流行言葉《はやりことば》

         紅葉山人

丸袖《まるそで》の伊達模様《だてもやう》は元禄《げんろく》の美人絵《びじんゑ》に時世粧《ときよよそひ》の面影《》をのこし今時の人《ひと》の物わらひとなれども紅《くれなゐ》の織紐《おりひも》つけし紫《むらさき》の革踏皮《かわたび》あるは吉弥笠《きちやがさ》に四つかはりのくけひもなど其頃《そのころ》は花車《くゎしゃ》とも風流《ふうりう》とも思《おも》ひけらし尤《もっと》も一年二年の間《あひだ》にさへ流行《はやり》といふものあれば母親《はゝおや》が嫁入《よめいり》の晴衣裳《はれぎ》長持《ながもち》の底《そこ》に埋《うも》れ木《き》の花《はな》をかざるのみ娘《むすめ》は下着《したぎ》にも不承知《ふしゃうち》………更《さら》にあやしむべきこともあらず
流行《はやり》といふ事《こと》万《よろづ》につけてあるものながら別《わ》けておかしく覚ゆるは言葉《ことば》の流行《はやり》なり。しかとは覚《おぼ》えねど今より八九年前《..ねんぜん》小学校《せうがくかう》の女生徒《ぢょせいと》がしたしき間の対話《たいわ》に一種《いっしゅ》異様《ゐやう》なる言葉《ことば》づかひせり。

(梅《うめ》はまだ咲《さ》かなくツテヨ)
(アラもう咲《さ》いたノヨ)
(アラもう咲《さ》いテヨ)
(桜《さくら》の花《はな》はまだ咲《さ》かないンダワ)
大概《たいかい》かゝる言尾《ことばじり》を用《もち》ひ惣体《そうたい》のはなし様《ざま》更《さら》に普通《ふつう》と異《こと》なる処《ところ》なし前《まへ》に一種《いっしゅ》異様《ゐやう》の言葉《ことば》と申《まう》したれど言葉《ことば》は異様《ゐやう》ならず言尾《ことばじり》の異様《ゐやう》なるがゆゑか全体《ぜんたい》の対話《たいわ》いつこも可笑《おかし》く聞《きこ》ゆ。五六年|此《この》かた高等《かうとう》なる女学校《ぢょがくかう》の生徒《せいと》もみなこの句法《くはふ》を伝習《でんしふ》し流行《はやり》貴婦人《きふじん》の社界《しゃかい》まで及《およ》びぬ初《はじ》めのほどはいつこありしやしらず今は人《ひと》も耳《みみ》なれてこれを怪《あや》しと尤事《とがむこと》はなくあどけなくて嬉《うれ》しとのたまふ紳士《しんし》もありやに聞《き》く。
同《おな》じく思想《しそう》を顕《あら》はすものなれど運拙《うんつた》くして下《しも》ざまに用《もち》ひらるれば下種《げす》言葉《ことば》といひなされて玉簾《たまだれ》の透間《すきま》にさへ通《かよ》ひ路《ぢ》なく口惜《くちを》しき生涯《しゃうがい》を送《おく》るべきに羨《うらや》むべき恩栄《おんえい》をかつぎしもこの言葉《ことば》なり。この言尾《ことばじり》なり。
げに人《ひと》で申《まう》さば玉《たま》の輿《こし》こしにわ疎忽《そこつ》許《ゆる》させたまへいまだその素生《そしゃう》を説《と》かざれば訝《いぶ》かりたまふも無理《むり》ならず味噌漉《みそこし》さげし素生《そしゃう》を語《かた》り申すべし
われ固《もと》より非《ひ》をあげて喜《よろこ》ぶものならねどこの言葉《ことば》が浮雲《うきくさ》の富《とみ》を貧《むさぼ》り一時《いちじ》の寵《ちょう》を擅《ほしいまゝ》にして果は貴女《きぢょ》の(これを用いたまふ貴女の)面目を汚すが心にくさに聞得たるまゝを申さんにこの言葉《ことば》が人《ひと》ならばその吃驚《びっくり》の顔《かほ》が見《み》たし……人《ひと》いづくんぞ庚《かく》さんや
今《いま》女生徒《ぢょせいと》が用ふる異様《ゐやう》の言葉《ことば》わ旧幕の頃青山に住める御家人の(身分のいやしき)娘がつかひたるがいかにして死灰《しくゎい》は再び燃えけむかく流行る事とはなりぬ。
其起源はいかにありとも言葉さへ風雅《みやび》て[#原本「風稚」に作る]あらんには何《なに》の遠慮《えんりょ》なく貴女《きぢょ》も用ふべく歌人《うたひと》もつかふべくさればこの言葉《ことば》の素生《そしゃう》いやしきをもつて我はこれを謗《そし》るにはあらずたゞその鄙《ひな》びたるを疾《にく》むにこそ。
言語容貌《けんぎょようばう》は徳の符とやら申せばその身柄相応《みからそうおう》に尊《たっと》ふときは人柄なるべく卑しきと鄙びたる言葉《ことば》つかひさもあるべき なり[#空白は原文のまま]。心ある貴女《きぢょ》たちゆめかゝる言葉《ことば》づかひして美しき玉に瑕つけ磨《みが》ける鏡をな曇らせたまひそ
  『貴女の友』二十五号 明治二十一年六月五日
(山本正秀『近代文体形成資料 発生篇』昭和53.3.30に原本の影印)
(『複録版 明治大雑誌』昭和53 流動出版 パラルビ 「なろべく」『貴女の友』明治二十一年六月五日号)