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D&G(ドゥルーズ&ガタリ)研究会は,早稲田近辺で開催する読書会を活動の中心とした,てんでんばらばらの参加者による,自由気ままな集まりです。

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Intermezzo ―― ドゥルーズとカント

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報告: 2005/11/03

諸事情で,「2005カントの夏」で正面から扱うことのできなかったドゥルーズのカント関連の論文を読むことになった今回。突然の変更でしたが,思ったよりも多くの方に参加していただき,さらに,会の後には焼肉まで食べ,よい休日に少しはなったかと思っています。

今回は,これを機会にドゥルーズとカント,そしてラカンとカントの関係を考えてみようということで,特にラカンについては,ラカンによる男女の性差の区別を,カントの理念や弁証論の問題に結びつけた,ジョアン・コプチェクの分析を扱うことにしました。

コプチェクの第八章「性と理性の安楽死」は,ジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル』批判からはじまり,精神分析におけるファルスやそれによって生産される性差の問題を,カントの弁証論と結びつけてみせる,なかなか刺激的な論文です。しかし,当然のことですが,これらの論文の前提として,カントの三批判書,またフロイトやラカンの精神分析についての知識が必要となります。できるだけ当日こちらで説明するようにしますが,できればカントの『判断力批判』は持参していただいた方がよいと思います。コプチェクの研究内容については紹介ページをご参考に(英語ですが)。

と,いろいろ計画したのですが,会では結局のところ,ドゥルーズのカント論を詳しく読むだけで終わってしまいました。扱う予定だったコプチェクの論文は,満足に紹介することができませんでした。いつか機会を設けて,コプチェクの論文にかぎらず,カントとラカンをめぐるさまざまな論文を読めればと思っています。

さて,今回レジュメを切るにあたって,じっくりと読み直してみて,改めてこのカント論がドゥルーズの哲学の核心のひとつを表わしていると感じました。特に諸能力の一致accordの問題は,発生の問題と合わせて,ドゥルーズの哲学を初期からずっと貫いていると言えますが,このカント論に最も先鋭的な形であらわれていると思います。

また,すでにわたしたちは『判断力批判』を読んでいるので,ドゥルーズがカントのテクストにどのような批判的介入をしているのか,見やすかったと思います。

読書会のときに指摘しましたが,ドゥルーズが語っていることだけではなく,ドゥルーズが何を語っていないのか,どの論点を捨てているのか,そこに注目することで,一種のネガのように,ドゥルーズの意図がはっきり読み取れると思います。ド・マンの著作のタイトルではないですが,「盲目と明察」は表裏一体です。 ――大久保

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