玉置山大百科
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悠久のときを超え脈々と歴史を刻む玉置神社

玉置神社の創建は紀元前37年、二千有余年の変革・歴史を経て、今日の姿があります。
 ●玉置神社狛犬と霧の本殿
  古代より熊野の代表的磐座・玉石信仰の一つがある神体山の玉置山は、
神武天皇東遷の際,八咫烏に先導された神武天皇と兵が休息をとり、勝利を祈願して神宝を鎮めたと伝承されています。
この玉置山に第十代崇神天皇が紀元前37年に王城火防鎮護と悪魔退散のための早玉神を祀って創建、
7世紀後半に役小角(役の行者)が玉置神社などで修行し大峯修験道の拠点(靡)とし、現在まで受け継がれ、その後、
高野山を開いた空海も修行を積んだ伝えられます。
858年に天台宗・三井寺(園城寺)を開いた智証大師が那智の滝での修行の後、玉置神社で修法加持、本地仏を祀り以後、
神仏混淆となり、玉置権現とも呼ばれていました。一時期は七坊十五カ寺が境内に点在して社僧も三百人程を擁しました。
この神仏混淆の時代が、1868年(明治元年)まで続きましたが、神仏分離令以後、十津川村村民の総意で郷社となり、
現在の玉置神社に至ります。

  玉置神社は熊野奥之院とも呼ばれ、崇神、景行、天武、清和天皇、花山院、白河院、後白河院、後嵯峨院など皇族の行幸
や多くの宗教指導者の修行が伝えられています。
また、玉置神社は江戸時代元禄年間まで造営、修復は全て国費で賄われた由緒ある古社です。

  2004年7月、玉置神社と境内は、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の大峯道として登録されました。
玉置神社本殿玉置神社本殿玉置神社本殿 三柱神社
●写真・左/玉石 ・中/玉置神社本殿 ・右/三柱神社
■玉置神社の新しい公式サイトでは、玉置神社創建は紀元前41年となっています。
  これまで玉置神社パンフレットなどでは、紀元前37年創建となっていましたが、紀元前37年の4年前に崇神天皇行幸が
  あり、その時を創建としたのか?不明です。
■玉置神社創建については、紀元前37年と紀元前33年の説もあります。
  紀元前33年説は、紀元前37年に崇神天皇が玉置山に行幸し、4年後の紀元前33年に創建したとする説です。
  玉置神社公式由緒は紀元前37年となっていますので、このサイトは紀元前37年創建説で表記しました。
■神仏混淆時代の玉置神社は、聖護院の支配下にあり、七坊十五ヶ寺、社僧三百人を擁していたといわれますが、この
  頃は、熊野別当の力が及んでいました。社僧は比叡山延暦寺同様に熊野別当下の僧兵が殆どであったとも伝えられます。
■『世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の大峯道として登録』と表記しましたが、
  世界遺産登録では「紀伊山地の霊場と参詣道・大峯道(玉置神社を含む)」となっています。そのため、このサイトでは、
  大峯道として登録としました。世界遺産として登録されたのは、玉置山の大峯道と玉置神社です。