國語學書目解題

亀田次郎

はしがき

 本書は初學者のための國語學書目解題である。而して各分類は時代順に配列した。なほ分類に際し古來その區劃も明確ならず、且その内容も多岐に亘ってゐるものが多いので、その研究の主要な點に依って適宜これを配列した。附録として外人の研究を一括して掲載して置いた。紙數に制限があるので、最も主要なものだけに止め、また解題も平易簡明を旨として要を摘んで記述した。それゆゑいさゝか抽象的に陥った嫌がないでもないが事情止むを得ない。讀者はよろしく諒察あれ。

一 總説及び雜纂

國語学書目解題 一冊

赤堀又次郎著。明治三十五年刊。本書は主として明治以前に著述された國語學關係の書を解題したもので、その書約六百四十部、明治に於けるものも三十部程入ってゐる。書名を五十音順に配列して内容を略示し卷數・著者・刊行年月。出版書肆等まで詳細に記入して居る。外に別名索引・分類目録・著者名目録・年表等が添へてある有數の著である。

國語學史 一冊

 保科孝一著。明治四十年刊。初め早稻田大學文學科講義録に掲載。これより先明治二十二年に列傳體の「國語學小史」を著して居るが、本書はその傳記に關する部分を除いて學説の部分を組なほし、之を分類體として古來の國語研究の歴史を記したのである。先づ、國語研究の目的・方法・國語學史の目的、從來の國語研究概観等について述べた後、國語研究の初まってから明治時代までを五期に分って假名遣・手爾遠波・音韻・文字・辭書・活用等と項を分けてそれ等に關する研究の變遷發達を記してゐる。即ち第一期は平安朝−契沖以前、第二期は契沖−宣長迄、第三期は春庭・義門等を中心とする時代、第四期は幕末維新時代、第五期は東京帝國大學に博言科が創設された明治十九年以降である。五期の中、この明治以後の研究については、本書は極めて簡單に略述してゐる。「國語學小史」の列傳體なるを分類體にした爲、學説の變遷發達は本書に於いて更によく明瞭になって居る。孰れにしても略々三十年近くも以前の書であるから不備欠点は免れないが、しかも尚、本書の後群出した同類の書に比し一頭地を抜いてゐるのみでなく、それ等は本書に多大の影響を蒙ってゐる。この間に在って只 福井久藏氏の「日本文法史」のみが異彩あるものである。因に「國語學精義」(保科孝一著)明治四十三年刊は「國語學史」の説を更に精述したものである。

日本文法史 一冊

 精しくは「教育並に学術上より見たる/日本文法史」と云ふ。福井久藏著。明治四十年刊。本書は総論・本論・附録から成り、専ら文法研究の變遷發達を究明すると同時に之を批評してゐる。總論は文法史研究の必要、文典の種類、中等教育に於ける文法教授法等について記し、本論に於いては之を明治維新前と維新以後明治三十八・九年頃迄との二期に大別して研究してゐる。維新前に於いては(一)假名遣、(二)弖爾乎波以下章を分って研究批評して居るが、特に富士谷・本居兩派の關係については意を用ゐてゐる。維新以後の研究は「維新當時に於ける國學者の状況」「私塾に於ける文法教授」「西洋式日本文典」「口語法の研究」等四十九章に亘って詳細に論述して居るもので、附録には文法書を分類して之を時代順に配列し、又本書の索引、或は故人の肖像筆蹟等を掲げてゐる。本書は文法研究の變遷發達を究め、之を批評したものとして最初のものであるのみでなく、その所説は信奉するに足るものである。又その明治維新後の研究に精しい事も本書出色の所以である。

國語學概論 一冊

 亀田次郎著。明治四十二年刊。本書は帝國百科全書第百九十八編で、緒論及び結論を加へて総べて八編から成る。 第一編緒論には國語研究の態度、在來國語研究の缺陥、國語學研究の補助學科、國語學研究資料、國語學史一班、第二編國語系統論には日本語と他の言語との關係、日本語に於ける他の言語の影響、第三編文法論には文典の概念、文典の種類、文典教授の目的及び文典の部内、第四編聲音論には聲音學略史、在來我語學書の聲音論に關する缺陥、第五編文字論には文字の價値、文字の種類、意義的文字、音的文字、世界文字の起源地、文字と聲音及び言語との關係、神代文字有無論、假字遣法論、第六編品詞論には語法品詞の分類、數詞論、動詞論、形容詞論、第七編文章論には総主論、枕詞論、係結法論を論じ、第八編結論は東洋比較言語學の建設を高調して結んでゐる。本書は國語學の全般を学術的組織的に論述した書の最初のものであって、特に第二編の國語系統論に於ける必要條件を細論し、各國語との關係を述べ、更に他國語の影響を説ける、第四編の聲音論に各聲音の細説。第六編の數詞論、動詞活用古形論の如きは本書の特色でまた著者の最も意を注ぎたる所である。

國語學精義 一冊

 保科孝一著。明治四十三年刊。本書は「國語學上に於ける種々の問題を解決し、研究して、その基礎を鞏固にするには、先づ國語學の過去の道程を鑑み、現在の状態を明にし、將來に於いて、その取るべき研究の方針と方法とを定め、然る後歩一歩その事業を進めることが斯道に最も必須なる要諦である」と云って、國語學の過去・現在・未來の三時期に就いて科學的研究を試みると同時に又實際的方面にも大にその所信を披瀝してゐる。即ち第一編総論に於いては國語學の目的・研究方法等について述べ、次に第二編には明治前半期に至る過去の國語研究の各方面に亘って論じ、第三編には明治十九年東京大學に博言学科が新設されて國語の科學的研究が初まって以來の學界の情勢を概観してゐる。第四編は國語學の將來に對する著者の見解を吐露したもので、その實際的應用的方面に對する主張はむしろ本書の目的とするかの観さへある。扨最後の第五編には國語教育の大本に基き、研究法を一新し、又國字改良に關する意見を述べて結論としてゐる。本書は國語學の内容本質についての研究書と云ふよりむしろ、その實際的應用的方面に対するその見解と主張とに特色あるものであらう。

國語のため 二冊

 上田萬年著。明治二十八−三十六年刊。國語學の諸方面に關する論文集であって、第一卷には「國語と國家と」「國語研究に就きて」「標準語につきて」以下「國語會議に就きて」に至る十三篇及び附録として「日本大辭書編纂に就きて」の諸論文、第二巻には「内地雜居後に於ける語學問踵」「促音考」「假字名稱考」以下「日本語中の人代名詞に就きて」等十四篇を収めて居る。その論ずる所多方面に渉ってゐる爲に一概には言ひ得ないが、「欧州諸國に於ける綴字改良論」「新國字論」等國語教育に關する諸論文、或は「言語學者としての新井白石」の如き。或は「促音考」「形容詞考」「p音考」等の如き、いづれも當時の學界の趨勢を覗ふ爲に、又學術的價値高き諸論文である。就中「p音考の如き國語の聲音學上に益する事大なるものである。(「p音考」のことは「呵刈葭」の項參照)

復軒雜纂 一冊

 大槻文彦著。明治三十五年刊。本書は著者の論文集であり、その内容は語學・歴史・地理・紀行その他諸方面に亘つてゐる。その中語學に關するものは日本「ジヤパン」正訛の辨、掛り結びの間のテ爾乎波の「と」について、假名の會の問答、和蘭字典文典の譯述起源、文字の誤用、モチヰルといふ動詞の活用、外來語源考、假名とローマ字との優劣論、その他であって何れも有益な文字である。

國文論纂 一冊

 國學院編纂。明治三十六年刊。本書は皇典講究所講演誌上に載録された國語國文に關係ある論文の著名なるものを主として抄出し、外に國學院雜誌掲載のものをも少し採録してある。全部五十三篇、この中には國語學に關する有益なものが多い。當時に於ける諸學者の意見を窺知することが出來る。

國語の研究 一冊

 金澤庄三郎著。明治四十三年刊。収めるところ(一)假名の起源(二)諺文の起源三)五十音圖に就いて以下(三四)東洋語比較研究資料の三十四篇、主として國語と朝鮮語の比較研究に關する著者の論文集であっていづれも、日韓語の比較、國語の系統等の研究に益する所大なるものである。就中「假名の起源」「諺文の起源」「形容詞考」又、「韓語研究の急務」「東洋語比較研究資料」「沖縄方言研究の必要」「アイヌ語研究の必要」或は「耳目鼻口」「東西南北」「家族の稱呼に關する二三の考察」等は夫々國語史研究に、又國語研究に、或は古代文化研究上に刺戟を與へ少からす稗益するものである。

【參考】

言語の研究と古代の文化 一冊

 金澤庄三郎著。大正二年刊。本書は比較言語學の立場がら日韓兩國語を比較對照して、それ等の古代文化を研究し、その同一系統なる事を論じたものであって。同じ著者の「國語の研究」と共に日鮮比較言語學上頗る注意すべき著書である。猶巻末には上記の説を要約して「比較言語學から見た古代の日本及び朝鮮の文化に就いて」と題して獨乙語に譯した論文を載せてゐる。

挿頭抄 三巻三冊

 富士谷成章著。明和四年頃の作と思はれる。挿頭と云ふのは今日の感動詞・代名詞・副詞・接續詞・接頭語、その他代名詞・副詞に助詞の加はったもの等のことで、成章はこの「かざし」の他に「よそひ」「名」「あゆひ」の四種に品詞を分類してゐる。本書は即ち挿頭約九十六種二百二十餘語を集め、之を五十音順に列ね、各語について古歌を引用してその意味用法を説いてゐる。この點から云ふと挿頭に關する一種の辭書とも云へる。その材料豊富にして研究の緻密で分析的な點は云ふ迄もなく、前述の如く品詞を四種に分類したこと、又總論中で用語について説明するに際し、詞を時代的に區分し歴史的に研究して居る事等は國語學史上から最も注意すべき事である。しかも後その學説を継承する者少く本書の優れた説が學界に大に擴布されなかった事は遺憾である。

【末書】

呵刈葭

 天明年間上田秋成と本居宣長との論爭せる書簡集である。本居宣長全集・上田秋成全集所收。本書は藤井貞幹著「衝口發」の日本古代史に關する所説を宣長が「鉗狂人」を著して反駁したのに對し、秋成が「鉗狂人評」を書いて宣長の説を駁して、以後繰返された論爭集である。國語學に關係あるものは、ん[n]音有無論と半濁音正不正論とである。秋成は古代からん[n]音とむ[m]音が併存したと云ひ、また半濁音は不正ではないと云ふに對して、宣長は[n]音は後世訛って生じたもので、古くは[m]音のみなりと云ひ。又半濁音は不正なりとの説を讓らなかった。この論爭の是非は後に至って、義門の「男信」、關政方の「傭字例」、白井寛蔭の「音韻假字用例」等に於いて[n]・[m]二音は共に古代より有した事が證され、又近くは那珂通世博士・上田萬年博士等によってハ行音が古くはパピプペポと發音された事が證明されて自から解決した。

玉あられ 一巻一冊

 本居宣長著。寛政四年刊−天保十四年再刊。本居宣長全集所収。當時の人の歌や文章は二十一代集の後のよからぬ詞などを習ふ爲に、ひが事の多いことは慨しいと云って、歌文を志すものゝ爲に「歌の部」に六十六條「文の部」に四十五條あげて誤られ易い點について述べたもので、初學者に益する點が多い。本書は大に世に行はれ、從って本書を批評し研究した書も少くない。

【參考】

消息文例 二巻二冊

 藤井高尚著。文化二年刊。古代の消息文は漢文に依ったと思はれる。又扶桑拾葉集には定家・家隆。西行等の消息文を集めてあるが、時代も下り、文も俗になって居るから、雅文の消息は源氏等中古物語中の消息文を範とせねばならぬと消息文について注意すべき諸點を述べて居る。その中國語の時代による區分(雅文と俗文との別)や、中古言の敬語及び謙譲語を説いてゐる點は、國語史の一部に關する研究として注意すべきものである。

指出廼磯 一巻

 東條義門著。文化十二年稿成り天保十二年自ら頭註を加へ同十四年刊(磯の洲崎と合冊)。著者の友人石田千頴が「しし」と「せし」との區別を質問したのに答へたのを初めとして、主として活用について記したものである。當時は、清水濱臣でさへ「詞の活用を假名遣と同様に重視するのは不可解だ」(磯の洲崎參照)と云った程、活用の研究は無視されて居た。本書は斯る學界に對して、活用研究の重要さを説き、大なる刺戟を與へたものであって、その確實な考證に立脚した内容と共に高い價値をもってゐる。

【參考】

磯の洲崎 一巻

 東條義門著。文政三年稿成り後やゝ訂正して「指出廼磯」と合冊して天保十四年刊。著者が當時未だ活用研究の重要さを認識しなかった清水濱臣に對して、活用の研究が國語學上頗る重要である所以を主張し、また濱臣から贈られた「さゞ波筆話」に對する批評をも書添へたのが本書である。從って個人間の特殊的のものであるが、確實な考證に立脚した本書は一般國語學界にも甚大なる價値を認められるものである。

【參考】

眞宗聖教和語説 五巻(巻數不定)

 東條義門の著。初め「入言小補」と題してゐた。「三部経和語説」の名を持ってゐるものもある(明治十一年刊但し第一巻だけ)。大正四年刊(眞宗全書の中義門講纂所収)。本書は天保三年の頃義門が若狭國の自坊法順寺でなした講義の筆録である。即ち淨土三部経及び親鸞の「三経往生文類」「尊號眞像銘文」「一念多念證文」「唯心妙文意」について國語學的に研究したものである。そも/\著者の國語學研究動機は、浄土眞宗の僧としてその聖典を適確に理解せんが爲に他ならなかった。「山口栞」「男信」等もこの目的の爲の副産物とも云ふべく、その意味から本書は著者にとっては第一義的意味を有するものであらう。

【參考】

小夜時雨 一巻一冊

 萩原廣道著。嘉永二年刊。本居宣長は當時作歌などに際して詞づかひが亂雜になったのを正さんとして「玉霰」を著したが、その後、年経て世の中はまた卑しい詞を用ひて作歌し、又卑しい近世の歌を模す風が甚しい。又古學復興以來萬葉風の歌詠むものがあるが、萬葉の詞づかひを熟知せずに誤った歌を詠むものが少くないと云って「玉霰」に倣って本書を著したものである。即ち約九十項に渉って詞の用ゐ方・意味等について斷片的な研究を集録してゐるが、その所説は穏當で歌文に志す者を稗益する所が多い。附録に「辨玉霧論評五條」「辨玉あられ論脱漏」を收めてゐる。共に「玉霰」の批評として注目すべきものである。  

【參考】

二  音韻

磨光韻鏡 二巻二冊

 僧文雄の著。延亨四年八月刊。天明七年再刻。上巻は四十三轉軽重字母完局の圖説、内轉第一合から四十三合までの圖説、下巻は韻鏡使用法の説明である。本書は韻鏡研究史上第一の名著で(一)韻鏡は音譜で反切の爲作ったものでない事。(二〕唐音研究から唇音・舌音・齒音の軽重の別を明にし、曉母・厘母の別を明にした事、(三)開口音・合口音の區別の説明を試みた事等その創見によるものが非常に多い。後安政年間三浦道齋が校正して出版したのがある。尚本書には「後篇」及び「餘論」がある。「餘論」は著者の歿後に刊行した。その他文雄の音韻に踊する研究は「三音正譌」「和字大観抄」「字彙莊嶽音」「経史莊嶽音」等に見える。併せ見るべきである。

【參考】

漢字三音考 一巻一冊

 本居宣長著。天明五年刊。本居宣長全集所収。本書は國語が萬國に卓絶して勝れることを述べ、漢字の呉書・漢音・唐音を論じて、之を鳥黙萬物の聲、溷雜不正な音と云ふ。その中、南方の音に近い異音は比較的國語の音に近いから正しいと述べてゐるが、極端な日本尊重の思想から出たもので。學術的論拠は薄弱である。只漢字の三音を地理的歴史的に考察した點、梵語が音韻學に必要なる事を述べた融、又附録に音便を研究して之を類聚してゐる點等は注意すべきものである。

【參考】

音韻断 三巻三冊

 内題は上卷及び中卷を「磨光韻鏡辨正」、下巻は「韻鏡非藤氏傳」と云ふ。泰山蔚の著で寛政十一年刊。磨光韻鏡及び韻鏡藤氏傳について是非を論評したもので、例へば磨光韻鏡述、韻鏡第十一轉が古くは開轉であるのに、誤って合轉としたのを訂正して開轉とした事、或は韻鏡藤氏傳がヲオの所慶について、ア行とワ行と相通ずるとする説の不可なるを説いて「字音假字用格」の説を是なりとした事等は注意すべきで、その學術的價値は磨光韻鏡漢呉音圖に決して劣るものでない。

地名字音転用例 一巻一冊

 本居宣長の著。寛政十二年刊。本居宣長全集所收。和名抄・古事記・風土記等の古書に依って、地名で音通の字音と異なる當字は、後世に字音を訛ったものではなく、初から字音を轉用したものであると言って、二十餘類に分って之を説明してゐる。本書は如上の著者の目的を達してゐるのみでなく、はからずも亦字音の研究に貴重な資料を與へ、「男信」「音韻假字用例」等に影響を與へてゐることは興味深い事である。

漢呉音図 三巻三冊

 太田方の著、文化十二年刊。尚その後の刊本で音圖十二轉の條の訂正されてゐるもの、天保の刊本で音徴は二十六丁裏數行填木して削れるもの、大正四年刊六冊の活版本(漢呉音圖上、漢呉音徴中、漢呉音圖説下、音徴不盡全、同カ音圖全、〔六〕音圖口義全 全齊讀例全)等がある。本書は「漢呉音圖」「漢呉音徴」「漢呉音圖説」の三部から成る音韻研究書で、「漢呉音圖」は主として内轉第一合から第四十三合までの圖を記して居る。「漢呉音徴」は第一轉合から第四十三轉まで各音韻の疑しいものを擧げて考證したもので、「漢呉音圖」の素材を示し、同時にその例證を示すものである。「漢呉音圖説」では音韻研究の必要を述べ、次に「漢呉音圖」の説明をしてゐる。本書は漢呉音圖の基礎たる漢呉音徴に於いて音韻を誤った事からこの所説に大なる誤謬をおかした點もあるが、猶磨光韻鏡で誤って居た開合を正した事、m音韻とn音韻の區別を説いた點等磨光韻鏡を一歩進めた事は注意すべきで、磨光韻鏡と共に徳川時代の音韻研究書の代表である。

【參考】

於乎軽重義 二巻二冊

 東条義門著。文政十年稿成る。伝本に「黒川本」「妙玄寺本」がある。前者は義門自筆の中書本の転写せられたもので、後者は清書本と云はれてゐる。本居宣長がその著「字音假字用格」に於いてア行・ワ行に於ける從來のお・をの所属を改めた事は大卓見で、音韻・假名遣・活用等に大影響を及ぼしたものであるが、當初その論證不十分であった爲宣長の説か十分行はれなかった。本書はその宣長の説を補訂し、反對論を一掃し、確固不動の根據を與へたもので、「字音假字用格」と共に國語學史上に重要な位置を占めるものである。

【參考】

古言衣延辨 一巻

 文政十二年奧村榮實著。明治二十四年高橋富兄増補出版。又近くは「音聲の研究」第五轉に所収翻刻。本書は古文獻を渉獵して、新撰字鏡以前の書に於いては、阿行の「エ」と夜行の「エ」と各々その假名を異にする由を示したもので合せて揖取魚彦の「古言梯」に列擧せる用例をも補正したものである。前に出た契沖の「和字正濫抄」や石塚龍麿の「假字遣奧山路」と共に我國語音韻研究史上に大なる貢献をなしたものである。

