人文系wwwページの試み

岡島昭浩

『福井大学情報処理センターニュースNETWORK』10-4(1997.2)

0.はじめに

 国立大学は有難いもので、黙っていても研究室の天井には情報コンセントなるものが付いていて、ここに繋げばインターネットに直結である。しかしwwwを見るほどの力を持ったマシンを手に入れねばならず、実際に繋いでみたのは96年3月ごろのことであった。
 実はそれ以前にも図書館や情報処理センターから覗いたり、あるいは福井大学赴任前からパソコン通信を利用した文字ベースのwww閲覧はしたことはあったが、やはり研究室に居ながらのwwwページ訪問は手軽なこともあって時間をかけて見て回ることが出来た。そして痛感したのが文科系の、特に日本に関する人文学系のページの少なさである。信州大学の池田証寿氏のページが95年秋ごろにスタートした早いものであったが、私が研究室から繋いだ96年の初めごろはそれに加えて、弘前大学の小倉肇氏がページを持っていた。小倉氏のページには、日本呉音という、私の専門に近い漢字音関連のページもあったので、強く刺激を受けた。また東北大学の後藤斉氏が、国内言語学関連wwwページリストと国内人文学研究機関wwwページリストを作っておられ、さまざまな大学の文学部や教育学部の国語教育・英語教育も含めてリストに挙げていたが、殆どのページは構成人員を示したりカリキュラムを説明したりという程度のものであった。
 これら公式のページのつまらなさに比べて個人のページには、池田氏・小倉氏以外にも面白いものがあった。例えば小杉秋夫氏のページには「日本の古典文学作品・関係資料のテキストデータへのリンク」があって有難かったし、中国語や中国文学の人でページを開いている人もいた。

1.ページ開設

 こういう状況を見て、自分もページを作り発信したいと思った。最初、教育学部のWS上にページが乗せられないかと思い少し探ってみたのだが申請先などを捜すのが面倒で、取り敢えずパソコン通信のためにIDを持っていたasahi-net上にページを開くことにした。
 内容としては、「日本語の歴史」を中心とするつもりで、それまで作ってきた資料で、著作権法上問題のなさそうなものを掲示した。中にはパソコン通信のことば関係のボードで発表したものもあったが、それに加えて自分の書いた論文なども掲げた。パソコン通信のボード上などでは、読まされる人のことを考えて、あまりマイナーなものは書込みにくいのだが、wwwページ上であれば、そうした心配はかなり軽減される。ただ、伝えたいのは文字の情報なので、画像は使わなかった。私の場合、他の人のページを見る際にも、最初は画像を読み込まず、文字だけを読む。なにか画像に意味が有りそうな場合、あるいは画像を読み込まなければ別のページに移れない場合(クリックすべきボタンやクリッカブルマップ)だけ、画像を読み込む。それでもネットワーク的に遠い場合にはイラつくことが多い。何か意味の有りそうな画像だと思いクリックしたところ、長い時間をかけて読み込んだ結果、「いらっしゃい」などという大きな文字が出てがっくりしたこともある。そんな経験から意味のない画像は使うまい、と思ったのである。
 このような考えでページを開くわけだが、孤立したページではwwwらしくない。リンクしていなければ不十分である。誰かのページから自分のページへリンクを張ってくれないことには、誰も自分のページを訪れることはない。しかし「日本語の歴史」というページであるから、そんなに多数の人に見てもらおうというものではなく、先述の池田氏・小倉氏・小杉氏にページを開いた旨メールを送り、かつ、当方から三氏のページへのリンクを張らせてもらうよう御願いした。後藤氏のページには「リンクはご自由に」と明言してあるし、それまでは全く知らない人であったので、メールを送ることはしなかった。
 さて、あるページにリンクを張る場合、そのページの管理者に許可をとるべきだ、という意見もあるようだが、リンクして欲しくない旨を明記してある場合を除き、印刷物での「引用」の場合と同じく許可を得る必要はない、という考えに従ってよかろうと思っている。ただ、当時はその辺のことをまだよく考えていなかったし、当方のページ開設を知らせたい気持ちもあってメールを送ったのである。三氏からは快諾を頂き、三氏とも私のページへのリンクを張って下さった。そして数日の内に、東北大学の後藤氏から、私のページを「国内言語学関連wwwページリスト」に加えた、というメールを頂いた。三氏のいずれかのページで私のページの存在を知ったのであろう。

