中国でのこと 岡島昭浩 (京都府立大学短大部国語科の研究報告に載せたもの)   私は、昨年度一九九二年度の四月から三月までの一年間、中華人民共和国陝  西省西安市にある西安外国語学院の日語系という、日本語学部に相当します所  で、本学と西安外国語学院、また京都府と陝西省の交流事業の一環として、日  本語教育に従事しました。ここではこの一年間の経験談というようなことを、  自分の最も関心の深い書物のことを中心に書くこととします。日本人の見た中  国の書物事情と言うものはあちこちで語られています。私はここでは国語学、  日本語学を専門としている人間から見た眼で述べてみたいと思います。   まず書店ですが、学校のなかに書店があります。ここ京都府立大学でも生協  の書店があるようなもので、テキスト類の販売が中心です。しかしそれだけで  はなく、西安外国語学院は学校の中に印刷所も持っています。外国語大学です  から、いろんな種類の文字を必要としていて、外部の印刷所では充分にこなせ  ない、ということにもよるのでしょう。紀要類の印刷もそこで行われていま  す。その紀要には中国語のほかに、日本語・英独仏ロシア語などで論文が書か  れています。また、学内の書店では、外国語大学らしく、語学のカセットテー  プの販売も盛んなようでした。   新華書店は全国的にどこにでもある本屋でして、日本で出ている中国のガイ  ドブックなどには「中国の本屋は全て新華書店である」と紹介してあるものも  あります。しかし実際には小さな本屋でいろんな名前を付けているところも沢  山あります。ともかく新華書店が一番大きな本屋と言う事になっています。西  安外国語学院の学生に、大きな本屋はどこだろうと聞くとやはり町の中心部に  あるここを教えてくれました。確かに学校の近くにあるような本屋と比べます  と、かなり大きくて三階立てぐらいでした。しかし私が期待していたような中  国古典関係や中国語学関係の物はあまりありませんで、すこしがっかりしまし  た。私は国語学が専門で、日本にいる時は国語学関係の書物を買う事に追われ  て、あまり中国関係の書物を買う余裕がありません。それで中国にいる時には  せいぜいそうしたものを買って帰ろうと思っていた訳ですから、そんなに深い  専門書を欲していた訳ではありません。しかしそれにしましてもあまり食指の  動く本は置いてありませんでした。   考えてみましたら日本でも大きな本屋に行ったからと言って、全ての本が手  に入る訳ではありません。しかし日本の本屋、新刊本の本屋の場合には、再販  制度によって支えられていますから、書物の入替えが頻繁に行われ、本棚に本  が所狭しと並べられている感じがします。それに比べるとやはり本は少ないよ  うな気がしました。例えば、あるシリーズの特定の巻だけが何十冊もならんで  いるのに、他の巻は全くない、という事もありました。   外語学院の隣の師範大の中にも新華書店があります。ここはなかなか品揃が  好かったとおもいます。やはり中国の古いものを研究している人も多い大学で  すから、それもうなずけるわけですが、しかし、基本的なものがきちんと揃っ  ている、というわけではなくて、面白いものが転がっている、という感じなの  です。これはどこの本屋でも同じです。勿論全く見るべきものがない、という  本屋もあります。しかし、どこの本屋にいっても品揃が違う感じなのです。日  本の本屋は、中には個性的な店もありますが、多くはどこもほぼ同じ様な本が  おいてあります。しかし中国の場合には、店によって全く違う、という感じな  のです。勿論、流行りの本というのはあって、そういうのは店頭に大きく書い  て宣伝してあります。しかし、店の片隅に置いてある本などは本当に店によっ  て違います。どの本屋に入っても結構楽しめるのです。「日本での古本屋回り  の様な感覚で新本屋を回る」というかんじなのです。   日本でも古本屋で見つけた本は、その場で買っておかないと、もう二度とお  目にかかれない覚悟が必要です。中国の新本屋においてもその覚悟が必要でし  た。この様な本は自分以外に買う人はいないだろう、と思っても、そうでもな  いのですね。また本を買いにいってみると、確かにそこにあった本屋がもう無  くなっている。ということが二度や三度ではありませんでした。