ハイアイアイ通信 7号


(Date unknown)

 予想していたよりもずっと山道は険しかった。レイによれば「ちょっとしたハイキングコース」ということだったが、私の感覚ではそれは登山に近いものだった。もちろん、所員たちが交代で通っている道なので迷ったりする心配はないし、それなりに歩きやすく整備されてはいた。レイとジョシュアは鼻歌混じりにどんどん登っていってしまうのだが、私はほとんど這いつくばりながら、それでも彼らの姿を見失わないように必死で後を追った。白人と黄色人種では体の構造が根本から違っているのだ。
 陽が傾きかけた頃、ちょっとした平地に着いた。木の生えていない広場に簡単な水場があって、そこが今晩のキャンプ地という訳なのだった。テントを設営しながらこれから先どれくらい登るのかと訊くと「あとほんの少し」ということだった。ちょっと安心したが、念のために「じゃぁ明日の昼前には着くんだね?」と問いただすと、レイは答えず笑いながら私の肩を乱暴に叩いた。
 夕食は魚の薫製とフランスパンだった。味気ない夕食を咽に詰まらせながら私が不満そうにしているのを見て「火を使って料理するのは最小限にしたいんだ」とジョシュアは言い訳っぽく呟いた。

 寝袋に入ると山歩きの疲れからすぐに眠った。夜更けに獣の咆哮が聞こえたような気がして目を覚さますとレイの鼾だった。やれやれと思いながら用を足したくなったのでヘッドライトを付けてテントを出た。広場の隅に歩いてゆくとライトに照らされた地面で何かが動いている。近付いてみるとそれは20cm以上ありそうな巨大な昆虫だった。一瞬ひるみそうになったが、よく知っている虫であると気付いた。何だったろう、この虫は・・・
 考えながら私にはその答えがもう分かっていた。黒褐色の光沢、柔らかい羽、長くしなやかな触角、そう、それは巨大なゴキブリだったのだ。しかし不思議とそれが気持ち悪いとは思わなかった。これまで私が知っていたゴキブリとは何かが決定的に違うのだ。その所為でそれが形態の上ではまったくゴキブリそのものであるにもかかわらず、私にこれっぽっちも嫌悪感をもたらさないのだ。
 巨大ゴキブリの傍らにしゃがみ、そいつをライトで照らしながらじっくりと観る。羽は短く、飛ぶことはできないようだ。地面に積った落ち葉をゆっくりと噛みながら、光を避けるようにしてもぞもぞと暗闇の方へと動いてゆく。その動作は可笑しくなるほど緩慢で、亀を連想させた。この巨大ゴキブリには普通のゴキブリにあるあのいやらしい俊敏さが欠けている。だから不快感を刺激しないのだ。
 これならば生き物の好きな少年ならばペットとして飼うこともあるかも知れないな、と思った。カブト虫やクワガタ虫のような精悍さはないけれど、ぼんやりと日がな一日眺めているのにはいいかもしれない。ただ、かなり大きな虫籠が必要になりそうだ。
 ふとガルシア・マルケスの一節を思い出した。ゴキブリがこんなにも人々の憎悪を呼び起こし、攻撃本能を刺激するのにも関わらず未だ絶滅しないでいるのは人間が暗闇を怖れるからだ、というようなことだったと思う。この、むしろ可愛らしくさえあるのろまな巨大ゴキブリたちを見たらマルケスはどう書くだろうか。(つづく)


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