産地情報
我が家の近所の最新の産地の様子をお知らせします。



ここに出てくる産地名
奈良市菩提山
小平尾
奈良県御所市朝町(三盛・竜神鉱山)
奈良県宇陀郡大宇陀町本郷(神戸鉱山)
大峠
木屋
法花寺野
穴虫



奈良市菩提山
2000.12.3(日)
 相変わらずですね。
 先人の荒らした後は見受けられないので安心しています。
 落ち葉がたくさん落ちて、大変見にくい状況でしたが、見分けのための沢は、やはりすごく綺麗で、白雲母や長石がきらきら光ってすごく華やかに見えました。
 今度は、もっと上に登ってみようと思います。(沢のもっと上にも石英や長石・白黒雲母が見えているものですからね!)



奈良県 小平尾
2000.7.21(日)
 褐鉄鋼の産地として有名なところで、木内石亭の雲根誌にも出ている産地です。
 昔の産地の噂を聞いていたので、そこを目指しましたが、全く分からず。ちょうど老人が集会所に集まっておられたので、情報を収集すると、今は、ここからは出ないとのことでした。
 しかし、最近ではひっきりなしに、住宅が造成されているので、今でも、新しい造成地を探せば採れるとのことでした。
 2000年に褐鉄鋼が採れた造成地を紹介していただき、そこへ向かいましたが、あまりにも大きな造成地で、ひっきりなしに大型ダンプが出入りしているもので、紹介していただいた人も探せないうちに、車の移動を余儀なくされ断念しました。
 タイミングと根気さえあれば、何とかなりそうですね。



奈良県御所市朝町(三盛・竜神鉱山)
2000.6.4(日)
 ここ10数年行っていなかったのですが、近くに出張があったので様子を見てきました。
 しばらく行かなかったせいで、様子が分かりませんでした。
 仕方がないので、また地元の人に聞くことにしました。ちょうど水田の用意でたくさんの人が外に出ておられたので場所はすぐにわかりました。
 中でも、最後に教えていただいた増山さんとおっしゃる方がちょうど犬の散歩に来ておられて、最後まで案内をしていただき、貴重なお話を聞かせていただけました。
 ここには三盛・竜神鉱山の二つの鉱山があり、奥の三盛鉱山は健在だが、手前の竜神鉱山は土砂崩れのためズリや坑道は埋もれてしまったこと、
三盛鉱山は横抗・竜神鉱山は縦坑と横抗からなっていたこと、
三盛鉱山にはもう一つ坑道があり合わせて3つの坑道があった場所、
トロッコなどはなく天秤棒で鉱石を運んでいたこと、
山向こうの禿げ山の衣?笠(きぬがせ)山にもう一つ坑道があったこと、
京奈和道(高速道路)がこの鉱山後の真上を通るようで、測量技師が来て測量の目印を置いていったこと、
などを教えていただきました。
 しかし、この京奈和道はくせもので、幅40mの4車線道路だそうで、三盛・竜神鉱山がちょうどすっぽりその敷地内に入ってしまうように測量の目印を置いていってあるのには驚きました。どうやらここ数年で三盛・竜神鉱山は姿を消してしまいそうです。
 車から700mほど、増山さんと2匹の犬と一緒にお話を聞かせていただきながら歩いて、たんぼが尽きた辺りで、やっと見覚えのある小さい丸木橋にさしかかりました。三盛鉱山の事務所か選鉱所跡らしい石組みと平坦な場所が確認できましたが、増山さんを待たせるのも悪いので採集は最小限にとどめました。
 それでもズリは華やかで、目にも鮮やかな緑がすごくきれいでした。
 先人がズリを掘った後が少し見受けられ、10数年前に来たときには発見できなかった所も増山さんが下から指示して下さり見つけることができました。
 ズリの表面にあった6個ほどの鉱石を採っただけで引き返しましたが、今度来るときには大スコップを持ってくればもう少し良い標本が得られそうです。
 また、川の中にも良い鉱石が流れ出ているようで、田植えをしておられた方が、もっときれいな物が採れるとおっしゃっていたので今度は長靴で挑戦しようと思います。
 鉱石の中には黄銅鉱や輝安鉱(石墨)のような物もありました。




奈良県宇陀郡大宇陀町本郷(神戸鉱山)
2000.5.4(木)
 ここ10数年行っていなかったもので、全く場所を特定できませんでした。
 と言うのも、新しい二車線道路があちこちにできていて、昔の道が全くわからなくなっているのです。
 選鉱所跡らしいところは何となく判別できたのですが、時間が無くて特定までできませんでした。また、小学校は分校だったので、どこかに統合されたようで、今は校舎も見えませんでした。
 しかし、新しい二車線道路の「ある所」に白い粘土の層が見えていました、今回は石採りが目的ではなかったので、車から降りて見ることはできませんでしたが、大峠針道の風化した白雲母のような色でしたので、次の機会には見てきたいと思っています。
 詳しく調べられたらレポートします。

