ミソちゃんの2001TRANS・YEZO即席完走記

2001TRANS・YEZO即席完走記T(みそのうゆきお)


今回はStage,5より右のスネがやられてしまいプラムの様に腫れ苦しみぬいての
ジャーニーでした。
とにかく、この5日目の後半は歩いても時速5kmが成立せず前半のわずかな貯金で
ゴールになだれ込む事ができました。
また、後半の30kmはいろんな角度で足を動かしてみるも激痛に耐えれる角度を見付
ける事が出来ず、ゴール後はいじけてボランティアクルーに廻る宣言まで飛び出しま
した。「あ〜情けない!」
取りあえず入念なアイシングと焼肉を腹いっぱい食べ明日に備えました。
Stage,6とにかくスタートを切ってみる当然走れないので一人旅。、約二時間を越え
たところで何とか足を引きずりながら小走り出来る様になるが、とにかく一歩一歩激
痛が走る。 スネをナイフで突き刺したいような衝動に駆られる。
「今日一日持ってくれれば、明日の襟裳岬までは何とかなるだろう。」
「そこで辞めればカッコも悪くないし自身も満足する。」”やめ時と痛いよ〜”しか
考えていない自分がいた。
後20km何とか歩いてもゴールまで届きそうだ! しかし頭が痛くなってきた、風邪で
もひいたのだろうかと思い傘を買うがどうやら激痛に耐え奥歯をかみ締め過ぎた様
だ。
Stage,7「半分まで持ってくれ後は何とかするよ。」右足に語りかけてスタート!
もうすっかり往復アルティメイトのランナーでは無く、えりも岬ゴールモードに成っ
ている。
中間地点を超えたところで何とか時間内にいけそうに成ってきた。後30kmでランナー
としてのTRANS・YEZOは終わる。涙がぼろぼろこぼれてくる。昨日帰ったボランティ
アの高山さんに「何とかえりも岬まで行けそう、ありがとう。」と電話する。
後20km、本当に何とか成りそうだ。僕の2001TRANS・YEZOの課題は”全力”だったの
で辛いがくいを残したくないので走り始める。なんたって後20kmでランナーとしての
今年の夏は終わってしまうんだもの。
最後のチェックポイントで仰向けになってくたばる。もう体が動かない。持っている
お菓子やパンを全部突っ込む。後5km、歩いても充分間に合うが全力あるのみと足を
引きずって丘を駆け上る。
ゴールのえりも岬だ!史上7人目の往復達成に満足しながら、これで最低の自分の役
目は果たした。明日から洗濯・朝ご飯・足のケアの事を考えなくていいんだと安堵感
の自分がいた。 つづく・・・・


2001TRANS・YEZO即席完走記U(みそのうゆきお)

ゴール後、toそうやのレセプション。 参加者43名の想いを語ってもらう。
最後にアルティメイトジャーニーの生き残り6名が前に並ぶ。すごい顔ぶれ。
僕も一応その一員ではあるが他の5人を見ていると皆スタート前より貫禄がありオー
ラさえ感じる。
その後、合同の食事会とtoえりも組完走打上会。
日影さんが「御園生さんに誉められると危ない!」とスピーチ。
これ以来toそうやでは、私の人影を見る「赤パン(赤のスパッツ)が来た〜!」と蜘
蛛の子を散らすようにみんな逃げて行くようになる。
私のスピーチは定かではないが、「僕のゴールはえりも岬に成ってしまいました。明
日はもう走れません。」位のことは言ったと思う。
現に司会をやりながらも立っていられなかった程なのだから・・・・
少なからず心の中ではそうつぶやいていた。
この時はそれで満足だった。
えりもまで走れたんだもの。
みんなだってもうその足では走れないと思ってくれてる・・・。
みんなだってよくがんばったって誉めてくれた・・・・。

宿舎に帰って、「ハッ!」と我に返る。
明日の朝ご飯がザックから出てくる。洗濯もすでにしている。
気持ちと裏腹に明日も走ろうとしている自分がいた。

toそうや・Stage,1(8)
もう、引き戻る事に出来ない一歩を踏み出そうとしている自分がえりも岬にいた。
昨日の往路完走で兜を一枚脱げたのか、はたまた新しいメンバーの期待に膨らむ顔を
見たからか気分だけは最高にすがすがしかった。
5時一斉にスタート!
やっぱり、気分と体は別物であった。歩くのもままならない。後悔の一歩一歩! 
最高の止め時を失った自分。
心の中で演説が始まる。
「私は、えりもまで脛の痛みと戦いながら立派に完走しました。」
「ここからは、皆さんのためにボランティアクルーに徹し呼び掛け人業務を全うしま
す。」
「皆さんどうか、そうや岬から運んできた心のタスキをまたそうや岬に届けてくださ
い!」
う〜ん・・・・
 ”ここで止めとけばカッコ良かったのに・・・・”