【參考】

雅言成法 二巻二冊

 天保六年の頃、鹿持雅澄の著せるもの、明治二十六年刊。契沖以來古學復興し、眞淵・宣長等出でゝ、奈良朝平安朝の言語は略明かになったが、猶延約・相通・転訛等の法則については研究に缺くる所ありと云って、研究を進めたもので、(一)假略(二)非略(三)訛略(四)相通以下(十一)舒言に至るまで十一項に分って、これ等について例證をあげ、詳しく考究してゐる。就中略言に關する研究は卓見に富んでゐるが、從來學者が漠然と延約・通略などゝ言って居たものを確實な資料によって組織的に研究した所に大きな價値が存するのである。

【參考】

声調篇 二巻二冊

 關政方の著。天保十一年頃成ったもの。悉曇や韻鏡によって發音の根源、音韻變化の沿革を記したもので。確實な根據に立ち、穏健な説を出してゐる點國語の音韻研究上少からず寄與をなしてゐる。猶附録に「男信質疑」を添へてゐる。

男信 三巻三冊

 東條義門著。天保十三年刊。初め文化五年初稿成ったときは、「撥韻假字考」と題して居た。本書はm音とn音との區別を研究したもので、本居宣長が「字音假字用格」「地名字音轉用例」「漢字三音考」「呵刈葭」等で國語には上古には、ん音nはなく総べてむ音mであると云ひ、上田秋成は、ん・む音共に古くから存すると論爭した後を受けて、秋成とは別個の立揚によって、ん・む兩存説を唱へ、宣長の説を覆した。この當時國語學界最高權威者宣長によって唱へられ定説として通用された説を、確實な論據によって訂正した事は國語音韻學上重大な功績であって、寛蔭の「音韻假字用例」は本書による事が少くない。その後間もなく關政方も「傭字例」で、ん・む兩存説を唱へてゐる。猶本書と合せ見る可きものに關政方の「男信質疑」、岡本保孝の「男信存疑」がある。扨右の「男信」も「傭字例」もn・m音についてのみ研究したものであるが、釋行智は更に進んでその著「悉曇字記眞釋」中に於いてng音についても研究してゐることは吾音韻學史上特記すべきことである。

古言本音考 一巻

 嘉永元年石金音主著。嘉永四年刊。「古事記」「萬葉集」その他の古書に徴して、我が上古の言葉は總べて清音のみで濁音のなかった事を主張してゐるものである。本書附録には「曲玉」「勾〓」の讀み方「命」「ミコト」といふ事「富士山」の「フシ」と清音でよんだ事などを記して居る。

音韻考證 巻数不定

 「皇國釋音」「皇國聲音」などゝも言ふ。黒川春村の著で文久二年頃成る。本書は草稿のまゝで傳ったと見え巻數も一定せず、著者の新居守村に答へた言には四十有餘巻とあり、又赤堀氏の國語學書目解題には二十二卷とあるが一巻本もある。「漢呉音圖」(前出)を基として諸書を參酌して音韻を研究し我國上代の漢字音・假名遣に資したのであって研究としては「漢呉音圖」を一歩進めたものと云ひ得る。

言霊妙用論 二巻二冊

 慶應二年、堀秀成著。明治十年刊。元祿の頃契沖出でゝ古學復興を唱へて以來、古語の學啓け、諸學者輩出して古語古格は明かになったが、學界の大勢は次第に音義の學に進み、「雅語音聲考」の著者鈴木朖はその鼻祖であると云って音義説の由來を述べ、更に音義説の概要を記してゐる。特に注目すべき程の説はないが、その音義説概要は簡單平易に記して居るので便利である。

音韻啓蒙 二巻二冊

 敷田年治著。明治七年出版。國語の音韻を大體全般的に研究したもので「正音五十に定まれりと言事」以下十二項に亘って論じてゐる。漢字音についての研究は室町時代以來行はれ、徳川時代に殊に盛んであったが、本書の如く全般的に亘った研究は無かった。この點で本書は注意すべきであり、その所説も確實な資料によって穏當な見解をなしてゐる。

音韻調査報告書 一冊

 國語調査委員會編(但し本書の整理は同會事務嘱託榊原叔雄・亀田次郎の二人擔當)明治三十八年出版。主として普通教育に於ける假名遣の改正及び標準的發音の制定の參考に資する爲、明治三十六年、調査事項を各府縣に送って調査を依頼し、その報告を調査事項の順に配列したものである。調査事項は(一)「あゝいふ事」「さあ行かう」(中略)などの「あゝ」「さあ」はa-a(ア、ア)sa-a(サ、ア)と二音節に發音するか a(アー)sa(サー)と一個の長音節に發音するか、と言ふ様な事項から(二九)ズとヅを區別せざる地方に於ては、ズをのみ發音するか、ヅをのみ發音するか、ズ・ヅを混用するか、等の調査事項に至る迄之を二十九項に分けて居る。その他、巻頭及び卷末に「音韻分布圖に關する注意」並に「音韻調査報告書附記」「各府縣音韻調査區域一覧」を添へてゐる。本書は大規模に國語の音韻調査をしたもので、今日に於いて是以上のものは無いのであるが、この調査報告は多數の人によって爲され、その精粗は一様でなく、この調査は極めてデリケートな仕事であるが、報告者の總べてが聲音學上の智識を十分に有ってゐたとは思へないので、その報告はそのまゝ直ちに用ひ難きものがあると言はねばならない。

【參考】

音韻分布圖 圖版廿九枚

 國語調査委員會編(但し上田万年監督の下に新村出・亀田次郎擔當)明治三十八年出版。本書は「音韻調査報告書」の附録として製作したもので、各府縣の音韻調査報告によって音調の分布を圖表にして、音韻調査の二十九項を四類に大別してゐる。即ち(一)長音に關する部(一−一二)(二)母韻の變換に關する部(十三−一四)(三)ヤ行及びワ行に關する部(一五−二四)(四)子音に關する部(二五−二九)である。音韻調査報告者の總べてに十分な聲音學上の智識のない事はその報告書並にそれを整理し圖表にした本書にとってやゝ遺憾な點ではあるが、調査事項を豫め定めて依頼したのであるから大綱に於いて略誤りはなく、今日音韻分布の研究でこの右に出づるものはない。

【參考】

韻鏡音韻考 一冊

 大島正健著 明治四十五年出版。その自序に於いて韻鏡の成立傳來を説き、本文に入って韻鏡の内容一般を初學者もなほ了解し易き様簡明に説き明してゐる。又その音韻を説くに當ってはローマ字を對比して理解を容易ならしめてゐる等も注意すべきで、由來難解なものとせられてゐる韻鏡を平易簡明に説明してゐる點が本書の特色と云へよう。本書の説を後に若干増訂したものが「韻鏡新解」である。

韻鏡考 一冊

 大矢透著。大正十三年刊。本書は著者の「假名遣通考」の外篇第五編であり、韻鏡そのものについて全般に亘って本質的な研究をしたものであって、殊に(一)音圖成立の時代(二)等位の解釋(三)内外轉の別と十六摂目の用等に關する研究は本書の骨幹であり、かつて徳川時代の學者によって未だ根本的研究をなされなかったものである。その研究は新説卓見頗る多く音韻學に貢獻するの甚大なものがある。

韻鏡新解 二編二冊

 大島正健著。大正十五年刊。「韻鏡音韻考」及び著者が國學院雜誌に發表した諸論文を基礎にして韻鏡一般について解説したものであって、著者が三十餘年に亘る韻鏡研究の蘊蓄を傾けて韻鏡の実用的な方面に就いて解説をなしたもので、新説卓見に富んでゐる。殊に初學者にとって稗益される所大なるものがある。

【參考】

三  語源

和句解 五巻

 松永貞徳の著。寛文二年五月刊。本書は國語の語源を研究したものであり、單語を伊呂波順に配列してある。その語源解釋は常識的であるが、とに角語源研究書として最初のものである事と、徳川初期の益軒の「日本釋名」に影響を與へた點で注目すべきものである。

日本釋名 三巻三冊(或は六冊)

 元禄十二年貝原篤信著。翌十三年刊。益軒全集巻一にも所収。本書は劉煕の「釋名」に做って著したもので「和句解」(前出)と同じく國語の語源を説明した辭書である。内容を(一)天象から(二十三)虚字まで分類し、各類に從って單語を出し、その語源を説明してゐる。又著者はその凡例に於いて語源研究の方法論を述べて居るが、この研究方針が今日から見るも大體正鵠を得てゐる事は頗る敬服に値する點である。併し研究の結果は常識的に陥り、學術的價値の低いことは惜しむ可きである。

南留別志 三巻

 「徂徠先生可成談」とも云ふ。荻生徂徠の著。元文三年刊。本書は随筆風に國語の諸方面について記されたもので、文字・音訓その他事物の名義等について考證解釋したものであるが、特に語源・詞の意味を解くものが多い。因に本書の名称は各説の末尾を「何々なるべし」と云ふが如くに結んでゐる爲である。

【參考】

語意考 一巻一冊

 賀茂真淵著。寛政元年刊。賀茂眞淵全集所収。支那・印度の音に比して我國古有の五十音は遥に優れたものであって日本はこれ等外國と交る事によって實に大なる損を受けた事を述べ、次に活用を五十音圖に依って説き、又通言・通韻延言・約言・略言・清濁・相通等の事を記してゐるが、初めの五十音の尊敬、五十音圖は外國の影響を受けたものではないと云ふ説の如き、全く學的價値のないものであるが、之が後年「古史本辭經」に於けるが如く平田篤胤等一派に及ぼした影響は大きい。活用を五十音圖で説いた事は國語學上見る可き點で、本居派の活用研究の源となったものであるが、これとても谷川士清が已に「日本書紀通證」寶暦十二年刊の附録に於て述べてゐる。延言・約言・略言の説も爾後大に行はれたが、本書が世に行はれた所以は、その内的價値に依ると云ふより、むしろその後の學界が眞淵の流を汲む本居派に獨占されたからであらう。隨ってその説が博く學界を稗益した點もあるが、その不完全な説の爲に學界を毒した點も少くない。  

【參考】

雅語音聲考 一巻

 鈴木朖著。文化十三年著(「希雅」と合冊)、本書は語源について説いたものである。而して著者は「言語ニハ音聲ヲ以ツテ物事ヲ象リウツス事多シ」と云って「一ツニハ鳥ケモノノ聲ヲウツス、二ニハ人ノ聲ヲウツス、三ニハ萬物ノ聲ヲウツス、四ニハ萬ツノ形有様意シワザヲ寫ス」と言って之を四つに分類してゐる。これは所謂言語の寫聲的起原論であって、啻に本邦のみに止まらず、當時泰西に於いても亦實に前人未發の卓見であり、國語学史上特記すべき事である。因に合冊せる「希雅」は漢語についてその寫声的起原を説いたものである。

言元梯 一巻

 文政十三年大石千引著。天保五年刊。語彙を五十音順に配列して語源を示し、その訓義を解き明したものである。その他體言は清音のみなりし事、用言には罕に濁音有る事、詞のはじめを濁ることは本來ない事、字音の詞、音訓混淆する詞等について記してゐる。

音義全書 二巻二冊

 藤岡好古編。大正二年出版。本書は堀秀成の音義に關する代表的著作九種を集録したものである。  秀成は音義説を唱へた學者として最後の者であり、又その所説は音義説の最頂點を示すものであるが、その説く所の音義なるものは非學術的な牽強附會に渉る點多く、隨って「音圖大全」にせよ、或は「假字本義考」にせよ、學術的に直ちに之を用ひ難いことは遺憾である。然し乍ら本書は從來殆んど寫本でのみ傳へられた彼の主義を纏めた點で音義説研究者に便することが多い。

日本語源の研究 一冊

 林甕臣著。明治三十八年刊。自序に於いて著者が刻苦語源研究に思を潜め、遂に一定不變の整然たる定理原則を啓發するを得た由を述べて、(一)語源學の本領、(二)効用、(三)價値、(四)原則、(五)定義、(六)五十音圖式、(七)五十音活用法、(八)反切法の類別、(九)語根・語脉の九章に分けて次第に論じてゐる。而して著者の所謂語源學の不變の原則とは五十音圖の縦行横列の音位系統に準則して考究する事であって、五十音圖の活用に依って説明し得ないものは國語でないと云ふ事である。即ち語源の一切を五十音圖に依って説明せんとするものである。而してこの事は已に徳川時代にも諸學者によって爲された事であり、又語源研究に五十音圖の必要は言ふ迄もないが、之を以って總てゞあるかの如く過大に尊重した所に本書の缺陥の原因が伏在する。又著者はこの虞に於いて延約・反切の法を最多く用ゐてゐるが、これ亦不完全の方法で、爲に無稽の獨斷に陥ってゐる點が多い事は多年の苦心に成ると云ふ本書の爲に遺憾なことである。氏の遺稿「日本語原學」一冊が最近嗣子武臣に依って最近刊行された。これは本書の所説を更に精細に論述されたものである。併せ讀むべきである。

四 假名遣

下官集 一巻一冊

 下官抄とも言ふ、書中に「下官用之」「下官付此説」の如く撰者自称の「下官」なる文字があるに因み後人が假に附した書名で、原の書名は判らない。定家の撰とも云はれるが詳かでない。文永三年寫本、赤堀又次郎氏の語學叢書所収本がある。本書は單に歌人の心得を書いたものであるが、その中「嫌文字事」の一條は定家假名遣の附録(定家卿口傳)と略々同じもので、を、お、え、へ、ゑ、ひ、ゐ、い、ほ、ふ、の假名を含む語を擧げてゐる。而してその材料を平安朝後期以後の文獻に求めた爲後の歴史的假名遣とは一致しないものがあるが、古文獻によって假名遣を一定せんとした點や、「定家假名遣」よりも古いものであるらしい點に、この書の歴史的價値を認め度い。本書は餘り世に行はれなかったらしいが、もし「定家假名遣」が本書から發展したものであったなら、間接的に後の和歌者流に大なる影響を與へたものと云ひ得る。

定家假名遣 一巻一冊

 「假名文字遣」とも「行阿假名遣」とも言ふ。源親行の著でその孫行阿の増補したものと言はれて居る。文明十年書寫本、文安五年奧書本、慶長頃の刊本、正保五年刊本、萬治二年刊本、貞享本、元祿本、寛政本、語學叢書第一編所收本。その他數種傳へられてゐる。文安寫本には目録及び附録(定家卿口傳・人丸秘抄)を缺き、板本は附録を缺き、またその目録には「一定家卿口傳二人丸秘抄」と記してゐる。これが爲に「定家假名遣」は一にまた「二人丸秘抄」とも云ふと誤傳された。勿論これは附録第二「人丸秘抄」の誤りである。本書は親行が定家の家集「拾遺愚草」を清書する際を、お、え、ゑ、ヘ、い、ゐ、ひ、の八字の假名遣法を定め記したもので、定家の校閲を得、後に孫行阿が更に、ほ、わ、は、む、う、ふの六字の使用法を増補したと言はれる。而して本文附録共夫々これ等の假名を含む語句を羅列したのみで説明はなく、從ってその標準が何に依るかわからない。その集められた語句は奈良朝、平安朝初期の假名遣と異るものが三分の一もあるから、所謂歴史的假名遣とも云へない。しかるに中世以後歌道に於いては之を定家と結びつけて尊重し、契沖の歴史的假名遣を「古假名」と云ひ之を「今假名」と云って盛に用ひたが本書の學術的價値はその標準不明の爲に決定し難いが假名遣の最古の書である事や、契沖の歴史的假名遣を生む縁になった事等にその歴史的價値を認めるものである。

【末書】

假名遣近道 一巻

 室町時代の末 一條禪閤兼良の著なりと言はれてゐる。作歌の參考書として假名遣の事を簡単に説いたものであるが説く所「定家假名遣」以上に出るものではない。

一歩 二巻二冊

 徳川時代初期の作であるが、著者はわからない。延寶四年の刊本。元禄四年刊「正俗二躰初心假名遣」所載の本書抄録等がある。「てにをは」及び假名遣の事を記したもので、假名遣の事は「定家假名遣」の類でさして見る可き程のものもないが、「てにをは」について過去現在未來を説いてゐるのはこの時代としては卓見である。

初心假名遣 一巻一冊

 著書はわからない。元祿四年刊。「定家假名遣」を基礎として天地・時節・家屋・國名・所名・神祇・釋教等三十二門に分け、誤れる假名、正しき假名、漢字と三段に組んで語を列擧してゐるもので、「定家假名遣」を幾分増訂した程度のものである。

蜆縮凉鼓集 二巻

 精しくは「しちすつ假名文字使蜆縮涼鼓集」と云ふ。著者は詳かでない。元祿八年刊。後享保二十年には「假名文字遣便蒙抄」二巻二冊と改題して刊行してゐる。假名遣の中「じ」「ぢ」「ず」「づ」の四濁音の發音上の區別を説き示してゐるので、その音を有って居る「しじみ」(蜆)「ちぢみ」(縮)「すずみ」(涼)「つづみ」(鼓)の四語を採って斯く名付けたのである。初めに本書編纂の趣旨を述べて、凡例及び音韻の圖を掲げ次にこれ等濁を含める語彙を伊呂波順に列ねてゐる。

和字正濫鈔 五巻五冊

 僧契沖の著 元祿八年刊本を初めとして、元文四年本、文政十一年本、赤堀又次郎編「語學叢書」所載活版本、契沖全集所収活版本、大阪殿村家藏稿本一冊等がある。因に契沖の著にして著者の生前に刊行されたのは本書のみである。本書は契沖が萬葉集研究の進捗に伴ひ、萬葉集等の古い假名遣が當時行はれてゐた「定家假名遣」と違ってゐたので疑問を有ち、日本紀より三代實録に至る古典の假名遣を蒐集整理する事によって其處に一個の法則を見出さんとした事に成立の動機がある。その蒐集の語彙は約二千、從來行はれて居た「定家假名遣」の無標準と混雜とに對して本書は確然たる標準と根據とを有ってゐるもので、單に歴史的假名遣を初めて基礎づけたのみならず。當時絶對的に信奉せられて居る傳統的學説に對して自由なる討究と批判とを行ったことは、やがて學としての國語學・國文學の誕生を導いた。契沖が近世國學の鼻祖たる所以である。然し乍らその卓越せる學説も當初は學界を必ずしも風靡した譯でなく、むしろ諸家は多く之に反對した。成員、秋成、與清、残夢及び二條家、冷泉家流の人々は即ちそれである。後に至って魚彦・猛彦・春海或は宣長・義門等によってその説は増訂されて漸次世に行はれるに至った。

【參考】

倭字古今通例全書 八巻四冊。

 橘成員著。元祿九年刊。本書も亦「定家假名遣」を基本として所謂語勢的假名遣の法を記せるもので、同じ著者の「假名字例」(四巻延寶六年刋)を増訂したものである。所収の語彙は乾坤・氣形・生植・服器・雜事に類別して約三千に及んでゐるが、注意すべきことはその総論の中に於いて明示しては居ないが、本書より一年前に刊行された契沖著和字正濫鈔の歴史的假名遣を反駁してゐる事である。契沖は本書を見て自説に對する反駁と認めて「和字正濫通妨抄」を著して痛烈に之に應じた。後「通妨抄」の駁撃の程度を緩めて「和字正濫要略」を出した。實際本書は語勢的假名遣を説いたものゝ中では最も整ったものではあるが、語勢的假名遣そのものが餘り學術的價値の高いものではない。然し乍ら當時の學界は未だ契沖の説より成員の説に傾いてゐた。(和字正濫鈔參照)

