− ジュニア・ランニングクラブ −


〜 『言葉って、あったかい・・・』 〜


東京ランニングクラブの陸上競技大会も申込みで良く東池袋に行きます。
事務所まではサンシャイン近くのビルの谷間を縫って向かいますが、
その道中うにとっても良い匂いのうなぎ屋さんの横を通ります。
(厳密にはわざとにおいを嗅ぎに行くのだが…)
いつも、一回立寄ってみたいなぁ〜と思いながらも、
“贅沢、贅沢”と横目で通りすぎ、匂いで満足しています。
(実際、うな丼は800円なのですが…)

先日も4月2日の春季陸上競技会(駒澤競技場)の申込みに行きましたが、
今回も後ろ髪を引かれる思いをしながら匂いだけで通りすぎました。
その夜、ひとりのジュニア部員からどうしても駒澤の大会に出場したいとメールがあり、
追加での申込みを本部にお願いし、再度事務所に追加申込みに向かう事と成りました。

これは“神様が与えてくれたチャンス!”と思い
もう、一晩中、明日の申込み(いや、うなぎ)がグルグル脳裏を離れません。
次の日、申込み後、意をけっしてうなぎ屋に飛び込みました!
席数8席(机ふたつ)、おかみさんは「今日も寒いね〜」と向かえてくれました。
「すみません、うな丼、もういいですか?」(11時前だったので…)
「はい、うな丼いっちょ〜!」
ご主人は厨房に向かう。
待つ事、約8分、ホクホクッ!と言う言葉がふさわしいうな丼が出て来ました。
期待よりこれはデカイぞ! と言うより、この柔らかさは国産??
(ちょっと恥ずかしくて聞けませんでした!)
おしんこと肝吸いまで付いて、
ん〜、こりゃ〜ビールっ!と行きたい所ですが、
業務中、業務中っとこらえました。 偉い! 普通ダッ!

食べ終わって、お勘定の時に自然に
「おいしかったです! ごちそうさまでしたっ!」
とおかみさんの顔をみて微笑むと、

「いい言葉だねぇ〜〜!」
とおかみさん。
「おいしかったです!ごちそうさまでした! かぁ〜」
「気持ちいいねぇ〜!」
「こちらこそありがとうございました。」
と言って、おやじさんの方を見て微笑んでいる。

「いやいや、ほんとおいしかったんで、自然に・・・」
と僕。

店を出て、寒空の下、高層ビル街を縫って駅に向かう。

“言葉って素晴らしいなぁ〜”
しみじみ感じながら、もう一度うなぎの味を思い出しました。
“あったけぇ〜♪”

PS/この後、斉藤茂太氏著の 『いい言葉は良い人生をつくる』・成美文庫
    と出会い、中学生以上のメンバーとの勉強会の教科書となりました。
    (私が毎回買足すせい?か、地元の本屋には今も山済みに入荷されてます。
     興味のある方はどうぞ・・・)


〜 『そして、そうやって・・・』 〜


先週行われました第36回福生ロードレース大会にて
アキピーこと秋元圭輔(6年)が小学生男子の部で優勝しました!
アキピーは、この連休中監督不在(伊勢湾)にも拘わらず、
“のうみそJr”から自分の意思で福生ロードレースに一人でエントリーし参加を決意。
恥ずかしながら私も旅立つ前は「やっぱ、一人だからエントリーしても行かないかもな〜?」
と思ってました。 “アキピーごめんね!そして偉いゾ!”
が…、11/6伊勢湾終了後に内海温泉に向かう電車の中でメールがプルプル(着信!)。
アキピー母から以下のメールが届きました。
どちらかと言うと人の後ろを付いて廻る(アキピーご免!)タイプの子だったので
しっかりと一人で大会に参加して来た事だけでも驚きましたが、まさか優勝するなんて!
思わず電車で「Oh〜!」と叫んでしまい、
その声は前に座っていた渡辺頼さん夫婦がびっくりして振り向かれた程でした。
その後は何度もメールを読み直し電車の中にも拘わらず嬉しくて涙と鼻水が止まりませんでした。
嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて・・・、
優勝も嬉しいですけど、ひとりでも自分でエントリーして出場したその気持ちが最高です!!
きっとランニングの神様が彼の努力をちゃんと観ていてくれたんだと思います!
さすが昨年度の“のうみそグランプリ受賞者!”です。
本当に尊敬します!  アキピー、おめでとう〜!