西安では小さ  な本屋は出来たり無くなったりがとても激しいように感じました。   さて古本屋といえば、あるとき街で、古本屋らしいものを見かけました。  入ってみましたが、平積みになったりしていて見づらかったせいかもしれませ  んが、余り面白そうなものはありませんでした。街角で露店の様にして古本を  売っている事もあります。学校から表に出るまでの道の、歩道の様なところに  敷物を敷いて本を並べていることもありました。ここにはいろんな本がありま  した。西安外国語学院の紀要の様なものもそこで売っていましたし、英語の本  や、ロシア語の本の他に、日本人が持ってきて処分した物でしょうか、日本語  の本もありました。   人と一緒にあるいているときに見た所、裏門を出たあたりで古本を売ってい  る様子で、日本の雑誌も有りそうだったので、あとで一人で散歩がてら行って  みると、なんと日本の雑誌ばかりだったということもありました。値段を聞く  と、週刊朝日と週間文春が二元、文藝春秋が三元でした。日本円にしたら五〇  円程度です。古本としては少し高いようにも思いましたが、比較的新しいもの  で、私が中国にいってからのものも有りましたので、何冊か買いました。   学校の近くには小さな本屋がいくつか有りました。学校前の通りから大通り  に出る所に本屋が二軒並んでありました。一軒は音楽のカセットテープなども  売っていてなかなか繁盛していたですが、もう一軒の方は、日本語の教科書の  同じものがずらっと並んでいたりして、あまり客足が有りませんでした。行っ  て直ぐの頃ここでこの日本語の教科書などを買ったことですっかり顔を覚えら  れました。ひやかしたときに、いろいろと話しかけてくるので、何か買って帰  らないといけないような感じになって、あまり面白い本でなくてもよく買って  いました。   また学校から三〇分ほど歩いた小寨というところにも本屋が纏まってありま  して、ここでもなかなかよい本を買う事が出来ました。     以上の様な感じで、時々面白い本を見つけては買う、という感じでいました  が、曇りがちで暑くない日に自転車で町に本屋を捜しに行きました。西安の市  街図を手に入れまして見ておりますと、「古旧書店」というのが載っているの  を見つけたのです。古本屋なのかよくわからないけれど、ちょっと気になりま  すので、そこへ行くのを目標にして、途中いくつかの書店を見かけたら寄って  みようと思って、自転車で行ったのです。街の中心部までは自転車で三〇分ほ  どでつきます。城壁の南門から入ったあたりに、碑林といいまして、古くから  の石碑を集めてある博物館、陝西省博物館があります。一昨年の天皇訪中の際  にもテレビで写されていたと思いますので、御覧になった方も多いのではない  かと思いますが、その碑林の東の方に柏樹林街と言う通りが有りまして、ここ  に本屋が何軒か並んでいました。ここの本屋街には結構、私好みの本が置いて  ありました。これはいい本屋を見付けた、と喜んでいたのですが、その店を出  たあと、古旧書店に行ってみましたら、今までの苦労は何だったのだろう、と  云う気がしてきました。今までいくつかの書店で買ってきたような本はみんな  此にあるではないか、と思えたのです。この書店は中国の古典、歴史関係の本  を多く揃えている本屋だったのです。これは考えてみますと素晴らしい事で  す。例えば日本の京都のことを考えてみますと、古本屋ではその手のものを集  めている所はありますが、新本屋ではそういうところは有りません。中国の古  都、西安では、自国の古来からの文化に誇りを持っているからこそ、このよう  な本屋が有るのでしょうか。日本でも見習って欲しいものだと思いました。   九月には、「第三届西安古文化節書市」というポスターを見つけて喜んで  行ってきました。「西安古文化節」というのは、テレビなどでは開会式などを  放送していてやっているらしいのですが、具体的には何をやっているのかよく  分りませんでした。しかし、それに協賛して「書市」をやるというのであれ  ば、黙ってみている手は有りません。私は日本に居る時でも古本市、古書市と  見れば喜んで飛んで行きます。ただこの書市と言うのは、新刊本の展示即売会  の様なものであろうと思い、日本での古本市ほどは期待していませんでした  し、雨が降り続いていましたから、出かけましたのは会期の半ばほどでした。  