D&G(ドゥルーズ&ガタリ)研究会は,早稲田近辺で開催する読書会を活動の中心とした,てんでんばらばらの参加者による,自由気ままな集まりです。
カントの夏 2005(1) KANT, Immanuel, Kritik der reinen Vernunft. 1781, 1787. ● 報告 ● レジュメ ● 議論1――限界効用/限界革命 ● 議論2――クーン・ポパー ● 議論3――微分・感覚・ヌーメノン ● 議論4――真の悲劇とは
前回の読書会で,複数の方から「カントを読みたい」という声があがりました。確かに,ドゥルーズを読む上でも,カントは重要です。ですので,この夏に,D&Gを読む会とは別に,カントを読む会を設けたいと思います。
ただ,カントを読むといっても対象は大哲学者です。当たり前ですが,たったの数日でカント哲学のすべてが理解できるわけがありません。できるだけ的を絞って効率よくカントを読みたいと思います。どのような関心から読むのかによってテクストの選択が変わってきますが,多くの方の関心から,『純粋理性批判』を取り上げることにしました。
●テクスト:イマヌエル・カント『純粋理性批判』 (原佑訳,平凡社ライブラリー,2005年) ●副読本 :ジル・ドゥルーズ『カントの批判哲学』 (中島盛夫訳,法政大学出版局,1984年) ●参考書 :石川文康『カント入門』 (ちくま新書,1995年)
テクストに関しては平凡社版に限りません。岩波版や講談社学術文庫版などでももちろん参加可能です。ただ,その場合は訳語が違うので戸惑うことがあるかもしれません。ご了承ください。
最初に僕の方から,『純粋理性批判』という本の目論見や構成を紹介したいと思います。その際には,この本の歴史的背景や哲学史上の位置付けなどにも簡単に触れ,序文も適宜参照するつもりです。
副読本であるドゥルーズの本には今回は触れられないかもしれません。この『純粋理性批判』を読むシリーズの最後に,カントとドゥルーズの連関に触れられればと思っています。
また,ドゥルーズとの関連で言えば,ドゥルーズとの関連が最も深い図式論の部分をこのままだと二日目にも読むことができそうにありません。新たに会の日にちを設けるか,それとも読む範囲を変更するか,皆さんと相談したいと思います。 ――大久保
さて、限界効用/限界革命を知るための本を知りたいというリクエストがあったので、私の知る限りでお答えします。
限界効用という概念は経済学では基本概念で、かつ決して複雑な概念ではないので、標準的な経済学の教科書を手にとれば簡潔な説明がきっと出ているはずです。私が学部のときに愛用したのは塩沢修平、『経済学・入門』(有斐閣アルマ)で、効用および限界効用の二概念について数ページでわかりやすくまとめてあります。次週のカント読書会の時に一応持っていくことにします。
限界革命については大田一廣、鈴木信雄、高哲男、八木紀一郎(編)『経済思想史-社会認識の諸類型-』(名古屋大学出版会)のジェヴォンズ、メンガー、ワルラスの節をそれぞれ読むのが良いのではないかと思います。この本はヒュームからポランニーまでの21名の経済理論家/思想家の学説を各章毎にまとめたもので、かつ限界革命を境として第一部・第二部に分けるという構成をとっています。経済思想史を通観するのに良い本だと私は思っています。なお、この本の「リカードゥとマルサス」という節には「フーコーの評価」という節があり、『言葉と物』での経済学的議論への経済学説史家によるコメントを(短いですが)見ることができます。
伊藤誠の『経済学史』(有斐閣)は標準的な経済学史の教科書ですが、経済思想の歴史がマルクス経済学への発展の歴史として描かれており、私はお勧めしません。ですが限界革命についての説明があるし、せっかく私の家にあるので、これもカント読書会のときに持っていくことにします。
なお、蛇足ですが、森嶋通夫の『思想としての近代経済学』(岩波新書)は経済理論家の思索を社会科学的体系の一部門として論じたもので、経済理論・思想に興味のある経済学以外の専門の方にお勧めの一冊です。
何か参考になれば幸いです。――蛭田
「限界革命」はドゥルーズ&ガタリの次のプラトーに関わる事柄ですので、カントとは直接関わりありませんが、このような書誌情報は積極的に投稿していただくと助かります。こういうときこそさまざまな専門家が集っているこの会の強みが発揮されるというものです。
そこで、僕からも本のご紹介を。この前の会で、僕や蛭田さん、秋山さんの間で話題となっていたクーンについては次の本が有名ですね。
僕は長いこと「積読」状態でしたが、これを機会に読み始めました。「パラダイム」概念は知っていましたが、こうして原著にあたるとやはりいろいろと発見がありますね。次回に『判断力』と関連付けて簡単に報告できればと思います。
もう一人話題となっていたカール・ポパーについては、手ごろな本を知りません。どなたかご存知の方は簡単に報告していただくと助かります。 ――大久保
私も便乗して純理を猛スピードで読んでみましたが,大久保君も言うとおり確かに,ドゥルーズの強度概念が,とてもよくわかるようになる本でした(上巻しか見てませんが。その限りでは「屁理屈をこねるな。素直になれ。」と激しく主張している本だと思いました)。
感覚のほとんどが微分検出だとみなされる今では,強度だ差異だという話は,ごもっともですねとしか思えないところではあります。ただ,その強度が内包量・外延量へと展開されるにあたっては,たとえば視覚系での方位選択性コラムが自然発火などランダムな入力によって形成されえちゃったりのような,単純な生体の性質がもたらす今っぽい事情を考慮すると,カントのはちょっと知性だか悟性だかに過大な役割がある感じはしました。速読過ぎて私の内容理解がオカシイのかもしれませんが。
その点,最近ぜんぜん読んでないから知らんけど,大久保様のコメントから見れば,差異を「フェノメノンに最も近いヌーメノン」と呼ぶドゥルーズ&ガタリのは,なにかと言い得て妙と申しますか,今風でありますね。
趣味の話になりますが,カントはいいとしても,その例の強度があれこれに展開するのを,それが適応的だったからだぜ,と言ってみせる昨今の進化なんとか学シリーズ(の一部)はどうしても好きになれません。それよりあれだ,因果律の源泉を重力・落下に見る発達観のほうがイイ。ガンダムの見すぎなのだよ,宇宙にいけば新しい理性があると信じるだなんて。無重力が人類を覚醒するんだ。革命的じゃないか。
さ,お時間です。そんな認知業界でのトレンドを最もコンパクトに明快に紹介しているものをご紹介。『認知発達と進化』(岩波書店,認知科学の新展開シリーズ1,2001)のまえがき「認知発達と進化への紹介」(乾敏郎)です。20ページそこそこですが,おなかいっぱい。
論文を読まないので最近の動向がさっぱりわかりません。今や上の本も時代遅れなのかもしれないけど。
ありがとうございました。しじみがいでした。
大久保さんのカント読書会のレジュメを読み、カント漬けだった今年の夏休みがなつかしく思い出されました。カント読書会は自分の研究を深める上でとても有益だったと思います。
10月後半はドイツで『純理』の弁証論を集中的に読んでいたのですが、『純理』の弁証論はソフォクレスが詩作し、アリストテレスが論じた悲劇と同じ構造を持っていると思いました。
『オイディプス王』にせよ『アンティゴネー』にせよ、真の悲劇とはなにより認識の劇であり、人間理性が不可避的に生み出してしまう錯覚、超越論的仮象が人間を悲劇へと駆り立てるからです。
読書会とは関係ない自分の関心について書いてしまってすいません。――大田
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