☆以下アキピ母からのメール☆
なんと・小学生男子の部で優勝しました〜。
タイムは12分19秒で、歴代優勝者より随分と遅かったけど…、嬉しいです!
つい最近までは友達が一緒じゃないと大会にも出ないと言ってたので今回は一人だし、取りあえず

行って走るだけでも偉いかな〜と思ってたので母はとても嬉しいです。
しかもトロフィーを二つも貰ったし(一つは読売新聞社から)まじめにやってると良い事ってあるんですね〜。ご報告まで 秋元


〜 『卒業証書』 〜


先日、後輩の結婚式(K君)で大阪に行った時、高校時代の陸上部の大松先生がこの3月で退職されたと聞き会いに行って来ました。

いや〜、実に20年振りの再会だったのですが、あの頃の(コワ〜イ)印象よりもやさしいおじいちゃんって感じで顔色も良く安心しました。 

しかし、相変わらず当時の後輩(巽君)と家のベルを鳴らして、大松先生が顔を観せると昔の癖で(ドツカレそうで・・・)条件反射で二人逃げ出しそうに成ってしまいました。  へへへ・・・

20年振りでしたが、昨日の事の様に当時の話にすっかり花が咲きました。

ここで、昔のエピソードを・・・

・ 長居の外周を走らされ『コラ!ペース落ちてるやん!』とバイクで後ろから追い駆けられた事。

・ 時間走行ってきます!と校外に逃げ出し四天王寺で缶ケリばっかりやってサボった事。

・ 『右足痛いんですけど』と言うと『どれ、左足出してみ!』と出したらケリを入れられ、『これで丁度良くなったやろ! 走って来い!』としごかれた事。

・ 服を水で濡らし、走ってきた振りして、『時間走行って来ました!』と報告すると、『嘘つくな!トイレに隠れて観てたぞ!』とゲンコツ喰らった事。

 ホント今となっては良い思い出です。

 後輩の巽君が「先生、今やったらドツいたら学校で問題に成ってますよ!」と言うと、大松先生も「ホンマやな〜!」と三人で大笑いしました。

 そんなこんなで、すっかりお邪魔になり4時間ほどお話したのですが・・・、その時、「お前には渡さなあかん物があるんや」と長細い箱を渡されました。

 僕はそれを開けてビックリ! 卒業式にもらうはずだった陸上部のトロフィー(名前入り)でした。

 「おまえ、卒業式にけえへんかったやろ〜」と渡され、瞬間、あの銀杏臭い練習場で走った事、補強運動した事、ズルしてドツカレた事、走るのがキライに成ってしまった事等が思い出され、そして、何よりも20年もの間大切にそれを保管して置いてくださった事に感動して涙が溢れました。

帰りの新幹線でぼんやり外を眺めながら思い出しました・・・

 あの時は、好きだった走る事が、だんだん人の為に走っている様な気がして嫌いに成り、3年の夏以降はクラブにも顔を出さなく成りました。 

 卒業式の時もツッパッテ先生の所にも行かなかったんだ・・・とぼんやり思い出してきました。

 「オレはナンテ事をしてしまったんだろう〜!」

 もし、今、僕が教えてる子が、卒業の時、来てくれ無かったらどんなに寂しいだろうか?

 言葉にするまでも無い事です・・・。

 このトロフィーはあの時受け取っていれば、おそらく今はもう僕の手元にも無いでしょう。

 でも、今は間違いなく私の持っている物の中では一番の宝物です。

 ジャーニーランと出逢え、もう一度走る世界に戻れた事ほんとうに感謝です。

 大松先生も再び僕が走っている事、遠足を呼び掛けている事を一番喜んでくれました。

  20年の歳月を経て私に届いた卒業証書は、その月日におおじた、いや、それ以上の重みを僕に感じ取らせてくれました。

 “おおまつせんせ〜! いつもドツいてくれてありがと〜!”

 

〜 ”やりたい気持ち”、”やろうと言う勇気” 〜


2003年11月にジュニア部員の原裕也が交通事故で入院した。

夏前より足首の捻挫をしていたが、秋先にはようやく治り、
この頃また力を付けて来ていた矢先の事であった。
通学中トラックに引っ掛けられ一時意識不明で入院となった。
 
私は彼の見舞いの時に”やりたいという気持ち、やろうと言う勇気”
と言う言葉をプレゼントした。
ケガを繰り返し好きな事の出来ない彼に少しでも勇気を与えたかった。
『病気やケガに屈して欲しくなかった!』

1月18日、秋シーズン一度も大会に出れなかった原裕也はフィールドに戻ってきた。
 
「今日は無理しないで・・・、こんなに良い天気なので太陽の力を一杯感じて走れる
喜びをかみ締めて来い!」とスタートラインに送り出した。 

原裕也は前半から第一集団の後ろに付けた。 
中間地点を超えたところで集団から先頭を引っ張る子がひとり抜け出した。

他の子は誰も付いて行けないが、オレンジビブスの子がひとり食下がり必死で追走している。 
『原 裕也だ!!』

競技場に入り、最後の直線スパートを掛けたが一歩、いや鼻差届かずそのままゴール。
後一息の所で優勝を逃した。 無念! 

