| ふるさとの玩具 | 写真撮影および解説 佐藤 研 (仙台市) |
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| 埼玉県の玩具 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
01. 練り人形(鴻巣市・越谷市) 02. 赤天神(鴻巣市) 03. 黒天神(鴻巣市) 04. 練り物玩具(鴻巣市) 05. 首振り虎(越谷市) 06. 船渡の天神(越谷市) 07. 和唐内(越谷市) 08. 蛸三番(越谷市) 09. 吊るし物(越谷市) 10. 藤娘と釣鐘弁慶(越谷市) |
11. 鯛釣り恵比寿と月見だるま(越谷市) 12. 起き上がり(越谷市・春日部市) 13. 五関張子(浦和市) 14. 春日部張子(春日部市) 15. だるま抱き(春日部市) 16. 川越だるま(川越市) 17. 川越の蔵と山車(川越市) 18. 向かい天狗(岩槻市)と猿(都幾川村) 19. 将軍標と木彫り人形(飯能市) |
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![]() 大都市・東京を控え、埼玉県は江戸の昔から節句人形や縁起物、玩具の一大生産地であった。種類も雛人形、武者人形、だるま、張子など多彩であるが、とりわけ、箪笥や下駄などの桐細工の副産物として豊富に手に入る桐粉を利用し、江戸木目込人形や練り人形づくりが盛んである。木目込人形は、桐塑(とうそ;桐粉を生麩糊で固めたもの)を型抜きしてつくった胴体に裂地(きれじ)を貼り付けて、衣装を着ているように見せる人形。一方、同様にしてつくった人形の生地に、じかに色彩をほどこしたものが練り人形である。練り人形は手間のかからない分、安くて庶民向けであるし、硬くて丈夫で輸送にも便利なことから、かなりの遠隔地まで取引された。たとえば、会津若松の天神(福島県の玩具13)の胴体も、明治の中ごろまでは鴻巣でつくっていたというし、長野の善光寺門前で今も売られている練り物の“布引牛”も実は鴻巣産である(1)。また、全国各地の寺院で授与されているかわいい豆だるま(たいてい寺の名前がシールで貼ってある)にも越谷(大沢)産の練り物が多い。生地を赤く塗った練り人形を特に“赤物”と呼んでいるが、赤は疱瘡避けの色であることから、子供のおもちゃとして歓迎された。写真のだるまは越谷産、それ以外は鴻巣産。豆だるまの高さ3cm。(H19.8.26)
![]() 赤物で有名な鴻巣の天神。やはり練り物製で、全身真っ赤に塗られている。作り手によってサイズや絵付けも様々だが、なかでも大きい天神(高さ20cm)のおちょぼ口とちょび髭(天神髭)は、少々とぼけていて印象的である。一般的に、人形はまず土でつくられることが多い。その後、販路の拡大に伴って運搬に適した軽くて堅牢な張子製へ、さらには成型加工で大量生産も可能な練り物製へと変遷していく。その意味で、練り物は“最新の製作技法”なのだが、原料が桐の大鋸屑(おがくず)と生麩糊なので、虫に喰われたりボロボロに崩れてしまったりして、保存がなかなか難しい。練り物の天神は、ほかに和歌山県御坊市に現存するのみで、貴重な存在である。(H19.8.29)
![]() 鴻巣の人形作りは江戸時代の初めにさかのぼるという。中仙道の宿場町だった鴻巣に、日光東照宮の造営や修築に携わった職人たちが足をとどめ、人形作りを手がけたのが始まりと伝えられている。今も街道沿いの人形町を中心に九軒の人形店が軒を連ね、それぞれ特色のある人形を制作販売している。ある店では赤物の弓獅子や獅子頭を、またある店では雛人形や五月人形を専門に、という具合である。そのうちの一軒、赤物以外の練り人形と張子人形を主力とする店でつくっているのが、この黒衣の天神。やはり練り物だが、赤天神よりも威厳を感じさせる仕上がりである(高さ15cm)。鴻巣にはほかに、人形の胴体や頭、あるいは小道具だけを専門に制作する店などもある。(H19.8.29)
