五條探検隊

23 土倉庄三郎 NEW
22 策道  

21 楳図かずお
20 藤代昇の五條回顧
19 女子水泳王国
18 河崎なつ
17 青いぶどう3
16 青いぶどう2
15 青いぶどう1
14 二見城
13 和歌山線
12 昔の五條
11 西川と草谷寺
10 古代の真土峠
9 天誅組の門
8 まちや館
7 大澤寺
6 女性俳句会「紅樹」
5 柿博物館
4 五新鉄道
3 伊勢街道
2 吉野川
1 地名の由来



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2 五條を蛇行する吉野川

五條の真ん中を吉野川がくねくねと蛇行しながら流れています。吉野川といえば四国徳島の川が有名ですが、五條の川も同じ名前の吉野川です。水源は吉野地方だからこちらの方が本家なのです。
ただ五條から下流は紀ノ川と名が変わり、この名前が全国的に知られているため、奈良県の吉野川は、いつのまにか四国の吉野川に名前をとられた形になっています。
 歴史的には奈良県と和歌山県は、昔は大和と紀州といわれた時代から、この川の水利権をめぐっていつも対立してきており、それが川の名前も県境で変わってしまうことになったのかも知れません。
五條はこの吉野川のおかげで発展してきました。上流の吉野の山々は杉と檜で覆われており、昔はそれを切りだして筏で五條に運び製材してきました。筏を流せるように川の改修も行われたそうです。昭和30年代までは吉野川の筏はよく見かけました。その後、吉野の奥地にも道路ができトラック輸送の時代がしばらく続きました。
 しかし、日本の経済成長で外材が安く輸入できる時代になり、五條の産業の中心であった製材所は次々に閉鎖に追い込まれました。
 五條の吉野川は蛇行が激しくその曲線の内側の河川敷が広く、そこには良質の砂利が豊富にありました。製材が下火になりだしたころから砂利採集が盛んになりました。いつのまにか五條で羽振りのいいのは製材屋から砂利屋に変わりました。しかし砂利は無限にはありません。今は取り尽くされて五條市川端の河川敷も荒れてしまいました。
 これからは川をきれいに整備し、川のあるきれいな五條の町を再生する時代です。五條にとって吉野川は貴重な財産です。奈良県南部で大きな川が流れている町は吉野川沿いの吉野町、大淀町、五條市だけです。五條が新たな町おこしをするとしても吉野川ぬきでは考えられないでしょう。
 以下は吉野川にかかる五條市の6つの橋からの川の写真です。

阿太橋

阿太橋からの上流側の写真。この3km上流の梁瀬橋が下市町との境界。この少し上流では雛流しの伝統行事が行われる。それは4月の第1日曜日、近くのお寺で雛供養が行なわれた後、着物姿のかわいい女の子の手で吉野川のお雛さまを清流に流す。 下流側の写真。ここから川は何度も大きく蛇行する。このあたりは鮎の釣場。

大昭橋

大昭橋からの上流側の写真。このあたりは吉野川で一番蛇行が激しい。川の左の山の200m左が下流が流れている。 下流側の写真。正面の山裾で流れが大きくUターンしている。正面の山は西吉野町で最近五條市と合併した。西吉野町は柿の名産地。

栄山寺橋

栄山寺橋からの上流側の写真。左の山裾に奈良時代に建てられた栄山寺がある。藤原武智麻呂が建立。川はここで瀬から淵になるので地元では栄山寺の前の川を音無川と呼んでいる。 下流側の写真。ここから視界が急に開け川は五條盆地に流れ込む。川の北岸が五條、南岸が野原地区。遠くの山々は吉野の山々で、さらに十津川の山々と続く紀伊半島の山岳地帯。

大川橋

大川橋からの上流側の写真。大川橋は五條の中心部にかかる橋で、十津川へ通じる国道168号線の橋。最近河川敷が整備された。毎年お盆にこの川原で花火大会が盛大に催される。 下流側の写真。大川橋の橋下で流れが南岸から東岸に変わる。流れの先の森は御霊(ごりょう)神社で、その崖下が曲渕と呼ばれていおり、そこでまたL字型に流れを変える。左の堤防の内側は古い町並みの新町。

御蔵橋

御蔵橋からの上流側の写真。橋の下は岩場の淵になっている。白い建物は吉野川流域の下水処理場で、川の水をきれいにして和歌山県に流している。 下流側の写真。右岸の広い河川敷は昔は松林だったが、今は上野(こうずけ)公園になっている。

阪合部橋

阪合部橋からの上流側の写真。右岸の森の中に念仏寺のだだ堂があり、ここで毎年1月14日夜,500年の伝統を誇る火の祭典「鬼走り」が行われる。燃えさかるたいまつを振りかざした父鬼・母鬼・子鬼が堂内を豪快に走り回り,住民の災厄を払う行事である。 下流側の写真。この先で左岸から東ノ川が、右岸から落合川が流れ込むがこの2つの支流が和歌山県橋本市との県境。