和字解 一巻一冊

 元祿十二年頃貝原篤信著。元文二年刊本、延享五年刊本、明治刊本等がある。本書は假名遣について記したものであるが従來和歌者流の間に用ひられてゐた所謂語勢的假名遣の方法を採用すると同時に契沖等の歴史的假名遣法をも考へ合せて兩者を折衷してゐる。隨ってその所説は穏當なものとして當時廣く行はれた様であるが、その價値は語勢的假名遣よりも一歩進んだ程度のもので歴史的假名遣よりも一歩劣るものである。

和字大観鈔 二巻二冊

 僧文雄著。寶暦四年刊本、明和四年刊「再治和字大観抄」、寛政七年刊補刻本等がある。主として假名遣に關して記してゐるもので、上巻には五十音の横堅の相通について記してゐる。即ち相通を基礎として假名遣法を説いてゐる。しかるに下巻に於ては貝原益軒の「和字解」の説をそのまゝ用ひて所謂五類の假名遣法を示してゐるので統一を缺いてゐる。この點からは本書の價値は多く認め難いものかあるが、細部に於いては拗音の假名、假名反切、反音(延約)等の説明に就いて音韻學に造詣深い著著はその方面の研究を應用してゐるので注目に値するものがある。また附録の「かな合字」の條は明治初年以後學界の中心問題になった國字改良論の先驅をなしたものと思はれる。

古言梯 一巻一冊

 揖取魚彦著。明和二年刊本を初めとして、「古言梯再考全」春海増訂寛政七年本、享和二年刊「古言梯再考増補訂正」(清水浜臣増訂)同文政三年再刻本、弘化三年刊「増補古言梯標註」(山田常助増訂)文化五年刊「掌中古言梯」、天保五年刊「袖珍古言梯」などがある。契沖の「和字正濫鈔」の説を継承して歴史的假名遣を研究したもので、古事記・祝詞・萬葉集・新撰字鏡・神樂・古今集のその他物語等の類。古典から假名遣の證據となるもの千三百八十三語を抽出し、之を五十音順に配列してゐる。本書は實に契沖の「和字正濫鈔」の不備なる點を補ひ、確實な資料によって之を大成したもので、本書出でゝ契沖の假名遣の説に猶服しなかった當時の學界も以後之を認めて「定家假名遣」以來の所謂語勢的假名遣派の反駁もその影を潜めた。實に假名遣研究史上に、又假名遣法に一時期を劃した書と云ふべきで、前記の如く数種の板本がその後出でたるを見ても本書か如何に世に行はれたかは窺ひ知られる。

字音假字用格 一巻一冊

 本居宣長著。安永四年刊本、同年春再刊本、寛政十一年刊本、天保十三年刊本、明治二十五年刊本、同二十六年刊本、本居宣長全集所收本等がある。但し山崎美成校正の天保十三年刊本には三行分生圖、軽重等第圖、字音總論中の二圖等の省略がある。本書は漢字の漢音と呉音との假名遣を研究したものである。字音の假名遣については已に契沖・文雄・魚彦等も研究してゐるが、專ら字音假名遣について研究したのは本書が最初である。説く所は字音の假名遣で最も誤り易いものについて、或はア、ヤ、ワ三行の喉音中ア行か根幹である事、從來ア行にを、ワ行におを列ねてゐるがその所屬の誤りである事、或は「字音假字總論」と題して幾多の點に就いて述べてゐる。而して右の「お、を所屬辯」に於いて從來の誤を訂正した事は學界に對する本書の大なる貢献である。尤も本書にも誤説の無い譯ではなく我が古音中には總べてん[n]音なくむ[m]音のみであると説いた如きは就中大きな缺點である。(脚結抄呵刈葭參照)  

【參考】

靈語通 一巻

 上田秋成著、寛政九年刊。本書の叙に依れば靈語通は神名・國號・名物・詠歌・用語・假名の六篇から成るものであると云ふが、所謂「靈語通」はその中の假名篇のみが刊行されたもので、他の五篇は世に傳はらない。本書は古書に徴して假名遣の事を説いて古代は、「い」「ゐ」、「を」「お」、「え」「ゑ」等の區別をしなかったことを述べ、又「じ」「ぢ」及び「ず」「づ」の區別についても意のまゝでよろしいと主張してゐる。同著者の「呵刈葭」と合せ見ればその所論は一層明かである。

【參考】

假名遣奥山路 三巻

 石塚龍麿著。寛政十年頃の作と思はれる。刊本には古典全集所收のものがある。本書は古事記・日本紀・萬葉集を初め奈良朝時代の諸文献によって當時使用の音標文字の用法を精しく研究したものである。即ちア・イ・ウ以下の假名の大部分は同音のものは相通じて用ひられるがエ・キ・ケ・コ・ソ・ト・ヌ・ヒ・へ・ミ・メ・ヨ・ロの十三音の假名が實際に於いて判然と使ひ分けられてゐることを記したものである(猶古事記にはチ、モの二音が加はる)。總論の初めに記すところによると、本書は古事記傳中の所論を基として著したものである。その所論中には今日から見れば缺陥不備はあるがこれによって上代の音韻組織に關する研究は一大礎石を得たものと言ふ可く、又語源・語學その他用言の活用等に關する問題にも光明を與へるものであらう。

【參考】

【末書】

假名大意抄 一巻一冊

 村田春海著。享和四年刊。或高貴の方の命によって假名遣について書奉ったものを後一般初學者の爲にこれを簡明にし啓蒙的に書いたものであって、(一)大體天暦以前の書は假名遣が一定して居る。又それ等古典の假名の字音は唐以前乃至宋初の字音に符合してゐる。(二)假名遣の例證に用ふべき古書は眞字書のものを第一とすべきである。(三)五十音は悉曇から出來たものであるから假名遣なども五十音の同一行に於ける相通に依って知られる事が多い。(四)假名遣法には「行阿假名遣」と「歴史的假名遣」とがあるが後者の方が道理に叶って居るから之に拠るべきである。(五)「歴史的假名遣」は契沖が広めたのであるが文和の頃已に成俊がこれに気附いて論じて居る等と述べて「和字正濫鈔」「古言梯」或は「字音假字用格」の説を見るべしと云ってゐる。前記の如く啓蒙的の書であるから研究として特別注意すべきものはないが、當時語勢的假名遣の一般に行はれて居た時代に、歌壇の第一人者たる著者が歴史的假名遣法を唱道した事はその流布の上に大なる貢獻をなしたものと云ふべきである。

萬葉用字格 一巻

 僧春登著。文化十四年刊。「萬葉集略解」によって萬葉集中に用ひられた特殊の文字を撰び出して、その讀方によつて五十音順に排列し出所を示し略註を加へ、各音の中を更に正音・略音・正訓・義訓・略訓・約訓・借訓・戯書の八類に分って加註してゐる。

假字本義考

(三 語源「音義全書」の項參照)

音韻假字用例 三巻三冊

 白井寛蔭著。萬延元年刊。假名遣の圖一冊と附説二冊から成ってゐる。圖には漢字一萬二千二百餘字を擧げ、之を字音によって部類分にしてゐる。附説は主として「男信」「字音假字用格餘論」「傭字例」「漢呉音圖」等の説を引いて「字音假字用格」の説を研究し批評してゐる。前項に記した如く「字音假字用格」は字音假名遣研究として劃期的著書であり、一般に廣く用ゐられたのであるが、同時に誤謬も不備も多々あったので寛蔭は廣くこの書の全體に亘って研究し、その後の學説も參考して博引傍證以て「字音假字用格」を大成したのである。

疑問假名遣 二編二冊

 國語調査委員會編(但し同會事務嘱託本居清造擔當)大正元年−大正四年刊行。歴史的假名遣法は契沖が「和字正濫鈔」を著して之を創唱して以來魚彦の研究、春海の啓蒙的努力等に依って學界の認める處となったが今日の普通語或は又古語に於いても、個々の假名遣に於いては標準となるべき古書にその證明をもとめ難く、學説の一致しないものが少くない。本書はこれ等疑問の假名遣研究の資料を蒐集し研究したもので、前編は疑問の假名遣を有つ語を五十音順に列ね各語について學者の説を年代順に擧げてゐる。後篇は疑問の假名遣を含む語を五十音順に配列して、古書から用例を索めて列ね、假名遣を考證してゐる。斯く古今の學説を集め又古書を檢べ疑問の假名遣についてその是非を調べたもので、歴史的假名遣法は本書を俟って完成の域に近づいたと云へる。

假名遣及假名字體沿革史料

(六 文字の部參照)

五  手爾遠波

手爾波大概抄 一巻一冊

 藤原定家著と傳へられるもので、文明年間の初め頃のものかと思はれる。(因云群書一覧所載の「てには大概抄」寛永二年刊は本書とは異る)本書は詠歌の秘傳として出来たもので、歌の姿の尊卑は手爾波の使ひ方に依って定まると云ってそれを説いてゐる。学術的価値が特に高いのではないが、「てにをは」について記したものゝ中最古の書であり。後この種の研究が進んで「てにをは」の呼應・活用の研究となったものであって、姉小路式等と共に國語研究の一源泉となたつ點で學史的價値がある。

【末書】

姉小路式 十三巻一冊

「秘伝天爾波抄」「手爾尾葉秘傳」「姉小路てには抄」「姉小路てにはの傳」「和歌十三ヶ條」の名で傳ってゐるが、大體同一の書である。寛文十三年刊「歌道秘藏録」、寛永三年刊「和歌てには秘伝抄」「春樹顕秘抄」などは本書の増訂本である。木書は「手爾波大概抄」と同じく歌道の秘傳書であるが、更に分類が細かく一々例證を挙げてゐて遥に学術的である。即ち十三ヶ條口傳と稱して十三項目に分ち、各章古歌を引いて手爾波の係結を説明してゐる。而して本書は本居宣長の「言葉の玉緒」、富士谷成章の「脚結抄」等の源となったものと思はれる。即ち「てにをは」研究の初期に於ける最も優れた著作であると同時に後世徳川中期のてにをは研究の源泉となったものであることは注意すべきである。

【參考】

春樹顕秘抄 一巻一冊

 「和歌秘伝抄」とも言ふ。著者は姉小路濟時の末基綱の作とあるが(私藏の一本による)詳かでない。徳川時代よりやや以前のものと思はれる。本書は「姉小路式」を増補したものであるが、その手爾波の分類はそれより更に詳しく又引例の古歌も豊富になってゐる。即ち第一「はねてにをはの事」以下第二十一「手爾葉しな%\有事」の二十一章に分類して、それ%\古歌を出して手爾波の意味及び呼應の法を記してゐる。而して上にあって係る手爾波を「かゝえる」と云ひ、下にあって應ずる手爾葉を「おさへる」と云ってゐる。猶終りにこの手爾乎波の呼應を、ぞるこそれおもひきやとははりやらん是ぞ五つの手爾葉なりける」と歌にしてゐる。この手爾葉の「おさへ」と云ふは後の「紐鏡」「言葉の玉緒」で「係辭」と云ってゐるもので、「かゝえ」とは「結辭」と言って居るものであって、斯くの如く手爾遠波を分けて説明した事は注目すべきで後の宣長その他の「てにをは」の研究家に非常に影響を與へて居る。

【末書】

テ爾乎波義慣抄 一巻

 寶暦十年、雀部信頬著。本書は主として「てにをはのとゝのへ」の事を述べたもので、合せて歌のもじどまり、長歌・旋頭歌・俳諧歌・枕辭・言懸詞・延辭・約辭、「さへ」「だに」の相違、「たゞ」「なお」「かつ」と云ふ詞つかひの事などを古歌を証として説明してゐる。そのてにをはに關する説はこの時代としては誠に卓見として見るべきものが多い。

てには網引綱 二巻二冊

 栂井道敏著。明和七年刊。後著者の「蜘のすがき」二巻と合冊して「詞のあきくさ」四巻と題して文化十一年刊。従来の「てには」に對する解釋の誤なることを指摘して「てにをは」は所謂「オコト點」から出でたものであると主張し、従来の諸書を廃し、唯八雲御抄を擧げて手爾波の大意を知る參考書とし又秘伝・口訣の類を斥けてゐる。本文に於いては「て、に、を、は、そ、こそ、と」以下「つる、つれ、つ、つゝ、哉」に至る等項を分けて一々の意味用法を説き、古歌を例証に引いてゐる。又てにをはの効用について概括して居る最後の「てには用意の事」の條中では一語で獨立した意味を有って居る詞と、然らざる手爾波とを区別してゐる。この事は手爾波の範疇を定めたもので、品詞の分類が十分でなかった当時として猶不十分な点もあるが、手爾波研究上に一時期を劃するものであり、手爾波は「オコト點」から出たと云ふ説と共に注意すべきものである。その他呼應の研究「手爾波大概抄」「春樹顕秘抄」等を信ずるに足らずとした説、秘伝口訣を断然排斥した事等新説卓見に富むもので、宣長以前のこの種の書として最も優れたものとして特筆すべきである。

てにをは紐鏡 一鋪

単に「紐鏡」とも云ふ。本居宣長著。明和八年刊、文化十三年再版、天保版、明治版、本居宣長全集所収、本書は手爾遠波の呼應の法則について図示したものである。即従來「かゝえ」として居た係辭を分って三種とし縦の行とし「おさへ」と云はれた結辭を三種づゝ四十三箇を横の段に掲げた(手爾遠波と云っても現今の助辭とは其範疇異るもので、就中結辭は今の動詞形容詞助動詞の語尾を指すものであることは注意を要する)。これが所謂三轉(終止・連體・已然)四十三段の手爾波の係結である。本書は本書の解説・證明である「詞の玉緒」と共に宣長の代表的著作であって、本書の先に出た「春樹顕秘抄」「歌道秘藏録」の諸説に比して數段進歩したものであり、後の春庭・義門その他のてにをは、活用の研究の基礎を作ったものである。

【末書】

脚結抄 五巻六冊

 富士谷成章著。安永七年刊。著者の分類による國語の四品詞(かざし、あゆひ、よそひ、名)の中「脚結」について専ら研究したものである。脚結とは今日の助辭・助動詞・感動詞及び接尾語等に當るものであるが著者はこの脚結を更に五類五十種に細分して項目に随って脚結をあげ、各語の意味用法を説いて之に古歌を引いて證明してゐる。猶、成章は本論に入るに先だって、冒頭に極めて重要な所説をなしてゐる。即ち(一)品詞論(二)言語の起源説(三)脚結を細分して五類五十種にした次第(四)國語の時代的變遷に注目して六期に分けた事(成章は之を「六運」と稱ふ)(五)古歌を口語に訳する事の困難(六)詞の接續論(七)「装」(動詞・形容詞にあたる)を「事」「状」に大別し、「事」を更に二種に「状」を亦四種に分け、それ等の活用を八等となし圖示して「装圖」とした事(八)挿頭・脚結が他品詞に通ふ事(九)從來五十音圖でを・おの所属を誤れりと云って訂正した事等で、就中(一)品詞を四種に分類した事は品詞分類の先駆をなしたものであり、後の鈴木朖・東條義門等に影響を與へ(二)装の研究者には谷川士清・賀茂真淵等があったが、成章が之を事(動詞)と状(形容詞)に分け更に動作を表はす動詞、存在を表はす動詞、或は形容動詞、く活用、しく活用等に分けたのには遙に及ばない。のみならす後に出た鈴木朖や義門さへも一歩を讓るものがある。又その装圖は「活語斷續譜」「言葉の八衢」に直接間接に影響してゐる。(三)又國語の時代區分も徴細に過ぎて、缺點がないと云ふのではないが、この時代としては誠に卓見である。(四)お・をの所屬を改めた論はその卓見敢て宣長にゆづるものではない。斯く本書は極めて卓越した學的價値を有し乍ら、その説比較的學界から遠退いてゐた事は惜しむ可きである。最近本書の頭註本が出版されたがこれに依て初學者にはその難解の箇所が明かになったのである。

【末書】

【參考】

詞の玉緒 七巻七冊

 略して「玉の緒」とも云ふ。本居宣長著。天明五年初刊、寛政四年補刻、文政十二年再刻、その他刊期不明本二種、明治版活字本。本居宣長全集所収。本書は所謂手爾遠波の呼應の法則を圖示した「てにをは紐鏡」について例證を掲げて説明し研究したものである。この手爾遠波の呼應に關する研究は平安朝末期から歌学者の間に起って已に「手爾波大概抄」「姉小路式」「春樹顕秘抄」「歌道秘藏録」等の著があったが、いづれも皆秘傳傳授の書であり、非公開のものであった爲に、獨断的な所説たるを免れなかった。本書はこれに反し古文献によって帰納的に自由討究を行ったものであって、その學術的な所に大なる價値が存する。爾後この種の研究は本書の上にたって發展したもので「紐鏡」と共に國語學史上に一時期を劃するものである。

【末書】

【參考】

助辭本義一覧 二巻二冊

 橘守部著。天保九年刊。橘守部全集所収。本書は「助辭本義考」七卷の抜萃であると著者は言ふが、今日その原の書は存してゐない。當時の所謂てにをは(今日のてにをは及び動詞形容詞の語尾並に助動詞)の呼應を研究したものである。而して守部は「玉緒」等に係辭と云ふを「指辭」と名付け。結辭と云ふを「受辭」と稱へて上巻には「指辭」を、下卷には「受辭」を論じてゐる。なほその助辭について和歌に餘り用ひられて居ないものはこれを除いたと云ってゐる。本書は語源的に「助辭」を研究するのが主目的であった爲、これを動詞・形容詞・助動詞の研究とし見ると「玉緒」より進んでゐるとは言へない。又その研究も大部分は音義説を以って解釋して居るが音義論そのものが學的に他へ應用し得ないものであるが爲に結果は餘りよくない。がとにかく音義説の方では代表的著作であり又「紐鏡」や「玉緒」を反駁的に批評した書として注意すべきである。

六  文字

倭片假字反切義解 一巻一冊

 應永の頃藤原長親の作れるもので伊勢神宮の林崎文庫藏勤思堂本(寫本)群書類從本等がある。。假名は天平勝寶年中に吉備真備が作ったものであると云って假名の起源を説き、又その沿革、假名の字源等について説いてゐるものであって、この方面の研究書として最古のものである。説く所極めて簡明で徳川時代に於ける假名の起源沿革の研究、音韻的研究に非常な影響を與へてゐる。

同文通考 四巻四冊

 正徳年中家宣将軍の命に依って新井白石の著したもので、後寶暦十年新井白蛾之を増訂し刊行した。新井白石全集所収。本書は支那及び日本の文字について極めて學究的態度を以って研究したもので第一卷は十五項に亘って漢字に關して記し、第二巻以下は神代文字より省字に至る二十五項に就いて我國に行はれた文字の研究をなして居る。文字の研究として斯く漢字・國字全般に渉って考究したものとしては嚆矢であるのみでなく、爾この斯種の研究の母胎となったもの、その中殊に神代文字・片假名・以呂波に關する所説は後世國語學界に影響する所多く或は平田篤胤の「古史本辭經」「神字日文傳」或は伴信友の「假字本末」等は直接間接にその影響を受け或はその説を大成したものである。

【參考】

東音譜 一巻一冊

 亨保四年新井白石著。新井白石全集所収。本書は「琴譜」に倣って又それに羅馬字法の知識をも加へて片假名を用ひて一種の綴字法を立案したものである。即ち五十音の各字音を支那の杭州・泉州・〓州・福州等の字音と對比し、又五十音には無い外國音の寫し方を立案してゐる。この白石の考案は前記支那各州の音によく通じてゐなかった事、又五十音のア・ヤ・ワ三行の文字の配列に錯誤があった事などによって結果には遺憾の點が多いが、その博學と卓見とには敬服するものである。(猶徳川時代に於いて自石の外に片假名を以って一種の綴字法を考案したしのに僧文雄がある−和字大觀抄參照)