霧の中一人ぼっちの旅。
時速5.5kmで時計の様に正確に進む廣瀬前選手会長グループがたまの休憩で何とか会
えるのが唯一の励み。
そんな中、最高の止め時第二弾がやって来た。
クルーの酒井さんに身内の不幸があり直ぐに帰京する事となる。
心の中では「今度こそクルーに廻らねば・・・」
しかし、クルーには「明日からクルーに廻るから今日だけは走らせて! 行ける所ま
で行くし!」
とまたひとり黄金道路の海を眺めながら進む。
また心の中の演説が始まる。
「今日、クルーの酒井さんの身内に不幸があり東京に帰られました。」
「明日から男手が無くなりますので私は往復を諦めクルーに廻ります!」
 ”僕は立派にがんばった。逃げるんじゃない。”
 ”でも・・・・”
本当にクルーに廻らねければ行けない事態に、沸いてきたのは・・・
 ”いやだ、絶対にそうや岬まで走りぬきたい!”
 ”いや、せめて明日の会田さんの場所までは走りぬきたい!”
そう思うと涙がボロボロ流れ出した。
その晩、クルーにお願いして会田さんの所までもう一日走らせて下さいとお願いす
る。

Stage,2(9)
スネを痛めて5日目、そろそろ腫れも引いてくるかも、そう願って床に着くが一向に
良くならない。
もう、良くなるかも?と言う期待は諦めよう。 それより、この痛みとどう付き合え
ばあと6日間動く事が出来るのか?
南藤さんがドキュメントで言っていた。「足の痛みやマメは我慢できるでしょ。」
「息が出来ない苦しみは我慢できない事なんです。」
そう、5日目よりくじけそうに成るとこの言葉を思い出した。
僕のこのスネの痛さは自分の好きな事をして自分の不注意でなった痛み、世の中には
もっと辛い事や苦しい思いをしている人は何万人と居るはず・・・
夢・目標を叶える為にはあたりまえの事。
”いやならヤメロ! やりたいならヤリ通せ! グジグジ言うな!”
気合を入れた後、でも「ちょっと言わせてネ!」と声に出してつぶやく。
   つづく・・・




2001TRANS・YEZO即席完走記V(みそのうゆきお)

霧の中の一本道を進む。 誰が考えたのかいやな砂利道が続く。
ゴロゴロとした大きな石も容赦なく踏みしめ痛みに耐えながら進む。
なんとなく行の世界の事を考える。
僕は贅沢な時代に育ったので、
いくら業の世界と言っても断食や山を何回昇るとか座禅とかお経を何回も読むとか個
人的にはやる気にはならない。
そんな事をしなくても強い意志があればもっと他にも身も心も健全に成れる方法はあ
るはずだと思っている。
だいたい僕は、単純作業を繰り返す事ほどこの世で嫌いなものは無いのだ。
はっきり言ってただ走るのも好きではない。
そこで何かを感じる・起こるジャーニーランだからこそ大好きなのだ。
私にとって走るのはその手段なのである。
しかし・・・・、
今ならまじめに業の世界に打ち込む人の気持ちがわかる気がする。
単純作業であっても自分を突き破ろうとして何かに打ち込む。
なんとなく今の自分ならば出来る様な気がしてきた。
身近なところで学芸大の渡辺先生の6日間400mトラックの上を走り続ける六日間競
争でも走れるような気がして来た。
この果てしない砂利道と霧の中、
僕は空想の中で”モノクロの絵の具をかき混ぜた様なモヤッとした空気の壁?”見た
いな物を突き破ったような気がした。

今日は地元の方の応援が多い、
かわいい女の子が走って来てトマトをくれた。松浦ファームさん。
牛乳と氷を用意し完走祈願のポスターまで作ってくれた。らむ亭・楜沢さん。
いつも手作り応援旗とシャワーエイド。八重原さん。
最終ランナーがゴールするまで車で情報を送ってくれた。新得公民館高橋課長。
みんなに支えてもらって初めてジャーニーランは走れるのだ!!

