遠藤光暁氏からメールを頂き、橋本萬太郎(1932-1987)『言語類型地理論』(1978.1.30弘文堂)に、kwaとpaのことが書いてあると教えて頂いた。
確かに書いてある。
ロドリゲスの博多方言のkwa/paと、比較言語学のk/p、ヤコブソンのk/pを結び付けたのは自分自身だと思っていたのだが大間違いだった。ヤコブソンのものを読んでいて、k/pが近いことを知り、その時ロドリゲスのkwa/paを想起したのは確かだし、比較言語学の本を読んでいて〈ヤコブソンに拠ればこれは近い音なのだな〉と納得したのは確かなのだが、その下敷として橋本氏の本を読んでいたことがあったのはすっかり忘れていた。
「p〜kの変化や交替に,ほとんどつねに,後続する母音uや半母音wが関与している」とまで書いているとは。参りました。


この本は、多分私が学部の4年の時だったと思うのだが、高山倫明さんや木部暢子さんの読書会で読んでいて、私も時々それを傍聴していた。「傍聴」というのは、途中から参加したこともあって当時まだこの本を入手しておらず、担当もしなかったためである。この読書会ではその後ヤコブソンの『音と意味についての六章』(花輪光訳 1977.9.30 みすず書房)も読み(kとpのことは邦訳本のp39にある)、私も、当時邦訳されていたヤコブソンのもの(大修館の選集はまだ第二巻だけだった)に目を通したりしたのだった。横文字の論文も捜し出せた喜びにコピーを取ったりしたのだが殆ど読んではいない。そういえば福岡の田中書店に有った"To Honour of Jacobson"とかいう本は何年も店頭に有ったが、その後だれか買った人がいるだろうか。田中書店も近くに福岡ドームなどが出来て雰囲気が変ったことだろう。

橋本氏は更に、朝鮮語の方言の-ngと-mとのことにまで触れておられるが、これを見ると漢字の上古音のことが思い起される。-mの凡と-ngの風などである。上古音はfictionのようなところがあるから橋本氏は触れておられないのだろうか。


誉田がコンダになるのは、ハ行音がPかFかの時代のことである。時々h/kの交替と説く人がいたように思うので注記しておく。ノコギリ・ノホギリもそういった時代。フナドノ・クナドノ。そういえばたしか『和訓栞』大綱にもカハ相通があった。


『言語類型地理論』のp219で、日本語に入り込んでいる漢語の一として、「灰」が挙がっているのは勘違いだろう。「灰」は古く「はひ」つまり*papi(あるいはpaFi,FaFi)であり、中国語のhuiとは無関係である。中国語のhuaiのような音は、呉音クヱ漢音クヮイとなり、また中世唐音では「石灰シックイ」の如くクイの音で取入れられた。シックイが「漆喰」からではなく、「石灰」の唐音から来たことを知っている人でも、「石シック」「灰ヒ」と思っている人がいたので念の為。
なお、「灰」ハイが字音のように振舞うことが有るのは事実である。「降灰」はコウバイと読まれるようである。でも何故連濁までしてしまうのだろうか。「降雪」はコウセツなのに。


『日本方言大辞典』(1989.3.1小学館)の「音韻総覧」(上野善道・相澤正夫・加藤和夫・沢木幹栄)によれば、字音のkwaがpaになるのは、対馬の豆酘、熊本天草、鹿児島。kuwaがpaになるのもほぼ同じ地域。kwaがFaになるのは、山形県西田川郡温海町、新潟県岩船郡山北町、富山県東部、石川県南加賀、kuwaがFaになるのはそのうち山形と新潟。残念ながら福島県は無い。

「一度イッパイ」については、「一杯」というのが普通に考えれば考えられる訳であるが、ちょっと想像を膨らませた次第。