日蝕《にっしょく》の日

田山花袋

 十一月の加茂《かも》の臨時の酉《とり》の日の祭には、上達部《かんだちめ》や殿上人《てんじょうびと》が車でぞろぞろとやって来たり、舞台が出来て綺麗《きれい》に粧《よそお》った舞人達《まいぴとたち》がその衣の袖《そで》を被《かつ》いだり何かするので、京中の見物人がそこにも此処《ここ》にも巴渦《うず》を巻いて、その賑《にぎ》やかさと云《い》ったらなかった。それに午後には勅使《ちょくし》がやって来て、弓や胡〓[#竹冠に録]《やなぐい》を負うた随身《ずいじん》のあとから騎馬《きぱ》の侍が大勢ついてやって来たりするので、あたりは一層賑やかになった。夜《よ》は篝《かがり》が空を焦《こが》し、鼓《つづみ》や笛の音《ね》が葉の落ちた林の中に響いて聞かれた。
 その時分には、もはや京の北山には雪が白く、露も霜と変って、社頭《しゃとう》をめぐって流れている加茂の河水も一|条《すじ》の錆色納戸《さびいろなんど》の布でも流したかのように、さびしく細く流れているのを誰も眼にした。岸には枯れた萱《かや》やら薄《すすき》やらがガサコソと夕暮の風に動いていた。
『賑やかになったのう……。臨時の酉《とり》の日の祭でも……?』
『ほんにのう……。夏の祭にも多く譲らぬようになった。』
『それはのう……。夏の祭には及ばぬが、何と云うても賑《にぎ》わしゅうなった。今年は勅使は内《うち》の大臣《おとど》かな……』
『さようで御座るな。もうさっきにそこにおじゃったで、もはや上《かみ》加茂の方へ御出《おい》ででがな御座ろう?』
 と、揉烏帽子《もみえぼし》をつけた、長いこと陪従《ばいじゅう》でもしたことのあるらしい老いた一人は、
『いや、まだそこにおじゃる……。今、そこを出たばかりじゃ。』
 成ほど此方《こっち》から見ると、その勅使《ちょくし》の一行は、その下《しも》加茂の社頭《しゃとう》で思いもかけず暇《ひま》を取ったというように急いで向うに並んで通って行くのが見えた。そのあとからは網代車《あじろぐるま》や糸毛車《いとげぐるま》がぞろぞろと続いて、その向うに夕日が明るく野を照らしているのが見えた。
 鼓《つづみ》や笛《ふえ》の音《ね》が賑やかに社頭の其処此処《そこここ》に湧くようにきこえた。