【參考】

以呂波問辨 一巻一冊

 僧諦忍の著。寶暦十四年刊。伊呂波の作者・字義・字體等について問答體に記述したもので伊呂波四十七文字は天照大神が大己貴尊に授けられたもので弘法大師は只記憶に便して之をいろは歌につくり、唐の草書の法からその字體を定めたのみであると言ひ、神代文字の存在を説き、或は「ひふみよいむなや」等の神字四十七字の語義を解釋し、又五十音圖についてはこれは梵字から出來たものであると言ひ、梵字で伊呂波・五十音圖を書き、梵字は梵天の教ふる所。梵天は大毘廬遮那佛・天照大神も本地は大毘廬舎那佛であるが故に梵字と伊呂波とは符合するのであると説くが如き全く非學術的であり、凡て偏狭な日本尊重の思想と神佛混淆思想との産物に過ぎない。本書刊行後間もなく尾張の僧道樂庵金龍敬雄は「駁伊呂波問辨」を著してこれを反駁し、諦忍はこれに對して又「神國神字辨論」を以って神代文字の存在を主張した。後平田篤胤は神代文字の存在を極力主張したが諦忍所説の影響が大きい。

神字日文傳 本文二巻二冊附録一冊

 文政二年平田篤胤著。平田篤胤全集所収。本書は伴信友の「假字本末」の所説を反駁する爲に著したもので、漢字渡來以前に日本に文字のあつた事を證明し、又その文字(日文)を考證し解説したものであって、或は日文に於ける真體草體の別、或は朝鮮の諺文は日文から轉生したものである事等を述べて居る。附録には神代文字と言はれてゐるもので疑はしいもの三十餘種を掲げてゐる。この篤胤の神代文字存在説も「假字本末」出現以來學界はその非存在説に傾き、今日では非存在説を以て定説と見做すに至ったので、全く顧られなくなった。

【參考】

假字考 二巻

 岡田眞澄著。文政五年刊。本書は假名字體の源並にその變遷を述べたもので、凡例に據れば本朝書話、本朝墨帖論 假字類叢、假字類辨、違假名格等の五書から抜萃して初學の人の爲に編したものであると言ふ。この種の著述としては最も出色のものである。

五十音摘要 一巻一冊

 僧春登の著。文政十二年刊。本書は初學者の爲に五十音圖の事、國語の音韻と五十音圖との關係について略述したもので、先づ五十音圖を示して大體の説明をなし、次に五十音圖は悉曇を学んだ人の手に成ったものである事、又反切・延約・轉音・ムの音の事・手爾波の呼應等を図示してゐる。著者は音韻文字に造詣が深いので新説卓見に富んでゐると云ふものではないがその所説は首肯すべきものが多い。

五十音小説 一巻一冊

 天保の末頃橘守部著。橘守部全集所収。本書は五十音圖を基本として國語の組織を説いたものであるが、その説く所の五十音圖の成立・組織・伊呂波の字體等についての説は殆んど取るに足らぬものである。又活用についての説も本書より已に三十餘年も以前に出た「詞の八衢」に比して遥に劣るもので、語學書としての本質的價値は殆んど見るべきものなしと云ふべきである。只當時盛んであった音義派の所説を窺ふべきものとしては大に參考になるであらう。

古史本辭経 四巻四冊

 「五十音義訣」とも言ふ。平田篤胤著。嘉永三年刊行。平田篤胤全集所収。本書は五十音によって國語の起原を述べたものであるが。著者篤胤は餘りにも熱狂的な學者であり、皇國の尊嚴を啓示すると云ふ理想の爲めに学問をその奴隷にし牽彊附會の説を立てる事が多かった。從って本書の説く所もその喉音三行辨の條に於いて「字音假字用格」の喉音三行の説を訂正したり、古言學由來の條に於いて國語學史の概要を述べたるが如き、學説として間々見るべき説も存するが全體としてはなほ國語研究書として價値劣るものと言はねばならぬ。

假字本末 上下二巻附録一巻四冊

 伴信友著。嘉永三年刊行。伴信友全集所収。上巻二冊は草假名の研究で下巻は片假名。附録は神代文字の研究である。草假名の起原・沿革について漢字渡來以後我國では漢文で用を辨じてゐたが祝詞宣命等次第に漢文のみでは不都合を生じその音を借り或は訓を以て言葉を表はす様になり、扨その文字も楷書でのみ書くは煩雜なる故遂に草假名の發達を見たものと思はれる。而して弘法大師に至って初めて字體も一定して伊呂波四十七文字に整理されたのである由を述べてゐる。附録に伊呂波歌は弘法大師の作なる事、和讃・今様・巡禮歌の沿革を記して居る。下巻の片徴名の研究に於いては片假名は悉曇の音圖に準じて天平勝寶年中に吉備眞備が作ったものであらうと云って「倭片假名反切義解」の説を認めてゐる。次の附録一卷は「神字日文傳」を反駁して神代文字を否定したものである。本書は當時に於ける考證學の第一人者信友の代表的著作であり全體的に今日も猶十分尊敬に値するものである。殊に當時の熱狂的な自國尊重思想に災されずその考證的立場に於いて穏健確實な説を以って神代文字非存在説を主張した事は彼の卓見であって、この否定論に對して松浦道輔は「假名本末辨妄」を以って、篤胤は「古史本辭經」に於いて駁論を掲げてゐるが明治以後の學界は信友の否定説を定説としてゐるのを以て見ても彼の所説の如何は窺はれる。

【參考】

日本古代文字考 二巻二冊

 落合直澄著。明治二十一年出版。神代文字存在論は平田篤胤以來頗る多く、殊に國學著神道家はその思想的立場から多くこれに賛成してゐた。本書も亦その類で、神字日文傳を根據とし、これにその後の諸家の研究を參酌し、自家の説を加へて篤胤の説を増訂したものであって、神代文字存在説を集大成したものである。然るにその研究は學界を首肯せしめるに足らざるのみならす、爾後學界は新研究法によって五十音或は伊呂波の研究を進めて神代文字非存在説に逹した爲この存在論を継承する學者が後を斷った。

【參考】

漢字要覧 一冊

 國語調査委員會編。明治四十一年刊。本書は(一)漢字の創製及び構造(二)漢字の變遷及び字體(三)字音及び字訓(四)熟字(五)本邦假借字(六)本邦轉用字等の大體の事について中等教育の參考書として編纂したものであって、その編纂の主旨上、専門的な研究を主としたものではないが、今日我々が用ふる漢字の起源。沿革。組織。意味等全般について簡明に説いてゐるので初學者にとって重要な參考書と言ふべきである。

假名遣及假名字體沿革史料 一冊

 大失透著。明治四十二年刊、著者は國語調査委員會に於いて、假名の起源。沿革について研究したのであるが、本書も「假名源流考」と同じくその一部分であり「假名源流考」の後をうけて假名字體の沿革を究明せんとするのがその主目的である。即ち假名を用ひた古書中から時代の確實にして、代表的なもの五十種を選んでその一部分を影摸し、之を整理したものであって。一見して各時代に於ける假名の字體を如實に比較し得るもので、空前の名著と云ふべきである。斯る研究は已に新井自石や伴信友等によってやゝ着手されたが不十分な研究で本書とは比較にもならない。

【參考】

假名源流考 本文一冊本写眞一冊

 國語調査委員會(委員大矢透担当)の著。明治四十四年出版。現存最古の文献たる推古時代の遺文、伊豫道後温湯碑文、元興寺露盤銘、法隆寺金堂藥師光背銘、元興寺丈六光背銘、法隆寺金堂釋迦佛光背銘、天寿國曼茶羅繍帳銘、法隆寺三尊勝光背銘、宮記逸文、上宮太子系譜などに見える假名を研究整理して、これ等が周代の古音と一致してゐる事、即ち周代の古音が假名の基礎になってゐる事を考證したものであって、從來假名の源流を考究することが國語學上極めて重要な事であり乍らその研究の困難なりし爲か殆んど着手して居なかったものを著者が確實な資料と組織的な方法とに依って略これを完成した事は學界に貢献する所極めて大なるものもある。  

【參考】

音圖及手習詞歌考 一冊

 大矢透著。大正七年出版。本書は五十音圖及び手習詞歌(阿女都千詞・大爲爾歌及び伊呂波歌)についてその形質製作年代及び作者について研究したもので、五十音圖に於いては三十五種の五十音圖を蒐集し、之を悉曇と對比して三種に分ち、またその作者は吉備眞備であるとの説を排して平安朝初期に圓仁の流派に出でたものとしてゐる。又手習詞歌については「あめつち」の詞は奈良朝末から天暦の頃まで行はれたもので、伊呂波歌の源流とも見るべきものであり、「大爲爾」の歌はその二つの中間にあるものであると云ってゐる。而して作者は從來説くが如く空海ではなく、やゝ時代が降って天暦から永觀頃までに空也・千観の徒によってなされたものと論じてゐる。この伊呂波歌の作者については後高野辰之氏が之に對して空海説をたてたが、全體として本書は確實な資料に依って緻密に考證したものでこの種研究の基礎となるもの。その所論は學界の承認する所である。

【參考】

假名の研究 一冊

 大矢透著。大正十五年刊。著者は二十餘年に渉って假名の研究に没頭し、その成果は「假名源流考」「音圖及手習詞歌考」「韻鏡考」「周代古音考」等となって發表されたが、本書はこれ等諸研究の要點を摘記したのであって(一)假名には周代の古音と一致するものある事(二)延喜以前は國語構成音は四十八でア行のエ(衣)とヤ行のエ(延)は區別せられてゐた事(三)漢字音韻の研究に依って漢呉音ではサ行音たる「川」「止」が假名ではタ行音に用ゐられる事(四)伊呂波は空海の作でない事(五)反切は魏の孫炎に初まったものでない事などを述べてゐる。菊版四十頁餘の小冊子であるが、著者の假名に關する研究をこゝに體系づけたものと言ひ得る。

平安朝時代の草假名の研究 一冊

 尾上八郎著。大正十五年刊。先づ確實なる資料を蒐集してこれを研究し、更にこれ等を比較對照して書風の系統變遷の跡を考究し、最後に草假名と文學上との関係について論述してゐるものであって、草假名の學術史的研究に大貢献をなしてゐるのみでなく國語學・國文學或は國史學等の資料研究に大なる寄與をなしてゐる。猶同著者の「歌と草假名」大正十四年刊は平安朝時代の草假名について比較的平易に記したものである。

七 活用

御國詞活用抄 一巻一冊

「御國辭活用鏡」(帝國圖書館藏冩本二巻)「活用抄」(神宮文庫本「言語四種論」に併記)「活語活用抄」(冩本)「言語活用抄」(伴信友編鈴屋翁年譜)などと言ふ場合もある。本居宣長の著。天明の初頃の作と思はれる。東京帝大國語研究室藏寫本、帝國圖書館藏本、明治十九年刊小田清雄補正「増補訂正/御國詞活用抄」、本居宣長全集所収。本書は活用を二十七種に分け(帝國図書館本、廿八、雜)各種類に付いてそれに属する活用言を分類羅列して各條の初に雅言を以てし後に俗語を記してゐるが何等の誰明もない。活用の研究書としては「語意考」に比すれば數段優れてゐるが、猶甚だ不十分なものである。而して俗言(口語)の活用を掲げた事や、後の「詞の八衢」の源流になった事等は特に注意すべき事である。因に鈴木朗の「活語斷續譜」は本書を補訂して成ったものである。

活語斷續譜 一巻

 享和三年鈴木朖著。神宮文庫藏寫本(言語四種論と合冊)柳園叢書本(言語四種論と合刊)名古屋國文學會本(活版本)の三種がある。前二者は内容に相違があるがその引用書目などの點から神宮文庫藏本は稿本と思はれる。後者は柳園叢書本の翻刻である。本書は「御國詞活用抄」の分類に從って活用言を二十七會に分け、各會について代表的な活用言を擧げてその活用形並にその活用形の斷續を示し、續く可きものには續く語を記してゐる。しかしその活用形を見るに神宮文庫本と柳園叢書本とは相異り、後者は「詞の八衢」の説を引用してゐる。從ってこの柳園叢書本に依れば本書は「八衢」や「和語説略圖」を引用ししかも之に劣るものでその價値を特に認め難いのであるが、神宮文庫本に依れば却って「八衢」や「装圖」に影響を與へてゐる事になる。扨本書の活用形と斷續圖とは「脚結抄」の「装圖」の影響を受けてゐると認められるので、本書はこゝに「御國詞活用抄」「脚結抄」の説を「詞の八衢」に傳へたものとしての歴史的價値を存する。  

【參考】

言葉の八衢 二巻二冊

 文化三年本居春庭著。文化五年初刊本、同十三年刊本、文政元年、弘化三年、慶應二年、明治十七年等の諸刊本。本居宣長全集所収。「御國詞活用抄」「詞の玉緒」「活語斷續譜」等を基礎として廣く中古言によって言葉の活用とその係結とを研究したものであるが、四段、一段、中二段、下二段、變格等、活用の類別は本書の創唱になるもので今日もなほ大體襲用されてゐる。又活用形を六段に分つ事も本書を嚆矢とする。尤も下一段活用を逸し、ラ行變袴について明確な見解を有たなかった事は動詞研究の書としては不備な點である。その他形容詞及び助動詞の大部分は殆んど顧られなかったことも本書の缺點であるが、活用研究の基礎を確立した事にその劃期的價値を認めなばならない。即ち本書は古く平安朝末期から起った假名遣及び手爾波の研究に對して、新しく徳川の中期に至って漸く初まった活用の研究に學的独立を附與したものであり、爾後活用研究家を「八衢派」と稱して手爾波の呼應研究家を「玉緒派」と云へるに對立せしめたのも尤なことゝ思はれる。

【末書】

山口栞 三巻三冊

 文政の初東條義門著。天保四年削補、天保七年刊。文政元年の奥書ある二冊の傳寫本は草稿本である。「言葉の八衢」によって活用研究はその大綱は組織立てられたが部分的には不備な出が少くなかった。本書はその不備・誤謬を補訂したものである。即ち言語音聲の轉ずるのに凡そ三つの差別ある事、誤り易い活用、活用が時代によって變化してゐる事等に關する研究、五十音の各行についての活用研究、形状言(形容詞)の活用、轉聲等に就いての研究、漢文の訓についての研究などである。その中特に形状言の研究が最も出色あるもので、從來も「御國詞活用抄」「脚結抄」「活語斷續譜」「詞の八衢」等にその研究を見たが極めて幼稚不十分であったのを、本書はこれを究めて完全な活用形を見出したもので國語學史上特筆すべきものである。(この活用形を「友鏡」「和語説略圖」に於いて圖示して居る)

【參考】

詞の通路 三巻三冊

 本居春庭著。刊本は文政十一年日附本居太平序があって天保四年頃の刊と思はれる。本居宣長全集所収。上巻初めに詞の「つかひざま」を知る事は詞の意味を知る事よりも大事であると量ひ、次に「詞の自他の事」と題して詞の自他を六種に區別した。(一)おのつから然る、みつから然する(おどろく)(二)物を然する(おどろかす)(三)他に然する(つかはす)(四)他に然さする(えさする)(五)おのづから然せらるゝ(おどろかるゝ)(六)他に然せらるゝ(おどろかさるゝ)而してこの六種は活用の上からは三種になる。(一)同行の活用で自他の分れるもの(解く、解くる)(二)佐行に移りて自他の分れるもへ(驚く、驚かす)(三)羅行に移りて自他の分れるもの(厭ふ、厭はる)以上の如く説明して實例を列擧してゐる。中巻は「詞の兼用の事」及び「詞の延約の事」を説明してゐる。兼用とは「梓弓はるの山辺を越えくれば」に於いて「はる」は一語で張と春との二義を兼用したものであり、延約とは「きく−きかく」「にあり−なり」と云ふ類である。下巻は語句の係結及び詠歌の心得を述べて、最後に「言葉の八衢」の教授法を五ケ條に分けて説いてゐる。本書説く所の「詞の自他の事」「延約」「兼用」「詞てにはのかゝる所」或は「八衢」の教授法等その組織的にして精密な點、卓見に富める事等頗る注目に値するもので、就中「詞の自他の事」に於いては、當時は動詞と助動詞との區別が出來てゐなかった爲その所説に稍混雜してゐる所があるがとに角自他の區別を爲し、更に自動詞に天然に属するもの、人爲に属するもの、他動詞中にも「を」「に」の二つの目的を要するもの、或は使役・可能・受身の辨別を指示して居る等極めて組織立ったものと言ふべく、又八衢の教授法はヘルバルトの五段教授法に相通するもので、その獨創的考案は亦國語學史上の一驚異である。彼の「言葉の八衢」は活用の研究として劃期的なものであったが、本書も亦用言の自他に關する研究の源泉を爲すものであって春庭の國語学史上に於ける功績不朽を傳へるものである。

【末書】

活語指南 二巻二冊

 東條義門及び平井重民の著であり、寫本二種、版本二種がある。寫本(一)は文化八・九年頃の原稿で初め「言葉の道しるべ」と題し、文政元年添削して「活語指南」と題したもの、その(二)は「活語指南」、の添削出來た後平井重民が義門の講義を基として自ら「和語説略圖」について逐条講義したものを「略図考証」と題して義門に示した。然るにその内容「活語指南」に似て、しかも「活語指南」より優れた点があったので前の「活語指南」を棄てゝこの「略図考證」に義門自ら添削して之を「活語指南」と改題したもである、これ即ち版本「活語指南」の中書本である。版本(一)は天保十五年刊(二)は明治八年刊。里見義が頭註して「頭書校訂/活語指南」と題して居る。本書は「和語説略圖」の注解であってその目的とする所は研究と言ふよりむしろ啓蒙を主としてゐる。初に將然言以下活用形六段の術語の説明をなし、次に活用する語とせざる語につき、更に活用形の結びとなる語及び係りになる語を説き次に「和語説略圖」の順序に從って先づ「無く、無く、無し、無き、無けれ、無かれ」以下順を逐うて最後まで、一々例証を擧げて説明して居る。而して例証は主として八代集及び萬葉集の歌により間々、伊勢・宇津保・源氏等の物語、土佐日記、古今集序・沙石集・水鏡・閑古君等の如き散文からもとってゐる。本書は平井重民の手が加って居ると云ふ点で義門の著としては等閑に付せられ勝ちであるが事実は義門の講義が基礎であったばかりでなく、今日存して居る義門自筆の添削のある中書本を見ると添削によって如何に多く義門の手が加ってゐるかを知るものであって「和語説略圖」と共に亦義門のこの種の研究を代表するものといふべきである。因に明治の初め中等学校の教科書として採用されてゐた。

詞の緒環 二巻二冊

 林國雄著。天保九年刊。初め「詞の綾緒」と称し一巻であつたが後刊行の際に一巻加へて「詞の緒環」と改めたのである上巻即「詞の綾緒」の方は主として「言葉の玉緒」や「詞の八衢」の説を増補訂正したもので手爾波の係結・活用に關して述べ、下巻は詠歌についての語法、手爾波係結の記憶法を歌に依って示して居る。本書の所説を活用の點から見ればその「八衢」の説に據ったものを除いた自説は頗る杜撰なもので價値のとぼしいものである。然るに從來下一段活「蹴る」の活用を國雄の發見としてその功を称する向もあるが之に關する彼の説は不十分であるのみならす、已に「御詞活用抄」「活語斷續譜」等の一本にも不完全乍ら「蹴る」について記してゐるのを見受けるを以って一概に賛成し難い。併し乍ら本書所説中手爾遠波「の」の用法に關する説又係結の關係を歌にして法則を暗記するのに便ならしめた點などは隨分認められるべきものであらう。