それでも私はこのフィールド上に原裕也が立っていてくれているだけで満足だった。
しかもTOPと同タイムの銀メダルなんて・・・!
”ランニングの神様はやはり居るんダ!”
僕はあふれる涙を堪えながら原裕也を抱きしめた!





〜 新学年早々 〜


のうみそジュニアの新学年がスタートしました!             4/8,2003

今日(4/8)はのうみそJrクラブ部員の学年がひとつ上がり心を入れ替え再スタート!
と、幸先は良かったのですが、突然の大雨・・・!
弟や妹の入学式と言う事もあり、何名かのお父さんも来てくれたのに残念!
しかし、この雨が素晴らしい感動をまたもや起こす事になったのです・・・。

「しょうがないので体育館で遊ぼうか?」「今日は休養日だ!」
子供たち一斉に「イエ〜イ!」と喜んだ。
しかし体育館はすべて使用中で、仕方なく二階の200mランコースを走る事に・・・
「今日は休養日だから、好きなだけ好きなペースで走りなさい」
ひとり一人、クモの子を散らすように走り始めた・・・
お父さんたちもつられて走り出す。
「ハイ、タイセイは5周目!」「トシゾーは8周目!」
奴らの走りは一向に終わりそうも無い・・・
「おいおい、もっとゆっくり走りなさい!」
体育館に監督(僕)の声が何度も響くが、奴らの情熱は止まらない・・・
「ハイ、四時だからここでストップ!」
もっと走っている彼らの顔を観ていたい衝動にかられながらも、
奴らの足の事も考え、歯止めをかける。
「オレは30周」、「オレは32周!」
口々に自慢している。
「全員で何周走った事になるの?」
素朴な疑問に必死で集計してみると
「おい、みんなで295周もしてるぞ〜! 約60km!」
「わ〜!すげ〜!」
みんな口々にまたまた自慢大会が始まる。

集計をしていた私は14周しか走ってなかったので、
これ見よがしにひとりランニングをスタートした。
しばらくして、ほのかにランニングハイに入りかけた時、
気が付くと、ひとり、またひとり奴らは走り始めて居る。
「ひょっとして・・・」と思い走るのを止め再集計してみる。
なんと435周、87km!
いったん皆を止めて、状況説明。
「こうなったら100kmまで行くゾ〜!」
最後は感動を分け合う為にひとりづつリレー方式、
そして、ラスト2周は、お父さんたちも全員で足を揃え通算100kmゴ〜〜ル!
みんな汗だくの顔で
「100kmってどこまでいけんだろ?」
「富士山より向こうかな?」
「つえ〜!」
「ねえ、御園生さんの北海道って何キロ?」
真っ赤なほっぺをして、最高の笑顔を見せてくれる。

私はおもわず、
「よっしゃ!ラーメンおごりだ!」
一斉に
「いいぇ〜い!」

奴らは遊びの天才だ! ありがとう!



〜 『チョコ シェイク』 〜


〜 お母さんからのメールより 〜    2006/6

fw:チョコシェイクごちそうさまでした!

チョコシェイク、ゴチになりMは大喜びでした!
ありがとうございま〜す。

実はこのところ、宿題もろくにやらない状態が続いていたので、
母は習い事を一度全部辞めさせるつもりでした。

でものうみそは続けると言い張り、自分の小遣いを月謝袋につめて母を振りきって行ってしまいました。
昨日は記録を更新できたし、一番中の良い“M子以外”の仲間も作ろうと思っているようです。
母はMの本気を今暫く見守ろうと思います。

これからもどーかご指導ヨロシクお願いします!m(_ _)m
(今日母はアルバイトに行っていたのでお礼が今になってしまいました…)
- F.H -

Miso=

メチャクチャうれしいです! マジで泣けましたっ!

僕も辛い事たくさんあるけど…、
そう言う子供たちの思いに支えられ、そしてハゲ??まされ、・・・
今までのうみそ活動を続けさせて戴いている気がします。
ありがとうございます!

そう言う思いのある娘がいる限り、僕はのうみそ活動をずっと続けるでしょうネ!

例えば一杯のチョコシェイクが・・・、
それがきっかけでお互いに伝わるメッセージがあるとすれば…、
それは凄い事ですよネッ!

いつも秘かに“そんな事を期待して”お付き合いさせて戴いております!

こちらこそありがとうございました!
こんな私ですが今後ともヨロシクお願い致します!

PS/お父さんに来て戴いていたのに一緒に帰れ無くてごめんなさい!






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