明るいうちに会田さんの事故現場に回り道して行きたい為ラスト20kmを飛ばす。
スネは痛いが足が勝手に動く、逆算すると10kmを裕うに超えている。
自答する
「おいおい、ヤバイヨ。」
でも
「もう明日走れ無くてもいいよ。」繰り返す。

成田不動尊からコースを外れ真っ直ぐ坂を上る。
会田さんが間違えて走った道。
なんだか胸が痛い。せつない。涙がボロボロでる。会田さんごめんね。
事故現場に着く。
6月の下見のとき浅香さんと残したバラの花が綺麗に描かれているろうそくの残りが
あった。
「会田さん、約束どおり今年もみんなで来たよ!」
「みんなを見守ってくれてありがとう。 全員元気で走っているよ!」
「ひとつお願いがあります。」
「浅香さんが苦しんでおられます。」
「会田さんの力でひとつ呪縛を取り除いてあげてください。」
「ぼくは、宗谷岬を目指します。 あなたを宗谷岬に連れて行ってあげるから・・
・」

700km地点通過、実感が湧かない。
年間1000kmも走ったこと無いのに。「とにかくスゴイ!」他人事だ!
新得温泉につかり腰をよく揉む。昨日からヘルニアが出そうだ。
足は相変わらずアイシング。
時間ぎりぎりゴールへ飛び込む。
今年は全員無事ゴール! 悪夢の一年間とはオサラバ。

つづく・・・




2001TRANS・YEZO即席完走記W(みそのうゆきお)

2001TRANS・YEZO即席(で無くてゴメンね!)完走記・4

Stage・3(10) 
 毎年眠さとの戦いのステージ。
今考えるとスネの痛さは別にして一番苦戦したステージだった。
 スタート10km地点からの狩勝峠までの昇り9kmは毎年速歩で進む。 
今年も走れないので当然歩くのだが毎年のように得意の登り歩きで人に追いつくことはなかった。 
むしろ何人かに抜かされるばかりだった。 精神的かなりショック! 
 予想通り狩勝峠を越えると暑くなって来た。 直射日光が刺すように痛い。
今日の作戦は、相変わらず平地では足が動かないので三つの峠の下りを利用して前に足を運ぶ事。 
歯止めを掛けず時速10km位でだらだらと続く坂道で時間を稼ぐ。 
動けない様に成ると(3回程)昼寝をした。
たくさんの方を追い越したり、追い越されたり。 
"なんてムチャな走り方だ!" "御園生さんもついに切れたか!"
後で聞いたが多くの方がそう思ったそうだ。 実際、僕もそう思ってた。
なんとか時間内に富良野にゴール! 毎年のようにクルー全員と居酒屋に行った。
夜中は首筋と足首を冷やすことだけに専念した。

Stage・4(11)
 素晴らしい中富良野・美馬牛と美瑛の丘に抱かれ風になった…  
最初の10kmは相変わらず足が動かない。 
「今日こそたどり着けないかもしれない。」悔しくて泣けてきた。
しかし、不思議な物です。 涙をボロボロ流しながら走っているといつしか
この涙は"悔し涙"から今ここを走っていられる事への"感謝の気持ちの涙"に変わっていた。
泣きながら(すべての事に感謝しながら)足を前に進めた…
800km通過! 聞くとアルティメイトジャーニー(往復)組全員が少し前に出発したと言う。
これはなんとか追いついておかなければ…。 何とかアルティ組みんなに始めて遭遇!
 辻さんに「御園生さんが走っているのを始めて見た」と冷やかされた。
僕の母校ゴールの旭川大学までラスト2kmを息子たちと走った。
彼らのが速い!当然追い付けない…  ハハハ…。

Stage・5(12)
最長の100kmの日。 時間内に走りきれる自信はなかった。
40kmを越えた所で熱射病に掛かり食べ物は全てすぐに吐いてしまう。胃は水さえも受け付けない。
意識もうろうとしてガードレールに寄り掛かっていると
「おとうさん、がんばれ!」大きな叫び声が…  
とっさに振り向く窓から子供が手を振った車が走り去っていった。
"え!" "幻を見たのか?" 本当にあちらの世界に行ってしまったのかな?と思った。
怖くなって女房に電話してみる。 ホンモノだったらしい。 "あーよかった"。
 この大きな叫び声がたまらなく嬉しくなり、勇気が湧いて来た。
この出来事で"打算とか、計算とかどうでも良い様に思えてきた。" また前に進めた。
飛び入りボランティアの宮村さん・山本さんに見守られ900km通過。
右手の平と左拳を合わせ一礼!  涙が止まらない。


