日生(ひなせ) |
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日生(ひなせ)は奥の深い湾になっているので古くから天然の良港として有名です。小豆島へのフェリーや付近の島々への渡し船があるので観光シーズンはかなりの賑わいをみせます。国道は細い町並みを通っているのでクルマを停めることが出来ずに過ぎてしまうので、港の内、又は五味の市の標識にしたがって行くと駐車場があります。 |
こちらは漁港です。瀬戸内海の海の幸の五味の市があります。子供の頃は露天の市だったのですが大きな建物が出来ていました。よくシャコを買って帰ったもんです。食べるのが面倒ですがおいしいんですよ。すし屋で剥き身になったものとは別のもののように味が深いです。 |
竹久夢二 |
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夢二の生家の近くに茂次郎橋があります。見ても何てことのない小さな橋ですが、名前の由来になった「花のお江戸じゃ夢二と呼ばれ故郷(くに)へ帰ればへのへの茂次郎」の詩(?)が夢二の屈折した気持ちを見事に表現していて好きです。室生犀星の詩と同様、故郷は必ずしも優しいものではなかったのかもしれませんね。近くの石碑によると家族(特に姉と母親)はとても優しかったようです。 |
竹久夢二の生家が残っています。内はいわゆる「大正浪漫」の世界です。当時の世相を感じられるものが多くあり新聞には大逆事件の判決の新聞があって浪漫とは裏腹の寒い時代でもあったことを感じさせます。なんとなく厭世的な雰囲気が漂う独特の世界へトリップできます。 |
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夢二の生家に向かう途中にある人形の製造工場です。張子が中心のようです。特に珍しい物ではないとは思いつつ頭や胴体が並んでるのは面白い風景です。プラスチックには無い味わいがあります。 |
夢二の生家の裏山が散策のコースになっています。畑があって日当たが良く気持ちが良かったです。畑仕事を80過ぎの爺様と話しをした。夢二の晩年を知っているようで「宵待ち草」の話しをしてくれました。詳細は下に |
宵待ち草
待てど暮らせど来ぬ人を宵待ち草のやるせなさ。有名な夢二の歌ですが上に書いた爺様の話によりますと夢二を袖にした女性は閣下と呼ばれる地位にある人の令嬢だったそうです。明治から終戦までは身分が厳然としてあって夢二のような画家や詩人などまともな人間と認めない人が多数いました。当然ながら令嬢は夢二に自由に会えるはずもなく泣く泣くあきらめたようです。月日がたって夢二はこの世を去りました、夢二を偲ぶ会に白髪の老婆が訪れたそうです。その老婆が宵待ち草の令嬢だったのです。その時に風呂敷を大事そうに持っていたのですが、その中には夢二からの手紙が一抱えほども入っていたそうです。老婆は宝物ですから自分が死んだら棺桶にいっしょに入れてもらうように頼んでいると話したそうです。 |