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長引く不況の中で、このところ教育界に異変が生じつつある。社会人が資格を取るために新たに勉強を始めたり、もう一度専門学校や大学へ入学し直すという現象が出始めているからである。自分で納得のいく人生の設計図を書き直してみたいという欲求は当然のことで、この傾向自体は誠に喜ばしい。
社会人であることのプラス面は何と言っても「目標」と「勉学の位置付け」がしっかりしていることの一言に尽きる。学生時代にはこれといった目標もなく、漫然とカリキュラムをこなしていた人も、社会人として再度勉学を始める際には自分なりに「勉学の位置付け」ができているものである。常識力や一般教養も学生時代よりは身に付いているため、英語の長文読解や小論文においては高校時代よりは高得点が期待できそうである。
もうひとつの強みは何と言っても過去の失敗から自分なりに学びとった教訓であろう。とかく若いうち(10代)は誰でも「自分にも何かできそうだ。何かになれそうな気がする」と思い様々な夢を抱くのであるが、所詮それは青春の夢に終わってしまうことが多い。夢を持つことは大切であるが、その夢を実現させるためにどれだけの地味な「努力」と「苦痛」と「忍耐」とが必要かを不幸にして多くの若者(10代)は知らない。しかし、社会人の場合は過去の経験や挫折から学びとっていることが多く、このことは新たに勉学を再開しようとする上では大きな財産となる。
もっとも、マイナス面も無いわけではない。第一の問題は年齢を重ねることに伴う「体力」と「記憶力」の低下である。受験勉強を再度思い立つ人達は圧倒的に20〜30代が多く、さほど著しい低下はしていないとは思われるが、それでも10代の「黄金時代」の90%程度のパワーしか出せないものと覚悟しておいた方がよい。
第二の問題は社会人であることに伴う「しがらみ」である。大抵の社会人は「働きながら、勉学を続ける」ことを考えているようであるが、学生時代と違って他人との「付き合い」という問題が生じてくる。これは年齢を重ねるにつれ、また係累が多くなるにつれて増えていくのであるが、このために自分の勉学のペースが乱されるという問題がある。やれ葬式だ、やれ結婚式だ、やれ残業だと、不本意に借り出される機会が多くなるのは学生時代の比ではない。そういう「付き合い」を振り切って、または、そういう「付き合い」を犠牲にしてまで初志を貫徹するだけの強い「意志力」がなければ、目標を達成することは難しい。事と次第によっては仕事を一時中断し、受験勉強に専念するだけの覚悟が必要であろう。
第三の問題点としては、中学・高校時代のように一緒に勉学する仲間はいないということである。半ば義務教育化している高校受験のように、自らを勉学に駆り立てる外部からの強制力は一切ない。基本的には独学であって、強制力は自らの内面で形成していくべきものである。これは、ある意味では社会人にとっては「落し穴」であり、歳月を重ねるうちに日常性の中に埋没し、戦闘意欲を徐々に失っていくということにもなり兼ねない。
以上のプラス面・マイナス面を充分に知った上で私が通訳の試験に挑戦したのは、35歳を過ぎてからのことである。人生の半ばを過ぎてから受験勉強を始め、それを2年後に実現させた次第である。言わば社会人受験生の典型である。それだけに、社会人が「戦いの火を赤々と燃やし続ける」ことの大変さは人一倍解っているつもりである。その意味では英語や数学といった学習面のみならず、精神面でもこれからの社会人受験生に提供できるものを数多く持ち合わせていると確信している。
以上のことを踏まえた上で、受験勉強にチャレンジしてみようというガッツのある方となら、喜んでお付き合いさせていただきたい。
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講師略歴
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■ 新潟大学法学部卒業
■ 元新潟県農業大学校 講師
■ 元共通一次試験テレビ解説担当講師(TeNY)
■ 元予備校講師・英語専門学校講師
■ 英検1級・通訳案内士
■ 著書『英語総合』『英語読解』『小論文の書き方』ほか
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