第3回b 第1章・第4節 唯物論的[質料論的]精神医学(後半)



  第1章・第4節・後半 唯物論的[質料論的]精神医学      文責:牲川波都季

  唯一の同じ生産としての社会的生産と欲望する生産
  社会的生産と欲望する生産の関係p.43
   <平行関係>×
    投射[投出]の関係で、互いに影響は与えない=不毛
   <イコール関係>○
      社会的生産=欲望する生産そのもの
     欲望が“一定条件付きで”社会を生む

  条件p.44下
   ライヒがいうに、群衆の錯覚とかではなく、群衆の心理的欲望が社会を生む
    しかし<社会的生産に存在する合理=実在>
       <欲望の中に存在する非合理=幻影>の二元論
     →社会にはダメなものとして錯覚があります、って元の木阿弥

    ★?:ライヒって誰?
     石村・谷岡:変な箱の機械を作った人。
     太田K:精神病理学者らしい。
     谷岡:魂を製造する機械を作ろうとしたらしい。でも、精神病理学者って、
        一体なにする人なんでしょう?

  欲望する生産のもとに、実在する全てはあります

  集団幻想の実在  
  欲望は実在だけを生産p.45
   欲望する諸機械
    ││
   社会機械──→幻想機械
           幻想は必ず集団幻想

  集団幻想p.45下
   @欲望する諸機械が群衆する:リビドーが今ある社会機械を備給
   A社会機械が欲望のいろいろな力に関係づけられる
             :リビドーが革命的欲望を社会機械に逆備給→脱備給・脱機構
   でも結局@とAは体つきが違うだけで同じ機械

  欲望する生産と社会的生産との間の体制の相異
  相異@p.46
    欲望する諸機械 :調子狂って(反生産)こそ動く
   技術機械    :調子は狂わず、摩滅することで生産物作る
      集団幻想は、社会的生産と欲望する生産をごっちゃにして、技術機械を狂わせる

  相異Ap.47
   欲望する諸機械 :反生産を自分の中から生む
             技術的かつ社会的
   技術機械    :反生産は外(=社会機械)から生み出される
             技術機械は社会機械の指標にすぎない

  社会体と器官なき身体
  <<自然人>>
   欲望する生産──“一定の条件”─→社会的生産全て
           (コード化) 
  <<歴史人>>
   コード化する社会体の歴史
    原始土地機械:コード化               (ヒステリー)
    専制君主機械:超コード化の体系           (躁鬱病・パラノイア)
    資本主義機械:脱コード化、脱土地化
            器官なき身体の出現・欲望の流れが解放(分裂症)
            コード=抽象量の公理系─貨幣の中に

    ★太田K:コードとはなにかと言えば、原理とか秩序みたいなものでは。
    ★末森 :社会体をこんなに簡単に切っちゃっていいの?
     石村 :フーコーと区切り方とか似てるけど、フーコーは、そういう社会がいか
         に構成されていったか、それを批判的に見る立場だから、ちょっと違う
         かも。
    ★谷岡 :ドゥルーズ/ガタリは、コードっていう概念を突然自明のものとして使
         ってる。だけど今までのドゥルーズ/ガタリの方法だと、何かの概念を
         自明のものとしないで、唯物論的に説明しようとしたはず。矛盾してる
         のでは?
     太田 :ドゥルーズ/ガタリは、資本主義を説明しようとしていろいろ書いてい
         る。だから、そのためにコードという概念を、ここで出してきたのも矛
         盾してはいない。
     谷岡 :なるほど。完全に唯物論的にシステムを説明するのではなくて、資本主
         義の説明っていう目的があるなら、ある概念を突然出してくるのも納得
         がいく。

  資本主義とその極限としての分裂症。(相反傾向)
   分裂症の爆薬を生み出す←────→抑制
   自分の極限を自ら志向       自分の極限を自ら拒絶
   脱コード化            再コード化
                    模造の人工物の増大

   剰余価値を引き出すべく、流れを脱コード化する(貨幣の抽象量のみが基準)
   →官僚機械、公安機械などによる再コード化

    ★牲川:利潤率が下がるっても、剰余価値の絶対量が増えるってどういうこと?
     (2、3人):経済学やマルクス主義でちょっと考えてみたけど、よくわからな
            い。
 
  神経症。精神病。倒錯。
  神経症患者:社会に残る模造の土地に住みついた、オイディプス好き。コードべったり
  倒錯者  :人工のものを真に受けて信用。コードほしい
  分裂者  :脱土地化に突進。コード、なにそれ
         社会的生産の極限として、欲望する生産が自律性を回復 
          ここではじめて、欲望する生産が生まれ、社会的生産との違いも出現

    ★谷岡 :本当の分裂症では、何か脱コード化したような行動をとるとしても、そ
         れがなぜすでに社会的にダメなものに限られるのか。なんで、突然コン
         クリートが削れるほど掃除をし出すとかじゃなくて、人刺すとかいう行
         動をとってしまうのか。
     太田K:コード化されたものからはずれようとすれば、そういう反社会的な行動
         になるだろう。
     牲川 :脱コード化したはずの行動が、結局、反社会的という意味で、社会的コ
         ードに規定されるということになるのはなぜなんだろう。
     谷岡 :あんまり、本物の分裂症と重ねて考えないほうがいい。
     太田K:でも実際に、昔は本物の分裂症が少なくて、神経症が多かったとかある
         のか。
     石村 :フーコーによると、ある時期(18世紀?)突然精神病患者が急激に増
         えている。精神病は作り出されたものみたい。

  コメント:資本主義においては、脱コード化する分裂症が必ず現れる。そしてそれと正
  反対のベクトルをもって、再コード化しようとする力も強まる。そんな内容でした。
  『アンチ・オイディプス』の副題「資本主義と分裂症」のいわんとするところが、どば
  っと出てきた感じです。ある種の秩序であるコードから、はみ出ていこうとするものが
  あってこそ、資本主義は成り立つのだけど、それを押さえ込もうとする力も同じくらい
  強くなるらしい。なんか最近の、反ナショナリズムを目指した国民国家論と、ナショナ
  リズム万歳の自由主義史観の関係みたいです。しっかし、コードからはみ出ようとして  
  も、同時に押さえつけようとする力が現れるとしたらどうやったらコードから逃れら 
  れるわけ?という疑問が浮かびます。



DGDトップページへ

塩田研究室・自主ゼミのページへ

Copyright (c) 2000 Segawa Hazuki.
All Rights Reserved.