のうみそジャーニーランサークルの心得
大会の基本ルール

ランナーズ記事  



"夢見る力、ある限り!"

TRANS・YEZO北海道縦断遠足ジャーニーラン
(トランスエゾ誕生から2001年遠足まで)


ウルトラマラソンとの出会い

 私とウルトラマラソンとの出会いは、1994年当時私が勤めていた会社がアメリカ大陸横断マラソン のスポンサーに成った事がきっかけでした。 アメリカ留学とマラソン経験があった私は、ラッキーにも 大会運営サポート長という業務に任命されこの大会に同行させていただく事となりました。
 この時の二ヶ月半の大会サポート生活が私にとって新たなランニングの魅力を見つける大きなヒントを 与えてくれる事となったのです。
 それは、人生観や生活感を含め"いかにその環境の中に自分自身を自然に持っていくことが出来るか"と 言う事で、この大会で言えば、"いかにアメリカ大陸に抱かれ、自然体でその舞台に自分自身をおくことが 出来るか?"と言う事でした。    私にとってはそれまで持っていた自身のランニング感"タイムを 追いかけるの価値観"とは遙かに違った物を感じ取る事が出来ました。 また、実際その大会に参加する ランナーたちも、それが実行出来た者だけが自分をより遠くへ走らせることに成功した様に思えましたし、 そんなランナー達の姿はまるで"大自然の中を吹き抜ける風"のように私の目には映りました。

超長距離を走りきることが出来る人=人格者?

 "わたしもあの風になりたい…" 
 まるで修行僧のようなピュアな気持ちで自分自身と向き合ってみたい、きっとそれが達成できたとき 人間的にも真の人格者になれるのではないだろうか?
 ウルトラマラソン超長距離を走る世界にはそんな自分探しの旅が隠れているのではないだろうか?
 "超長距離を走りきることが出来る人=人格者"そんな図式が私の頭の中に入り込んでしまい、すっかり ウルトラマラソンの魅力にとりつかれました。 そして、私は日本に帰ってきてから十年ぶりに再び走り 始める事となりました。
 しかし、経験と距離を重ねるにつれ、それなりに超長距離を走れるようになってきた私は、自分の考え に対しある疑問を抱く事となりました。
 それは、自分自信の目標でもあり、それを励みに距離への挑戦をして来た "超長距離を走りきることが 出来る人=人格者"と言う事に対してで、ある時ふと"練習を重ねる人=超長距離を走りきることが出来る人" が当たり前で "人格者"と言うのは別の次元の所にある物だと気づいてしまったのでした。
 私は、再び走り始めて以来ランニングに対して持っていた目標をすっかり失い、走る事に対する魅力も 失いつつありました。 
 しかし、ある大会との出会いが私の捜し求めていた本当の意味での走る魅力を教えてくれる事となりました。

ジャーニーランとの出会い

 そんなランニングに対して魅力を失いかけていて時、30歳の記念に東海道五十三次遠足・京都〜東京 【田中義巳氏・呼び掛け】に参加しました。
 それはなんと、江戸時代に使われていた旧道を辿って六日間で535kmを走り抜くと言う壮大な ジャーニーラン大会でした。
 軽い気持ちで参加した私でしたが、走りだしたら目から鱗が落ちる事柄ばかり、自分の荷物は当然自分で 担いで走れなければ成らず、コース誘導もエイドステーションもありません。 渡された地図だけを頼りに 全て自己責任で走りら無ければ成りませんでした。 しかし、全て自分でやり遂げる充実感は他の大会では とうてい感じる事の出来ない特別な満足感があふれました。
 五日目の朝、もう既に両足首はパンパンに膨れ上がり靴の舌を切ってのスタートしました。 その日はなんと 制限時間1分前のゴールでした。
 そして迎えた最終日、ダントツの最後尾を走り100kmを20時間かけてようやく東京都の看板を目にする ことが出来ました。 ゴールの日本橋まであと20km。 もう足を一歩踏み出す力さえ残っていない、むしろ このまま倒れて凍え死んでしまいたいくらいとも思いました。
 しかしその時、極度の疲労感と眠気で意識もうろうとした中、私の人生を変える一言が僕の頭をよぎったのです。
『ぼくは、ここにいる(生きている)!』
 嘘のような話ですが、究極の疲労感の中から思った事は、生きながらえている自分が存在することの幸福感でした。 
 その時私は、私の周りにいる全ての人、全ての事柄に対し感謝の気持ちで一杯になり、自分の存在に感謝し うれし泣きしながらその県境の六郷橋を渡りました。
"こんな感動をいろんな人に伝えたい…。"
そんな想いから夢は広がっていきました。