活語雜話 三編三冊

 東條義門蕃。天保九年──天保十三年刊。なほ第四編も續いて著す心算らしかったがその功を見なかった。本書は著著が郷里に於いて或は京都・江戸その他諸國の學者達と會談した結果を集録したもので、主として活語に關する断片的研究である。併してその深い研究と穏當な見解とは高い學術的價値を有ってゐると同時に亦諸國の學者との會談を基にして成った本書は義門の傳記資料として、又當時の國語學界の状勢を示すものとして甚だ貴重なものである。

【參考】

活語餘論 三巻三冊

 天保の末年東條義門によって作られたもので。國語學に關する著者の隨筆である。初め「題知らず」と題してゐたが、後に至って活用に關するものが多いからと云ふので「活語餘論」と改めた。その内容は活用・假名遣・音韻・係結・語釋等諸方面に亘り、しかも何れも學術的価値の高いものである。これを以ても義門の學問の廣さが窺知しられる。

用語大成 一巻一冊

 嘉永四年八木立禮の著。明治四十三年刊(歌文珍書保存會本所收)。本文は活用と係結との關係を示した四箇の圖から成ってゐるが、その序文に依ると、從來詞の八衢の總圖、紐鏡友鏡玉襷かたばみ草などの圖があって活用と係結との關係を説いてゐるので便利ではあるが、互に一長一短があって完璧のものがないからこゝにこの圖を作って是等を集大成して一目瞭然たらしめようとするのだと述べてゐる。以ってその意圖する所が判るであらうがその研究の成果は「八衢」「友鏡」「和語説略圖」等に比して何等の進歩も見ないばかりか活用形に於いて命令形・將然形を屡々逸したり又活用を誤ってゐる點などは劣って居るものである。尤も本書が助動詞を動詞から分離した點はその所説に多少の不備缺點かあるにしても卓見として注意すべき事である。

片糸 一巻一冊

 中島廣足著。嘉永六年刊。本書は「ぬる」「つる」「にし」「てし」の用法を説いたものであって、初に先人の説を擧げて次に自家の説を記してゐる。即ち「ぬる」「つる」については宣長の「玉霰」、義門の「玉緒繰分」等の説を引いて前者は自然の語(自ら然る語)を受け後者は使然の語(求めて然する語)を受けるのが大體の法則であるが又互に通ずるものもあると云ふ義門や宣長の論を穏當であるとして、いづれかと言へば「ぬる」はやゝ重き方に「つる」はやゝ輕き方につくと思はれると云ってゐる。次に萬葉集・八代集等に就いて「ぬる」「つる」等が如何なる語に續き、如何に用ひられてゐるかを研究してゐる。猶「にし」「てし」の類の用法を説いて「ぬる」「つる」の用法に略同じきものなりと記してゐる。以上本書の説く所「玉霰」や「玉緒繰分」以上に出るものではないが、多くの例證を擧げて詳細に研究し是等先輩の説を裏書きして居る點は大に多とすべきである。

蘿蘰 二巻二冊

 安政四年堀秀成著。本書は廣蔭の「詞の玉橋」をやゝ委しくしたもので研究としては何等見るべきものがない。稀に「詞の玉橋」と異る説も有るが却って誤って居る、また「詞の玉橋」の缺點例へば動詞の活用に於いて命令形を逸して居るが如き大なる缺點も本書はそのまゝ継承して何等云ふ所がない。而して本書はかくの如くその所説を「詞の玉橋」に承け乍ら該書について何等記すところがないのは不思議である。

語彙別記 二巻一冊

 木村正辭外八人共著。明治四年刊(明治十八年翻刻出版)。本書は言葉の活用及び辭の運用を記したもので、明治四年文部省か木村正辭以下の諸氏に命じて編纂させた辭書「語彙」の「あ」の部と共に刊行したものである。詞の活用については作用言として八種、形状言として二種、合計十種を挙げ、次に作用言の活用圖を記してゐる。而してその活用は將然・連用・終止・連體・已然の五段となし、又形状言の活用は六段に分って、連用言・將然言・終止言・連體辭言・連體言・已然言となし更にこれ等の説明及言葉の自他を説いてゐる、以上は上巻に述べる所で、下巻には作用言・形状言の各段に接續する手爾遠波を説き、又作用言の八種について命令形の説明をしてゐる。以上所説を通覧するに、動詞に於いて下一段活を示さず又活用に命令形を除いたるが如き(尤も別に下巻末で説いては居るが)その他不備缺陥が決して少くなく文法書として甚だ不備で義門・廣蔭等の研究に劣るものである。  

【參考】

舒言三転例 一巻一冊

 鹿持雅澄著。明治二十六年刊。舒言(延言)は佐行・加行・波行に延びて働くが延びる行によって意味が違ふ。然るにこの事は古來何人も説いて居ないと云って「サ行の轉用」「ハ行の転用」(ヤ行、ラ行の転用も同じ)「カ行の轉用」について例を擧げて論じたものである。本書が斯く上代語に於いて動詞がカ・サ・ハ、の三行に延びて活用するに隨って意味を異にすると云って例證してゐる點は注意すべきである。併し總べての延言がこの三行に必ず轉用する如く考へたことやヤ行ラ行の轉用がハ行と同じであると云って説明を省略した事等は難點と云へる、猶舒言(延言)については已に春庭が「詞の通路」に於いて更に委しい研究をなしてゐたが雅澄は之を知らなかったものと見える。

用言変格例 一巻一冊

 鹿持雅澄著。明治二十六年刊。本書は動詞の諸活用を研究してその原形を求めたものである。即ち著者は四段活用を常格として他の活用の凡てを變格と云ひ、下二段・上二段等を初めその活用は大抵四段から轉生したもので四段活は諸活用の根本であらうと云ふ事を述べてゐる。已に雅澄以前に記紀萬葉の頃と平安朝以後とは用言の活用で異るものがある事を説いた學者があるが雅澄の如く比較研究の上にたって活用の本源を探ったものはなかった。この活用研究の根本問題を多少の不備はあるにせよ、兎に角最初に略正確に説いた卓見と功績とは國語學史上に永く遺るものであってその後現代諸磧學のこの種研究も結論は等しく四段活を根本としてゐる。

【參考】

八  辭書

篆隷万象名義 三十巻

僧空海著。本邦人の手になる現存辭書中最古のものである。現存最古本は奥書に「永久二年六月以敦文王之本書寫之了」とある。京都栂尾高山寺所藏本であって、他の傳本は皆之に據る。刊本は最近(大正十五年−昭和三年)高山寺本複製のものがある(崇文叢書所収)。本書は支那の古辭書玉篇を抜萃したもので文字の順序・數などは異ってゐるが大體玉篇のまゝである。玉篇は六朝及その以前或は我奈良朝前後の漢字研究に重要なものであるが今日その原形を見るを得ない(我京都高山寺・滋賀県石山寺にその一部あるのみ)。然るに本書は玉篇原本の面影を傳へ、且つ完全に傳って居る爲、現存玉篇の校訂増補に無二の資料である。尚本書は篆書の研究にも珍重すべきものである。

【參考】

倭名類聚抄(略名「和名抄」)十巻或は五巻、二十巻

 源順の著。本書は醍醐天皇の第四皇女勤子内親王の令旨を蒙って編したもので巻數によって十卷本(京本、山田本、福井本・大須本・或は尾張本、伊勢本、昌平本、曲直瀬本、等)五卷本(下總本或は天文本)二十卷本(伊勢廣本、温古堂本、元和三年古活字本、慶安整板本、寛文整板本等)がある。十卷本は本書の原形を傳へ、五巻本はその合冊本、二十卷本は後人の増補本。徳川時代には二十卷本が流布して居り、十卷本の刊行は明治十六年、の「箋註倭名類聚抄」(後問)が初めてゞある。猶近年下謹本は麦郵で、大須本は古典保存會がら元和本は古典全集に敬められt失々刊行された。本書は分類體の辭書で(一)天抽部(貝土、水土等六門に分つ)を初めとし(二十四)草木部(草籔竹類末類等八門に分っ)に至る二十四部百二十八門に分ち(十巻奉ー二籔る)漢字を出し音と訓とを註したものである。二十卷本は更に時令・樂典・湯薬・官職・國郡・殿舎の六部を塘す“本書は平安朝中期に成ったもので字義による分類體組織の辭書として本邦最古の且代表的のものであり、我邦及び支那の古い字音の研究、奈良朝平安朝の國語研究、更に平安朝文物百般の研究にも亦貴重な資料である。

【末書】

新撰字鏡 十二巻

 昌泰年間に昌住の著したもの。享和三年刊本、群書類從本、天治本等がある。安政三年天治本の完本を見る迄の享和本は章に天治本と字句の相違ある丈けでなく抄本である。天治本は大正五年大槻文彦博士によって複製され(尻に山田孝雄氏の「攷異」及索引あリ)又最近再版縮刷本が出來た。本書は大體漢字の偏傍の類に從って分類された字形引辭書の組織を用ひ漢字を百六十部に分けてゐる。所收の文字約二萬一千、空海の「篆隷萬象名義」に次いで古く出來た本書の字音字訓は本邦及支那古代の字音研究、我古語の研究、假名の字體研究などに必要缺く可からざるものであり、猶「小學篇」に(橘(波々曾)桙(阿豆佐)榊(佐加木)〓(伊太止利))等四百餘字の和製漢字が初めて集收せられてゐることも注意すべきことである。

類聚名義抄 十一巻

 三寶名義類聚抄、三寶字類抄、三寶字類、三寶字抄、三寶類字抄、三寶字類集などの別名がある。平安朝末期菅原是善の著と傳ふ。全巻を仏・法・僧の三寶に分けた爲にこの名がある。古寫本には観智院本(建長三年寫)西念寺本、蓮成院本、栂尾本などがあり観智院本は複製刊行されてゐる。大體玉篇に倣って偏旁によって漢字を二十部に類別し、多く片假名を以て音訓を註してゐる。本書は假名の字體研究に貴重すべきのみならす、その豊富な訓釋は平安朝の國語研究に重要視せられる所以である。  

【參考】

【末書】

伊呂波字類抄

 橘忠兼が天養から治承まで三十餘年を費して成ったもので、現に二卷本(前田家本、永藏八年寫四冊本)三卷本(前田家本・養和年間寫・中巻缺二巻本 黒川家本)十卷本が存する。二卷本は稿本とも云ふべく三卷本は著者が之に増補したもので最も重要なものである。十巻本は後人の増補にかゝり、從來学会に流布してゐた。又前田家蔵三巻本は近年複製され、+巻本は正宗敦夫氏が謄寫版に附し又古典全集にも収められてある。右の他に本書の前身と思はれる「世俗字類抄」が彰考館その他に所藏されてゐる。本書は國語を主とし漢字を従としたいろは引辭書である。即從來の分類體を併用し(一)天象(付歳時)より(二十一)名字に至る二十一部に分け實用の便宜の爲に更に伊呂波の部立をしたものである。この國語を主とした事伊呂波引である事は初めての試みであり。平安朝時代の國語研究に重要資料であると同時に後世の辞書編纂に大に影響した。

【參考】

字鏡集 七巻或ハ廿巻

 菅原爲長の著と傳へられ、七卷本奥書によって寛元頃の作と言はれる。現存本は七卷本(寛元本)の外に二十卷本(応永本)がある。本書は字形引辭書である。漢字を偏旁で分類し、更に偏旁を字義に依って(一)天象部から(十三)雜事部に分類し(寛永本による。応永本はやゝ異る)その音訓は總て片假名で註してゐる。本書は鎌倉時代の古辭書として同時代の國語研究に重要であり、漢字の偏旁を字義で分けた事は辭書編纂史上注意すべきである。又音訓の註が總べて假名である事は前出の類書等に比し日本化したものである。最近本書はその各異本を對照して出版されてゐる。

【末書】

平他字類抄三巻

 著者は未詳。鎌倉時代の作である。續群書類從に收められて刊行。本書は分類體を主とし伊呂波引を併用した漢和辭書である。伊呂波字類抄は語を伊呂波で分ち次にそれを意味によって分類してゐるが本書は先づ意味で分類しそれを平聲と他聲とに分ち更に伊呂波順にしてゐる。本書は鎌倉時代の辭書として國語研究上必要であると共にその組織は辭書編纂史上注意すべきものである。

下学集 二巻

 文安の初頃成れるもので元和三年刊行以後、寛永、明暦、寛文、元禄、貞享、正徳等の數版がある。分類體の漢和辭書で(一)天地門から(十八)疉字門に至る十八門に分け、附録に「點畫小異字」を擧げてゐる。室町時代の古辞書として「撮壌集」「類集文字抄」等と共に見る可きものであり、就中世に流布した點で最も注意すべきである。序文に本書は童蒙の爲に著したものであることが見える。本書は後世、眞草下學集(寛文六年刋)増補下學集(寛文九年刋)平假名註下學集(貞享五年刋)和漢新撰下學集(正徳四年刋)等の増補註解の諸本が出た。

類集文字抄 現存一巻

 室町時代の著作である。續群書類聚に収めて刊行されてゐる。「下學集」或は「撮壌集」等と同様分類體の辭書であるが、本書はその分類に於いて最も委しい。現存本はその下巻と思はれるものゝみで(一)珍宝并農類五穀部以下十六部に分ってゐる。

撮壌集 三巻

 享徳の頃飯尾永祥の作れるもので、分類體の辭書である。本質的價値は餘り高いと云へぬが、製作年代の比較的古い點で注意される。室町時代國語研究の資料として又その語彙は一般國史、風俗史、宗教史方面に貴重な資料を提供するものと思はれる。

節用集 巻数不定

 室町中期の作であるが著者も諸説あって一定しない。本書は異本が頗る多いが内容から大體伊勢本(本文の最初が「伊勢」の語で初まる)印度本(本文の最初が「印度」の語で初まる)乾本(本文の最初が「乾」の語で初まる)の三種に分ち得る。各本の所属を略示すれば次の如くである。 本書は伊呂波引と分類體とを併用した通俗漢和辭典である。漢字を訓の最初の字で伊呂波順にし更に(一)天地(二)時候の如く細分してゐるが、その部門の數、細分項目は各本によって違ふ。本書は倭玉篇下學集と共に通俗辭書として代表的なもので學問上には直接大影響は與へて居ないが、最近迄いろは引辭書と云へば節用集を意味する位世に行れた點は時に注意すべきである。從って前記の如く異本が極めて多い。その中易林本は廣く流布し、慶長十六年刊は「眞草二行節用集」はその後の諸本の模範となった。元禄十一年刊槙島昭武の「合類大節用集」は節用集として完備されたものであるが、以後の刊本は反って簡便な實用的なものが出る様になった。

【參考】

多識篇 二巻(別本五巻)二冊

 林道春の著。寛永七年古活字本、慶安二年再板本などがある。二巻本十五巻本とがあるが、大差はない。後に出た「改正増補多識篇」は内容もやゝ豊富になり組織も整理されてゐる。本書は分類體の漢和辭書で漢詩文を作る爲の辭書である。本草類には特に力を注いだらしいが、一般辭書としては特に注意すべき程のものではない。

和爾雅 八巻九冊

 貝原好古の著。元禄七年刊。支那の爾雅に準じて作ったもので、八卷を(一)天文から(二十四)言語まで二十四分類して單語を擧げその名義・性質を註してゐる。

増補合類大節用集 十巻十三冊

 和漢音釋書言字考節用集とも言ふ。元祿十一年槙島昭武の著である。明和三年に再版してゐる。節用集は語彙を伊呂波順に分ち、その各部門を天地・氣候等に分類してゐるが、本書は先づその意味により天地・氣候等に分ち、それを更に伊呂波順にしてゐる。節用集の増訂本が多い中にも「合類節用集」「新刊節用集大全」は見るべきものであるが本書は是等の後に出た増訂本として發達の頂點にあるものである。

【參考】

和歌八重垣 七巻

 有賀長伯著。元祿十三年刊。和歌を詠む人の參考の爲に著したものであって和歌稽古の初めより、五句の次第、會席の作法。禁制用捨、病の沙汰。題の詠み方、てにをはの事など記し、又歌によむ詞や故事などを集めていろは順に列べこれに解釋を施してゐる。

【參考】

和訓類林 七巻 附 和訓指掌略 写本一巻

 寶永二年、海北若沖著。本書は日本書紀をはじめ詩経文選の類に至るまで二十餘部の書中より普通に用ひられる漢字、諸物の名称等の漢字を集めてこれに和訓を附し、いろは順に配列したものである。附録の「和訓指掌略」は日本紀中の訓のみを摘出して之をいろは順に集めたものである。

東雅 二十巻

 享保二年新井白石著。明治三十六年大槻如電がこれを刊行した。新井白石全集にも所收、東雅は「日東の爾雅」の意であり特に國語の名詞について語源的研究をなしたものである。而して第一巻は総編であり語源研究の意見を述べ、第二巻以下を(一)天文附歳時以下(十五)虫豸迄十五門に分類してゐる。本書は著者不遇時代に物した故もあり誤謬不備も少くないがその研究の結果は「和句解」や「日本釋名」の常識的考察を脱して歴史的に考究して居る。この學問的方法を初めて實際に應用した本書は語源研究上に一時期を劃した名著として推賞すべきものである。

【參考】

物類称呼 五巻五冊

 「諸國方言物類稱呼」或は「諸國方言」とも言ふ。越谷吾山の著。安永四年刊。最近古典全集に所收。諸國の方言を蒐集し節用集に倣って、天・地・人、以下七部門に分けて配列してゐる。本書は方言研究の鼻祖であり、國語研究が殆んど雅語のみに限られた時代にこの研究に着手した努力の成果と識見とは注目に値する。

和訓栞 九十三巻八十二冊

 谷川士清著。十三卷迄は安永六年、二十八巻迄は文化二年、四十五巻迄は文政十三年、七十五巻迄は文久二年、九十三巻までは明治十六年に夫々刊行された、後明治三十一年に「増補語林和訓栞」三冊 同三十二年には「和訓栞」三冊がある。三十一年刊本には附録に撮壌集、林逸節用集、桑家漢語抄がある。本書所收の語は各品詞・古言・雅語・口語に亘りこれを五十音に配列してゐる。今日から見ればその五十音にせよその他缺陥少しとせぬが、廣く語彙を蒐集し語釋も亦穏健で從來の部分的な辭書に比して初めて辭書らしい體裁を備へたものと云ふ可く「雅言集覧」「俚言集覧」と共に徳川時代の國語辭書の白眉である。

雅言集覧 五十巻廿一冊

 石川雅望の著で(い−か)の部は文化九年(よ−な)の部は嘉永二年刊行。以下寫本。後明治二十年「増補雅言集覧」の刊行がある。本書は作家作文の參考書として主に平安朝時代の文學書から語を集めいろは順に配列して用例・出典を講しく記してゐる。一般辭書としては語釋の不十分、俗語の省略等缺點はあるが所謂雅言を豊富に集めた點では今日も猶これに及ぶものがない。

【末書】

拠字造語抄 二巻

 文政五年清水濱臣著。本書は詠歌の參考に供ぜんが爲めに作れるもので、漢字の造語(例へば鹿野苑、龍門、桑門の如き)を集めて、五十音順に列ねその中を更に天象・地儀・人倫等に分けて載せこれを批評し、一々についてその出所を挙げてゐる。出所は殆ど古歌に求めてゐる。

