注2)文明三年(1485)、鉢屋衆の
鉢屋弥之三郎は、浪人の身である尼子経久の要請を受け、京極家の塩冶
掃部介の護る
出雲国月山冨田城の奪回に乗り出した。旧領を取り戻す為に集まった
尼子旧臣50人余りと、笛師銀兵衛率いる鉢屋者
70余名が参戦した。
毎年、正月に月山富田城へ祝賀に訪れる習慣のあった鉢屋衆は、初日の出
とともに武器を隠し
持ち、「万歳」の舞と囃子で難なく入城を果たした。
刻を見計らって鉢屋衆が合図の狼煙を上げると、待ち構えていた
尼子勢が
乱入し、あちこちに火をかけ一気に本丸を落とした。この功で鉢屋衆は
本丸北の「鉢屋平」に長屋を与えられて
住み、「やぐら下組」と呼ばれた。
参考文献 『忍者の系譜』 杜山 悠著 創元社刊
『千年の息吹き
京の歴史群像』 「出雲のおくに」小笠原恭子著 京都新聞社刊
『近世の民衆と芸能』 京都部落史研究所編 阿吽社刊
『漂白の民
山窩の謎』 佐治芳彦著 新国民社刊
『鬼と天皇』 大和岩雄著 白水社刊
『決定版
忍者のすべて』歴史読本臨時増刊 新人物往来社刊
『忍者が描く闇の戦国誌 出雲鉢屋衆篇』 辻 直樹著 歴史読本 2004年8月号 新人物往来社刊
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