北海道縦断の遠足(えんそく)TRANS・YEZOジャーニーラン 

 私は小学校4年生の頃から将来は何か人の為に成ることをしたいと言う漠然とした夢を持っていました。  しかしながらそれまでの30年間の自分人生の中からは、本当に自分が納得できる物を見いだす事は出来ませんでした。
 しかし、このジャーニーランに接して以来、自分に生きている事の大切さを教えてくれたランニングなら、 ひょっとしたらそれが出来るかもしれないそう思うようになりました。
 "ランニングでなにか社会貢献をしたい。" そんな想いと "ジャーニーランで体験した感動をいろんな人に伝えたい" という想いが合わさり会い、その手段として、僕と同じ様な体験を多くの人に味わって戴くべく自らジャーニーラン 開催をたくらむこととなりました。
 場所は、すぐに北海道と決まりました。 私にとっては、大学時代を過ごした第二の故郷。  それに、あの大自然に抱かれて走ってこそ日常では感じられない何かを感じ取ってもらえるのではないかと思ったからです。
 コースは、襟裳岬より北上、日本最北端の宗谷岬を目指す旅。 全長555kmとなり7ステージに分けて走ります。  遠足(えんそく)方式は、僕が東海道遠足で感じた同じ体験をして欲しかったのでその方式を取り入れ全て自己責任 で行い自分の荷物も自分で持って走る事としました。
 また、ランナーだけのジャーニーランとはしたくなかったので、走らない参加者・ボランティアクルーを募集する こととなりました。 これは、走る事から学ぶ素晴らしさを走らない人にも味わって欲しかったからです。  また、北海道を走らせて戴けるける事の感謝の気持ちとして若干のチャリティを取り入れ、北海道の施設の方々に 有効利用して戴く事ともしました。

TRANS・YEZOのコンセプト

 二十世紀終盤、青少年の殺傷問題やバブル崩壊後日本の経済不況によるリストラ問題が社会問題となりました。 
 日本の戦後の高度成長期を支え続けたのは、私の父親の世代の方々のがんばりのお陰です。 しかしながら、 先に書いたような社会問題を考えると、日本は経済大国に成ったのと引き替えに人間本来の暖かさをどこかに忘れて 成長してしまったのではないかと思えてしょうがありません。
 二十一世紀こそは、今一度"真の人間らしさ"を取り戻す事が最大の課題であると信じて疑いません。
 私は、このTRANS・YEZOで直接それが出来るとは思ってはいませんが、参加した方や興味のある方に、何か自分の 人生のスイッチを切り替えるきっかけづくりに成るような舞台の提供が出来ればと言う想いを込めてこの遠足 (えんそく)を企画しております。
 ただ、この事をあまり全面に打ち出すと価値観の押しつけと成ってしまいそうだし、なんだか宗教的に思われても 困るので、公には参加者各自のロマンを持って"日本最北端の地に自らの足で自分の想いを届ける"と言うことを参加者 全員の共通するコンセプトとしています。 それ以外は自分の好きなランニングのスタイルを大自然の中で楽しんで いただければと思っております。 ただし、世間一般的なモラルを持ち合わせていなかったり、明らかにマナーが 悪い方には参加を見合わせてもらっています。