2000.8.5(土)
 今回は少し時間があったので、人に聞きながら行って来ました。
 2000年の6月にポータブルのカーナビを買ったこともあって、その性能を試すために使ってみました。まずまずですが、木立の中にはいると、衛星が捉えられなくて止まってしまいます。(仕方ないですね!)
 5月に行ったときに見つけていた選鉱所跡はやはり自分の思っていたとおりの場所でした。建物の上に「白石カルシウム」と看板が出ていました。小学校も校舎こそないものの、門にはちゃんと本郷小学校の文字がありました。今は集会所に使われているようです。
 私たちが昔に採集したズリは全て撤去されて畑に変わっていました。
 その辺りで、地元の老人を見つけてお話を伺うと、隣の集落にNさんとおっしゃる方が、神戸鉱山の跡地の横でお住まいしておられることを聞くことができました。
 早速そこに向かうと、昔に採集していた所とは少し離れた所で、場所はすぐに分かりました。
 Nさんはおられるかどうか分からないとお聞きしていたのですが、偶然にも玄関前に到着するとご本人が庭で作業中で外に出ておられました。
 そこで、しばらくお話を伺うことができました。
※ 坑道のあった場所。
※ 当時アンチモンが主に採取されていたこと。
※ 坑道は横抗で山の中腹にまで達していること。
※ 今はもう採れる所はないこと。
※ 農機具の小屋が当時の事務所のままの建物であること。
などを教えていただきました。

 ちなみに、道の横に出ていた白い粘土の層は風化した花崗質岩?の風化した物で黄鉄鋼のような鉱物は全くありませんでした。




大峠
2000.8.5(土)
 見に行ってきました。
 1997年の台風で道がどうなっているのか心配だったのですが、どこかのHPに台風後に行ったレポートを見つけて安心はしていました。
 道はそのままで、崩れもせずちゃんと最後まで行くことができました。木も倒れたところはちゃんと通れるように処理してくれてありました。
 行き止まりまで行っても何もかも昔のままのようでしたが、車から降りて産地に向かうと、すごく土が削られていました。大雨の水で削られたようです。
 果たして産地も30Cmくらいの赤土と山土をかぶってしまい、大きなスコップを持ってこないと採集は不可能なようです。
 先人がかろうじて杉の木の根に残っていた白い粘土の層をスコップで掘り取った後がありましたが、たぶん黄鉄鋼の採集は無理だったでしょう。念のため同じ白い粘土を持って帰りました。




木屋
1999.10.23(土)
 秋の気候の良いときにと思って、子ども二人と見に行ってきました。
 前に行ったのはもう1年以上前で、産地の様子も変わっているだろうと見てきました。
 まず驚いたのは、京奈和道が延びて、国道24号線の奈良市側にかなり入り込んでいることでした。奈良市在住の私は、道順を間違えることもなく行くことができましたが、始めていく人はどうでしょうか。新しい車線や新しい高架の下をくぐり、車線も消したり付けたりで、ややこしくはなっていますが、前に車があれば、後ろをついていくことで何とかなるでしょう。
 次に産地ですが、採石もかなり進み、事務所が移動していました。昔は国道136号線を挟んで採石所と反対の木津川の河原近くにあったのですが、今は採石所内の西側(大阪方面)にプレハブができていました。3歳の子供がいるので、中には入りませんでしたが、昔積んであった紅柱石のいっぱい入ったゴロタ石は姿を消し、新しい通路が出来ていました。
 採集には、お願いして中に入れていただくしか方法はなくなったようです。
 砕石された石の方も少なく、すぐに搬出されているようで、ストックされているものはほとんどなかったようです。土曜日だったので石が少なかったのかも知れませんが、採石はかなり進んでいました。





法花寺野
1999.10.23(土)
 1999年の7月頃に様子を見に行ったことがあったのですが、3年間ほどは余り変化もせず、採石もあまりされていなかった様子で、新しい収穫物などは無かったのですが、今はちょうど採石の真っ最中で様子ががらりと変わっていました。
 向かって右側(西)にあったベンチカットの崖はすべて崩され、大きくえぐり取られていました。砕石された物もたくさん置かれていました。
 ただ鉱物的には、マンガンの層には当たっていないようで、マンガンを含む物はごくまれになり、母岩の花崗岩やグライゼン化されたような物がほとんどでした。
 後は「地球の宝探し」にあった隣灰ウランの層(黄色いのでそう思っているだけで違うかも知れません。)がほんの少し見える程度で、左側(東)にしのぶ石の小さい物が少し見えただけでした。
 ただ、花崗岩の層が見えてきていて、満磐ザクロ石が入った物が多く採集できました。しかし、ザクロ石の大きさは1mm以下で花崗岩に染鉱状についているだけであまり見栄えのする物ではありませんでした。
 石英脈を探したのですが、出て無かったようです。
 しかも、崖が急で危なくって近寄れず、露頭下での採集しかできませんでした。
 ここでのバラ輝石の採集は少し時間が経たないとダメなようです。
 ただ、どんどん採石をしているようなので、いつ良い脈が出てくるか判らないので、目を光らせておくことが必要なようです。

