○太爲爾歌考
太爲爾歌は、四十七音を詞にとゝのへて、長歌のさまに誦むべく作れるものなるを、源爲憲朝臣の口遊の中の書籍門に載られたり。〔割註〕この口遊の本書は、尾張國大須の眞福寺に藏る、弘長三年の古寫本を摸して、前に彫本とせるなり。卷首に、口遊序、竊以左親衞相公殿下第一小郎、〔割註〕小名松雄君。」年初七歳天性聰敏。〔中略〕。今年秋以門下書生爲師讀李嬌百廿詠矣。〔中略〕。然猶誦習之餘或有遊戲。々々之裏間有歌謠。蓋是年少之所致也。彼韓櫓帶刀之歌。優則優矣。終非吏幹之備也。難波内豎之誦。妙則妙矣。豈是朝廷之儀哉。是以經籍之文。故老之説。可用朝家難抛閭巷之類。勒成一卷。々中分門。々中載曲。凡十九門。三百七十八曲。名曰口遊。敢上賢郎。其詞或歌欲令令郎耽於心也。其體或直欲令令郎近於俗也。願爲此卷於掌底之玩。常爲其文於口中之遊。惣而言之爲小郎而作不爲他人而作之也。〔下略〕。于時天祿元年冬十二月廿七日。僕夫源爲憲序。とあり。奧書に。于時弘長三年二月五日。於山田亭愚息行文書寫之。少々加愚筆畢と記せり。序に左親衞相公殿下といへるは、左親衞は左大將、相公は大臣の唐名、殿下は攝政關白の稱呼なり。序末の歳月の時に當れる其官位の人を、公卿補任、尊卑分脉の藤原系圖等に據りて考ふるに、攝政從二位右大臣兼左大將藤原朝臣伊尹公、諡謙徳公なり。第一郎は、系圖を按るに、右兵衞佐從四位上親賢朝臣に當れり。」此本書古筆とはいへど、誤寫脱字虫損など多く、この誦歌はた然あるを、誤字は本書に臨せる字體の趣をよく見合せ、又其轉訛を推考へ、彼此考訂してこゝに擧げ、本書の誤脱などを、其字下に分注して後の考に備ふ。かくて其歌詞を考るに、なほ其意とゝのひてもきこえざれど、もとよりかゝる歌など作らむ事は、いと難きわざなれば、其心しらひしておほかたによみときてあるべし。さて此をいま太爲爾歌といふは、伊呂波歌といふに傚ひてなり。
   書籍門〔割註〕序に卷中分門門中載曲凡十九門三百七十八曲名曰口遊。」
九雜曲〔割註〕九はいはゆる三百七十八曲の中の第幾なり。曲字本書には省略てゝを作り。」〔中略〕
 略誦〔割註〕この二字本書の凡ての例に依るにこの誦歌の上にかく別行に書べき目なるを本書誦歌の上行の上頭の分注の左行の上頭に、〓へ書たるは誤なり。」
太爲爾伊天。〔割註〕太字本書大と書り。」奈徒武和禮遠曾。〔割註〕奈徒武三字を本書奈從戒と書り。」支美女須止。〔割註〕本書美を差と書き、止を立と書り。」安佐利於比由久。〔割註〕本書利を〓と書り。於音字本書に脱たるを、今こゝに補へて七言の句に調へ、その詞を考へて、しばらく比字の上に補ふ。」也末之呂乃。〔割註〕本書之を〓と作り。」宇知惠倍留古良。〔割註〕倍字本書信と作り。」毛波保世與。〔割註〕與字本書虫喰ありて、〓かくのごとし。与を〓と書る畫の殘れるなり。」衣不禰加計奴。祢〔割註〕禰字本書祢と書り。」「謂之借名文字。」この六字分注なり。之借二字本書与供と書り。」
 今案、世俗誦阿女都千保之曾羅也萬。〔割註〕阿字本書虫喰あれど、字體髣髴にみゆ。羅也萬の三字を、本書里女也と作り。草變の轉訛なり。」訛説也。〔割註〕本書説を脱と作り。」此誦爲勝。〔割註〕世俗にあめつちほしそらやま云々といへる誦文あれど、この太爲爾伊天云々の誦勝れりといへるなり。」
太爲爾伊天は田井に出でなり。奈徒武和禮遠曾は、菜摘む我をぞなり。支美女須止は、君召すとなり。安佐利於比由久は、求り追ひ行くなり。也末之呂乃宇知惠倍留古良は、山城のうち、〔割註〕宇知の地名を兼ぬ。」醉へる子等なり。毛波保世與は、藻干せよ。衣不禰加計奴は、え船繋けぬにて、えは船を曳く聲なるを、囃詞のごとく加へて詞をとゝのへたりときこゆ。一首の意はさだかにとほりてもきこえざれど、爲憲ぬしの論はれたるがごとく、あめつちの文にはいさゝか勝れりといふべし。