23-6:鹿児島 宝台 ムー大陸博物館(多宝仏塔)

所在地:鹿児島県揖宿郡開聞町十町5670−2

取材時期:2004年12月

ジャンル:お祈り系

珍スポ度:☆☆☆☆ (☆五個が最高得点)

コメント:

鹿児島取材のメーンイベント、開聞岳麓のムー大陸博物館です。ここは、南九州最大の「珍スポ」として超有名。平等大慧教という宗教団体の研修施設なのであるが、この教団の教えによると、あの「ムー大陸」と開聞がその昔繋がっていたのだそうだ。そして、ムー大陸のお守り本尊であった「多宝仏塔」が再建されているという。うーん、すごすぎっ!ということで、長崎鼻パーキングガーデンより、ビッツを直行させたのだった。

開聞岳麓より、開聞町市街へ向かう道に色褪せた「多宝仏塔←」の巨大看板あり。畑の中の小径を行くとすぐに急な坂道となり、5分ほど走ったところで、突如現れる真っ赤な門。うわ〜、何やら怪しげ、と思いつつ、広大な駐車場の一画にビッツ駐車。隣のバンからは、赤いブレザーに「南妙法蓮華経」とかかれたタスキをぶら下げた青年二人が降り立つ。彼らは門の前に立ち、何やらお経を唱えはじめる。その後、中央の門をおもむろに開き、さらにお経を・・。見とれてないで、取材取材、と思い、その門を潜ろうとすると、青年、丁寧に「横の通用門からお入りください」とやんわりと指示された。

さて、入場門から少し登り勾配のついた道を登った所にあるのは、まず売店。その奥が問題の多宝仏塔である。まずは、多宝仏塔より調査開始。仏塔の真下まで上がって行けるようになっており、信者でない一般観光客にも開放されている。さすがに白象の上に乗る塔内部へは入れないようだ。でも象の横っ腹に階段が付いているので、内部は空洞になっているのだろう。しかも入り口と思しき場所には菊の御紋、何だかなぁ〜(阿藤海風)。塔中央部には黄金の仏像が見え、全体的にはサンダーバード3号のようだ。国際救助隊出動!ってな感じで、シュボ〜っと飛び上がったら面白いのに・・、などと考えていると、遠くの方から「な〜んみょう〜ほうれん〜げきょう」と節を付けてお経を唱え、鐘などチ〜ンとうち鳴らした集団が塔に近づいて来るではないか・・。やべっ、と思い急いで台座から撤退。良く見ると先ほどの青年二人連れの他、お参りに来た方々、総勢十名弱。塔正面のお参りブースに入り、何やら儀式がスタートするようだ。ニカも軽く会釈して通り過ぎたところ、青年の一人も返してくれた。礼儀正しい若者である、フムフム。

さて、興味本位で儀式をじろじろ眺めるのも気が引けたので、次の順路「ムー大陸博物館」へ向かう。これは、広場を挟んで仏塔の向かい側にある立派な建物内部。自動ドアで内部に入ると、そこは3Fであり、階段で下へ。まずは宝物館より見学スタート。石・・です。珍しい石・高そうな石・綺麗な石がゴロゴロしており、コレクションとしては相当なものに見える。金持ちお宝収集の最終段階は「石」に辿り着くらしいが、ここでもやっぱり・・。次の間は「貝」。ぱっと観ると何やら美しい貝殻が並べられている。やはり、何が貴重で、どれがお宝なのか、よく分からない。

さらに階下へ降りると、ここが問題の「ムー大陸博物館」。ムー大陸が滅んだ歴史や、大陸の一部がこの開聞町で接していたことを発見した経緯などが、誰でもよく分かるように?展示されている。いろいろ説明してあるのだが、読めば読むほど???が深まるような内容で、かなり珍度アップ!詳細はアラカワさん始め、いろいろな方がレポートされているので、是非チェックしてみてください。ちなみに館内は全面撮影禁止です(ネット上には写真がアップされているサイトもありますが・・)。それほど広い展示室ではないけれど、一通りみて廻ってお腹いっぱいになり、出口へ向かう。すると、机の上にパンフが並べられており、手にとってみると、なんとこの多宝仏塔の他、対岸の佐多岬に巨大涅槃像まで祀ってあるというではないか。うーん、すごすぎっ。さらに平等大慧教本部のある広島にも強烈な美術館を持っており、それらは一般にも開放されているとの記述。これは取材対象にして置かねば、と誓い階段を出口へ向かうニカなのであった。

最後は売店の入っている建物へ。仏塔の模型などというマニアな土産物や、一部のB級ドリンクファンの間で有名になっている「プライムTEN」という飲料もあり、つい3本ほど買ってしまった。店のオバチャン曰く「このまえなんか、東京からやってきて3ケース買っていった人がいたよ」だって。そうそう、アラカワさんから提供して戴きましたペナントもしっかり壁に張り付いておりましたです。しかし平等大慧教とはどういう団体なのでしょうかね。壁にぶら下がっていたパネルでは、二代目教祖の梅本氏が何やらお言葉を述べておられましたが、ネット上には殆ど情報が無いし・・。でも信者は沢山居そうだし・・。謎です。

写真:

リンク等:

取材記録23に戻る |  にかのページメイン | ニカ家のページへ