1999.11.21(日)
 実家で貰ったお米を精米しようと思っていたら、木津のJAに無人精米所があるのを思い出し、行くことにしました。
 家から18分くらいで法花寺野に着きましたが、妻も子供もいたので採石場の前を通り過ぎただけですが、一ヶ月前とほとんど変わらぬ様子で、ユンボの位置は変わっていましたが、出ている石自体は変わりないように見えました。
 昼の3時頃でしたが、国道24号線の京奈和道との合流点や、国道163号線の合流点はやはり渋滞で、特に奈良市内向きの方向はすごく混んで、裏道を通ったので少しはましでしたが、家に帰るのには25分ほどかかりました。

2000.5.3(水)
 春の陽気につられて、法花寺野の露頭の真下の木津川で河原でバーベキューをしに行って来ました。
 ゴールデンウイークということもあって、道路はすごい混みようでした。しかし、そこは地元の人間で土地勘があるので、スーパー裏道を使って20分ほどで着きました。(まともに国道ばかりで行くと1時間以上はかかったでしょう。)
 午後4時くらいにバーベキューを切り上げて、10分ほど様子を見に行きました。
 向かって右側の露頭はかなり採石が進み、道の反対の採石を集めた所には、小山のように大量の採石が積み上げられていました。しかし、その中にはバラ輝石・園石などは全く見られませんでした。
 採石場を向かって右側から左側に露頭を見ていくと、前に、しのぶ石の小さい物が少し見えた所に、小さいながらバラ輝石の露頭が顔を出していました。
 実は10回以上もこの産地を訪れながら実は露頭で採集したのはこれが始めてのことで、いつもは転石の中から割り取っていたので、今回が初めてといってもいい経験でした。
 花崗岩を貫く層状のマンガンのピンクや風化した黒い筋が褶曲して見えています。その中にまた、石英の脈が貫いています。この石英の脈は白い色で、まわり(風化したマンガンの黒)とのコントラストがすごくはっきりして、遠目に見てもすぐ目に付きます。
 先人が少し割り取った後の残り物をちょうだいして帰ってきましたが、バラ輝石はすごく硬くて、いつもは「たがね」と「大・中ハンマー」を持っていくことにしています。(ゴーグルがあれば尚いいですね。)
 しかし今回は家族サービスがメインなので手ぶらで行きました。したがって、先人のおこぼれしかいただけなかったわけです。
 ベンチカットされた露頭の右の一段目に、かなりよい色の物がありましたが、先人も苦労して割り取った様子がうかがえました。ここでの採集は心して行ってほしいと思います。
 また、露頭も少なそうですので、控えめな採集をお願いしたいと思います。




穴虫
1999.10.4
ガーネット・サファイア
 大きい物は見つからなくなりました。
 1999年の8月に名古屋の方からお手紙を頂き、早速見に行ってきましたが、昔の面影はなく、掘っても掘っても小さな物ばかり出てくるだけでした。
 おまけに、今まではなかった不明鉱物もたくさん混じり込んでおり、どうやらダンプから運ばれた他の鉱物や、竹田川上流にあった、昔の砥石工場から流れ出た人造ダイヤの様な物が見えました。褐鉄鉱のような物も見つかりましたが、ダンプの荷台から落ちてきたのでしょう。
 竹田川の下流に高山台という住宅地が造成されていますが、その横の水田や畦道に細かなガーネットを見ることができます。
 また、同じような物は、大阪側に出て、ミカン園の前あたりの水田にも見られますが、長い間耕耘機でかき回されて、砕けており、採集に値するような物ではなくなっています。やはり採集は、山の中がいいでしょう。
 竹田川の上流のサファイアもよく見ると、透明感のない0.2mmくらいの物が少し確認できましたが、標本には向かないでしょう。


