採集できる石
鉱物名 | 量 | コメント |
辰砂 | 絶産 | 名残惜しいです |
輝安鉱 | 絶産 | 名残惜しいです |
黄鉄鉱 | 絶産 | 名残惜しいです |

1986年12月30日
寒い寒い冬の朝、石友のK氏と共に奈良県宇陀郡に出発した。実は、こんなものが採れるといった情報や、はっきりとした目的があったわけではなかった。ただ、宇陀郡といえば芳野に、あの有名な大和水銀鉱山があり、周辺には戦争の前後、小さい鉱脈を掘った跡が辺りにたくさんあるので、まあ、それらのズリや露頭が見つかればいいな、といった気持ちで出かけたのが本当のところであった。しかし、かねてから、辰砂のズリは鉱害のため、処分され残されてはいないということは耳にしていたし、何かを採って帰ろうなどという気持ちはほとんどなく、埋もれた昔の坑道でも眺めて、感慨に浸ってみるのも一興なものと思っていた。
また、山の反対側に黄鉄鉱の産地(針道大峠)があるので、何かがあるのではないかという思いで出かけただけであった。
自宅から約1時間ほどで宇陀郡に入り、まずは芳野の大和水銀鉱山の跡に行ったが、今はもう何もなく当時の面影も門の看板だけとなり、予想通り何も収穫のないまま、小さな水銀鉱山跡に行くことにした。しかし、道案内役もいない私たちは山の際の道を走り回るばかりで鉱山跡地すら見つけることはかなわなかった。唯一の頼りとしては、古い文献にかつての鉱山の名前と住所、産出の鉱物が少しばかりかかれた一覧表を入手していて、その住所だけを頼りに探して歩くが、全く手がかりもなかった。
まあ、この辺りの鉱山は戦争の前後に掘られたものが多く、数十年後の今となってはこんなものだろうと思い、別段何とも思わなかった。やはり、独身の暇つぶしで一カ所くらい見つかればよいかなとくらいに思い、うろうろすることにした。
うろうろすること約2時間、もう探し当てることはできないのかと半ばあきらめていたとき、黒木という場所にさしかかった。古い文献によるとここにも小さいながら鉱山があったようで、ほんの少しの解説があった。しかしどう探しても見つけることはできなかった。そうしているうちに、農家のおじさんが一人、家から出てこられるのが見えた。すかさず車を降りて話を聞かせていただくことにした。
このあたりに水銀鉱山があったことを尋ねると、いとも簡単に「そこだ」とおっしゃる。目を凝らしてみるが、そこは小さな沢の横の水田にしか見えない。失礼だが、もう一度訪ねると、やはりそこを指さしておられる。どうしてもわからないと音をあげてもう一度お聞きした。すると、水田の端っこに小さな井戸のようなものがあり、古い丸太に錆びた有刺鉄線の囲いがしてあった。ここが坑口であったと教えていただいた。
道理で判らないはずである。このような鉱山跡を誰が予想していようか。いや、誰もするわけがない。(高校で習った反語的表現である。)と、意味不明になりながら、2時間もかけて一つの鉱山も探し当てられなかった理由がやっと解った気がした。
しばらくこのおじさんにお話を聞かせていただくと、初め、水銀(辰砂)を探すため山師がこの沢を歩いて発見したことや、沢の上流にある崖には水銀の鉱脈が出ていた(今は家が建っている)こと、沢の転石の中にも辰砂の入ったものがあることなどを教えていただいた。
また、この鉱山が稼動中の最盛期には、すばらしい辰砂の鉱石と黄鉄鉱・輝安鉱が産出し、今、井戸のように見えている大きさの穴が斜めに100mほど続いていることなどを教えていただいた。
軍隊がやってきて、簡易に鉱石から水銀を製錬するために大砲の砲弾の薬きょうの中に鉱石を入れ、熱して水銀を蒸留置換したりするのを見た話も聞かせていただいた。
しかし、今ではズリはなく、鉱石は全く採れないとのことであった。川の中を丹念に叩けばあるいは出るかもしれないとはおっしゃっていたが、果たしてどうであろうか。
しばらく話を聞かせていただくと、そのおじさんとも打ち解け、雑談などもしているうちに、「家にそのときの鉱石がどこかにしまってあるので、見に来るか。」とのお誘いを受けた。早速、すぐ近くのおじさんの家の、農家の大きな玄関口で待たせていただいた。
5分ほどして、おじさんが一升マスのような木の箱に山のように積んだ鉱石を持って出てこられた。そっと上の方から手に取り眺めていくと、25Cmはあるすばらしい結晶付きの辰砂の鉱石や、15Cmはある、母岩の中にはまりこんだ輝安鉱の結晶や、2Cm近い正方形の黄鉄鉱の結晶など、当時の様子を忍ばせるに十分なものの数々が出てきた。うなり声をあげながら二人で鑑賞していると、おじさんは「それほど熱心に見てもらえるなら、持って帰ってもよい。」とのこと。「どうせ自分の家では誰も見ないから、あなた方のような人にずっと残してもらうのがいいだろう。」と分けていただいた。
黒木鉱山の最後の鉱石である。感慨深いものを感じながら、ありがたくいただくことにさせてもらった。(後でK氏と半分ずつに分けたが、辰砂の鉱石は一つだったので、K氏に持っていただくように話していたが、K氏は自前の鉱石ハンマーで一刀両断のもとに割って、仲良く半分わけをした。しかしその二つに割れた鉱石は寸分違わず真っ二つだったので、その腕前に私は感激してしまうほどであった。)その後、丁重にお礼を言って、黒木水銀鉱山を後にした。
もうお昼になっていた。
本郷へと続く
