#1070/1070 ことばの海 ★タイトル (NLF06372) 93/10/25 1:30 ( 77) 「させていただきます」続貂 空山 ★内容 「貂」は、をのまささんです。浄土真宗説は最後の方に出てきます。まずは「教会用 語」説から。 ◎『現代語法の諸相』国語教育学会叢書第二輯 岩波書店 昭和18.6.15発行 今泉忠義「現代の敬語♢♢その教養と教育と♢♢」 p157「……し給ひました」のやうにいふのは、教会用語から出た言ひ方であらうとい ふお話を、金田一先生から承ったことがある。後に述べる「さうさせていただきます」 や p168明治の中葉以後流行して来た「……させていただく」のやうに用ゐられ、 p258〜9「させていただきます」は、そのもとは教会用語だったさうで、 《「教会」は基督教なりや否や》 ◎柳田国男『毎日の言葉』角川文庫p27「モライマス」(もと『婦人公論』昭和十七年 九月〜十八年八月) 「見せてもらう」だの「歌わせてもらいます」だののモライマスも、上方以外の土地 では人望がない ◎楳垣実「関西弁と東京語のせり合い」『言語生活』33号1954.6(梅棹忠夫「第二標 準語論」の載っている号) 金田一春彦氏の話によると、東京山の手の言葉の挨拶用語には関西弁の影響がかなり 入っているということで、「おうらやましゅう存じます。」「……しておりますが、」 「させていただきます。」「そうではございません。」「……参じます。」「寄せて いただきます。」 ◎奥山益朗『日本語は乱れているか』東京堂 昭和44.10.10 p155この「させてもらう」ということばは、東京語にはない。おそらく、上方からの 伝来ではないだろうか。 ◎講座国語史『敬語史』 昭和46.11.10 p384・p385 ◎奥山益朗『日本人と敬語』東京堂 昭和47.3.25 p75〜「させていただく」 少なくとも、東京にはこの「……させていただく」式の言葉はなかった。明らかに関 西語である。もとの形は「……させてもらう」で、「もらう」を「いただく」に切り 替えて敬語表現にしたものだろう。 《柳田国男『毎日の言葉』を引用する》 ◎『東京ことば』読売新聞社会部 読売新聞社 1988.6.20  永井荷風「断腸亭日乗」(「荷風全集二十一巻」岩波書店刊)で、昭和九年七月二 十一日「銀座所見」  喫茶店テラスコロンバン店頭板囲にはりたる紙に『閉店させて頂きます云々』とあ り 池田弥三郎『銀座十二章』(旺文社刊)による。 ◎丸谷才一『桜もさよならも日本語』新潮文庫 平成元年7.25発行(もと昭和61.1発 行) p174〜  いつぞや国語学者の研究を読んでゐたら、あの「♢♢させていただく」はもともと 上方の言葉づかひで、これが東京にどつとはいつて来たのは昭和三十年代だと書いて あつた。そんなに遅いでせうかね。もつと以前からぢやないかしら。しかし、それは ともかく、なるほど上方の言葉だつたのかと妙に納得のゆく思ひだつた。関西の中の わたしの嫌ひな要素、つまり何か謙遜しながら強引にものを言ふ感じがよく出てゐる からである。  もつとも、司馬遼太郎さんの説によると、本来は違ふ意味合ひの言葉だつたらしい。 (中略)『街道をゆく』のなかの一篇『近江の人』にかうある。《岡島注、第24集、 文庫ではp11なり》  この語法は上方生れである。それも、浄土真宗(注略)の教義から出たもので、他 宗にはない思想であり、言ひまはしである。これは真宗の、われわれはすべて阿弥陀 如来(つまり他力)によつて生かしていただいてゐるといふ、絶対他力の考へ方のあ らはれで、何事も阿弥陀様のおかげであるからこそ、そのおかげに感謝して、「息災 にすごさせていただいてをります」などと使ふ。 《空山曰く、どうして国語学者は名なしで、司馬遼太郎は実名なのだろうか。この国 語学者が誰か知りたいものだ》 【用例】古い用例は「させる」人が居る? 樋口一葉『十三夜』あれもお前お蔭さまで此間は昇給させて頂いたし、 夏目漱石『道草』「するとまあただ御出入をさせて頂くという訳になりますな」 森鴎外『高瀬舟』それがお牢に這入つてからは、爲事をせずに食べさせて戴きます。 宮沢賢治『せろひきのゴーシュ』「ぼくは小太鼓の係りでねえ。セロへ合わせてもら って来いと言われたんだ。」 梶井基次『檸檬』蓄音機を聴かせて貰いにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小 節で不意に立ち上がってしまいたくなる。 有島武郎『小さき者へ』葬式の時は女中をお前たちにつけて楽しく一日を過ごさせて 貰いたい。 以上、論はありません。ただ材料をならべただけです。「ラ抜き」の話も「ar抜き」 説を言う事はおまけで、「ラ抜き」という呼び方がいつごろからあるのかを教えても らいたいと言うのが、目的だったのですが。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 2004.9.6追記 岩淵悦太郎『日本語対談』筑摩書房S53.5.25 わたしは昭和十三年に大阪高等学校の教師になって赴任したんです。東京では「本日休業」という味気ない看板が出てたのに、大阪へ行きますと「本日休ませていただきます」という看板が出ているんです。p91