サヌカイト
 ゆっくり探すと、あちこちで見つけることができます。
 昔に比べて少なくなり、大きな物はなかなか見なくなりましたが、それでもまだきれいな音の鳴る物から、ガラス度の高い物まで時間をかければ見つかります。
 ガーネット・サファイアの産出場所を中心に半径2Km位の所でいたるところから見つけだすことができます。
 ただ、「どんずる峰」という景勝地や二上山の南側は国定(立?)公園に位置するので、採集は禁じられています。
 「どんずる峰」という景勝地と同じ地層は前出の高山台という造成地にも出ていて、同じ岩石が得られます。また、高山台には含石榴石安山岩の砕石された物が道路脇に敷かれていて、どうやら、疋田砕石が、持ち込んだ物のようです。
 我が家の鉱物採集の方にも書きましたが、ここにはガラス度の高いサヌカイトが得られます。
 しかし、1999.10.4にあちこちバリケードが築かれ、入り口は国道165号線の太子町に抜ける三叉路の反対側だけが出入りできる道になっています。
 ただ、もうすぐ住宅の売り出しが始まるようで、家が建ってしまえば、採集は難しいでしょう。



2000.3.30
ガーネット・サファイア
 ふと、半日ほど時間に余裕ができたので竹田川に行って来ました。
 採集道具は何も持たずに行ったので採集はしませんでしたが、「宝石探し」にある採集場所は、昔の雰囲気を取り戻しかけていました。
 なぜかというと、採集地の横にあった野球のグラウンドが今は使われなくなって、荒れ放題になっていたからで、竹田川になだれ込んでいた大量の赤土が削られ、昔のように上流からの土砂が流れ込んでくるようになったからです。
 川の中に入って少し砂をいじっていましたが、昔のように大量のガーネットが混ざっていました。周りをよく見ると大きな石ころの後ろのよどみには、赤いガーネットの筋ができるほどで懐かしい感じがしました。
 今であれば、大きなスコップを持ち込んで底をかき回せば良質の物が出そうに思いました。
 ただ、車の置き所には困りました。置く場所がない上に、朝8時頃に大型ダンプの出入りが一番激しく、5分に一度は必ず通る感じで、おまけに砕石を積みに来るダンプと運び出すダンプが対向して、とてにも置けるようなスペースはありませんでした。
 もし車を置かれるのなら、近鉄線のガードをくぐる前の舗装道路の広い場所に駐車するのが賢明でしょう。(ダンプとのトラブルは必至です。)


サヌカイト
 前日に太子町の方に行く用事があったので、「宝石探し」にある太子温泉の近くの産地を見てきました。地図にあった場所は運動公園の工事も終わり、あまり見かけませんでしたが、太子温泉の手前にある私有地にはたくさんありました。ただ私有地なので見ただけで採集はしませんでした。
 しかし、太子温泉へ入る道すがらの水田の石垣にもたくさんのサヌカイト(「宝石探し」では、カンカン石)が使ってあって、中には風化面の白い物ではなくて新鮮な黒いのもあったのが印象的でした。
 その帰りに、国道165号線の竹ノ内峠にさしかかると、釣り堀の100mくらい西側の国道の反対側に、真新しい切り崩しが見えたのでふと足を止めて見に行くと、結晶の大きな(3Cmくらい)花崗岩が見えていて、崖の下には風化してころりとはずれた長石の結晶が採れました。能勢町の物ほどハッキリとした形はありませんが、なかなかの物でした。
 また、同じ所で花崗岩の割れ目に深緑の結晶が付いた物がごろごろ転がっていました。これは何でしょうね?そういえば保育社の「原色岩石図鑑」(P33)に大阪府南河内郡(太子町)山田村 竹ノ内峠産の標本が一つだけ載っていましたっけ。あれは含かんらん石花崗岩でしたが、何か関係があるのでしょうか?(これは後にリンク集にもある、「鑛物採集」の管理者の方からmailがあり、どうやらなんでもない物のようでした。また、上記の長石の結晶もここの物ではなく、どこかから持ってこられた物でした。混乱させてすいませんでした。)

2000.8.3(木)
ガーネット・サファイア
 2時間ほどかけて竹田川を掘ってきました。
 場所は「宝石探し」に書いてある場所です。
 思った通り、昔の様子を取り戻しているようですが、そろそろ終わろうかという時に、採石所の方が来られて怒られてしまいました。
 どうやら、水田に泥水が入るので採集は困るとのことで、今の所、「宝石探し」に書いてある場所は、全て私有地の中に入っているので、採集は不可能になったようです。
 水田の水を引いていないときなら採集は許されるかもしれませんが、採石所の事務所を通して許可をもらわないといけなくなったようです。
 昔のように、誰でもが好きに採っていた頃には、春には山菜採りのおばさん、秋には登山の方がおられて、よく立ち話をしたものですが、今は殺伐とした雰囲気になってしまいました。
 二上山に登った方にお話を伺うと、この場所に下りてくる登山道は閉鎖されて、ロープが張られているそうです。






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