岡島空山への道  岡島昭浩   したあじ、その一(恩師)  象は鼻が長い。   これは日本語を研究する人々の間ではよく知られた文です。日本語における  主語とは何か、ということを論じる際によく例に出される文なのです。私がこ  の文を最初に知ったのは高校の国語の授業の時間でした。   「『象は鼻が長い』、この文の主語は何? えっ? 象? ふーん、じゃ述  語は? えっ? 長い? へーーーっ、すると象って長いの。へーーーっ」   とまあこんな感じだったでしょうか。一年生の時の担任だった山本哲也先生  はちょっと変った、そして大変おもしろい授業をなさる先生で、現代国語の授  業などはとても緊張感あふれるものでしたが、この「象鼻」のことは何度か聞  いたように記憶しています。ただ先生自身の口からその解説を聞いたことはな  いような気がします。ある人は「主語は『象は』述語は『鼻が長い』やろ。で  『長い』の主語は『象が』やろ」などと言っていましたが、どうもピンと来ま  せん。それでいいのかなあ、と自分でいろいろと考えてみたものでしたが、  「『象は鼻が長い』だから、『象は長い』となっておかしい訳だ。『蛇は体  が長い』なら、『蛇は長い』でおかしくない。鼻は象の一部だけど、体は蛇の  ほぼ全部だよね。」   などと全然本質的でないことを考えていたようで、いまから思うと情けない  限りです。   古典文法を習ったのもこの先生からでした。「古典文法なんて覚えなくてい  いの。つい、覚えちゃうものなのよ。」本当だろうか、だとしたらそれは楽で  よいと思っていたのですが、今考えてみると、現代語から類推できることは覚  える必要はない、現代語とは違うなあ、と思ったら、その違うなあ、と思うこ  とがもう覚えてしまう一歩となる、ということではないかと思います。した  がって、古典文法の時間は、覚える時間ではなく、考える時間となります。覚  えるのが苦手な私にとってはその方が性に合っていました。「クーカラクーカ  リ」なんて覚えさせられたのでは文法嫌いになっていた可能性が充分にありま  す。    したあじ、その二(古本)   高校生は入るな。   と古本屋の店先で言われたことがあります。その店は別にいやらしい本が置  いてあるような所ではなく、古めかしい本が所狭しと並べられ、床に積み上げ  られている本屋でした。私の通っていた高校の近くには古本を売っている店が  二軒ありましたが、一方は新刊書店も兼ねているような本屋であまり立派そう  な本は並んでいなかったのですが、もう一方の古本屋は、九州は福岡での老舗  と言われる山内書店でした。今はもう無くなってしまいましたし、当時もおそ  らくは古本業界の前線を走っているというわけではなく、昔仕入れた本を売り  続けている、という感じだったと思うのですが、私の目には立派な古本屋だと  映っていました。   「高校生は入るな」と言われる前には何度か入ったこともあったのですが、  その時はたしか夏休みの補習か何かで学校に出てきていて、時間が空いていた  ので、時間潰しに古本屋にでかけたのでした。店の前に行くと、店は空いてい  るような閉っているような、なんとも解らない状況でした。店先では、日ごろ  は奥に引込んでいる古本屋のおじいさん(先代)が、近所の人としゃべってい  る様子です。それで私は「もう営業中ですか」という意味で「入ってもいいで  すか」と聞いたのです。で、帰ってきた返事が、「高校生は入るな」でした。  私はうろたえ、慌てて立ち去りながら、落ち込み、考えました。「私は別に漫  画本や、餓鬼の本が欲しくてあの店に入ろうとした訳ではないのに。そりゃあ  確かに専門書は買いませんよ。でも店先には新書本が並んでいるじゃありませ  んか。この間買ったあの本の様な新書本が欲しいのですよ。だのにどうして高  校生は入るなと言われにゃならんのです?」。ここで「あの本」と言っている  のは、岩波新書の金田一春彦『日本語』なのです。   「明日は試験だどうしよう」と思いながらも勉強が手につかないことが有り  ますよね。高校時代の私はいつもそうでした。かといって遊びほうけるほどの  心の余裕はない、そんなとき私はいつも、翌日の試験に関係のある文庫・新書  を買ってきて読んでいました。数学の試験の前日には矢野健太郎、物理の試験  の前日には講談社ブルーバックス、といった具合です。岩波新書の『日本語』  もそのような時に買ったのだと思いますが、これは面白い本でした。なるほ  ど、言葉を研究する学問というのがあるのか、と知ったのはこの本によってで  した。    