#2151/2151 オアシス−談話室− ★タイトル (NLF06372) 91/ 6/ 5 9:19 ( 52) みんなの歌>榊原郁恵「しあわせの歌」 岡島 ★内容 これは、みんなの歌ですよね。「西に住む人はしあわせ」ってやつ。この歌を 私のある先輩が最初に聴いた時、「に〜し〜にすっむひっとは〜、ふしあ〜わ〜せ〜」 と聴いたのだそうです。しかし、その後に続く歌詞を聴いて行くと、これはおかしい、 しあわせと言いたいのだろうと、2番を聴いても「不幸せ」と聞える、ああ、2番は 不幸せなのだと聴いていると又、内容から言って「幸せ」で有る、と思ったそうです。 さて、なぜこの様なことが起ったのでしょうか。私は2つの要因を考えたのですが。  1)母音の無声化  2)アクセントとメロディー Fushiawaseという語は、母音の無声化の起る地方では、Fとsの無声子音に挟まれて 無声化します。つまり、Fshiawaseのようになるわけです。 Fとsは共に摩擦音でして、聞えがよく似て居ります。特に、歌曲を歌う場合には、 Fの摩擦が強調されてsに近く聞えるのはよく有ることではないでしょうか。 (中には英語や中国語のように歯唇音にして歌っている人も入るようです。)  さて、そのように聞えが近くなってしまった「幸せ」と「不幸せ」を聞分けるのは どうしているのかというと、まずは「日本語の拍の等時性」でありましょう。 「しあわせ」は4拍で「ふしあわせ」は5拍。たとえ、「ふ」の母音が無声化した としても、子音Fだけで1拍分を取るので聞分けられるわけです。  ところが、歌に於ては「拍の等時性」は失われてしまいます。メロドラマのように 「しあわせ」と「ふしあわせ」が隣り合わせになるのです。  それと、アクセントも関係すると思います。東京式アクセントでは、(●高○低)    しあわせ(が)  ○●●●(▼)   ふしあわせ(が) ○●●○○(▽) です。このアクセントも、「しあわせ」「ふしあわせ」を聞分けるポイントに なっているのではないかと、思います。試みに「しあわせなやつだ」という文句を  ○●●●▼●○▽ ではなく、○●○○▽●○▽ と発音した場合、  シアワセナヤツダ      シアワセナヤツダ 東京式アクセントの人間であれば、「ふしあわせな」と聞取るのではないでしょうか。 この場合、  しあわせ  ○●○○* (*は仮想の形)       ふしあわせ ○●●○○ で、少し違うようですが、「ふ」が無声化した場合、アクセントの高低には参加できず 「し」の音節が上り調子になることが有るようです。   ※♂●○○ (※で無声化を、♂で上り調子を表わすことにします)   フシアワセ   となります。 そしてさらに「し」のあとが「あ」という、子音のない(異論が有るかもしれないけど 弱い)裸の音節ですから、「しあ」という母音連続が上り調子○●になってしまう。   ※○●○○   フシアワセ こうなると、仮想形の「しあわせ」と同じ形になります。 さて、この「しあわせの歌」は、「しあわせ」の部分のメロディーが「ラドラシ」で 言わば「○●○●」になっています。が、東京式アクセントに於て重要なのは下がり目 がどこか、ということですから、これは「○●○○」と解釈できます。「せ」の●は イントネーションに含まれてしまうわけです。 これで、「ふしあわせ」に聞える、という事の説明が出来たと思うのですが……。 よく言われる「帰ってみれば怖い蟹」とは違った面白さがあると思うのですが、 いかがでしょうか。「歌を歌う時に母音の無声化が起きるのか」という疑問も あるでしょうが、その音に充分な長さが与えられていない時には起きる、と 思っています。この歌の場合も、「ふ」がそこにあるとすれば、短い拍内で歌わねば ならず無声化することもあるかと思います。