 年を取った人達が大勢そこに集まっていたが、その中でもことに老いた、何《ど》うしても百歳を遥《はる》かに越したと思われる一人の翁《おきな》が、長い白髪《しろひげ》を撫《な》でながら、何か言おうとして、しかし少し躊躇《ちゅうちょ》していたその隙を奪って、その傍《そば》にいた、もう一人の、これもかなりに老いているらしい揉烏帽子《もみえぼし》の翁《おきな》が言った。
『それにしても、おぬしは、この身などよりは余程|上《かみ》で御座ろうな?』
『さようで御座るな。』
 白髪《しろひげ》の翁《おきな》は笑いながらこう言ったが、直ぐ問い返した。
『おぬしは?』
『この身で御座るか。この身は百歳を十一出ておりまするが……?』
『は、それでは、この身の方がずっと先きじゃ。』
『さようで御座ろうな。この身も、大抵《たいてい》なところでは、年では、ひけを取らぬのじゃが、おぬしには及びそうもない……。それにしても、おぬしはいくつにならるる?』
『もう年も忘れたくらいじゃ。』白髪《しろひげ》の翁《おきな》は笑って、『寛平《かんぺい》の御門《みかど》の母后《ははきさき》の宮の召使で御座るで、もうかなりに年を経申《へもう》した……』
『寛平《かんぺい》の御門《みかど》の母后《ははきさき》の宮《みや》! お、それでは古い!』
 揉烏帽子《もみえぼし》の翁《おきな》に限らず、そこにいる老いた人達は、皆《みん》なこう言って驚いたように其方《そっち》を見た。
『では、もはや百五十にも?』
『百五十に五か六つ出ていることで御座ろう。何《ど》うも、年老いて、そのけじめははっきりせぬようになった。但《しか》し、こういうことは存じ居《お》る。この臨時の祭を神が御門《みかど》に乞うた時を存じて居るが、その時七つで御座った――』
『臨時の祭を神が御門《みかど》に乞うたと申すと――?』
 比較的若い、と言っても、八十二三の翁《おきな》が問うた。
『おぬしは知らぬか。ある日の午後に、寛平《かんぺい》の御門《みかど》がまだ侍従でいらせられるころ、此処等《ここら》あたりを狩りに出ておられると、急に日がくろうなって、ひょっくりそこに一人の翁《おきな》があらわれたという話を――』
『存じ申さぬ――』
『そうかな。存じ居らぬかな。名高い話じゃが――?』
『あ、聞いたことはある。この加茂の臨時の祭の話?』
 もう一人の九十ばかりの小づくりの翁《おきな》が言った。
『そうじゃ、その話じゃ。』百五十七歳になったという翁《おきな》は、さも得意そうに、『その、ひょっくりあらわれた翁《おきな》が、この加茂の神じゃったのじゃ。そしてそれが御門《みかど》に申すのには、この身はこのあたりに住む翁《おきな》じゃが、何《ど》うも冬はさむしゅうてならん。何《ど》うか祭なりと賜《たま》われ! こう申上げたじゃ。ところが寛平《かんぺい》の御門《みかど》は、聡明《そうめい》な親王《みこ》であらせられたほどに、それとすぐ推《すい》し奉《たてまつ》って、でも、それはこの身では叶《かな》い申さぬ。叶《かな》う人に申上げられたいと言うた。すると、翁《おきな》は、いや、叶《かな》う方だから申上げた。もはやそうなる時も近い。……と申して、掻《か》き消《け》すごとく消え去ったと申すじゃ。丁度その日が酉《とり》の日で御座ったので、それでこの臨時の酉《とり》の日の祭が始まったのじゃ。寛平《かんぺい》の御門《みかど》は位に即《つ》かれたそのあくる年に、この祭を始められたので……』
『あ、そういうことも満更《まんざら》きかぬではなかったが――』
『それを、その日のことを、この身はちゃんと覚えておる。』
『それはまためずらしい……』
『前《まい》にも言うたが、この身はその時七つじゃった。丁度その頃、この身の親の住んでいたところは、そら、皆人《みんなひと》も古い人は知って御座ろうが、大炊《おおい》の御門《みかど》からは北、町尻からは西、つまり小松の帝《みかど》が親王《みこ》でいらせられた時の御所の塀の此方《こなた》のところに住んでいたので、あそこいらでよう遊び居《お》った。この時でも何でもそこらで遊び居ったのじゃ。そうじゃな。元慶二年じゃと思うが、小松の御門もまだ帝にはならず、その子の寛平の御門も式部卿《しきぶきょう》の宮の侍従で御座ったで、身も軽々しゅうよう狩に出られた。その時じゃった。この加茂の神が翁《おきな》になって出て来たのは――』
『おぬしはそれを見たか? その翁《おきな》を?』
 老人達の中に雑《まじ》っている一人の若い青侍《あおざむらい》がだしぬけに訊いた。
『見たわけでは御座らぬが、その時であったということを、すぐ後で聞き申した……』
 白髪《しろひげ》の翁《おきな》は言った。
『そんなことわかるもんか……。老人《としより》の寝惚《ねぼ》れ言《ごと》じゃ……』
 そこに大勢若い人達が集まって来て、こう言って打壊《うちこわ》した。白髪《しろひげ》の翁《おきな》は、さびしそうにしたが、別にそれを主張しようともしなかった。そのまま老人達の群の中にその身を躱《かく》して了《しま》った。それは他ではなかった。後に雲林院《うりんいん》の菩提講《ぼだいこう》で歴代の帝《みかど》や、后《きさき》や、大臣《おとど》の話を大勢の人達にしてきかせた大宅《おおやけ》の世継《よつぎ》の翁《おきな》であった。
 社頭の篝火《かがりび》は夜空を照らして、鼓《つづみ》や笛の音が冴えた空気に反響してきこえた。お詣《まい》りに来る人の足音が陸続《りくぞく》としてあたりに満ちた。