したあじ、その三(和歌の修辞)   私の通っていた高校では、みな(一部の先生を含めて)駄洒落が大好きで、  口を開く時は必ず洒落が入っているのがあたりまえ、という状態でした。私は  それを少しは楽しみながらも、「こんなことでいいのだろうか」と少し考えた  ことがありました。でも結局、「これでいいのだ」と思い、どんどん洒落を作  り出して行きました。私の場合は人にはあまりいわずに自分一人で悦に入って  いる、ということも多かったのですが。   そんな私が、『伊勢物語』の「かきつばた」の歌を知った時にはとても嬉し  く思いました。これはいい、とそれを真似ていろんなものをよみこんで歌を  作ってみたりもしました。例えば、クラスメイトの名を詠み込んだのを全員に  ついてつくる、といった具合です。句の上にすえて作るもののほかに、『古今  集』の「物名」を読んで、埋め込んでしまうもののあることも知って、それに  挑戦してみたこともありました。これは難しくてあまり沢山は出来ませんでし  たが。「そういえば、和歌には掛け言葉とかもあるし、結構面白そうだな  あ」。    あじつけ(大学)   中学生から高校のはじめごろまで歴史が好きで、社会の教師になろうと思っ  ていた私でしたが、何時のまにか国語の方が好きになっていました。大学は教  育学部の国語か、文学部の国文に行って、日本語の研究が出来そうだったらや  りたいし、もし出来ない様子でも、和歌とかも結構好きだからなんとかなるだ  ろう、純文学をあまり読んでいないのは気になるけれど。言語学、というのも  あるようだけど、英語が苦手だから無理だろう。などと考えながら文学部へ進  んだわけですが、教養部の時代には遊びほうけてしまいました。この大学で  は、二年になる時に専門が決り、二年の後期から専門課程に入る、それまでは  一般教養の授業しかない、というものでしたから、どう勉強してよいのかも解  らず、たまに読む国語国文関係の本も(新書程度のものです)、金田一さんの  本ほどは面白く思えず、和歌の方も修辞は面白いと思うけれど、やはり内容が  肝心だしなあ、などと考え、ちょっと迷ったりもしました。しかも国語国文が  人気が高いとの評判で、定員をオーバーすればはじかれるので半ば諦めかけて  いたりしたということもあります。   結局は、国語国文に進学できることになり、日本語を研究する国語学という  名前の専門で先生が二人も(国文学も二人だった)いらっしゃる、というの  で、私の気持は国語学にほぼ決ってゆきました。   文学部の授業は概論も無しで、いきなり特殊講義なので面食らいました。国  語学もそうで、金田一さんの新書程度では何もわからず、あわてて概説書を  買って勉強したものですが、そんな特殊講義の中で、漢字音の漢音と呉音の対  応関係について聞いた時はとても興味を持ちました。それまでは、漢字音には  漢音と呉音がある、ということだけ知っていて、その二つの関係について考え  ることなど思っても見なかったのですが、対応があるという。役(エク/ヤ  ク)、逆(ゲキ/ギャク)……と確かに対応しています。先生はそれ以上は  おっしゃらず、概説書にも詳しくは書いていません。私は仕方なく、手元に  あった漢和辞典の漢音と呉音を抜きだし、整理して行きました。いろいろと対  応が見えてきましたが、どうも不十分で、それは今ではあまり使われることの  ない音を載せていない漢和辞典のせいだと気付き、新しく漢和辞典を手に入れ  たりしながら、その作業をやり続けました。教養部の頃に学んだ中国語や、  ちょっとだけかじった朝鮮語の漢字音とも対応することに気付き、大変楽しい  作業でした。その際、漢音呉音の周辺にある慣用音・唐音といったものにも興  味が湧いたのです。   唐音について調べて行くと、「岡島冠山」という名に行き当りました。「お  お、こういう人物であったか」という思いでした。中学の頃だったと思います  が、人名辞典で「岡島」を引いて出てきたのはこの人だけでした。先祖でもな  い人で、どういう人かもよく解っていなかったのですが、名前だけは覚えてい  たのです。この人は長崎の中国語通訳だった人で、中国語の教科書として書い  た、江戸時代中期の中国語と日本語との対訳の本が、近世唐音の資料となる、  と知り興味を深めました。   私が、唐音を中心とした日本漢字音の研究を始め、日本における漢字の受容  の歴史を考えているのは、この「岡島」姓だけに引かれた訳ではないのです  が、私の戯号は「岡島空山」といいます。