今月のメッセージ



なぜ、わたしを母の胎から引き出したのですか。

わたしなど、だれの目にも止まらぬうちに死んでしまえばよかったものを。

あたかも存在しなかったかのように母の胎から墓へと運ばれていればよかったのに。

わたしの人生など何ほどのこともないのです。

わたしから離れ去り、立ち直らせてください。

二度と帰って来られない暗黒の死の闇の国にわたしが行ってしまう前に。

その国の暗さは全くの闇で死の闇に閉ざされ、秩序はなく闇がその光となるほどなのだ。




ヨブ記第10章18~22節








わたしは以前旧約聖書のヨブ記を読んでいた時に、衝撃的なヨブの言葉に出会いました。


ヨブ記第10章18~22節です。

わたしは言葉に言い表せないような悲しい気持ちになりました。

そして思いました。

 

人間はこんなにも深い絶望の言葉を口にすることがあるのか。

このわたしもこのような絶望を味わうことがあるのだろうか。

 

しばらくの間この言葉に釘付けになり、

何度も繰り返して読み、読んでは考えていました。

そしてあることに気づかされました。

ヨブはこの言葉を、独り言としてつぶやいているのではない。

悲しみの中で、たった独りで嘆いているのではない。

ヨブは神に向かってこの言葉を告げている。

心に沸きあがってくる悲痛な思いを、そのまま神にぶつけている。

これは神に向けての言葉、まさに祈りの言葉ではないか。

 

そしてだんだんとこう思うようになりました。

この絶望の祈りを受け止めていてくださる神が、ヨブの傍らに立っておられる。

この祈りには神への非難の思いさえ込められている。

ヨブは持って行き場のない嘆きを、神を責めるような言葉で言い表すことしかできなかった。

そのような祈りさえ、神は黙って聴いていてくださる。

わたしたちがどんな姿で神の前に立つ時にも、神は決して退けられない。

わたしたちを孤独になさらない。

この絶望の祈りには、すでに望みの光が射しているではないか。

 

神の御子イエス・キリストが、わたしたちの間にお生まれになりました。

クリスマスは、神なるイエスがわたしたちの傍らに来てくださったことを祝う日です。

イエス・キリストは十字架に磔(はりつけ)にされ、絶望の死を経験されました。

誰よりも深く、絶望の底に立つ歩みをしてくださいました。

このイエス・キリストが死から復活され、

今わたしたちと共に生きておられます。

だからこそたとえ望みの光が見えなくなってしまう時にも、

もはやわたしたちは孤独ではありません。

神が共にいてくださる。

その神に自分の心の思いを、ありのまま告げることができる。

祈ることができる。

これがクリスマスの喜びです。






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