TRANS・YEZO回想

 1997年の第一回遠足は、ランナー21名、ボランティアクルー6名が参加しました。  北海道には珍しく台風直撃の中、真夏とは思えない(峠では8度を記録)凍えるような雨の中の遠足となりました。  ボランティアクルーの参加のお陰で呼び掛け人自身もランナーとして参加となり、記念すべき第一回は17人が完走 を果たしました。

 98年の第二回遠足は、ランナー28名、ボランティアクルー3名の参加、これぞ本来の北海道とも言うべく終始 晴天に恵まれほとんどの方が大自然を堪能されました。 完走者は21名。 この年NHKさんが、ニュース番組で 10分ほどの特集として取り上げてくれました。

 99年の第三回遠足は、ランナー40名、ボランティアクルー5名の参加、この夏北海道は20年ぶりとも 言われる猛暑に見舞われ暑さで汽車の線路が曲がったほどでした。 完走者は14名。 この年もNHKさんが" ドキュメントにっぽん45min"、そして"BSハイビジョンスペシャル・75min"、さらにはTRANS・YEZOを題材とした ドラマ番組 "天使のマラソンシューズ(主演 山崎努・筒井道隆)90min"の三番組を制作されました。  このようなマスコミ関係に取り上げられる事に対して、参加者には賛否両論あるようでしたが、私の考えは、 このジャーニーランを多くの人に知ってもらえる事とランニングの素晴らしさを伝える手段として、 やらせがなければ大歓迎としています。
 なぜなら、先に書いた様に多くの人に僕と同じ感動を味わって欲しいと言うことと人生のスイッチを入れ替える ステージづくりがこのTRANS・YEZOに対する私の想いだからです。 実際これらの番組を見て、これまで走った事の 無い方や走るのを止めていた方が再び走り始めたいと言うお電話やお手紙は三桁を数えました。

 2000年の第四回遠足からは未経験者の方には参加資格としてトライアルの参加を義務付けました。  これは、年に一度の貴重な一週間休暇を使って参加せざる終えないこのTRANS・YEZOに対し、事前にこの遠足の 特異性や走り方を理解していただいた方がより有意義な旅が出来ると思ったからです。 また、この年初めて ボランティアクルーを呼び掛け人一人で行いました。 これは今後のTRANS・YEZOの方向性を今一度じっくり 考えるべく、外からこの遠足を観察したかったからです。

 この第四回遠足は2000年記念とし往復を走る旅を"アルティメイト・ジャーニー(1100km)" と名打って開催しました。 参加者の数は、往復参加17名を含む、往路43名、復路53名の参加となりました。
 しかしながら、記念大会と裏腹に大変不幸な事故が起こってしまい、とおとい命を失ってしまう事となりました。  この事により遠足は中止、それぞれが個人挑戦という形で宗谷岬を目指す事となりました。

 そして、第五回遠足は昨年亡くしてしまった彼女をどうしても日本最北端・宗谷岬に連れていってあげたいと 言う想いを込めて、昨年と同じく往復1087.2kmの開催としました。 参加者の数は、往路(toえりも)19名・ 復路(toそうや)42名・往復(アルティメイトジャーニー)7名で完走者は、toえりも11名・toそうや21名・ 往復(アルティメイトジャーニー)4名でした。 また、今回はボランティアクルー9名が参加してくれた為、 呼び掛け人も二年ぶりにランナーとして参加、見事前人未到の北海道往復縦断1087.2km・アルティメイトを 完走した四人の中の一人と成る事ができました。

 以上過去五年間、波瀾万丈とも言える歴史を持ったTRANS・YEZOです。
私はこのTRANS・YEZO自体、私自身が呼び掛けているのですが、なにか参加者の皆さんに動かされているように 思われてしょうがありません。 おそらく最初は私の個人的な夢だったのが回数を重ねるに従って皆さんの夢に 広がってしまったのでしょう。
 ならば、今までこのTRANS・YEZOで起こった素晴らしい事も悲しい出来事も全ての事を切実に受け止めて、 その上により素晴らしい遠足をプロデュースする事が私の指命とし、私は喜んでこれを継承して行きたいと思っております。
"夢見る力、ある限り…"