2.サーバー

 ページを開いてしばらくした頃、福井県立大学の田中求之氏のページを見ていて、Macをwebサーバーにすることが可能であるのを知った。MacHTTPというシェアウェアのソフトを使ってである。そこで実験的に研究室のMacをサーバーにしてみようと、説明通りにやってみると意外に簡単にサーバーが立ち上がった。内容はasahi-net上のものと殆ど同じであった。ただ、実験的なものなので圧縮ファイルをおいたり、ブックマークをファイル化したものなどを少し整理してリンク集の様にしてみたりした。ともかく「実験」という考えで、シェアウェアの試用期間である一ヵ月を送ろうと思っていた。自宅からパソコン通信を通して繋いでみたり、親しい友人にだけURLを知らせて、うまく動いているかを試してもらったりする程度のつもりであった。asahi-net上に与えられている容量は5MBまでということで(その後25MBにまで増えた)、画像などを使わなければ随分余裕があるのだが、手元のマシンをサーバーにすると容量は1GBでもいいし、しかもファイルを授受する手間は大いに省ける。しかしサーバーの管理は面倒なことが起こるかもしれないし……、と本格的に運用するべきか迷っていた。
 そこへ、東北大学の後藤氏から「秘密の(?)ページにリンクしました」というメールが来て驚かされた。実は、asahi-net上のページの片隅に、空白文字で手元のサーバーへのリンクを張っていたのだが、多分見つけられることはあるまい、と思っていたのである。しかし考えてみると、空白文字でも、ブラウザによってはアンダーラインが付され、そこにリンクが張られていることが分るであろうし、文字ベースのブラウザであればより分りやすいであろう。ともあれ後藤氏に見つけられてしまい、リンクを張られたので、思いきって本格運用に踏みきることにした。シェアウェアの送金手続をし、プライベートなページは削り、帰宅時も電源を切らぬようにしたである。

3.ページの内容

 手元のサーバーであるから、あまり意識せずにいろんな種類のものを置くことが出来る。と言っても勿論、著作権には配慮するし、国有財産(マシンもハードディスクもネットワークも。シェアウェア料金は私費になるが)の上にファイルを置くわけであるから、あまり私的なもの(家族の写真など)は置くまいと思った。もしそうしたものを公開したければ、asahi-netの方のページに置けばよいのであって、公費のサーバーの上に置くべきものではない。
 まず国語学の概説として、橋本進吉(敦賀市出身)の『国語学概論』などを電子化して掲げた。橋本進吉は学校文法の基となる文法論を確立するなど、日本語の研究に優れた業績を多く残した人であるが、昭和20年に亡くなっているため、死後50年で既に著作権が消失しているので掲げることが出来るのである。50年以上たっているので内容的に古いところは勿論あるが、ことばに対する、また過去の言葉を知るために古文献に対する態度は今なお学ぶべきところが多く、掲示する意味が充分にある。インターネットと言えば最新の情報、という面が強調されるが、古典を電子化して公開する、というのも大事なことだと思っている。欧米であればグーテンベルクプロジェクトなどもあるようだが、日本ではまだまだといったところだ。

