Deleuze & Guattari "Mille Plateaux":ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』

特異点について

大田です。今日は「特異点」という概念について皆様にお聞きしたいことがあります。

ヘルダーリンとニーチェは,18,19世紀ドイツにおける「教養/形成(Bildung)」の言説の中に一面では留まりつつも,他面ではその言説を内部から解体しようとしている,と僕は考えています。この2重の運動について「18,19世紀ドイツにおける『教養/形成(Bildung)』の言説の特異点」という表現を使って説明したいと思っています。

非常にアバウトな理解であると思いますが,「特異点」とはある線や面の中に所属しつつも(所属しているように見えつつも),その線や面を逸脱するような特異な点のようなものかなと考えています。(実は現実に存在するすべての線や面は特異点から構成されていると思いますが)

「特異点」という概念についてこのような理解をどう思いますか?もし意見を聞かせてくれる方がいたら幸いです。

大田

大久保です。

大田さんから特異点についてご質問があったので、僕が知っている限りの範囲でお答えします。

特異点とは、簡単な例では、曲線の尖っている点を言うようです(ネットで見つけた例では、1/XのX=0の点)。つまり、連続関数の滑らかな線は、どの点においても接線を引け、なおかつ、接線の傾きの変化が連続とならなければならないのですが、それが不可能な点が特異点だということです(吉田武、『オイラーの贈物』、ちくま学芸文庫、2001年による)。

ただ、ドゥルーズの場合、たとえば『襞』においては、曲線の変曲点(曲線の凹凸が入れ替わる点)のことなども「特異点」と呼んでいますので、この限りではないような気がします。

僕自身は、ドゥルーズの文脈では、線やセリー(同じことですが)の振る舞いがそこを境に変わってしまうような点を「特異点」だと理解しています。

こんなんでお役に立ちますでしょうか。。。僕としてはヘルダーリンとニーチェの差異のほうが気になりますが、それはまた大田さんのお暇なときに聞くとします。 ――大久保

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