどんなことが起こったとしても、

神がわたしを祝福しておられるのだと信頼しながら生きていきました。

それは決して、マリヤが何の主体性も持たない人間になった、ということではありません。

自分の人生を導いてくださる神の御手にすべてをお任せするからこそ、

くよくよしないで、思い煩わないで、自由な心で、

日々自分の担うべき課題に対して心を注いで取り組んでいったのではないか、と思うのです。








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