2-5:新潟県 柏崎市 妙智寺

所在地:新潟県 柏崎市 鯨波3−7−33

取材時期:2001年4月

ジャンル:お祈り系?怪獣?系

珍スポ度: ☆☆☆(☆五個が最高得点)

コメント:人魚のミイラです。はっきり言って普通のお寺ですので、「人魚のミイラ見せてください」と切り出すのに、とても勇気が必要です。せっかく来たので、お寺のお母さんに恐る恐るお願いしてみると、「今、法事やってるからちょっと待っててね」とのご返事。やった!15分くらいお寺の境内を散歩して暇を潰すと、お母さんが箱を持って現れた。「上がってゆっくり見てきなさい」のお言葉に甘え、ブーツを脱ぎ、ミイラ君にご対面。木箱を開けると何やらおどろおどろしい人魚?のミイラを確認したのだ。これが本物ならすごい物だし、作り物だとしたらとても良く出来ている。何れにしても有り難いものであるのは間違いない。木箱の蓋にミイラ入手までの物語が筆で記してあり、それを現代語訳した紙があった。一応デジカメで記録してきたので、興味のある方はご一報下さい。何とか解読してみます。

そんなこんなでミイラ君を眺めていると、奥の方から例のお母さんが「お茶でも飲んでいきなさい」と優しいお言葉。お寺に集金に来たおじさんやら近くのおばちゃんやらに混じって、お茶菓子と漬け物をごちそうになってしまった。ひとしきりだべって、お礼を言ったあと妙智寺を後にしました。バイクを動かしてしばらくして、そういえば妙智寺のご本尊さんに手すらあわせてなかった事に気づき、愕然としたのだ!御免なさい。今度行ったときには是非お参りさせていただきます。

写真:  

リンク等:人魚のミイラに関する情報はどの検索エンジンでも引っかからないので、情報をお持ちの方はご連絡ください。

越後三十三観音巡り 第四番 普門山 妙智寺

その後の調査により古文書に書いてある内容が載っているページを発見:柏崎諏訪町びっくり市

上記リンクが死んでしまったので、訳文のコピーを以下に載せます。

人魚のミイラの由来

郷土史研究家 桑山省吾先生により解読

--------------------------------------------------------------------------------

ここに人魚所有の来歴について記す

 
埼玉県南埼玉郡川通村大字平野、深井老翁は生まれつき性質が穏やかで実直であり、立派に道徳を守る人である。

過ぎ去った明治十六年(1,883年)頃より、書画や骨董を互いに好むことから仲のよい友達となり、年を経、月を重ねる毎に親しみの情が深まり、大変親しくなった。

明治三十二年六月一日から気候変化のため、体の弱い老翁は、病気となり、常に医者にかかり治療を施したけれど、効果はない。明治三十二年六月十日、遂に床について私と対話中、老弱の老翁が言うには鈴木氏に今回の病気はどうしても全快するとおもわれない、長生きできないことは、残念で唯の夢にしか思われないが、君とこの世の寂しい別れを惜しむだけである。

また言うには君は越後に生まれ愚老の祖先は越後の領主輝虎、仏門に入った謙信公の家臣で姓を長尾という。理由が あって落ちぶれ、当村の平野村に住居を定めた。愚老はつまり謙信公の祖先から血筋をひいている。君との厚い交反を想いにずっと昔は血縁の者であるかも知れない。

日が過ぎる六月十二日対話をする。老翁が言うには鈴木氏に愚老も息を引き取ることも間近いと思う。ここに私が永年秘蔵していた人魚がこれである。今の世において長生きの動物はこの人魚が一番すぐれている。この世に生きているお前に死んだ後に残された品物として差し上げる。私が帰宅した後、老翁は早速妻の手により寄贈せられたものである。
 同翁同月十八日眠るように亡くなる。行年七十七歳

--------------------------------------------------------------------------------

取材記録2に戻る |  にかのページメイン | ニカ家のページへ