奈良県奈良市菩提山


採集できる石
鉱物名コメント
白雲母多いきらきら光ってきれいです
ガーネット少ない少し掘らないとないですね
石英多いペグマタイトですから
長石多い小さい産地なのですぐなくなるでしょう
黒雲母少ないあまり見かけません

石を見る


1987年11月20日
 奈良といえばお水取りなど、観光で有名なところだが、奈良の市内にもまだ山の中の鉱物産地が存在する。いつものようにK氏に連れられて、その産地に行くことになった。菩提山という山の中にあるペグマタイトである。この産地のいわれは古く、なにやら新聞によると、古墳時代中期(五世紀)に祭器として使われていた事もあるようで、次に新聞の記事を載せておく。


峠越えの安全祈願?

古代の雲母片三片
奈良「柳生の里」阪原阪戸遺跡
祭祀具として使用か

 「柳生の里」の一角で、古代の峠越えの際の祭祀(さいし)跡という説のある奈良市阪原町の阪原阪戸遣跡(五〜八世紀)で二十三日までに、五世紀(古墳時代中期)ごろの雲母の結晶片三点が見つかった。

 薄片だが大きなものは三センチ近くもあり、元は一つの大きな結晶片だっだとみられる。鏡の単調な反射光とはひと味違い、角度によって微妙に変化する怪しい輝きに、峠での旅の安全祈願や外敵封じの願いを込めたとも推定される。
 雲母片は、五世紀の遺構で採取された土砂を選別中に、ごく小さな滑石製臼玉(うすだま)多数と一緒に見つかった。  厚さ一ミリほどで、南西約十キロに雲母の産地が知られており、祭祀用に持ち込まれたとみられる。
 調査を担当した奈良県文化財保存課の木下亘主査は「臼玉はビーズのように糸につないで使われたとみられることから、雲母片も穴を開けて糸を通し、キラキラ光る祭祀具として使ったのではないか」としている。
 同遺跡は大和から東国への峠に当たる山間部に位置。石組み溝で引いた水を水槽で浄化するなど、五世紀から八世紀(奈良時代)にかけての大掛かりな「水の祭祀」跡が二年前に確認された。
 峠越えのみそぎに使われたとする説のほか、在地豪族の豊作祈願の祭りとする見方なども出ている。


 古くはこんな様子で使われていたらしいが、この新聞の記事の中にも「南西約十キロ」と、この産地の場所が特定できる部分が載っているので興味深く読んで、スクラップしてあったものである。最近(もちろん前記の時代よりも新しいという意味で、少なくとも1940年代の事である。)では、珪石を掘ろうと試掘はしたようだが、あまり質がよくなく放棄されたようである。
 この産地の標本の写真は益富寿之助氏の「鉱物 優しい鉱物学」の中に写真が載っている。最近ではポケット図鑑「日本の鉱物」のP259に同じ標本の写真が載っているのでよく知っていた。しかし、産地に行くのは初めてで、最初の時は興奮した。

 私の家から奈良市まで50分ほどで到着した。正歴寺というお寺の手前を右手に折れ、10軒ほどの民家を過ぎると道の舗装もなくなり、車一台がやっとの地道になってしまう。そこから500mほど上った左手の崖に、そのペグマタイトはあった。
 まわりはすごい山で、3mを越える山椒や春蘭、ミョウガにクレソンが自生している。(1999年この産地を訪れたが、山椒や春蘭は採られてなくなっていた。自然は大切にしたいものである。)
 登り道がわからず下から見上げたが、何も見えず、単なる落ち葉がたくさん積もった杉の林である。小さい沢(すごい斜面である)を5mほど上って横を見ると、試掘跡のひさしのようにになった天井と、窪みが見えた。この沢もすごく白雲母や石英塊や長石が転げていてきれいである。ほかにも似た沢が流れているが、こんなに華やかに見えるのはこの沢だけである。石英と雲母はここの方が良いものが採れ、特に石英の中に埋もれた雲母は成長の様子がよくわかり、晶出の順番のわかるものがある。しかし、水でふやけてふにゃふにゃになっているのが欠点である。
 さっそく採集に取りかかるが、落ち葉が積もって岩は見えない。落ち葉をかき分けるとようやく石が出てくるが、あまり良いものは採れなかった。少し掘らなければ出てこないようである。しかし、上につきだしているひさしのようになった岩が気になってなかなか深く掘ることはできなかった。
 それでもガーネットのついたものや、益富寿之助氏の「鉱物 優しい鉱物学」の中に載っている写真にそっくりな長石の中に白雲母が同時晶出したものなどを採ることができた。
 帰りに道を歩いていると、民家の石垣にきれいなガーネットの入った石が組み込まれていた。さすがにこれは、手も足も出ず指をくわえるだけであった。今でも産地から川を下ってもこのような石に出会える可能性があるとは思いながら今に至ってしまっている。

 1999年にこの産地を訪れたが、舗装道路が拡張され山の上まで延びていた。かつての産地がわからなくて、もしかしたら道路拡張のために崩されたかと思った。しばらく探しやっと発見した。まだ産地は健在で、人が入った様子もなかったので一安心であった。
 この時は、産地の様子だけを見るだけにとどめた。産地が小さいのでもうすぐ何も採れなくなることは明らかであるし、そっとしておこうと思ったのだ。実はもう一つ理由があって、息子と一緒に火打ち石を作っていて、石英を採りに来たのであった。
 火打ち石というと、石と石をたたきつけて火をおこすと考えている人が割といらっしゃるので驚いてしまう。本当は鉄と石で、鉄を削ぐように石をこすりつけて鉄を摩擦熱で火の玉にするのである。鉄が削がれた時に酸化する酸化熱も加わるのではないかと思うのだが、専門でないので私には分からない。
 しかし、鉄の鋼(弓鋸の歯の反対が最適です。)はホームセンターで買えるが、石の方は採りに行くしかないので、ここへ来てみたのだった。ただ、火打ち石に本当に良い石は、チャートやジャスパーなどといったものであるようだ。石英はクラックが多すぎて、鋼に当てるとすぐに欠けてしまって、なかなか火玉ができないのである。
 結局、京都の木津川で採ったチャートが、火の付きが一番良かった。


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