入場料五角、一〇円ほどですが、を払って会場に入りましたが、一階は確かに  新刊本展示即売会です。街の本屋では見かけないような本も幾らか有りまし  た。二階は狭いスペースで降価本がありました。「降価」とうのは、割引のこ  とです。新本屋でもときどき割引販売をしているようで、新華書店などでも  「降価本」と称して、三割引、五割引、という本が売っていました。三階に上  がりますと古旧書店特選本コーナーと言うのが有って、清朝の版本などの古本  も売っていました。聞いた話しに依りますと文化財流出をふせぐ為に古い書籍  は持ち出し禁止と言うことですから、欲しい物が有ったりしたら目に毒だ、と  いうのと、あまり時間が無いのとで、ゆっくりとは見ませんでした。もしもど  うしても欲しい物を見つけてしまったら、買うだけ買っておいて、全部コピー  して、原物は中国のどなたかに預けて、コピーした物を持ち帰る、ということ  も考えていましたが、その必要は有りませんでした。黄遵憲という、清末の人  で、明治日本を訪れて、日本のことに就て記した『日本国志』という書物が目  を引いただけでした。線装本の他に、線装本でない洋装本の古書も置いてあり  ましたが、比較的高価なものの様な気がしました。   同じ三階には内部流通のコーナーも有りました。内部流通と言いますのは、  これも国外持ち出し禁止でして、ここは紹介状か工作証を見せて入るように  なっていて、外国人立入禁止の為だと思います。これは思想的な問題ではな  く、著作権の問題です。私も町中の外文書店(外国語書店)で日本の『新字  源』の複製版などを買って利用していましたが、ここは外から覗いただけでし  た。中国は最近、万国著作権条約やベルン条約に加盟しましたので、このよう  な複製版を作ることはこれから少なくなるのではないかと思いますが、中国の  書物の値段が日本の書物の値段と比べて非常に安い事を考えますと、日本の書  物がそのまま中国で輸入書として売られるとすれば大変高価なものとなるであ  ろうと思われます。   私が西安で売っているのを目にした日本からの輸入書と思える物は、外文書  店にあった、『角川古語大辞典』のうちの一冊、『日本古典文学大辞典』の一  冊ぐらいでした。店頭に出さないで直接売っているケースがあると思います  が、日本では、いくつかの都市で中国書を専門に扱っている店があるのとは状  況がちがいます。   さて、書市の話しですが、ある程度見てから、建物の外に出ますと、そこに  降価本のコーナーがずらりと並んでいることに気づいてしまいました。なかに  は古旧書店のコーナーも有って、大変面白そうな本が五割引で並んでいまし  た。たいそう嬉しくて、山のように本を買ってしまい、帰りに大層苦労しまし  た。   さて、中国の古典関係や中国語学の本を買う傍ら、日本語学の本や、日本語  から翻訳した本、日本のことを中国語で紹介したような本も目につきました  ら、買うようにしていました。   日本語のことについて書かれた本には、紡績関係の言葉をあつめた本や、数  学語彙を集めた本、医学用の日本語教科書など、細分化されたものもありま  す。現在の中国で日本語が盛んに勉強されていますのは、やはり日本の科学技  術をまなぶためのようでして、西安に有ります西北交通大学と言う理科系の大  学にも「科技日本語」、科学技術の日本語という専攻が有って、日本人教師も  二人ほど居て、本格的に日本語教育が行われていますのもこうした訳でしょう  し、テレビで行われている日本語講座でも普通のコースのほかに科技コースも  あります。   現代中国に於ては、日本は先進文明の「象徴」のようなところが有って、平  仮名・片仮名は日本らしさを商品に与え、日本からの輸入品ではなくとも、高  級イメージを与えるようです。平仮名で「うつくしい」と書いたジャンパーを  着て歩いている人も見ました。むかし外国人による日本語弁論大会のようなも  ので、日本人が「KISS ME」と書いた服を来ているのに驚いた、と指摘している  外国人が居ましたが、自国の言葉では恥ずかしい事でも、外国語だと気になら  ない、ということがあるわけです。   また、テレビで日曜日の午後に「星期日日語」(日本語タイトル「日曜日の  楽しい日本語」)というのがあって、日本語学習者の為に、日本語の番組を中  国語の字幕も付けずに放送する時間が有ります。