語林類葉 二十巻付録二巻

 清水濱臣著。國語辭書である。即ち多くの古書殊に物語に依つて中古語を蒐集し五十音に配列し、その中を又各音の音數の多少によって順序し、之に一々解釋を施し出典用例をも合せ示したものである。附録はその「補遺」である。

山彦冊子 三巻三冊

 難語考とも云ふ。橘守部の著にして天保二年刊。又橘守部全集所収。本書は著者が古典を註釋し講義し行く間に音釋に於いて新説として自信あるものを五十音順に配し問答體に書いたものであり「鐘の響」と共に古典解釋に於ける彼の識見を示すものである(「鐘の響」參照)。

鐘の響 三巻三冊

 橘守部の著。天保十年刊本。橘守部全集所收。本書は「山彦冊子」の續篇とも見るべきもので著者が古典の註釋に際し誤釋に於いて新説として自信ある所説を書集めたものであり、著者の註釋学の。精髄を示すもので卓見も少くない。(「山彦冊子」參照)

俚言集覧 二十六巻九冊

 村田了阿の著と云はる。明治三十二年版。「増補俚言集覧」三冊は井上頼圀・近藤瓶城二氏が増訂したものである。本書は主として口語を集めた辭書で「雅言集覧」に對して編纂されたものと思はれる。原本の語の配列は五韻横呼に隨ってゐるが、増補本は總て五十音順に改められ且語彙・解釋に於ても多く増補されてゐる 所謂「雅言」のみ研究せられた時代にかの「物類稱呼」と共に口語の二大研究書として、又その語彙の豊富なる點では物類稱呼を遙に凌ぎ今後の學界にも少からぬ貢獻をなすものである。

言海(ことばのうみ) 一冊(或は四冊)

 大槻文彦の著 明治八年二月起こ稿。十五年十月初稿了、十九年三月再訂了、二十四年四月刊行。昭和八年増訂本「大言海」出版。從來の辭書はその集むる所多く所謂雅語・漢語に限られて居たが本書は廣く梵語・朝鮮語・和蘭語等に至るまで一般に用ひるものは採録しこれを五十音順に配列した。語彙總數約六萬、その語彙の廣く豊富なことは勿論語釋に際して本源的なるものを先に轉用的なものを後に秩序よく簡明に示した點、その他凡て辭書として必要條件を略備へてその編纂組織整然として居る事等は國語辭書として殆んど前例の無いことで爾後國語辭書の模範となった所以で本書を歴史的に高く價値づける所以である。今日より見れば語釋その他に不備誤謬間々あれど明治から昭和の今日迄博く世に行はれ學界に印したその功績に比すれば微瑕である。猶本書の附録たる「語法指南」は廣日本文典の基礎となったものであり、文典として同書の高い價値はこゝに言ふ迄もない。

ことばの泉 一冊

 落合直文の著。明治三十一年刊。四十一年嗣子直幸「大増補日本大辭典ことばの泉補遺」一冊刊行。昭和五年芳賀矢一増補本「言泉」出版完成。本書所收の語彙は古代から現代に及びその種類は政治・宗教・哲學・醫学乃至自然科學に及び固有名詞も亦網羅してこれを五十音順に配してゐる。その語彙「ことばの泉」十二・三萬、「補遺」に於いて更に七萬餘、「言泉」では更に十萬餘語を増補してゐる。國語辞書と云ふものゝ百科辭典の観がありその特徴は語彙の豊富なるにあるが。その語釋の簡に過ぎるのは學術的價値の點から惜しむ可きである。

【參考】

諺語大辭典 一冊

 藤井乙男著。明治四十三年刊。諺の外に故事・俗伝・地口・謎・隠語・俳語・異名等三萬餘語を五十音順に配列して巻末に索引を附してゐる。その語彙の多い點で毛吹草、諺草、和漢古諺、俚言集覧等同類の書に此して優れてゐるが辭書としては語釋の簡單に過ぎる嫌がある。

大日本國語辭典 五冊

 上田萬年・松井簡治共著である。刊行は大正四年に初まり八年末完了。昭和二十四年修正版刊行。所收の語彙は固有名詞は除き一般日本語・學術語・外來語・東京附近の方言・熟語・俚諺・格言等二十餘萬、その編纂組織は略「言海」と同じである。しかしその「出典」及び「圖解」を加へたことは「言海」の缺を補ふもので、その「語源」の缺けたるは辭書として一大缺點であるが、本書の價値はその組織の點でなくて語彙の豊富なると解釋の詳細な點とにある。その語彙は奈良平安朝期のものは殆んど網羅して餘さない。只鎌倉期以後のものが間々漏れてゐることは「語源」の除かれたる事と共に現在國語辭典の最高權威たる本書として惜しむべき缺点であり將來の辭典編纂者に遺された問題である。

九  文典

言語四種論 一巻一冊

 鈴木朖著 神宮文庫蔵寫本(活語斷續譜と合冊)文政七年刊本、昭和五年活版翻刻本、柳園叢書本(活語斷續譜と所收)等の講本がある各々少異がある。神宮文庫本は稿本の寫伝と思はれ、文政本は定本として最も信ずべきものと思はる。本書は國語が四種の品詞に區別せられる事を論述したもので、五章に亘ってこれを記して居る。即ち第一章は言語に(1)體の詞、(2)形状の詞、(3)作用の詞、(4)てにをはの四種の別ある事、第二章は體の詞について、第三章は形状の詞、作用の詞について、第四章はてにをはの事、第五章は「言語の根源、又四種の言語の相生する次第」と題して、言語の最初にあらはれたのは手爾遠波で、これを以って萬物の名をつけたのが體の詞、手爾遠波及び體の詞を結合したものが形状の詞と作用の詞とであると云つて居る。本書以前に品詞の分類を試みたものに富士谷成章がある。成章の「名」は本書の「體の詞」であり。「装」は「作用及び形状の飼」「挿頭」及「脚結」は「手爾遠波」に當るものである。本書は明に成章の影響を受け成章とは異った分類法を立てたもので部分的には優れた點もある。而して當時の所謂手爾遠波が一品詞として取扱ひ得ないものなることに着眼し得なかった爲に本書はその所説に破綻を來してゐる。後義門は本書の影響を多分に受け乍らも所謂手爾遠波なる項目を立てすにこれを体言と用言とに分属されてゐる。

【参考】

詞の玉橋 二巻二冊(或は一冊)

 文政九年富樫廣蔭著。弘化三年改正、明治廿四年刊。主として活用係結の事を研究してゐる。初に活用の事については「詞の八衢」によく説いてゐるが 説く所 義理深幽且つ詞辭簡約なる爲 初學者には難解と思はれる故 今 自分は「八衢」や「玉緒」の説に依って、自分の創見をも加へて解り易く説くと云ってゐる。本文では國語は「言」「詞」「辭」の三種に分類すべきであると言って三大綱を立てその各を更に数種に分けてゐる。(一)言とは世間のあらゆる物事を云ひ分つ音でその語尾は活用しない。所謂體言と稱するものである。これに形言・様言の二種あり 詳しくは五種に分たれる。(1)形言(物の形を指分つ語)(2)様言(物の樣を指分つ語)(3)居言(詞の韻を言ひ居ゑたもの)(4)略言(詞の韻を略したもの)(5)合言等である。(二)詞とは萬物の有様働きを言ふ語で世に用言と言はれるものである。六種に細分される。(一)四韻詞(四段活)(2)一韻詞(一段活)(3)伊紆韻詞(中二段活)(4)衣紆韻詞(中二段活)(5)変格詞(加・佐・奈・良行の変格)(6)雑音詞(久活 志久活)(三)辞とは物事について思ふ意象を顕し尽すもので、(1)動辭(現在の助動詞)と(2)靜辭(現今云ふ手爾波)とがあると云って一々説明し、又一般に文法上誤り易い點について記して居る。この品詞の区別は本書中最も見る可きもので、殊にはその「辭」の一類を立てゝこれを動・静二辞に分けたことである。本書以前に成章・朖・義門等夫々品詞の分類を試みたが本書はそれ等に比し格段の進歩である。この品詞を三大分類した事はその細部に於いては缺陥あるにせよ とに角勝れたもので明治大正の學界にこの説を奉するらのが少くない。

【末書】

【参考】

語學新書 二巻二冊

 鶴峯戊申著。天保二年自序刊本。刊本に二冊本及び一冊本があり序跋に少異があるが、一冊本は合本であってその際序跋に附加したものと思はれる。序説によれば「詞の品定」と題する廿巻の書中から抜萃したらしい。本書は和蘭文典の組織に則って國文典を編んだ(で)もので、國語を九品九格に分け九品は更に數等乃至十數等に細分してこれを説明し              ヰコトバ    ツキコトバ    カヘコトバ    ツヾキコトバ   ハタラキコトバ   サマコトバ    ツヅケコトバ てゐる。所謂九品とは (1)実体言 (2)虚體言 (3)代名言 (4)連體言 (5)活用言 (6)形容言 (7)接続言   サシコトバ        ナゲキコトバ (8)指示言 (9)感動言であり、九格とは (1)能言格 (2)所生格 (3)所與格 (4)所役格 (5)所奪格 (6)呼召格 (7)現在格 (8)過去格 (9)未來格である。本書以前に出た和蘭文典には「蘭學階梯」(天明八年 大槻盤水著)「蘭學凡」(文化十三年 大槻盤里著)「六格前篇」(文化十一年刋 羽粟洋斎著)「訂正蘭語九品集」(文化十一年刋 馬場轂里蕃)「和蘭語法解」(文化十二年刋 藤林泰介著)等があり、本書は是等文典の影響に依って述作されたものであって和蘭文典の組織による國文典として最初のものである點にその歴史的價値を認める。然し乍ら和蘭文典をそのまゝ國語に適用した為に欠点矛盾も多く世に行はれなかった。後「詞の錦」などと改題して刊行して居る。

【參考】

和語説略圖 一鋪

 東條義門著。天保四年刊。天保十三年追加刊。増補本は「壬寅補正和語説略圖」と表現す。爾後刊行の「和語説略圖」の内容はこの増補本である。詞の活用と手爾遠波の呼應とを圖示したもので、文政六年刊の「友鏡」を整理したものである。天保四年の刊本は活用形を將然言・連用言・截斷言・連體言・已然言・希求言の六段に分って それ等活用言に係る手爾波を記し、次に、活用の種類を十數種に分け示し、更にこれを「八衢」及び「友鏡」と對照し得る様にしてあって、最後に、「無し、正し、將む、有り」の四つについて特にやゝ異った圖を記して居る。扨、増補本は右の他に「和語説略圖」と云ふ題號の説明をし、又五十音圖を記して四段・下二段・中二段・一段等の語の意味や活用の形を説明して居る。本圖はこの種の著述中この簡明なる點、確實なる點に於て明治初年に至る迄最も優れたるもので義門の活用及び呼応に關する研究は総べて本圖に至る課程であり、本圖所説の裏付けである。「言葉の八衢」や「てにをは紐鏡」の説で本圖に至って隨分補はれ或はその誤謬の正されたものが少くない。しかし又本圖にも猶不備缺點が取殘されて居る。例へば動詞・形容詞・助動詞を區別せずに形容詞・助動詞で動詞と活用の異れるものにも何等の名稱も附して居ないのは「八衢」の不備を踏襲したものであり。又下一段活用を逸した事、「無し、無き」の活用と「無かれ」の活用、「正し」と「正しかれ」の活用の相異を認め乍ら活用圖の上では同一行に置いた事等はその例である。

【末書】

言霊のしるベ 二巻三冊(未完)

 黒澤翁満著。上巻天保四年成稿。嘉永五年刊。中巻安政三年成稿。同年刊、上編一冊、中編二冊から成ってゐる、上編には活用及び呼應の法を、中編には初め活用・係結・假名遣について記し、後に四百余の手爾遠波を五十音順に掲げてその語意・用法を説いてゐる。その活用に於いて從來中二段活と稱してゐたものを上二段活と改めた事 又加行及び佐行變格活を三段活と云ひ 奈良二行の變格活を四段活に収めた事、假名遣に簡便なる類推記憶法を用ひて説いたのは本書か最初である事などは注意すべき點である。因に下編は五十音について述べる予定であった由であるが刊行を見ないで了った。

詞のちかみち 三巻

 鈴木重胤著。弘化二年刊。「語學捷煙」とも「詞の捷径」とも題したのがある。本書は國語の性質・用法等國語の諸方面に渉って廣蔭・魚彦・宣長等舊來の諸研究を參考し要約した一種の文典である。即ち載する研、音韻・體言・用言・自他活語・運用活字(助動詞)禁止辞・助辞・てにをはのとゝのへ・假名用格・字音假字・雅言・發語等である。

日本文典初歩 (An Elementary Grammar of the Japanese language.)

 馬場辰猪著。西暦一八七三年(明治六)倫敦で出版。著者英國に在留中國語問題につき我同胞間に行はれる謬見を慨して英文を以て本書を著し、一方には國語の概念を外人に與へ、他方には邦人の國語に對する謬見を指斥せむことを努めた。當時森有禮が「日本の教育」(Education in Japan)の序に、我國語は支那語の助を借らねば思想交換の目的を達することが出來ない、これは實に国語の缺点の多いのを示すといへるを駁し、「ジョン・ロック」John Locke の國語の目的に關する三條件を引いて、我國語の優秀な所以を論じ、二個の國語の優劣を判するのには種々の方面に亘って綿密な研究を要することを説き、法律上の用語は我國語では示されないといふ説に對し「オースチン」Austin 「ウェーランド」Wayland の説を引用し、或は「ホイツネー」Whitney の手紙を擧げて、森氏が諸國語に英語を採用するといふ意見に対しその不可な所以を痛論し、日本語で普通教育を完成するに毫も不可無しと痛破してゐる。当時國學者がなほ因循で毫も覚醒しない時に方ってこの政治家に依って斯る意見の發表を見、且一部の口語文典を著されたのは實に感歎に堪へ無い。「大日本書史」にも英文で記述した最良著であると評してゐるのは尤である。本書は西暦一九〇四年(明治三十七)の第三版に於て浮田和民、「ヂオシー」Diosy二氏の手で大に増補された。本書の内容は簡易を旨としたれど全篇を聲音・品詞・文章の三部に分ち、殊に文章論には文の組織に關する十八条の規則を掲げ、最後に數多の練習問題を載せてゐる。明治時代の國語學史上注意すべき著述である。

【參考】

小学日本文典 三巻二冊

 田中義廉著。明治七年刊「語學新書」は和蘭文典に據ったものであったが、本書は英文典の規矩に從って初等教育に資する爲に専ら尋常普通の語について説いたもので、明治に至って出來た洋式文典の最初である。本文を字學・詞學及び文章學に分け、字學編では、五十音圖・濁音・半濁音・拗音・或は假名用格及法音便について記るし、詞学編では品詞を(1)名詞(2)形容詞(3)代名詞(4)動詞(5)副詞(6)接續詞(7)感詞の七つに分け、初に定義を下し。次に性質・用法・種類等項を分けて秩序整然と説いてゐる。この點は西洋文典に倣った長所であって「語學新書」にも見える所であるが更に整って居る。今日の文法書でもこれを踏襲して居る點が多い。然し乍ら他面名詞に格を置き、動詞に時を説き又手爾波助動詞を獨立させなかった如き西洋文典模做の缺陥を見逃す訳には行かない。

【參考】

語学指南 四巻四冊

 明治八年佐藤誠實著。明治十二年刊。明治維新以後西欧文明の謡歌移入と共に國文典も亦西洋文典模倣のものが多く出た。是等は一面整然たる組織を有つと共に細部では缺點が少くなかった。この潮流に対し一方舊來の文典に流を汲む反洋式文典の出現を見たのであるが。本書も「玉緒」「八衢」流の反洋式文典の代表的なるものであって「八衢」「通路」「山口栞」等の説を基本として初學者の爲に國語法の一般を説いてゐる。本書では國語を體言・用言・形状言・助詞の四種に分ち、更に用言及形状言を活用によって夫々三種に分けてこれを説明し、次に將然・連用・終止・連體・已然の五段、用言の自他・命令言・雅言・俗言の別(以上巻一)五十音各行の活用(以上二・三巻)形状言の活用、助詞の概要、活用助詞の圖示、或は延言・約言その他について説明し、次に俗語について述べ合ぜて活用圖を示して居る。而して上記各品詞を説くに當つては古文献約百四十部から用評例を蒐集し又その用語を時代的に四期に分けてゐる等周到な注意を拂つてゐる。本書は一面には、助動詞と助辞とを一括して「助詞」と云ふ一品詞にしてしまった事、用言の活用で下一段活用を逸した事、活用形に命令形を加へなかった事、その他不備はあるが全體として首尾一貫し、その用語例の豊富な事殊に俗言の活用を説く等見るべき點が多い。(因に口語研究書としては本書と前後して里見義の「雅俗文法便覧」があるがその研究成功の前後は孰れとも遽に定め難い。)

【參考】

語學自在 二巻二冊

 明治十八年權田直助著。明治廿七年刊(續史籍集覧所収)「玉緒」「八衢」以下の諸書を精密に比較研究した結果を以つて、文法を獨學せんとする者の爲に懇切丁寧にこれを説明したものである。先づ眞淵の「語意考」は語法に關する書として最初に出たものであると云って以下「装抄」「挿頭抄」その他について文法研究史の概要を述べて次に體言・用言・助辭の大綱を記し、又「詞の轉用」「詞と辭との辨別」「係り結び」「五十連音並六種の活の圖」その他にっいて論じてゐる。而して下卷には專ら「語格」について説いてゐる。今それ等の所説を見るに特に卓見と云ふべきものはないが穏健にして確實な點はこの時代の著として優れてゐると言はねばならぬ。

詞の組立 二卷二冊

 「言語構造式註解」とも云ふ。谷千生者。明治十二年刊。本書は明治十七年刊の自著「言語構造式」折本一冊を註解したものである。先づ聲音・稱呼・言語の三つに大別して居る。聲音とは五十音の事で稱呼とは今日の單語法であり、言語とは文章法である。著者はこれを譬へて聲音とは元素の如く、称呼とは元素の集り成す天然物の如く而して言語は天然物に加工した構造品の如きものであると云って次にこれを説いてゐる。五十音は皆人の知る所であるからと云ってこれを除き先づ稱呼を體言と用言とに分け、體言を又 (一)物名言 (二)形容言 (三)助体言としこれを更に細分しく居る。用言は、(一)作用言 (二)形状言 (三)助用言に三分し、又活用・語意等によって細別して説明してゐる。言語はこれを備言・整言。化言の三つに大別して記してゐる。是等の説を通覧するにその分類の煩瑣な事と殊更に聞馴れない名称を使用した事は所説中に見える誤謬と共に欠點である。然し單語法と文章法とをたて、その形態・効用或は組織等について整然と説述して居る點は專ら活用とてにをはとのみを説いて居た當時の語學書中にあって殊に優れて居る點で、下卷に於ける係結法の起原についての所説と共に注目すべきものである。  

【參考】

廣日本文典 一冊(付「廣日本文典別記」一冊)

 明治十五年大槻文彦著。明治卅年刊。本書は中古文の文法を記したもので、総論に言語・文字・文章・文典・國語等について定義を下し、次に本文を文字篇・單語篇・文章篇に大別して文字篇では假名及び漢字について、單語篇では八品詞(名詞・動詞・形容詞・助動詞・副詞・接続詞・て爾乎波・感動詞)について述べ、文章篇では主語・述語・客語・修飾語・主部・客部・説名部・連構文・挿入文・倒置法・言掛・秀句・結法・呼応・略句・文脈語脉の解剖・文中の符號・欠字と章を分けて説明してゐる。「廣日本文典別記」は本書の所設を註釋し考證したもので必ず共に併せ見るべきものである。抑々安政の開國以後急に諸外國との交渉開けたるにつけて國文典にも外國のそれを模して作られた洋式文典が多く出た。又この潮流に抗して徳川時代以來の固有の研究法に成る反洋式文典も出たが、孰れも一長一短あつて十分なものと言へなった。本書はこの間に出でゝ、組織その他に於いて両者の長を巧に採用し折衷して中古文の文法を學術的に組織だてたもので今日から見れば多少不備欠点はあるがその述べる所多く學界の通説として用ひられるものであり。この種著作として完璧(壁)に近いものである。而して本書所説の依據を記した「別記」は著者の蘊蓄を傾けたもので亦學術的價値の甚だ高いものである。

