滋賀県木之本町出口土倉(土倉鉱山) |
採集できる石
鉱物名 | 量 | コメント |
---|---|---|
ジャスパー | 多い | たくさんあります |
黄鉄鉱 | 少ない | 母岩の中に少し見えます |
黄銅鉱 | 少ない | 母岩の中に少し見えます |
小ツ組からの続き
木之元インターを過ぎ、今度は一路、土倉鉱山を目指すことにした。土倉鉱山は国道303号線を東にちょうど20Kmである。30分程で目的地に到着できそうだ。車のトリップメーターを0に戻そうかと迷ったが、私の家からの距離も知りたかったので、今ある数字に20を足して、目標の距離数とした。地図によると土倉鉱山は山の中の一本道で他に間違えそうな所もないので、気楽な感じでのんびりツーリングできそうである。と考えている内に、何か前の車がたくさんならんで動かなくなった。目の前に信号があって、赤なので止まっていることはわかるのだが、それにしては直進の左車線がガラすきである。地元の車につられて右折の車線に入ってしまったと思い、思わず空いている直進の車線に入ってしまったのだ。(後ろで3歳の娘が、昨日ビデオで見たアンパンマンのセリフの「私は魔女よ〜」を連呼し、意味のわからぬ「鮎美はあゆみ」を50回も聞いた後なので、少し気が散っていたのかも知れない。息子は嫌に静かだなと思って後ろを見ると、お昼寝のようである。)がら空きの車線にはいるとどうも様子がおかしい。私の前後の全ての車が右折するようだ。上の標識を見てやっと理由がわかった。国道が90度右に曲がっているのである。今日はよく道に迷う。あらためて地図を見ると、すっかり忘れていたが、国道303号線は木之元インターを降りてすぐは、少し複雑になっていて、2回ほど右に曲がった後、ループ状に来た道の上を通って行かねばならない。後は一本道なのであるが、午前中の騒動ですっかり忘れてしまっていたのである。職場の友人がもっているナビゲーションシステムが本当にうらやましくなった。私は1999年の今でも「地図ナビ」なのである。
初めの2Km程は薬屋さんなどが少しあるだけの、琵琶湖畔の平坦な道であったが、5Km程行くともう山道の様相を呈してきた。しかし、道は広い2車線で、すごく新しくなめらかなアスファルト舗装なので、快適な走りであった。ところが、先ほどから、黄色い看板が何回か出てきている。ルンルン気分でスピードも少し出ていたので看板の文字も見えにくかったのだが、どうも、「通行止め」と書いてあるらしい。
通行止めである!!
ここまで来て通行止めもないものだとは思うが、この看板だけで家路につくこともできず、行けるところまで行ってみて、ダメであれば戻るしかない。またもや情けない気持ちになって、先へ進むことになってしまった。
金居原までの15Kmはすごく道がよく、快適ではあるが、こんな所に鉱山がと思うような道のりであった。だが、最後の5Kmはそれらしい雰囲気の一車線の道になり心は高鳴るのであった。(いつの間にか、兄妹とも折り重なるように後部座席でお昼寝の時間になっていた。どおりで、静かなはずだと思った。子どもをお持ちの方はご理解していただけると思うが、子どもというものは1人たす1人は3人いや5人なのである。)ただ、いつ通行止めになるのか、曲がりくねった山道の先が見えないカーブごとに、黄色い通行止めのバーが出てくるのかと思いひやひやであった。
車のメーターがそろそろ予定の20Kmを指し、30分が経とうとした頃、ついに、黄色い通行止めのバーが出てきた。
あーあ、という心境である。
しかし、すでに車で20Km走ったのだから、後は歩いて歩けない距離ではないはずである。地学を目指す者は10Kmや20Kmくらい歩くのは朝飯前の輩がわんさかといることは色々な本で読んできた。そういえば、石友のK氏も「地学は体力」と何かの標語のようにしておられたことを思い出した。か弱いことは言っておられぬ。
とりあえず、歩いて行く決心をし、準備に取りかかった。しかし、急に採集旅行?に行こうと言うことになったので、装備は最低であった。石用のナップサックは職場に置いてあり、持ってこられなかった。中にはハンマー・たがね・ゴーグルなどが入っている。したがって今日は持ってきていない。持ってきたのは植木用のかわいいシャベルだけである。鉱石を入れるところもないので、朝御飯を入れていたプラスチックのバスケットを持って行くことにした。服装も、妻と子供達にはレジャーといってある手前、スラックスと開襟シャツに黒い運動靴といういでたちだった。自分でも思うのだが、この山の中で男一人でピクニックバスケットにシャベルを入れて、スラックスで歩いている人がいたら、さぞ気持ち悪いだろうと思う。たぶん私だったら見ただけで逃げてしまうだろう。
それでもできるだけの準備をし、不安を胸に歩きにかかった。歩き始めて10歩で嬉しくなってしまった。なんと、通行止めのバーの10m先が土倉鉱山への入り口だったのである。確か、地球の宝探しの本には、土倉鉱山の案内板が大きく立ててあるはずで、それを目印にしようと思っていたのだが、今はそれがなくなり、入り口の右側に50Cm×15Cmくらいの丸太の看板があるだけになっていたので気づかなかったのである。
入り口からは、広く大きな地道で、一歩を60Cmと考え、鉱山施設跡までを400歩くらいと予想しながら歩いていった。下に落ちている石に注意をしながら歩いていくと、色は悪いがジャスパーと思われる石が、割とたくさん落ちており、産地が近いことを教えてくれていた。
