旅行日:平成11年8月5日(木)〜7日(土)

北海道<道東>研修旅行日記

〜北方領土問題教育指導者研修会〜


8月5日(木)

10時分30分発のエアニッポンで,福岡空港を出発しました。エアニッポンは,ソフトドリンクの種類が他の日本の航空会社よりも多くてなかなかよかったですよ。青森県写真1)が眼下に見えてくると間もなく,北海道写真2)が見えてきました。初めて直に見る北海道です。何か感動的でした。釧路空港から釧路駅まで直行バスで行ったわけですが,信号のない直進道路には感激しました。まさに「でっかいどー!北海道ー!!」そのものでした。釧路駅写真3)に着くと,北海道道東の気候を直に感じ取ることができました。湿気は少々高いようでしたが,冷たくて涼しい風が心地よく感じられました。それもそのはずです。福岡は30℃を上回る猛暑であったのに,釧路は22℃〜23℃くらいの気温でした。しかし,根室までのバスをバスセンターで待っているときの現地の人の話では,「今年は暑くてたまりませんよ。」ということでした。そう言って団扇を暑そうに扇がれていた初老の姿が印象的でした。

釧路駅から根室駅までは,バスで2時間の道のりでした。リムジンバスにゆられながら,ゆったりと北海道道東の風景を楽しませていただきました。車窓からは,海辺にある漁村写真4)の風景や社会科の地理的分野で出てくる広大な酪農地帯写真5)を見ることができました。写真6は,釧路駅から根室駅まで向かうJR線です。根室に到着するとすでにわまりは真っ暗でしたので,駅近くのカニの直売店で,おみやげのカニを宅配してもらう手続きを済ませた後,ビジネスホテルに直行しました。


8月6日(金)

翌朝,早く目が覚めたので,根室駅写真7)・根室駅近くのカニの直売店写真8)・北方資料館写真9)・根室市役所写真10)付近ををぶらっと散歩してみました。いろいろなところに,北方領土問題に関する掲示板等があり,この問題が,切実な問題であることを肌で実感しました。写真11は,根室駅前にある広告塔です。かえる日が平和の日となる北方領土と書かれていました。北方資料館の玄関の上に島四つ一緒にかえる平和の日 Four Islands Restored;Peace at Lastと書かれた看板が掲げられていました。写真12は,北方資料館の横にあった根室・千島歯舞諸島居住者連盟根室支部の建物です。この建物には,2000年われらの願い四島返還という看板が掲げられていました。根室市役所の屋上には北方領土は日本の領土」「2000年歴史を拓く四島返還と書かれた看板が掲げられていました。写真13は,市役所前にあった広告塔です。この広告塔の下に写真14のような石碑がありました。「希望の灯」と書かれ,次のような詞が書かれていました。

私達は見ている    波立つ海と彼方に続く    北の島々を

いつの日か君らと   ひとつになる日まで  眼を離しはしない

また,根室市役所の玄関前までいくと,さすが隣接する国が福岡とは違うことが明確にあらわれている表示がありました。それは,写真15を見るとすぐにわかることでしょう。根室市役所という表示が日本語・英語・ロシア語で書かれています。九州の観光地等に行くと,日本語・中国語・韓国語(ハングル文字)の表示がほとんどなんですけど,北海道では,ロシア語が出てくるんですよね。改めて考えると当然のことなんですけど,なにか新しい発見をしたような気がしました。

ホテルに戻って朝食を食べた後は,根室グランドホテル写真16)にて「北方領土問題」に関するもりだくさんの研修がありました。

研修会終了後,納沙布岬写真17)へ北方領土視察に行きました。写真でもおわかりのように,濃霧のために,まったく北方領土を見ることができませんでした。この時期の道東地域は濃霧がよく発生するために,めったに北方領土を見ることはできないということでした。北方領土こそ見ることができませんでしたが,納沙布岬には,北方領土への強い思いをひしひしと感じることができました。写真18は,「希望の鐘」です。写真19は,「希望の道」と言い,次のような説明がしてありました。

この道は,全国各地から寄せられた石を敷きつめてつくられた島への道であり,島が還るときのときの道です。石のひとつひとつに,北方領土返還の祈りがこめられています。

もちろん,福岡県の石写真20)もありました。写真21の巨大建造物は,「四島のかけ橋」と言い,次のような説明がしてありました。

四つの島がしっかり交え合っているこのシンボルは,歯舞,色丹,国後,択捉島の祖国復帰をひたすら願う全国民の祈りをこめて,建立されました。みなさんとともに,わが国固有の領土であるこの島々が祖国に還る日を,力強く祈念し続けましょう。

また,この橋の中央部分には,「祈りの火」が常時に灯されており,その種火写真22)が納沙布岬の北方館内に展示してありました。そこには,次のような説明がしてありました。