Stage・6(13)        相変わらず、朝は進まない。ここまで来たら欲も出てくる。
"1000kmまで…" "宗谷岬まで…"欲が、焦りに変わる。
右足が麻痺するまで動けないのを解っているのに焦り出しもがきだす。
最年少の阪野君が足を引き摺りながら追付いて来た。彼も四日目から足はゾウだ!
その後ろ姿に勇気を貰う。 天北峠の坂道を利用して足を前に出す。
もう止まらない(止まれない)。  1000km通過!
  "訳が解んない!" ただ目標にして来たから嬉しい!
長田牧場さんがわざわざ僕らの為に牧場内を草刈りしてTRANSYEZOロード(700m)を作ってくれていた。 
季節ハズレのタンポポの黄色がたまらなく綺麗だ。 足がもう止まらない。 
牧場では社長が毎年用意してくれている木製の牛形のハガキで両親に
"丈夫な体をありがとう!"と便りする。 この日アルティメイトジャーニー四人組揃って始めて一緒のゴール!

Stage・7(14)       僕がこのTRANSYEZOで一番やりたかった事。 
"ランナーとして参加しながら宗谷岬のゴールで皆を迎えてみたい。
" これは、爆走して一番でゴールするか、ズルして皆より早目めにスタートするしかない。 
どっちも現実味がない。
 一年目の越田さんを思い出す。 
六日間、誰も奪えなかった原さんのトップに「500kmも練習したんだから何とか成るだろう!」と、
そして本当にトップでゴールされた。
 僕の場合「1000kmも練習したんだから…」言えるはずもない。 
しかし、昨夜ミーティングで「明日は荻野さん(累計トップ・スーパーランナー)を差します。」
 冗談で言ったがウケがイマイチであった。  ハハハ…
 朝早目に起きて、納豆とカレーパンをかき込む。 朝一は足が動かないのでアップに出掛ける。 
自分でも半信半疑だが 本気で走ろうとしている。 "狙っているみたいだ!"。
 しかし、速く走ろうと思うと後ろにひっくり返りそうに成る。 
アップなんか出来る訳がない。 "やっぱり、無理か?"。
 朝五時、みんなの7日及び14日間の集大成。
 スタートして700m程全員で一緒に歩く。 橋を越えてひとりひとり走り出す。 僕も走り出す。 
得意の砂利道で先頭集団に追い付く。 "え、うそ!"。
 ジャリから牧草地へ、そして素晴らしい一直線の道。
 "嬉しくてたまらない! 完全に入り込んでいる。"
 砂浜でも足は止まらない。 "本当に風になった様だ。"
 時速10kmそして12kmいやもっと出ている。
 時速15km位であれば地の果てまでも走れそう!。 足が勝手に進む。止まらない!
 同じザックを背負わせたら高橋尚子にも勝てそうだ。 言いすぎ〜。 ヘヘヘヘ…
 ゴール15km手前の宗谷丘陵。 このまま一人でゴールするのも大人げないとフッと思い、
景色も勿体無いのでいつもの様に歩き出す。
 一番好きな坂を今年も裸足で歩く。 ピタピタ足音が鳴っている。 スネの痛みが頭に響く。 
"痛く感じれる事に感謝!"、"歩ける事に感謝!"、" ここに居る事に、そして生きている事に感謝!"。
毎年は泣きながら歩く場所ですが…、もう14日間泣きすぎたのか?涙は出ませんでした。
荻野さん夫婦と西さんが追い付いてきた。
 「最高ですね〜!」「しあわせですね〜!」自転車の荻野さんの奥さんと四人で口々に
生き長らえていられる事への感謝に気持ちを話しながら皆で走る。
 最後の丘を昇り切ると遠くにサハリン、オホーツク海と日本海を分ける宗谷岬を見下ろす。
会田さんが書き残した言葉、
「ゴールま近になった時、立ち止まって今来た道を振り返って見る…、これが私の夢です。」
 見事なまでに綺麗なコバルトブルーの海をバックに荻野さんとふたり振り向きざまに写真を撮ってもらう。
 最北端の碑に向かって坂を下っていく。 バックグランドは勿論 "魔女の宅急便"の音楽だ! 
"たたん、たたん、た、たーたたたーん"   アルティメイトジャーニー1087,2km完走〜! 

走り終えて…

え、トップでゴールしたのかって? 
ハハハ…  荻野さんと丘の上で景色を堪能している間に西さんに差されてしまいました。
"落ちがつく所が僕らしいでしょ!" ヘヘヘヘ…  (つづく)










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