賀茂真淵の『語意考』にはラ行を半濁とする記述が見える。  韻鏡の清濁音のことを、『経史正音切韻指南』で「半清半濁」と呼ぶのである が、真渕のいうラ行の半濁はおそらくこれに従ったものであろう。 真渕のラ行半濁を「理解不能」としたり、「半濁」という言い方は中国にない、 とするのはあたらないことがわかるであろう。太田全斎の説明を読もう。『音図 口義』(浜野知三郎校訂 大正4.1.5六合館のp30)中のものである。 倭半濁 半濁と云は、韻鏡にて清濁音の事を一名半濁と云、此半濁は唇舌牙喉歯 舌にあり。然るに今世上パピプペポの音に小圏を加えて呼ぶ者を半濁と言ふ。此 は倭半濁と言ふべし。【韻鏡の半濁と分かつべきが為なり。】倭半濁は唯ハヒフ ヘホの音のみに限る事なり。初学これを知らずして、世上の半濁と韻鏡の半濁と を一つに心得る事あり。故に今倭半濁の名目を立つるなり。(原文片仮名を改め た)  『切韻指南』の「半清半濁」、つまり韻鏡の「清濁」、『古今韻会挙要』の 「次濁」、『切韻指掌図』の「不清不濁」はラ行音に相当するものだけではな い。『切韻指南』には、   半清半濁徹嬢喩 疑日明来共八泥 とあって、これをそのまま日本語に適用すれば、ナ行マ行ガ行ヤ行なども含まれ ることになろう。  真渕が書いたのは、動詞の活用と五十音図を関連させた図であった。五十音図 であるから濁音行は書かれていないし、問題はナ行マ行ヤ行と云うことになる。 (ヤ行が無いと書いていたが勘違い) しかし日本の韻学は面白いもので、「不清不濁」と「清濁」を使い分けたものが 有る。元禄の『帰元韻鏡』などはその例である。 これによればナマガ行は「清濁」で、ラ行は「不清不濁」ということになる。真 渕の半濁との近さを感じる。ただし、この『帰元韻鏡』では、アヤワ行も「不清 不濁」である。真渕はア行を本音としているから特別扱いと云うことで説明可能 かと思うが、ワ行ヤ行は清音としていて、ぴったりではない。 明治の頃のガ行鼻濁音を「半濁」と呼ぶのも、中国音韻学に従えば、さほどおか しくはないわけで(ナマ行も半濁になるが)、鳥海松亭の『音韻啓蒙』にはその ようにも取れる記述がある。 上に排挙せる、五十音を合成し、是れが全備を為んには、「ん」音、又「はひふ へほ」の清音【ぱぴぷぺぽなり】、「かきくけこ」の半濁音を、合はすれば、人 倫言語のこと、一切缺ること無し、