番組中の日本語をすべて文字  化した学習テキストが有るようですが、あまり見かけません。この時間帯には  日本の風物を紹介したりするいわゆる「教育映画」等の他に、NHK制作のド  ラマなども放映され、つい見てしまいました。   国費留学生を選定するための試験対策の本にも日本語の問題が載っていま  す。留学の希望先としては英語圏が多いようですが、日本の人気も高まってい  て、日本語が英語に次ぐ第二の外国語となっているようでした。   中国で眼にした日本関係の書物の中で、私が一番興味深かったのは樊祥達  『上海人在東京』(作家出版社、一九九二年)です。この本を眼にするまで  は、書店で『北京人在紐約』という題名を見ても、『パリのニューヨーク人』  のもじりなのだろうとしか思っていなかったのですが、この『上海人在東京』  を見ると、うら表紙に次のように書いてあります。    留学の夢は多くの青年の精神をくるわせ、東京・ニューヨークは天国の代    名詞となる。日本への留学生の「天国」での苦労を見てほしい。「高田馬    場」に馬はいないが、留学生が我先にと「騎」(車に乗る)。日本語学校    の内幕、人の師たるものが全く無道徳の破廉恥である。皿洗いにビキニを    着ねばならず、働くとはやはり体を売ることなのか。社長が留学生を優遇    するのは、なんと、往年の「皇軍」が感情の借りを返さねばならないから    なのだ。二つの孤独な心が異郷で触れ合い、男主人公と、その子供のピア    ノ教師といういびつな恋へと……   「就学生」の状況は日本でも紹介されていますが、そうしたものとは違う生  の声を聞く気がしました。高田馬場の部分は、土木工事の人手を車で集めてい  る所に留学生達が群がっている様子です。   高い金を払って自費留学生となり、上海空港を飛び立ち成田へ降りるが、受  入先からは誰も迎えに来ていない、という具合に話が始まります。主人公の苦  労はすさまじいもので、「鬼窟」たる日本語学校から離れ、「しヤちよう、お  しごとあろ?」(原文のまま)と仕事を探したり、朝日新聞社に篆刻を売り込  みに出かけたり、ビザを延長したり、ここには書きくつせません。つらい話が  多いのですが、まともな日本語学校での授業風景の描写や、アルバイトニュー  スが出て来たりするところなど、楽しめる部分もあります。ストーリーも面白  く、そうでなければ私の中国語の力では最後までは読みとおせなかったでしょ  う。   日本人に読んでもらいたい本であり、邦訳が待たれます。なお、著者は一九  五五年、上海生まれ。表紙の折り込みに、作品にも登場する京王線の千歳烏山  駅で写した写真が載せられています。   この本を読んだ後、葛笑政『東京の誘惑』(軍事誼文出版社、一九九三年、  刊記の題名は『東京的誘惑』)というのも目にして購入しました。これは、  「天国でも地獄でもない日本を示す」という小説のようですが、読んでいませ  ん。邦訳が待たれます。   日本では、出版業の東京一局集中が特に盛んですが、中国では地方での出版  が盛んなようで、西安で出版された本も多いし、別の地方で出版された本も  入って来ています。しかし、各地で勝手にやっているという感じもします。例  えば井上靖『孔子』の翻訳本などは二種類見ましたし、そのうちの一つは随分  杜撰なもののように感じました。   他にも日本の小説を翻訳したものは多く見かけました。漱石・鴎外といった  人の作品だけでなく、大衆小説や随筆なども翻訳され、書店に並べられていま  した。例えば山村美紗・大藪春彦・松本清張・夏樹静子といった人の小説や、  『Noと言える日本』などもありました。しかし、これらの本がわずか数元で  売られていることには驚かされます。日本円に換算すると百円しないわけで  す。この値段では日本人作家に著作権使用料が支払えているのか不安になりま  す。     以上、中国西安での書物生活について話してまいりました。いろいろと思う  に任せぬ事も有りましたが、一年間にわたって滞在しなければ経験できないよ  うなことが多く有りまして、私にとりまして貴重な体験となりました。私にこ  のような機会を与えて下さいました、西安外国語学院と本学に対して感謝の意  を述べまして、本稿を終えたいと存じます。