【參考】

日本文法 一巻一冊

 草野清民著 明治三十四年刊。本書は著者の歿後その遺稿を整理して刊行したものである。内容を三編に分けて。先づ第一前篇では音声及び文字の論、第二詞篇では名詞・指詞・數詞・形容詞・動詞・助動詞・て爾遠波等の品詞について。第三文章篇では詞句相互の關係及び文章について夫々項目を立てゝ記してゐる。なほ附録として「國語の特有せる評法−總主」、「言語の發達」の二つの論説を添へてゐる。前記の如く本書は未定稿であって聲音論・動詞・助動詞の部の如き未完成のもの。副詞・接詞・感詞の如き全く起稿を見ないものさへあるが、文章篇は脱稿したものであって見る可き説が多い。即ち「総主」に關する説、副詞の用法、形容詞の活用、不完全動詞の説、或は附録に於いて動詞の諸活用の原型を求めて四段活と二段活とに大別したかが如き、いづれも國語學史上大に注意を要すべき卓見に富んだ所論である。

口語法調査報告書 二冊

 國語調査委員會編(他し同會調査事務囑託 亀田次郎・神田城太郎・楓原叔碓担當)明治卅九年刊行。本書は「音韻調査報告書」等と同じく。標準語制定の參考に供せんが爲に明治三十六年國語調査委員會から各府縣に向けて方言に關する調査事項を依頼し、その報告を三十八ケ條の調査項目に従って整理したものであり、その大規模で詳細な調査は今日に於ける方言研究の最上の資料と言ふべきである。然し惜しい事には各府懸に於ける調査報告者は多人數であり、その総てが必ずしもその道の専門家でなかった爲、その報告も精粗區々であった鳥にその結果を直ちに採用し難い憾がある。この事は「音韻調査報告書」に於いても同様避け難いことであると同時に遺憾な點である。猶本書の首には「國語法分布聞に関する注意及び分布目録」があり。巻末には「國語法調査報告書附記」が添へてある。

【參考】

口語法分布圖 圖版三十七枚

 國語調査委員会編(但し同會補助委員 岡田正美・保科孝一・新村出・調査事務嘱託 亀田次郎擔當)明治四十年刊。本圖は「口語法調査報告書」の附圖である。即ち調査會の依煩に基いて報告して來た各府縣の報告を整理して方言の分布を六極三十七枚の圖に表はしたものである。(一)未來の言ひ表し方分布圖(4)、(二)打消の云ひ方(8)、(三)命令の言ひ方(5)。(四)條件の言ひ方(1)、(五)指定の云ひ方(2)、(六)活用の形(17)、が是である。猶、「口語法調査報告書」中に本圖作製の方針及び本圖の概観が記されてゐる。本圖は「口語法調査報告書」を基としたものであるが、該書はその報告の方法に不備のあるものであるから從って本圖も完璧(壁)のものとは言へない。然し方言分布の大綱を示すものとしての價値を損するものではなく、その研究の詳細な點今日ではその右に出るものがない。

【參考】

新式日本文典原理 二巻一冊

 「論理的日本文典」とも云ふ。岡澤鉦次郎著。明治四十年刊。國語の討究を始めるには先づ文法研究の原則を知らなばならないと云って、これについて二個の原則と一個の補充原則とを立てゝ、次に所謂文典原理なるものを三篇に分けて記してゐる。則ち二個の原則とは第一「言語ニアラハサルベキ思想ハ、或ル覊絆ノ下ニ立ツ一種ノ特性ヲ有スルモノナルガ故ニ文典原理研究ノ對象タル思想ハ、其ノ特性ヲ有スル思想ナルベクシテ、其ノ特性ヲ成ス覊絆ヨリ自由ナル思想ナルベカラザル事」第二「其ノ對象タル思想ハ、根據ヲ其ノ特性ヲ支配スル思想表白法ノ形式ヲ符徴的ニ保有スル言語ニ取ツテ、歸納的ニ求メ出サルベクシテ、標準ヲ其ノ對象ヲ自由ナル思想ニ取ツテ分析推究スルヲ常トスル通常ノ心理學的智識ニ求メテ、演繹的ニ言語ノ符徴ヲ進退セシムベカラザルコト」補充原則とは「或ル民族ノ思考状態及ビ其ノ國語ノ形式上ノ変遷ノ研究ト數多ノ民族ニ亙リテノ思想表白法ノ形式的範疇ノ比較研究ヲ必要トス」と云ふのであって、これに據って文典の根本原理或は語性論の全般に関する原理等の項の下にその所論を述べてゐるのであるが、その組織内容も從前の文法書と全く異り、國文法研究に新らしい一面を拓いたものと言へる。併しその餘りに理論に傾き過ぎた點は事實に即して爲さるべき文法研究として遺憾であり首肯し難い點が少くない。

日本文法論 一冊

 山田孝雄著。明治四十一年刊。徳川時代以來多くの文法學者に依って文法に關する書は數限り無い程であるがそれ等は殆んど全部實用的文典とも云ふべく日本文法の組織に關する基礎的な論理的研究は未だ現れなかった。本書はこの前人未開拓の重要問題に対して徹底的な究明を爲したるものである。先づ國語學の分科、文法學の内容、國語の性質等を記し日本文法論の研究方法及び記述の順序を述べてゐる。つぎに本論を分って二部とし「語論」「句論」としてゐる。語論に於いては品詞の分類法について前人の所説方法を仔細に檢討し名詞・動詞・形容詞・手爾波等各品詞の本質を究め著者の品詞分類法を示してゐる。
    關係語………        て爾乎波の類
単語  観念語 副用語…………………副詞の類
        自用語語…観念語……体言の類
             陳述語……用言の類
 右の分類に從って体言・用言・副詞・助詞・接辞等についてその性質効用を研究し、又語の連用、語の轉用、語の位格、語の用法の研究をして居る。扨、「句論」の方では句論と他の學科との區域、句論と語論との限界、句論の研究の基礎等を論じて句を分るには喚體句と述體句とにすべきであると云って更に句の性質・組織・連用等と項目に従って精密に研究して居る。その理論の正確、用意の周到はその嚴正な學術的態度と共に敬服されるもので多少の缺點はとに角全體として今後の日本文法研究の基礎たるべきものである。   【附記】「日本文法講義」一冊 山田孝雄著。大正十一年刊(同十三年訂正版)本書は「奈良朝文法史」「平安朝文法史」等と共に「日本文法論」の體系によって生れたものであって、現代の文語及び口語の文法を記した實用的文典である。從來の大槻博士の廣日本文典に據る諸文典とは組織・用語も異り難解の様であるがその所説は信頼するに足るものであリ。敬語法や音便の醗究は従來のものより遥に進歩して居る。

高等日本文法 一冊

 三矢重松著。明治四十一年刊。大正十五年増訂版刊行。本書は大體「廣日本文典」に依って論述されたものである。總論には文法の性質・目的・種類等について(一)文法付音韻文字篇には假字漢字について(二)詞辭篇には詞辭を獨立詞(名詞・代名詞・副詞・感動詞・按續詞−以上體言・動詞・形容詞・副詞・接續詞−以上用言)と附属辭(助用言及び助體言即助動詞並てにをはの事)とに分けてこれを詳細に説き(三)文章篇には文の解剖、成分とその用法・種類等につき述べてゐる。その説く所例へば接續詞・副詞を體言及び用言の兩方に分属せしめた事等多少の缺點はあるにせよ「廣日本文典」の舊説を改めた點、その他に新説卓見に富み、その説明も懇切である等見る可きものである。

日本文法新論 一冊

 金澤庄三郎著。大正元年刊。本書は國語を朝鮮語・アイヌ語・琉球語と比較して國文法を説いたもので、初めにその比較する所以を述べて、次に文字論・聲音論・文章論と大別して順次説いてゐる。この國語を外國語と比較して説いたものは本邦人としては新井白石がある。しかしそれは極めて部分的のものに過ぎないもので全般的の研究を遂げたものは本書か初めてゞある。その點に於いて國語學史上注意す可きものである。(因に外國人の比較研究には巳に明治初年に Losny. Aston. Edkins. Lowell. Chamberlain. 等がある。

【參考】

奈良朝文法史 一冊

 山田孝雄著。大正二年刊。序論には歴史的日本文典編纂には記録に表れた語法の變遷を精査せねばならぬと云ひ、次に文法変遷の跡を奈良朝以前より江戸期に至る迄六期に分ち更に各時代の文法資料文法変遷をも略述してゐる。又單語の變遷にも用言・助詞の如く著しいもの、體言・副詞の如く著しからざるものがあると云って本論では奈良朝文法(藤原朝も含む)の研究資料を檢討し限定して、次に語論と句論及び東歌にあらはれた特殊な語法について章段を分け多數の用例を擧げて歸納的に研究してゐる。因にこの時代には文語・口語の區別はなかったと思はれるからその区別をたてないと云ってゐる。本書が日本文法史の起點となるものであり、國語系統の研究に貴重な資料を提供するものである等その價値はこゝに云ふ迄もない。猶「平安朝文法史」の巻末に本書の補遺が載ってゐる、併せ見るべきである。

平安朝文法史 一冊

 山田孝雄著。大正二年刊。本書は奈良朝文法史と共に一書をなすものである、扨総説に於いては平安朝文法は今日の文章語の規範となって居るが仔細に観ずれば異る點が多々ある事、平安朝には音便が生じ文語と話語との間に差異が出來た事等を述べて、研究資料として(一)和歌(二)物語草子(三)記録文書を擧げて和歌は文語の標準的なもの、物語類は話語も入り内容が多方面であるがら資料として最も大切なものである。文書類は餘りよき資料となし難いと云ってゐる。次に平安朝時代の文法と萬葉集時代の文法との重要な相遺點について詳細に記し又音便の發生に注意を向けてゐる。各論に於いては、例に依って「語論」と「句論」とに分けて詐多の例證を以って精細に論じてゐる。附録に「平安朝語と現代語との文法比較一覧」及び「奈良朝文法史補遺」を添へてゐる。一般に文法と云へば平安朝文法を意味する程この時代の文法については徳川時代以來研究を重ねられてゐるが。本書の如く歴史的に奈良朝文法と比較しつゝ確實な資料によって歸納的研究を遂げたものは未だこれを見ない。

平家物語の語法 (「國語史料鎌倉時代之部平家物語につきての研究」後篇)二冊

 國語調査委員會著(同會補助委員山田孝雄擔當)大正二年刊。前編の「平家物語考」に於いて七十餘種の平家物語異本を具さに研究し延慶本平家物語が最も古い形を有して居る事を考證してその上に立って後篇なる本書では、(一)延慶本を用ふる理由、その異體字、用例の異様なる文字について、(二)假名遣と發音との大要(三)名詞(四)代名詞(五)數詞(六)形容詞(七)動詞(八)助動詞(九)副詞(十)接續詞(十一)感動詞(十二)助詞(十三)音便(十四)語の位格(十五)句の結成(十六)句の用法の順序で論述して次にこれを概括して居る。その周到なる基礎研究の上に立って成された本書の國語史研究上の價値は云ふ迄もない。

口語法及口語法別記 二冊

 國語調査委員會編(但し同會委員大槻文彦起草し上田万年・芳賀矢一・藤岡勝二・大矢透・保科孝一等整理)大正五−六年刊行。口語の標準を明治末年頃、東京に於ける知識階級の間に用ひられてゐたものを採り、地方に行はれてゐる方言中比較的廣く用ひられてゐるものを考慮して組織したものであって品詞を(一)名詞(二)代名詞(三)數詞(四」動詞(五)形容詞(六)助動詞(七)副詞(八)接續詞(九)助詞(十)感動詞の十項に分ち、これを更に細別して精しく説いてゐる。「別記」は「口語法」の所説を資料を擧げて歴史的に詳しく考證し解説したもので、「口語法」と共にその確實にして整然たる所説は今日に於ける類書中第一のものである。因に「口語法」の草稿は「音」「語」「文」の三部から成ってゐたものであるが、本書「口語法」はその中「語」の部に當るものゝみが刊行されたのである。

敬語法の研究 一冊

 山田孝雄著。大正十三年刊。國語の一大特徴たる敬語を或は口語、或は候文・普通文等について研究したものである。即ち敬語の意義、敬語法研究の必要、敬語法の大綱を記し、次に單語に於ける敬語、連語に於ける敬語、句の組織に於ける敬語等について詳しく述べ、結論としては口語・候文・普通文の敬語を比較して日常普通に用ひられる眞の言語たる口語の敬語法が他に優れたる所以を述べて他を尊び自ら謙る國民性のこゝに發現したものであると言ひ、今後普通文が發達するならば敬語法もそれに伴ふであらうと述べてゐる。從來一般文法の一部に附隨して説かれた敬語法を口語・候文・普通文に於いて研究し口語に於いてそれが最も發達してゐることを論じたのは國語本質の研究上に特筆すべきものである。

古代國語の研究 一冊

 安藤正次著。大正十三年刊。我國語は時代により方慮によって相違はあるが、國語の本質的特性には變易がないから、國語の現在を知り將來を計るには、先づ古代國語の眞相を究明しなくてはならないと云って、古代國語の研究を概括的に記述したものである。扨國語を時代的に古代より明治迄大略七分し、各時代は又場合に依って細分してゐる。方處的には本州東部、同西部、九州と三分して古代言語區劃はこれより推測出來得ると述べ、次に古代國語研究資料について記してゐる。その他「古代國語の音韻組織」「國語動詞の構成」を論じ又附録として三篇の論文を加へてゐる。本書は國語史の第一頁たる古代國語に關する從來の諸説を蒐集批判し、組織的に統一したもので古代國語研究の入門書とも云ふべきである。

標準日本文法 一冊

 松下大三郎著。大正十三年刊。本書は文語及び口語について研究したものであるが。本書が一般の國文法の書とその組織を異にする所以は國文法の理論的體系の研究に於いてゞある。即ち著者は言語の法則は思想の法則と合致するものであり。従って思想の構成に斷定・観念・観念材料の三階段あるが如く言語の構成にもこれに應じて夫々斷句・念詞・原辭の三段階があると云って文法學の體系づけを試みてゐる。
文法學 総論
    分科 原辞論
       念詞論 念詞単独論 本性論
                 偶性論 縦的偶性論
                     横的偶性論
           念詞相関論
然しその所説には卓見と同時にまた一概に首肯し難い點もあるが、兎に角本書は國文法研究に一新生面を拓いたものと言へる。

附録 外人の研究

一 文典

 らてんぶんてん

拉丁文典(De Institutione Grammatica libris tres)

 Jesuit 教徒の手に成れるもので西暦一五七二年(元亀三)リスボン(Lisbon)で初刊。後一五七四年(天正二)ローマ(Rome)に於いて、又一五九三年(文禄二)及び一五九四年(文禄三)の兩度天草に於いて刊行を見た。本書以前に南蠻人の手によって數多の文典(其他辭書・會話篇等も)が出來たことは當時の記録文書或は西教史等によって知られるが、今日では殆んど遺って居ない。のみならずそれ等は全部寫本のまゝ世に行はれ傳へられたものと思はれる。その點から本書は現存せるものでは最古の印刷せる日本文典と云ふべきである。この書は十六世紀中博く欧洲で行はれた所謂 Emmanuelis Alvares 式のラテン文典に日本語を當箝めたに過ぎないもので、全體としては文典の體裁を具備せず只、ラテン、日本、ポルトガル三ケ国語の動飼の變化を列挙して、ラテン文法の組識によって、その例證に日本語を多くあげたと云ふ丈けである。尤もこの例證として用ひた文中にはその當時の九州地方の方言などが傳へられてゐる爲に當時の口語資料として見るべきものがある。

【參考】

日本文典 Arte Da Lingoa De Japam

 葡萄牙人ロドリーゲス(Joa~o Rodriguez)著。一六〇四年(慶長九)長崎に於いて第一卷刊行―一六〇八年(慶長十三)第三巻出版完成。一八二五年(文政八)刊行の佛譯本もある。本書も亦 Alvarez 式文典と同様にラテン文法に準拠して、これを日本語に応用したものに過ぎないのであるが Alvarez 式文典よりも文典の形式を具備したものである。例へば動詞については之を四種の肯定と三種の否定とに分けて説明して居り、又文章法についても、種々の文章の組立・形式について一々簡單な説明・解釋を加へてその成立や用法を示してゐる。後に手爾波のことを後置詞(past-Position)と云ふのも本書か最初と思はれる。その他本書に於いて手爾波の部に連歌の影響が見えてゐる事なども注意すべき點であらう。本書が博く世に紹介されたのば前記一八二五年の佛譯本が出たためである。これは佛蘭西の亜細亜協會で Abel Remusat 監督の下に Landress が翻訳したものを "Elemens de la Grammaire Japonaise" と題して出版したものであるが、この翻譯に際して底本に用ひたものが杜撰な抄本であった爲、この佛譯本も亦不完全のそしりを免れなかつた。それは兎に角本書は Alvarez 式文典と共に徳川以前の現存する日本文典として記憶さるべきものであるD

【參考】

日本文典 Arte Grammaticae Japonicae Lingvao

 ドミニカン派宣教師西班牙人コルラード(Fr, Didaco Collado)著。一六三二年(寛永九)ローマ(Rome)で出版。一八六六年(慶応二)巴里で一部分の翻刻出版(懺悔録)、昭和五年雜誌「改造」にその翻譯所載。本書はラテン文法に準據して而もラテン文で作られた口語文典である。大體文法の部(七五頁)日本語ラテン語の対訳辭書の部(一五八頁)同追加の部(一九五頁)懺悔録の部(六五頁)から成ってゐる等文典の部には日本語の名詞を説くにラテン文法の形式を用ひ手爾波を以って名詞の語尾を説いてゐる。形容詞の説明は頗る詳しく、その他代名詞・動詞等について述べてゐる。動詞は Rodriguez の文典と同様肯定否定に分けてゐるがこゝではそれを各々三種の活用に分けてゐる。猶懺悔録は純粋の語學書ではないが口語の資料としても貴重なものである。

【參考】

日本文典(Arte de la Lengua Japona)

 フランシスカン派宣教師西班牙人オヤンゲレン(Fr, Melchor Oyanguren)著。一七三八年(元文三)メキシコて出版。本書はスベイン語で記された日本語文典である。而して本書には日本人の或著述に拠って書いたものだと記してゐるが、その日本人の著書と云ふは何を指したものかわからない。又著者はこの文典は Rodriguz の文典とは主要な点が異ってゐると記してゐるが、之について後一八二六年(文政九)(Baron G. de Humboldt)がこの Rodriguez と Oyanguren との文典の比較論を著して大同小異だと云ってゐるが、實際著者の云ふ主要點の相違と云ふのは何であるかわからない。それは兎に角本書が島原亂後百年、幕府の鎮國政策によって西洋人の日本語研究が全く杜絶して居た際に突如として出現したのは興味深い事である。  

【參考】

日本語要略(Epitone linguae Japonicae)