![]() 下段左が鴻巣赤物を代表する弓獅子(高さ10cm)。竹をバネとし、口を開閉させると、下あごと紐で繋がった黒い耳が一緒に動く仕掛けになっている。獅子玩具の白眉とされる。“お獅子パクパク”と呼ばれて各地のみやげ物店で見かけるのは、練り物が大量生産されて安価なため、全国的な販路をもつからである。鴻巣にはもう一つ、獅子舞に使われる獅子頭を小型化した獅子がある。こちらは魔除け、災避けとして神棚や床の間に飾られる。右は玉を咥えた龍。バネは付いてないが、後ろから手で口を開閉することができる。上段は虎。作り手によって表情がいろいろなのが楽しい。左端のみ張子で高さ7cm。(H19.9.8)
![]() 人形作りの盛んな埼玉県は、練り物のほか張子の産地としても有名である。江戸時代から明治にかけて始まった張子は、船渡、砂原(いずれも越谷市)、岩槻、春日部、川越、五関(浦和市)、別所(秩父市)など県内各地で作られ、大正から昭和がその最盛期であった。多くは農家の冬場の副業として代々受け継がれ、だるま、虎を始めとする動物、各種の面など、種類も豊富であった。しかし、このような張子もだるまを除いて現在では殆ど作られなくなった。その中で、船渡では今もおもしろい張子がいろいろ作られている。多くは首振り式になっていて、とぼけた表情をしているのが特徴。船渡産の張子は主に東京の亀戸天神で売られたので、“亀戸張子”とも呼ばれる。写真右は亀戸天神、左は同じく東京の西新井大師で求めたものだが、サイズが違うだけでどちらも船渡製。ヒゲに羽毛を使うのも船渡の虎の特徴である。以前の虎は、尾を巻いたもっと堂々としたものであった。小さい虎の高さ6cm。(H19.9.14)
![]() 江戸時代から藤の名所として、また、鷽(うそ)替え神事でも知られる亀戸天満宮(東京都江東区)。その土産物として門前で売られる亀戸張子だが、実は近郷近在で作られ亀戸に持ち込まれるものがほとんどであった。なかでも船渡張子は、亀戸張子といえば船渡産のものを指すほど人気が高かったが、それは首振りや吊るし(糸で吊り下げるとゆらゆら首や腕が動く)の仕掛けや飄逸な人形の表情が人々に愛されたからであろう。天神人形には座天神と牛乗り天神の2種類があり、どちらもドングリ眼とおチョボ口の親しみやすいお顔である。ここでは牛が首振りに作られている。座天神の高さ13.5cm。(H19.9.17)
![]() 藤娘の吊し物は、藤の花の名所・亀戸天神の土産物として特に人気があった。一方の釣鐘弁慶は比叡山の僧兵・弁慶が三井寺の釣鐘を奪い、延暦寺まで引きずっていったという伝説に基づく。どちらも歌舞伎「大津絵」(大津絵に描かれた人物たちが絵から抜け出て踊る舞踊劇)に題材をとっている。船渡張子の型は現在でも20余りを数える。吊るし物であれ置物であれ、首振り中心の人形であって、ゆらゆら揺れながら見せてくれる人形の表情は飄逸だが、どれも洒脱で小粋なところが江戸っ子好みである。弁慶の高さ28cm。(H19.10.20)
![]() 恵比寿は神様のはずだが、これは人生を達観し、釣りに余生を楽しむ人間の顔だ。徳を積んだ偉いだるまさんも、美しい月を見て陶然としている姿はすこぶる人間くさい。いずれも私のお気に入りの船渡張子である。恵比寿の高さ25cm。(H19.10.20)
![]() 川越は重要な江戸の北辺のおさえに位置する。陸路(川越街道)と並んで、東照宮への建材や江戸への物産輸送のために開かれた水路(新河岸川)は、荒川に合流して浅草まで達する。その舟荷はというと、川越からの下り荷が農作物なのに対し、江戸からの上り荷はもっぱら下肥だったので、「江戸のやつらは川越の恩を口で受けて尻で返す」という言葉が流行った(4)。代々江戸幕府の重臣が領主を務めた川越の街は“小江戸”とも称され、今でも重厚な神社仏閣や蔵造りの町並みが残っている。また、何台もの大型山車が繰り出す氷川神社の“川越まつり”(10月)は、往時の賑わいをほうふつとさせるものだ。写真は川越のみやげ物で、蔵の高さ14cm。交通の要衝らしく、JR線・川越駅のほか、西武新宿線・本川越駅、東武東上線・川越市駅もあって、旅行者には紛らわしい街でもある。(H19.12.9)
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