インド布教

佛教発祥の地であるインドという国

ここに起こっている問題を少しでも

解決出来ればと、全日青は海を越え

ました。小川社長の行動に賛同し、

大変お世話になりました。

インド社会と現代仏教徒の理解への一助として
人口10億を超えるインドは、様々な社会不安を抱えながらも近代工業国として着実に発展してきた。しかし、今なおカースト制に基づく人間蔑視が存在するのである。もちろん憲法においてこの身分制度は明確に廃止されているが、2500年続いたカースト制を基盤とするヒンズー社会が貧富の差を広げ、何億もの社会的弱者を作り出しているのである。
 そのインド社会に今、大きな変革が起ころうとしている。一般民衆が目覚め始めたのである。政府もまた、これを無視しては政権を維持できなくなっている。
 社会変革の波の中で重要な位置を占めているのがアンベードカル師の“仏教によるヒンズー社会の変革思想”である。アンベードカル師(1891.4.14〜1956.12.6)こそがナグプールにおける仏教への集団改宗の指導者である。
 1956年10月14日、この日に仏教に改宗すると宣言し、ともに改宗を望む者はナグプールに集まるよう呼びかけた。アンタッチャブル(不可触民)として虐げられた人々の解放の為に戦い続けた指導者の呼びかけに呼応した人々が各地から続々と集結し、その数は30万人にも膨れ上がったという。人々は白い衣服に身を包み、アンベードカル師と共に仏教改宗式に臨んだ。
 アンベードカル師は「カースト制を基盤とするヒンズー主義は有害でこそあれ、何の役にも立たない。仏教こそがインド社会再生の思想たりうる」と確信し、インドの将来を託したのである。仏教発祥の地、そして仏教が滅んだ地でもあるインドにおいて再び仏教が必要とされてきている。
 ナグプール郊外のカンプティ市の前市長であり、現在はマハーシュトラ州の衛生大臣でもあるスレーカ・クンバレ女史も敬虔な仏教信者である。彼女は日本の小川女史からの援助を受けて様々な社会活動を始めた。即ち、病院や学校を建てて民衆の生活向上の為に奔走したのである。
 そしてこの度、仏教信仰の拠点として、また地元福祉事業の拠点として妙海山龍宮寺が建立された。私たち全国日青はこの龍宮寺落慶法要に招かれ唱題行脚隊として参列することとなった。
 なぜ日蓮宗なのであろうか。それは小川女史が日蓮宗だったからであるが、それだけではない何か深い縁を感じずにはいられない。仏教が再興し始めているインドにおいては、多数の宗派が混在する日本のような状況は見受けられない。つまり、小乗でも大乗でもなく、処依の経典もない状態である。ここで小乗を弘めれば小乗になり、大乗を弘めれば大乗になるともいわれている。
 この度、龍宮寺が建立され、お題目がこの地に弘まり始めた。ここまでくるのも大変だったはずだが、これからがもっと重要になってくる。スレーカ女史、小川女史を含めてインドの人々が道を踏み外すことのないように、日蓮宗僧侶が先頭に立って指導していかなければならない。インド仏教徒が信じ拠り所としている教えとは、まさに法華経の教えではないだろうか。アンベードカル師の思想と現在の仏教徒の民衆解放活動は日蓮宗の立正安国運動に通ずるものがある。将来インド仏教徒に所依の経典が必要になった時、我々日蓮宗僧侶の真価が問われるに違いない。
 カンプティという町の名前は、マハラシュトラ州の中でもあまり知られていない。今回の龍宮寺落慶によって、将来はこの地が観光スポットとなるであろう。そこで留意して頂きたい点がある。
 観光目的で海外を訪れる日本人は年々増加している。しかしインドに限らず貧富の差の大きい国において、金品をねだる子供や靴を履いていない人々を見るとき、あるいは荷物を運んだり掃除をしたりする人々にチップを渡すとき、一種の優越感に浸ることがないだろうか。
 土産物に並ぶ品物には一般大衆の月収程の値段が付いているにも関わらず、「安い安い」と言って大量に買い込む日本人がしばしば批判されるのは周知の通りである。海外では円が強いというだけで、自分の努力の結果ではない。このような態度の愚かさに気づかないのだ。インドにおいて未だに残るカースト制という身分制度のために人権を奪われている人々に対して、平等大慧一乗の教えを生活の指針とする私たちは、上位カーストと同じ態度をとってはならない。この度のインド布教は短期間であったが、宗教を抜きにしては語れないインドにおいて唱題行脚を行いつつ、人類における法華経信仰の役割、そして自己の宗教観についてあらためて考えさせられた。
 インド全土にお題目の声が響くことを願い、佐野全日青委員長の団扇太鼓に合わせ、32名の青年僧が龍宮寺本堂の回廊から外に向かって唱題を開始。境内地には本堂に入りきれない12万5千人(現地新聞発表)の人々が待ち受け、太鼓の音に唱和した。堂内でも全日青の太鼓に合わせて小川女史とスレーカ女史、そして子供たちが団扇太鼓を叩き、その法悦に浸った。これはまた、力強い唱題と団扇太鼓という法具の素晴らしさ、そしてお題目は万国共通であることの証となった。
 インドにおける法華経信仰とはどうあるべきか。しかしながら、日本でのそれを押しつけるのは正しいとは言えないだろう。人口のわずか1%といわれる仏教徒に対し、「仏教はその素晴らしさが世界で認められいること。仏教、ことに法華経には真の平等が説かれてあり、法華経によって平等で平和な社会が実現できること」を伝えなければならない。
 海外においては言葉の壁という問題があるが、日蓮聖人が聖愚問答抄の中で「医師(くすし)が病者に薬を与ふるに病者薬の根源をしらずといへども服すれば任運と病愈ゆ」と述べておられるように、まずは南無妙法蓮華経のお題目を唱えることが不可欠である。これこそが正行に他ならない。
 気になる龍宮寺の今後であるが、開教師の今井上人(伊豆国日青)が1,3,5,7,9,11月の最終週の日曜から金曜までの日程で布教に行くことが決まっている。来年の11月には開山一周年の記念法要を行う予定。
 インドに行く機会があるなら是非ナグプール、カンプティ市に訪れて頂きたい。日程が合うなら今井上人も喜んで同行するそうだ。
   
平成11年12月1日

 

 

 

    全国日蓮宗青年会インド布教団

 

 

 

              資料作成部 西島良祐

 

 

 

 ほんの一部を掲載しましたが、

この記録誌は廃刊しました。

 

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