4.「日本文学等テキストファイル」

 古典といえば、文学の世界の古典がある。古典文学などの電子化されたものは、先述の小杉秋夫氏のページから電子化テキストの置いてあるページやFTPサイトにリンクが張ってあった。中でも数多くの電子化テキストを公開しているのが、山口大学のFTPサイトである。これは情報処理語学文学研究会(JALLC)の会員によって提供されているJALLCテキストアーカイブを、JALLCの世話役の一人である、山口大学の吉村誠氏が掲げているものである。私のページからこの山口大学のFTPサイトへリンクを張るのは勿論のことだが、ただ単に張るのではなく、時代別に整理した形で張ろうと考えた。山口大学のFTPサイトでは、ファイルの提供者毎にディレクトリが分けられていて、やや分りにくいので、その様に考えたのである。そして更に、山口大学以外でも古典文学の電子化テキストがあればそこへリンクするようにしようと、小杉氏や後藤氏のページなどから出発したネットサーフィンの折に見つけた電子化テキストのURLを整理した。更に、自分で作るなどして手元にあった古典文学のファイルの内、校訂や編集など二次著作の権利を犯さないもの(江戸時代の版本や明治時代の活字本、あるいはその写真版から直接入力したもの)も掲げることにして、これらをまとめて「日本文学等テキストファイル」と題したリンク集を掲げたのである。古典文学といっても江戸時代の末で区切るのではなく、いわゆる近代文学も含めて、原著者の著作権が切れている、50年以上前に死亡した人の著作を下限とした。
 さて、このページはなかなかの反響があり、喜んでもらえた。それで私も気を良くして、asahi-netの方にも同内容のものを掲げ、これを分野別のサーバリスト(joyjoy.comなど)に登録したりなどもした。その後もこのページへのリンク依頼が最も多く、海外からもリンクされているようであるし、また活字媒体として、インターネット関連の雑誌に紹介されたほか、国文学系の商業誌でも紹介されるなど、このページが私のページのメインのページとなった感さえある。リンク依頼のほかに、ここにファイルがある、とURLを教えてくれるメールもあったりして、このページは次第に大きくなっていっている。

5.「目についたことば」

 取り敢えずのページ構築が一段落した頃、ちょうど夏休みであったのだが、「目についたことば」というのを毎日書く、ということを始めた。これは、中国文学者の野原康宏氏のページに、日記のページがあり、そこからwww上に日記を書く人々がいるのを知ったことに影響されている。日記といっても、単なるその日の記録というわけではなく、書かれていることはさまざまで、毎日新しい情報が書き加えられている、というのが共通しているのである。更新の少ないページは、最初は面白いと感じるページであったとしても、全体をみてしまうともう繋ぐ気は起こらなくなる。ところがこれら日記のページの様に、毎日更新されるのが明らかだと、繋ぐ方も毎日繋いでみたくなる。ほんの少しでも新しい情報があると嬉しいのである。
 そこで私もこれに倣って、毎日少しずつ書いたものを掲示することにした。最初モデルとして頭にあったのは、かつて『言語生活』という雑誌に掲載されていた「ことばのくずかご」というもので、面白い言葉をどんどん取り上げて行くものであった。しかし書き始めてみると、何故目についたのか、何故気になったのかを説明して行くことが、言葉に関わる学問をしている人間として必要なことのように思われ、なるべく説明を加えることにした。また世間で言われる言葉についての俗説を正したり、日本語随筆本のいい加減さを指摘したりしつつ、国語学の考え方を説明して行くこともできるだろうと思っている。
 「目についたことば」は、日記を書いている人のページからリンクされていて、そちらの方から私のページを訪れる人もいる。そうした人でも他のページに目を転じることもあるようで、私のページへのアクセスは日々増え続けているように見える。

6.おわりに

 私がページを開設した後、国語学や国文学関係のページがどんどん増えてきた。国文学研究資料館や国立国語研究所といった機関でも本格的にページが公開され、また、いろんな大学の研究者たちがページを開設し始めた。しかしそれでも情報量はまだまだ少なく、これからに期待するところが大きい。私のページが、新たなページ開設への、また内容充実への呼び水となってくれれば幸いである。
 私のページのURLはhttp://kuzan.f-edu.fukui-u.ac.jp/である。ここから上に記したページのほとんどへリンクを張っている。

                     (おかじまあきひろ:教育学部)
okajima@edu00.f-edu.fukui-u.ac.jp