砥上岳登山日記

登山日:2001.5.4(金)


神功皇后が新羅出兵の際に武運を祈るために登られたと伝えられてる“砥上岳”

<標高496.5m 所要時間:1時間(登り),30〜40分(下り)>

飯塚市(福岡県)から,国道200号線を筑紫野市方面に進みます。冷水峠を越えて「桜谷射撃場入口」の交差点を左折します。次に,県道77号線(筑紫野三輪線)を左折して直進すると砥上(とがみ)神社(写真1)が見えてきます。駐車スペースもあり,砥上岳登山についての案内板(写真2)もあります。ここから砥上岳山頂まで3kmと書いてありました。

神社の横の道をまっすぐ進むと,石の標識(写真3)がありました。砥上岳山頂は「右」と書いてあります。

歴史のつまみぐい−地名(砥上・夜須)の由来など−                                                                    伝承によれば,神功皇后が新羅出兵の兵士をここに集め「中やど也」と語り,また,兵器を研がせたのでこの地を「砥上(とがみ)」と言うようになったという。

旧中津屋郷の中心地に鎮座する砥上(中津屋)神社境内には,イチイガシ(夜須町指定文化財)など巨木がうっそうと生い茂り,背後の砥上岳(496.5メートル)を含めて神功皇后ゆかりの地にふさわしい。

山麓には,この神社を中心として古墳時代後期(西暦500〜600年)の古墳が数多く群集し,神社のあたりが古来より地域の中枢であったことを物語るものであろう。

標高150メートルの中腹には装飾古墳として名高い「観音塚古墳」(夜須町指定文化財)があり,武宮のある山頂に至る道すじには「ひづめ石」,「みそぎのはる」,「さやん神」,「かぶと石」など道行く人の疲れを忘れさせてくれる。また,町名の「やす」は,神功皇后がまつろわぬ在地の豪族・羽白熊鷲を滅ぼして「わが心すなわち安し」(「日本書紀」)と語ったことに由来する。

夜須町 平成7年3月

石の標識からは,杉林の山道です。(写真4)

登り始めて最初の分岐点です。砥上岳は「右」と記してあります。分岐点には,必ずこのような標識がありますので迷うことはないでしょう。(写真5)

次の分岐点は,「右が砥上岳(1.4km)」と記してあるのですが,「左は砥上岳(急な坂)」と記してあります。迷わず右に進みました。(写真6)

途中,神功皇后(じんぐうこうごう)縁(ゆかり)の馬の“ひづめ石”がありました。詳細は下記の「歴史のつまみぐい2」をご覧になってください。(写真7)

「○○と言えば△△」ゲームで楽しみながら登りました。(写真8・9)

歴史のつまみぐい 2ひづめ石について−

蹄石(ひづめいし)。神功皇后(じんぐうこうごう)が新羅(しらぎ)遠征のとき騎乗された乗馬の蹄跡と伝えられている。

神功皇后:記紀所伝の仲哀天皇(第14代天皇。日本武尊<やまとたけるのみこと>の第2王子)の皇后。気長足姫(息長帯比売)<おきながたらしひめ>の漢風諡号<しごう>。天皇の死後,新羅<しらぎ>に出陣,凱旋(がいせん)ののち筑紫の地で応神天皇を出産,69年間摂政をつとめたという。「播磨風土記」などでは大帯姫<おおたらしひめ>とも。(大辞林第二版から)

木陰の中を歩いていると,急に日のあたる広場に出くわしました。ここは,“みそぎのはる”と言われる場所です。ここも神功皇后縁の地です。詳しくは下記の「歴史のつまみぐい3」をご覧になってください。(写真10)

“さやん神”は何の神様?不思議な形をしています。(写真11)

次の分岐点では「右」に進みます。山頂まで0.4kmです。(写真12)

歴史のつまみぐいみそぎのはるについて−

古くは御祓(みそぎ)の原(はる),現在は禊(みそぎ)の原(はる)と呼んでいる。

神功皇后(じんぐうこうごう)が,砥上岳(とがみだけ)山頂に武甕槌神(たけみがづちのかみ)を勧請(かんしょう)して,新羅(しらぎ)遠征の勝利祈願したとき,この地の清水(しみず)で身を清め,祓(はらい)を受けたとの伝説にこの名は由来する。

村人は,この原(はる)より山頂までを聖域として崇(あが)め,武宮参拝時には,ここの清水で禊(みそぎ)をしたので,何時(いつ)しか地名は,御祓(みそぎ)の原(はる)から禊(みそぎ)の原(はる)へと変わっていった。

途中,“かぶと石”の標識があります。(写真13)

左に坂を上っていくと。。。(写真14)

大〜きな“かぶと石”があります。“かぶと石”についての詳細については,下記の「歴史のつまみぐい4」をご覧になってください。(写真15)

歴史のつまみぐいかぶと石について−

兜石(かぶといし)。英彦山神社の神宝二面の兜に似ているところからこの名が生まれた。伝説では,神功皇后(じんぐうこうごう)はこの兜を冠って新羅(しらぎ)に遠征したと伝えている。

最後の分岐点です。右は「頂上まで150m(急な坂)」,左は「頂上まで180m」です。思い切って「右」の急な坂を登りました。短い距離ですので,右でもま〜,だいじょうぶです。(写真16)

急な坂を登ると,山頂まであと少しです。がんばろう!!(写真17・18)

山頂は少々狭いですが,眺望は最高ですヨ!(写真19・20・21)

「神功皇后がこの山頂にて武運を祈られた」と伝えられているということです。(写真22)

山頂での記念撮影!「1+1は?」。。。「2」(写真23)

 

下山途中,きれいな色をしたヘビ君にであいました。何というヘビかな?(写真24)


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