「祈りの火」

この火は,北方領土返還の祈りをこめて,沖縄・波照間島(わが国の最南端)で自然採火されたものです。青年キャラバン隊が全国各地を廻って(太平洋コース・日本海コース)根室まで運び根室からノサップまでは,地元のリレー隊が運びました。昭和56年9月27日,9年前に祖国に復帰した沖縄の,そして全国民の祈りをこめて,「四島のかけ橋」に点火されました。北方領土が還る日まで,この「祈りの火」を燃やし続けましょう。

納沙布岬への北方領土視察を終えた後は,再び根室グランドホテルで全国の中学校の社会科の先生方との懇親会が開かれました。全国の社会科教育の状況を聞くことができ,とても有意義な会となりました。


8月7日(土)

最終日の午前中は,道東視察をしました。まず,別海北方展望塔写真23)に行きました。建物の外には,「北方四島返還「叫び」の像」(写真24)があり,「国民の脳裏から戦争の悲惨なイメージが消え去ろうとしております。しかし未解決の北方領土の祖国復帰を見るまでは,真の平和がおとずれたとは言えません。」と訴えておりました。展望塔の中には,北方領土の開拓等に貢献した人々の紹介や北方領土と日本人・ロシア人の関係の説明が掲示してありましたので,下の写真の次に掲載しております。

別海展望塔の次は,標津サーモン科学館写真25)に行きました。ここには,いろいろな種類のサケ科の魚写真26)が飼われておりました。館内には,北海道に生息する「エゾヒグマ」「エゾシカ」のはく製写真27)も展示されておりました。また,展望塔からは,北海道の大平原写真28)を一望することができ,ここでも北海道の壮大さを満喫しました。

北方領土問題<まめ知識

最上徳内

1785年(天明5年),幕府は統治が手薄となっていた日本の北方の島々の様子を調べるために調査隊を出発させた。この中に加わった徳内は国後島,択捉島はもちろん,ウルップ島,樺太も調査を行い,その様子を幕府に報告するとともに,「蝦夷草紙」に詳しく残しました。

近藤重蔵

1798年(寛政10年),幕府の蝦夷地調査隊に参加した重蔵は,国後島に渡って調査を行いました。1799年(寛政11年)から1800年(寛政12年)にかけて国後島,択捉島に渡り,択捉島に日本の領土であることを示す「大日本恵登呂府」と書いた標柱を建てました。また,近藤重蔵らは,択捉島に本土の行政のしくみをとりいれ郷村制をしたり,漁場を開いたりし,アイヌの人たちの生活の向上に気を配りました。

高田屋嘉兵衛

1799年(寛政11年),行動重蔵に協力して,国後島,択捉島の間に安全な航路を開くとともに,翌年には,辰悦丸に漁網,米,塩,衣類などを積んで択捉島に渡り,択捉島に17カ所の漁場を開きました。

北方領土と日本人のかかわり(松前藩の記録)

松前藩の記録によると,1615年(元和元年)に,アイヌの人たちが,ラッコの毛皮を松前藩の殿様にみつぎ物として贈り,殿様はこれを江戸幕府に献上したということが書かれています。ラッコは,千島列島の近くの海に多くいましたから,松前藩は古くから千島列島や北方領土などに住んでいたアイヌ人たちと深い交わりをしていたことがわかります。

ロシアの動きとラックスマン

<千島列島や北方領土をめぐる外国の動き>

1700年頃になると,外国の船が蝦夷地のまわりにあらわれるようになりましたが,なかでも蝦夷地に近いロシアの動きは活発でした。ロシア人が初めて千島を探検したのは,1711年(正徳元年)で,1721年には千島列島の島々を探検して地図を作りましたが,この地図に画かれた島々の名称をオストロワ・ヤボンスキエ「日本の島々」としています。

<ラックスマンの来訪>

1792年(寛政4年),そのころ鎖国をしていたわが国に,ロシア政府はラックスマンを使いとして根室のノッカマップにおくり,わが国との通商を求めました。このように,ロシアの動きが激しくなったので,幕府は国防上,北方の島々の統治を強めました。

釧路空港に向かう途中,北海道の民家写真29)を撮影しました。「福岡の家との違いはどこかな?」それは玄関です。よーく見ると,玄関を入るとまた玄関があります。ようするに,家の保温性を向上させるためにこのような設計になっているということでした。北海道ならではですね。帰路は,羽田空港で乗り継いで,福岡空港まで帰る行程です。14時30分に釧路空港を離陸して,18時45分に福岡空港に到着する予定です。直行便の2倍の時間がかかってしまいます。帰る途中飛行機の機内から三陸海岸写真30)と富士山写真31)の撮影に成功しました。三陸海岸は,リアス式海岸の代表選手なだけに,その地形がはっきりとわかりますね。また,富士山は,雪帽子をかぶってないだけに,筑豊のボタ山の巨大版のようですね。

飛行機からの景色を楽しみながら,ほぼ予定時刻に無事福岡空港写真32)に到着しました。運良くポケモンジェット写真33)も見ることができました。北方領土を直に見ることはできませんでしたが,学ぶことの多い研修旅行でした。

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