奈良県御所市朝町(三盛・竜神鉱山)


採集できる石
鉱物名コメント
班銅鉱多い石英脈の中に
自然銅少ない運しだいですね
孔雀石多い2次鉱物です

石を見る


1985年9月29日

 例によってK氏と共に、今日は奈良の地元にある鉱山を訪れようと言うことになった。「鉱物採集を趣味にしていながら、地元の鉱山のことも知らないとは情けない。」ということもあって、出かけてみることにした。しかし、奈良県の鉱山は戦争の前後に掘られたものが多く、何が何でも金属資源の増産が叫ばれていた頃で、たくさんの鉱石が産出していた話はついぞ聞かない。その鉱山の多くはすぐ閉じられ、忘れ去られていったものもたくさんある。古い文献によると鉱山はたくさんあるが、そのほとんどは今はもう朽ち果て、何も残っていないところが多い。
 そんな中でも、私がいつも通勤に使っている国道24号線のすぐ近くにありながら、足を運んでいない鉱山があることに気がついて、せめて現状の調査だけでもしてみようと言うことになったのであった。
 しかし、文献は古いものであり、むろん地図も付いていないので、住所だけが頼りであった。
 場所はあらかじめ地図で確認をしていたが、「ここだ」という場所の特定まではできていなかった。
 いつもの気楽さもあり、分からなくて元々で、数十年前の小さな鉱山の跡が今でも残っている方がおかしいのであって、現状の調査が今回の目的である。と、そういいきかせての出発であった。

 まずは、国道から東に折れ、朝町という所に向かった。この道は細く普通車の対向がやっとの舗装道路であるが、私は地元の人間である。これまでに何度も通ったことがある道である。土地勘があるというどころの話ではない。生活の中で使うこともある道なのである。しかし、今まで鉱山の存在を知らずに通ってきたのでそんなことにはお構いなしだった。朝町の場所はすぐ分かるのだが、目を皿のようにして探すが、鉱山跡のような所は全く見えず、そうこうしている間に、次の集落まで来てしまった。仕方なしに戻ることになった。今度は反対から見れば見つかるかも知れないとまたも一生懸命さがしたが、全く分からなかった。

 やはり、自分たちの目だけでは探しきれないと思われる。いつものことだが、こういう時には地元の人に聞くのが一番である。(私も地元だが、ここからは6Kmは離れている。年齢からいっても鉱山のことは知っているわけがない。)鉱山のありそうな場所を想像してその場所に一番近い農家の家にリサーチを試みた。いつもながらの突発的な思いつきの行為である。果たして、これが大当たりであった。
 中から初老の女性が出てこられ、鉱山のことを詳しく知っておられると言うことであった。自分の夫が鉱山に働きに行っていて、お昼のお弁当を持って毎日通っていたことを教えていただいた。それならば歩いていける距離にそこはあるはずである。
 にわかに色めき立って、K氏と共に話に聞き入った。鉱山はやはり戦争の前後に掘られたもので、わりと盛大に掘っていたらしい。そこまでお話を聞かせていただいて、ぶしつけながら案内を頼んでみたが、私よりも夫の方が詳しいので夫に頼んでくれとのことで、夫を探しに行かれたがもう農作業に出かけられた後のようであった。とりあえずあらかたの場所だけを聞き、現場に行くことにして、歩き始めた。棚田の横のあぜ道を上っていき、水田がなくなった所で小川にぶつかる。そこからは杉の山があるだけだが、この真正面が鉱山であったらしい。今はそんな様子は全く見えなかった。これでは分からないはずである。

 丸太の踏み板で小川を渡って、杉山の中にはいるとわりと涼しい風が吹いていた。しかし鉱山を思わせるものは全くなかった。教えていただいたとおりに先に進むと、鉱山事務所の跡らしき物が見てきた。間違いなく鉱山跡とは思えるが、見た限りではそれ以外に何も見えなかった。しかし杉林の薄暗さが、やっと目になれてくると様子はうっすらと分かってきた。しかし、杉の木はすでに幹の直径が30Cm近くになり、普通の杉山にしか見えないが、もしこの杉がなかったらと考えてみると、ズリらしい山肌や貯鉱場だった跡らしいところが分かってきた。
 下枝もあまり刈っていない杉の林は、移動もままならず、あまり全体を見渡すことはできなかったが、採集に取りかかることにした。だが、ズリの表面は下草や杉の根でおおわれ、下の石を出すのに苦労した。この様子ではここ数十年は人が訪れていないらしいと思われた。
 しかし、出てくる石ごとに銅を含む鉱物がついている。ズリと思われる所もわりと大きいように思われるが、よくは分からなかった。表面はヤケて変色はしているが、銅なので華やかに思われた。割って新鮮な部分を出してみるときれいな面がいくつも現れた。時間とともに変色していく部分もある。斑銅鉱であろうか。ただ、石は最大7Cmくらいだが、鉱物の脈は薄く石英の間を充填しているような感じである。母岩は花崗岩の中に貫入した石英の脈で、その石英脈に鉱石が挟まっている感じである。

 しばらく石をたたき、歩き回ったが、坑口も発見できぬままであった。しかし、銅の二次鉱物も多く見られ、じっくり探せば、他の鉱物も見つかるように思われる。ただ肉眼鑑定は難しく一応孔雀石としているが、実際は珪孔雀石かブロシャン銅鉱も混ざっていると思われる。
 帰りがけに、川の中にも入ってみると、白い石が見えた。拾い上げてみると7Cmくらいの乳白色の石英に黄銅鉱だか自然銅だかの脈が走っている、川ズレの激しい物を見つけた。この小川の上流にも露頭がありそうである。

 こうして、採集を終えたが、二週間ほど後に国道24号線の風の森峠というシャレた名前の峠の御所市側の坂の途中に採石場が見えるので立ち寄ってみた。花崗岩ばかりで何も見えなかったが、下の露頭のクラックにほんの小さい銅の二次鉱物らしき物が見える。孔雀石かと思うのが4ヶ所くらい見えた。朝町からの続きであろうと思うがどうであろうか。
 また、その坂を下りきった室(むろ)という所にも採石場があるが、ここは花崗岩ばかりで何も出ない。風化も激しく、まさ土になっていてすごく危ない所であった。ちなみに、まさ土はこのあたりでは御所(ごせ)土と呼んでいる。


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