 その七歳の時の光景は、今でもはっきりと世継《よつぎ》の翁《おきな》の頭の中に描かれて残っていた。かれは小さい童《わらべ》であるかれを見た。評判の頑童《わっぱ》で、母親の言うこともきかずに、いつもよく河原やその向うの林の中などに行って遊んでいるかれを見た。その日も二三人しか供《とも》をつれていない侍従のあとを追って、そっちの方へついて行っているかれを見た。それは晴れた好い日だった。侍従の殿についている供の者が、手《て》にした鷹《たか》を放つと、それがずっと飛んで行って、巧みに鳥を捕えるのであったが、その度毎に、後の方にいて、童同志《わらべどうし》二三人でワッと声を挙げて囃《はや》しているかれを見た。それを侍従の殿も後には知って、此方《こっち》を見て笑っているので、その身もそれに笑いをかえしているかれを見た。比叡《ひえい》の上には雲が少しかかっていたが、鞍馬《くらま》から愛宕《あたご》は晴れて、その奥の山々には、雪がいぶした銀のように光っていた。かれ等は侍従の一行について、群青色《ぐんじょういろ》に真直に流れている加茂川の土手に沿って、萱《かや》や薄《すすき》の冬の日影にガサガサしているあたりを通って向うの杜《もり》の方まで行った。侍従の殿の一行の持った弓や胡〓[#竹冠に録]《やなぐい》が動いて行くのが、百五十七歳になったかれの眼にもはっきりと浮んで見えた――。
 と、いつとなしに、まだ未《み》の刻《こく》を少し過ぎたくらいだというのに、急にあたりは暗く暗くなって、霧でも押し寄せて来たように、あたりの山も、杜《もり》も、野も、今まで眼の前にはっきりと見えていた村落も、すっかりぼんやりと見えなくなって了《しま》った。子供心にも始めは不思議に思っていたが、次第に何か測られない異変にでも逢ったように恐ろしくなって来て、皆なして、慌《あわ》てて草藪《くさやぶ》の中に入って、顔も挙げずに半時ほども打伏《うつぶせ》になっていたさまがそれに見えた。
 何でもその時に、加茂の社《やしろ》の神が翁《おきな》になってあらわれて来たというのであった。
 それは後に父親からも母親からもきいたことを世継《よつぎ》の翁《おう》はくり返した。
 で、かれ等はそこに、その林の中の草藪《くさやぶ》の中に半時ほどいた。
 不思議なことがあればあるものだ。暫《しばら》くすると、一度夜になったと思った空が、また次第に明るくなって、その草藪《くさやぶ》の中からかれ等が身を起した時には、申《さる》の刻《こく》に近い日の影が斜めに河原に、林に、山にさしわたっているのをかれ等は眼にした。
『あやしの天気《てけ》じゃ。』
『あやしの……天気……じゃ。』
 誰《た》れ言うとなく、こうした言葉に節をつけて、しかも再び明るくなった喜悦《よろこぴ》に満されつつ、そこらを躍り廻ってかけ歩いたかれらのさまを翁《おきな》ははっきりと眼の前に浮べた。


1926年「金の星」1月号
児童文学名作全集3福武書店 1987.3.25