 獨逸人シーボルト(P. F. Von Siebold)著。一八二六年(文政九)バタビヤ(Batavia)で出版。ラテン文で書いた簡單な日本文典で別に取り立てゝ言ふ程のものではない(後年著した「日本」と云ふ彼の著述中には隨分日本語に關する注目すべき説があるのだが)、佛蘭西の Leon de Rosny は本書は別に先輩の研究を凌駕したものでもなく、又著者は日本語について正確なる智識を有して居ない。只土人から日本語の雅語や俗語について教へられたものを記載したに止まるものだと批評してゐる。然しまた本書編纂の材料蒐集の爲に要した原本は三十種を超え又この材料によって「漢字集」「千字文」「和漢音釋書言字考」の三書は作られたのだとも云はれるので一概に首肯し難い(Isagoge in Bibliothesam Japonicam P. III參照)。然し乍ら本書はその内容の如何よりもあたかも我幕末の頃にあたって欧洲に於いて日本研究熱の勃興したのに際會してその先顯的任務を果し、且つは本邦に於ける洋學發達の一面に少からす刺戟と貢献とを与へた事に注意すべきであらう。

日本語考(Introduction a l'etude de la Langue Japonaise)

 佛人レオン・ヅ・口ニー(L. Leon de Rosny)著。西暦一八五六年(安政三)巴里版。全篇を日本語の起原・日本に於ける漢字使用・假名・語法・漢語及び漢文學・日本典籍・練習問題・書方・索引の九部に分ちて論述してゐる。著者は本書出版以後數多の日本語學書を著してゐる佛國に於ける日本學者である。

日本文典(Proeve eener Japanshe Spraakkunst)

 蘭人ドンヶル・クルチゥス(J, H, Donker Curtius.)著。西暦一八五七年(安政四)ライデン(Leiden 版。本書は洋式文典の組織のものである。本文中に長崎言葉が引用してあるのは實に珍重すべきである。元來本書は著者が和蘭殖民省の事業として長崎出島の商館で編纂したのを本國に送り本省の日本語通譯官ホフマン(Hoffmann)の種々の意見を附加したのである。又その体裁も先一章毎に一々規則を擧げ、次に例外を示し用例を掲げるといふ風で文法と辭書との混淆とも見るべき者である。著者の編纂法は全く實用的であるのに、ホフマンの學術的議論が這入って居るから甚だ不體裁で且つ明瞭を缺いて居る點か非常に多いのである。然し本書は後年刊行のホフマン自身の日本文典の前駆と見るべきものである。而も本書は刊行後五年西暦一八六一年(文久元)に佛人レオン・バジェーズ(Leon Pages)に依って佛譯され(Essai de Grammire Japonaise,)と題して巴里で出版された。

【參考】

初学用日本文典綱要 (Elements of Japanese Grammar, for the use of begunners)

 英人オルコック(Rutherford Alcock)著。西暦一八六一年(文久元)上海版。本書は著者か駐日公使在任中江戸で編纂したもめである。英入著作の日本文典の嚆矢である。本書中には伊呂波の文字表を二葉挾んでゐる。片假名・平假名・變體假名をローマ字に對照し、本文中に於いてその音訓を細説してゐる。綴字は一種特別のものである。文法の材料には文語・口語を併用し候文をも説いてゐる。第一章冠詞よりはじめて以下名詞・代名詞・形容詞・動詞・副詞・前置詞・連續詞・歎息詞の九章に分って説明してゐる。我開國時代の著作として且つその當時の資料として參考とすべきである。

【參考】

英和俗語典 (Colloquial Japanese, or Conversational in Engilish and Japanese.)

 米人ブラオン(S, R, Brown)著。西匿一八六三年(文久三)上海版。本書は語法篇・会話篇の二に別れ前篇語法篇は洋式の組織に依って説述し、後篇は日常會話を記し、先づ英會語をアルファベット順に分類し、その下に和譯を附してある。當時英和對譯の會話書の完全なるものが少かったから内外人共本書に依って英和両語を學ぶ指針となって大に貢献する所があった。本書後篇英和對譯の會話の部は我邦にて翻刻され、和紙小本二冊に印刷されて行はれた。開國當時の國語資料として、且つローマ字綴方の資料として研究に資する所が多い。

日本文典(Japansche Sprakleer or Grammar)

 獨逸人ホフマン(Johann Joseph Hoffmann)著。一八六七年(慶応三)和蘭ライデン(Leyden)で蘭・英兩文で同時に出版。一八六八年(明治元)兩書共自序を添へて再び出版。一八七六年(明治九)英文の方再刊。一八七七年(明治十)独逸譯をライデンで出版(Japanische Sprachlehr)。初め自序の中で日本語研究者としての著者の地位を明し、本論に入つて第一に波行古音論である。今日日本語の波行古音は[p]音であったと云ふ事が殆んど定説となって居るが、それ等に関する議論は未熟乍ら本書に已に述べられてゐるのは卓見と云ふべきである。又この波行に關して[h][f]の二個の形があるとすればいづれに據るべきかと云ふ問題を論じて、江戸以外で一般に廣く行はれ且つ東都で行はれてゐる前者を採ると云ってその理由を述べてゐる。日本の綴音文字については實に不都合のものでこの點歐米並に支那・朝鮮にも劣ると痛論してゐる。又動詞の語根(root)に關してはこれは理論上からは infinitive と云はれるが形式上から云ふと然らすと論じてゐる。次に未來の語尾「ム」について之は「ミ」(見)と言ふ動詞の直接経止形及び名詞形で或ものたらんとし又は或事を爲さんと努めるを言表はしてゐると云ふ。動詞の受動形についての所論は彼の創見であるが日本語の受動形は能動形に得(to get)と云ふ動詞が結合したものなりと論じ、更にこれを三分して詳論してゐるがこれは後の學者に大に影響する所があった。以上が大體本書の要點であるが啻に後年泰西諸学者の研究に刺戟と貢獻とをなしたのみでなく。その所説は今日本の知名の學者にも非常な影響と啓発を與へたものである。

【參考】

日本口語小文典(Short Grammar of the Japanese Spoken Language)

 英人吋アストン(William George Aston)著。一八七一年(明治四)初刊。一八八八年(明治二十一)増訂して第四版を東京に於いて出版。改題して、"Grammar of the Japanese Spoken Language"と云ふ。一八七三年(明治六)佛人クリーチェ(E, Kreatzer)の佛譯本もある。本書は從來この種著述の粗笨なるに反し組織的であり、又分析的排列をしてゐる點に於いて優れてゐる。又全篇を十餘に分ち、説く所も簡明で理論的に奔ってゐない。

【參考】

日本文語文典にほんぶんごぶんてん (Grammar of the Japanese Language)

 英人アストン(William George Aston)著。一八七二年(明治五)横濱にて初刊。一八七七年(明治十)横濱にて増補して第二版刊行。一九〇四年(明治卅七)倫敦で更に増訂して第三版刊行。(Luzac's Oriental Grammar Series V.)として本書の内容を大略目次によって示せば次の如くである。緒言、第一 文字發音、音韻變化、第二 語詞の分類 第三 不屈折主用語−體言、第四 屈折主用語−用言、第五 名ニ接續スル不屈折手爾遠波、第六 詞ニ属スル不屈折手爾遠波、第七 屈折手爾遠波−助動詞、第八 卑下及ビ尊敬動詞、助動詞、副詞及ビ接續詞トシテノ動詞、第九 文章法、第十 詩形論、附録索引。序論は日本語に對する概観をなして居るもので日本語の特質・系統を論じ Turanian family の総べての性質を有するものとし、或は日本語と琉球語・朝鮮語との關係の密接なるを説き、或は國語發達に三時期有りとし、或は口語及び文語の用途・特質等について論じてゐる。本論に於いて説くところ或は従來吾國學者の所説と何等異る所なる所なきものもあれど、その語詞を分類して (一)不屈折主用語 (二)屈折主用語 (三)不屈折從属語 (四)屈折從属語の四種に分けたるが如きは當時に於いて最も進歩した分類法と認められる。富樫廣蔭の「言」「詞」「辭」の三分類法に比してなほ勝れる點が多く、又動詞活用の起源を説いて四段活用をその古形とし、下二段活用は語根に(得)と言ふ動詞の複合してなれるもので。上二段活用も略之と同様の過程によって成れるものと思はれ、上一段活用は語根に[r]音の添着したものであらうと云って居るが如き後年 Chamberlain を初め、草野清民・金澤博士等の所説に影響する所多くまた詩形論に於いても附録の諸説に於ても彼の學殖に見るべき點が多い。  

【參考】

日本小文典

 英人チャンブレン (Basil Hall Chamberlain)著。明治二十年(西屠一八八七)刊。本書は自序に「皇國語ののりの大むねを示しかつは童たちのためにもとてつゞまやかなるをむねとし」とある如く極簡明に文語法を記述してゐる。全篇を單語法・文章法に別ち最後に國語の音韻について記してゐる。洋式文典風に國文法を説いたものであるが缺點もある。然し學界に影響したのは本書位のは他に無い。それは當時その所説の勝れて居たのと、我丈部省の命に依つて著したのと、麦た文部省から出版したといふ権威とに依る。著者が外人であった爲に國粋主義的思想から反感を有つ學者も少くなかった。谷千生の如きはその代表者で「ビー・エッチ・チャンブレン氏/日本小文典批評」(明治二十年十一月刊)を著して反駁的批評を試み、更に外人に国文典を編ましめる事の非を唱へた。猶生川正香は日本小文典辨惑を箸してゐる。本書の出版後邦人の覺醒白覺を促進して國語學研究勃興の動機となった事は忘れてはならぬ。著者は別に英文で A Simplified Grammar of the Japanese.(Modern written Style)を前年に著してゐる。内容は大體同様である。この書は後年更に増補訂正されて版を重ねてゐる。

日本口語文典(A Handbook of Colloquial Japanese)一冊

 英人チヤンブレン(Basil Hall Chamberlain)著。一八八八年(明治廿一)初刊。一八八九年(明治廿二)大増訂して第二版刊行後第三・第四版の刊行かある。本書は理論的部分と實用的部分とから成ってゐる。理論的部分は十二章から成ってゐるもので第一章には日本語と他の言語との關係を述べて朝鮮語とは類似密接で文章法等からすれば Altai語族中に入れ得ると云ひ、又日本の古語と近世語との相違、日本語に於ける漢語の影響、日本語に於ける品詞の分類等を論じてゐる。而して品詞の分類はこれを嚴密には動詞及び名詞の二つなりとし、ラテン文法の範疇は日本語に不適當であると遮べてゐる點は卓見と云ふべきである。第二章には發音及び音韻変化を論じ、第三章では名詞について論じ「複合」と云ふ事が日本語の語詞構成の大分子であると述べてゐ。る。この説には不完全な點があるにせよこれを語詞構成上の分子として注意を喚んだ點で特筆すべきである。第四章には代名詞を、第五章には後置詞(Past-position)所謂手爾遠波について記し、この大部分は英語の前置詞に相當すると云ひ、更に之を Past-position Proper と Quasi Past-position Proper とに分けて説いてゐる。第六章には數詞、第七章には形容詞、第八章及び九章は動詞について述べ、日本語の動詞の組立を説いては動詞の形は語根・語幹・語尾變化・接尾語から成ると述べて更に分析的に詳しく論じてゐる。Rodriguez, Hoffmann 以後 root と稱されてゐたものを「不定法」と論じて居る如きは最も見るべきである。第十章には副詞・感歎詞・接續詞、及び特殊の句法について、第十一章には敬語法、第十二章には文章法を論じて日本語構成の根本規則は限定語が被限定語の前にある事、又章句法に於いて主語のない事等を述べてゐる。殊に敬語法の一章を設けて日本語の特異の点を論述してゐるのは敬服に堪へぬ。扨實用的部分には和英對譯語彙、日常語句、平易なる問答、會話逸事、牡丹燈籠、新聞雜誌にあらはれたる論評をローマ字で掲げその譯文を附し、最後に英和對譯語彙を擧げてゐる。 Chamberlain には已に A Simplifiad Grammar of the Japanese Language(modern written Style)の著があるが本書は最も出色あるもので Aston の Grammar of the Japanese written Languageと共に外人の日本語研究の双璧(壁)と云ふべく、我國語學研究上に大なる刺戟と貢獻とを與へたものである。

【參考】

日本俗語教科書 Lehbuch der Japanischen Umgangssprache

 獨逸人ランゲ(R, Lange)著。西暦一八九〇年(明治二十三)伯林版。著者は伯林東洋語學校日本語學科の教科用書として著した我口語典である。本書は爾來廣く一般に彼邦人に用ひられたものである。  日本歴史文典 An Historical Grammar of Japanese 英人サンソム(G. B. Sansom)著。西暦一九二八年(昭和三)オクスホード(oxford)版。本書に山田孝雄の日本文法論を主とし他にアストン、チヤンブレン、サトウ等の著作論文を參照して著したのである。全篇洋式文典の組織に依ってゐる。外人著作の歴史文典の纏まったものゝ最初である。

二 比較研究

日本語ウラルアルタイ語族所属の論証 Nachweis dass, das Japanische zum Ural-altaischen Stamme Geho:rt

 墺人ボルラー(A. Boller.)著。西暦一八五七年(安政四)維也納(Wien)版。本書は國立學士院報告、哲學理學部に掲載されたものである。著者は語根、言詞構成方法、名動両品詞の區別、實虚兩辭の類似、文章法ぴ類似等の諸點より組織的に論述してむる。然し未だ直に首肯し難い點もあるがこの方面の研究としては先驅のものである。

日鮮兩語比較研究(A Comparative Study of the Japanese and Korean languages.)

 英人アストン著。西暦一八七九年(明治十二)倫敦版。本書は英國亜細亜協會報告第十一巻第三號に載せられたものである。著者は聲音組織、文法上の職能、及び文法上の手続の三點より論述して日鮮兩語の同一系統であることを説明したのである。尤も著者以前にも内外人に依て唱道されたものもあるが、著者の如く學術的に論述されたものは無かったのである。著者のこの研究が發表されてから諸學者に依って継承される様になった。比較言語學上からいつても一劃期的のものといふべきである。

アイヌ研究上より見たる日本言語・神話・及び地理上名称 Language, Mythology and Geographical Nomenclature ofJapan viewed in the light of Aino studies.

 英人チャンブレン著。西暦一八八七年(明治二十)東京版。本書は帝國大學文科大學紀要として出版されたものである。著者は本文の中に各方面に亘って日本語とアイヌ語との比較を遂げて居るが、就中この兩語の差異ある點十五箇條を列擧してゐるのは注目すべきものである。本書はアイヌ語研究に於ても學術的價値あるものとして忘るべからざる良著である。附録に英人バツチェラー(J. Batchelor)のアイヌ語文典が載せられてゐる。

琉球語の語法辞典(Essay in Aid of a Grammar and Dictionary of the Luchuan Language.)

 英人チヤンブレン著。西暦一八九五年(明治二十八)東京版。本書は日本亜細亜協會報告第二十三巻附録として出版されたもので琉球方言の研究である。著者が両三年間親しく研鑽を重ねた結果を發表したもので實に立派な業績である。本文は聲音組織、各品詞に亘って日琉兩語の比較對照より論述して居る。就中最後の琉球語に依て説明された日本動詞活用の原形論は誠に感歎に値するものがある。附録として琉・日・英對譯日常語句對話、會話・逸話・格言・戯曲、及び琉英語彙を載せてゐる。本書刊行か動機となり爾來この方面の研究が勃興したのである。明治時代國語學上劃期的の著述である。

【參考】

三 辞典

拉日対訳辭典 Dictionarivm Latino Lvsitanicvm et Japonicvm

 南蠻渡來の伴天連の手になったもので、辭書として出版され今日吾人が見得るものは本書及び以下の三種である。本書は一五九五年(文禄四)天草で出版され、後一八七〇年(明治三)ローマ(Rome)で翻刻して Lexicon Latino-Japonicum と云ふカレピヌス(Calepinus)の拉丁葡萄牙語対譯辭書のポルトガル語の代りに日本語を入替へた日本語とラテン語との字引である。

【參考】

落葉集Racvyoxv

 一五九八年(慶長三)刊行されたもので。現存せるものの中所在の明らかなものは大英博物舘所藏本、和蘭ライデン(Leiden)圖書館藏本、英國某貴族所藏の三本のみである。本書はあたかも節用集と玉篇とを巧に分解綜合した様のものである。  

【參考】

日本語彙にほんごい Vocabvlario da Lingoa de Japam

 ボルトガルの宣教師 ロドリーゲズ(Rodriguez)の著と傳へられる。一六〇三年(慶長八)刊。後スペイン譯と佛譯が出た。前者は一六三〇年(寛永七)マニラ(Manila)で刊行したもので現在所在判明のものはマニラ圖書館藏本と東京東洋文庫藏本とである。後者は一八六二−一八六八年(文久三−明治元)巴里に於いて四冊に分けて出版されたもので Leon Pagesの翻刻したものである。アルファベット順の國語辭書である。  

【參考】

日本語辞典にほんごじてん Dictionarium sive thesauri linguae Japonicae Conpendium

 スペイン人コルラード Collado の著。前述した「日本文典」と「懺悔録」と三部合冊になってゐる。一六三二年(寛永九)にローマで出版した。東京・京都兩帝國大學にも所蔵してゐる。日本語とラテン語との對譯辞書である。これ等は耶蘇教徒の語學教育の爲に作られたものであるが、今白では當時の國語資料として無二の宝典である。

英和和英語彙 (An English and Japanese and Japanese English Vocabulary)

 英人メダースト(W. H. Medhurst)著。西暦一八三〇年(天保元)、バタビヤ(Batavia)版。本書は英和・和英の二部に分ち、前篇は宇宙天体以下前置詞まで十三部門に分ち、更に細別した所もある。後篇は伊呂波順で語彙を集録してある。英人編纂の英和辭典の最初である。全部石版刷である。又そのローマ字綴も面白い。辭典としてその印刷や綴字が感興を惹くに止まらず、國語資料として貴重すべきものがある。後安政文久年間に我邦で英語箋一名米語箋と題し美濃紙板に翻刻され、前編三冊後編四冊で出版されてゐる。

【參考】

和魯通言比考 (Russko-Japonskij Slavar.)

 露人ゴシケーウイヅチ(I. Goskevicen.)著。邦人橘耕齋補助。西暦一八五七年(安政四)。ペテルブルク(St, Petersburg)版。本書はその序文中に日本語及文字漢字、欧洲人の研究、編纂の由來刊行の経緯等を詳述してゐる。本文は伊呂波順に配列し、各語の詞に片假名その原字の漢字(萬葉假名)平假名を大文字であらはして見出とし、各葉縦に二欄に分ち、各語を片假名・漢字・露語であらはし、最後に訓音を片假名で示してある。又本文の解釋に駿州方言が変ってゐる様である。これは補助者の故郷である關係から起った現象らしい。本書は露人の著作の國語學書の嚆矢である。著者は開國當時最初の函館駐在領事で八年間在留し外交上手腕を振った人で、又補助者橘耕齋は當時鎮國時代に彼地へ密航し後明治初年に歸朝した人でその生涯も數奇波瀾を極めたのである。この點から見ても面白い。

【參考】

和英語林集成 Japanese and English Dictionary

 米人ヘブン(J. C. Hepburn)著。西暦一八六七年(慶應三)上海版。本書は我開國當時内外人の英和兩語を學習する徒の必要を察し、著者が非常な困難と努力とを以て著はされた両國語の對譯辭書で、書中に用ひたローマ綴は所謂ヘブン式にして後世永く世にその範を垂れたものである。而も本書は當時は固より後年までも廣く一般に行はれた辭典で更に増訂を加へ數版を重ねてゐる。

【參考】