しかし、ここは、都会に住んでいる私?にとっては、気持ちの悪いところで、選鉱場跡の薄気味悪さもあるのだが、川をはさんだ向かい側の竹藪や林で所々木が揺れ動物の鳴き声があちこちから聞こえてくる。やはり誰かと一緒に来るべきであったと後悔したが、今から車に戻るのもしゃくだし、先に進むことにした。ただ、本の中で熊が出るようなことが書いてあったので、不安は増すばかりであった。(その一ヶ月くらい後で木之本町に熊出現のニュースを聞いてぞっとした。昨年の台風のために秋の実りが少なく、熊が里の方まで下りてきていたそうだ。よく出くわさなかったもので、新聞には小学生が下校の時に見たらしい。ちょうど、私がいた時間もそれくらいだったはずだ。)ただ、鳴き声から野猿であるらしいことは判るのだが、不安は消えなかった。
選鉱場跡から300mくらい行ったところの右手に小さな沢が見え、その左手に滋賀県ナンバーの青い車が一台置いてあった。横にはベビーカーが置いてある。何か似つかわしくないものを感じながら、ズリと思われる沢の手前の斜面に登ろうとしたとき、上に人影が見えた。白い服を着た男の人が一人、木陰にちらりと見える。どうも先ほどの車の主らしい。その人が登っていた跡らしい踏み分け道を、登っていくとやはりジャスパーを採っておられた。こういう時にはどんな物を採っておられるのか見せていただくのが一番で、午前中の小ツ組でもそうであったように、一番いい物を見せていただけるので、自分が採るときのいい目の保養になるのだ。
その方は、私よりは10歳くらい若そうで20歳後半のように思われた。こちらの方から声をかけ、今採った物を見せていただくことにした。黒地に赤い物が混じったブラッドストーンといえるような物、朱色のものなどを見せていただき、しっかり目に焼き付けた。お話を伺うと、本当に赤い物もたまにはあるそうで、今日は取れなかったとおっしゃっていた。しばらくお話を聞かせていただいた後、今度は自分の番である、石を落とさないように(割と急斜面のうえに石が尖っていて、もし当たればただでは済みそうにないやっかいなズリである。)横に回ってズリを掘り返しにかかった。だが、植木用のシャベルでは鉄石英に勝てるわけがない。仕方がないので、表面に落ちている物だけを探すことにした。いわゆる「落ち穂拾い式」採集法である。
何しろこの産地はズリが広く、うろうろ歩き回ってもどこにでもこの石が落ちている。草木が覆って全体は見渡せないが、相当広い範囲でズリがあると思われた。5分も歩き回れば、先ほど見せていただいたくらいの赤さの物が2つ得られた、ブラッドストーンは見つからなかったが、車に残してきた妻や子が心配になり、産地を後にすることにした。
さあ下りようとすると、下から「おとーさーん」という声がし、先ほどの方が、下りて行かれた。どうも、状況は私と同じようである。下りるている時に色は悪いがこのズリでは最大と思われる、25×15×15Cmくらいの塊をみつけ、ピクニックバスケットに入れて持ち帰ることにした。
しかし、このかごは非常に安定が悪い上に、片手がふさがってどうも歩きにくい。ついに、もう少しで道に出るところまで来てすっころんでしまった。しばらく起きあがれないほど痛かった。何しろお尻の下には、鉄石英がナイフのような角を出しているのだから。手のひらにも切り傷を作りながら、熊と決闘でもした後のようになりながら、車の所に戻る羽目になってしまった。(ズボンが破れなかっただけでも良かった。)
道に出ると先ほどの方が、採れた石を見に来られた、採ったときには気がつかなかったが、採った物の中に黄銅鉱と黄鉄鉱が見えた。考えて見れば、ここは金属鉱山であったはずで、出ても当たり前であったが、思っても見なかったので感激してしまった。もう少し時間があれば、良い物が採れそうである。
選鉱場跡まで戻ると、寝ていたはずの息子が迎えに来てくれていた。たった一人でここまでくるとは、自分の息子ながら、根性のある奴だと思った。私でも不安だったのに、8歳の子がよく一人でこられたものだと感心してしまった。息子とそんな話をしていると、道の下手から、妻と娘がおじいさんとおばあさんと共に歩いてくる。(あとキジと犬が出てきたら桃太郎である。)地元の方だそうで、今日は山菜取りに来られたらしい。車止めの前で車の中で寝ている娘を見て、お話が弾んだそうで、ここまで一緒に歩いてきたのだそうだ。その方の話では、もっと上にもズリがあり、すごく赤い物があると言うことだった。そして、そのまだ上に坑道口がコンクリートで塞がれているのが見えるそうだ。おばあさんと色々話しているうちに先ほどの方が、車で下りてこられた。2人の子どもと後部座席にはお嫁さんらしい方が疲れた顔で乗っておられた。石屋の嫁はどこの家でも苦労しているらしい。何か身につまされるものを感じるのは私だけだろうか。
私ももう少しここにいたかったが、今回は車で入れなかったので、次の回にまわすことにし、おじいさん達に別れを告げ、帰路についた。
しかし、春の日曜日はすごくたくさんの人が鉱物採集に出かけているもので、今回もたくさんの人に出会い助けていただいた。そして、この出会いが素敵で嬉しくて出かけていくような我が家の採集状況である。(たまには無愛想な人もいるのだが。)