プロフィール

名前 御園生 維夫 (みそのう ゆきお)
年齢 36歳 (S40 12/2生まれ)
ウルトラランニング走歴 8年

東海道五十三次ジャーニーラン走行中、究極の疲労感より"生きている喜び"を感じる。 "こんな想いを多くの人に伝えたい…" 今度は自ら北海道縦断のジャーニーランを企画。  多くの人にランニングの素晴らしさを伝えるのが夢。

呼び掛けている遠足(えんそく)
TRANS・YEZO 北海道縦断遠足ジャーニーラン(1997〜 五回開催)
奥久慈トレイルアドベンチャーラン(1997〜 五回開催)
東京湾一周遠足ジャーニーラン (1998〜 七回開催)
名古屋〜京都歴史遠足ジャーニーラン(2000〜 二回開催)





ランニング・コンセプト

 
ランニング・コンセプト
距離やタイムに拘るのでは無く、その土地の文化や歴史、人との出会い、またその時 起こる出来事に対し、人間として何かを感じる手段として走りと接しています。 私に取って走っている時の自分は、丸裸の自分である時で、そこで感じ取れる事は、 つらい事も楽しい事も更に自分を大きくしてくれるものと思っており、いわば“人生の 修行の場”でもあります。 しかし、基本はそんなに大袈裟な事ではなくあくまでも “楽しいランニングライフ”を目指しております。

目指している走り方
“ひょっとしたら、何処までも走って行けるのではないか”と思うくらいゆっくりと マイペースでいろんな物を感じながら走りたい。
今の活動は、走りながら旅感覚で走れ、全て自分の責任で行われる“ジャーニーラン” 走り旅)がメインです。

主な活動、そして目標
今はまだ日本では馴染みの薄い“ジャ−ニ−ラン”ですが、自分の荷物は自分で背負 って走る事や、全て自己責任に行われる事により、ランニングの中では最も多くの事 を感じ取れる走り方(競技)だと思います。 そんなジャ−ニ−ランを通じて人間本 来の感受性、志向性、クラフト性、人間らしさを多くの人に感じてもらいたく、大会 企画・呼び掛け等の活動をしております。 最終目標は、このジャ−ニ−ランを通じ て何か社会貢献の出来る人間に成ることが私の夢です。

大会企画のコンセプト
参加者にその大会のシュチュエーションより何か感じ取ってもらえる様な企画構成
例 TRANS・YEZO・・・日本最北端に自らの足で自分の想いを届ける。
  奥久慈トレイル   ・・・大自然と人間の共存。



のうみそジャーニーランサークルの心得
 
@ 「参加者自身が主催者となり大会を実施するものとし、呼び掛け人には一切の責任を負わないものとする」 という条件に同意でき、尚かつ自己の体調を含む自己管理及び自己責任を持てる事。
A 呼び掛け人の定めた大会方式に従い、またルール及び注意事項を理解し、団体行動におけるエチケット、 マナーを守れる事。
B 国土地理院発行・2万5千分の1地形図を読める者、または読めるようになりたい者。
 



大会の基本ルール
 
@ 参加者は大会期間中に必要と思われる物は全て各自で持って走ること。
(但し、ボランティアの人数によっては寝袋のみを大会側で運べるように出来る可能性もあります。)
A 全コース上に特別なエイドステーションは設置しません。
必要と思われる物(給水・給食)は全て自分で補うこととする。
B スタートは毎朝同時とし、ゴール時のタイムは自己申告制とする。
C 各ステージ毎に時速約5.5km程度の制限時間を設定する。
D 参加者はコース図通り走り、指定地点の通過時間を記録紙に自ら記入し、ゴール後に必ず提出する。
E 各ステージとも制限時間内にゴールした者を完走者とし、タイムオーバー及び途中リタイアした場合は、翌日よりオープン参加とする。
F 途中リタイア後も公共の交通手段を利用し、自力でゴールを目指すこととする。
G 上記項目を遵守できる方のみ、個人サポートを付けることが可能です。
 





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