参加者 RONさん、まだまださん、なおやん
大阪七墓巡りと聞いた時に、私は大阪七坂巡りと勘違いした。前行ったけどなあと思ってよくよく聞いてみたら「七墓(ななはか)」だった。
まだまだくんにもらった資料によると・・・
資料によると、大阪夏の陣で荒廃した大阪の復興事業であったそうだ。
千日、小橋村(谷町九丁目から上本町)、葭原(天六)、南浜、梅田に新しく飛田、野田も加えて七墓となった。
江戸時代にはお盆のレジャーをかねた行事でもあったようだ。
明治になって、大阪府の市街地の拡張と神道奨励から火葬禁止令(明治6年)がでた。
市街化が進んでなかった天王寺、長柄、岩崎町に土葬用埋葬地を確保。
千日、飛田は、阿倍野(明治7年)へと改葬した。つまり、墓地は都市の中心部からじわじわと外に追いやられたとも言える。
明治8年に火葬禁止令は解除される。土葬に比べて火葬すれば敷地が狭くできるからだろう。
梅田、葭原は、長柄(今の大阪市設 北霊園)に改葬。
5月16日の朝、大阪市 南浜霊園に集まったのは・・・・・・・・・
30年前のレポートなら、「むっさいオッサンが三人集まった。行くとこないんかい」となるところだが、
オッサンではない、「むっさい後期高齢者寸前のオジンが三人集まった。やることないんやなあ・・・」
なおやんは8時半過ぎに着いた、まだ誰も来てないやろと思ったら、RONさんが来ていた。ほんまに、することないんかい!!!
ぐだぐだとつまらん話をしていると、まだまださんがやってきた。

行基さんは、大阪出身で民衆のために道路、橋や治水そして貧民救済などに力を尽くしやがては、東大寺の大仏建立の責任者にもなる偉い人だ。
近鉄奈良駅を地上に出たら、像が立っているのを見た人も多いだろう。
実は、この行基さんの像は昔のRCOの集合場所であった。
写真の碑によると南浜墓地を開基したのが、奈良時代の行基さんであるから、墓地としては古いものだろう。
この南浜霊園は、市設でありながら荒れている。草ぼうぼうになっている。
江戸時代の大阪三郷の大火の死者などの慰霊碑も残っている。
梅田墓地は、元々は曽根崎村にあったものを梅田に移設した。
それで、グランフロントの再開発工事の時に、大量の人骨が出てきたらしい。
地蔵尊は四天王寺に、人骨は一心寺に埋葬されたようだ。
曽根崎の第一ビルの屋上に慰霊のために祭っているとまだまださんの提案で梅田に向かう。
第一ビルのエレベータで上がればいいのだが、ビアガーデン開催中はダメらしいがビールを飲みにいくついでならいいらしい。
日を改めて行ってみよう。

行ってみたものの・・・10時からだという。最初の一時間無料の自転車置き場に置いてきたから止めておこう。
またの機会に行くことにしよう。
ここからは、都島のほうに走ることにする。
勝手知ったる、まだまださんの案内で、大阪市の北斎場、北霊園と経由しても野江の刑場と向かう。
大坂夏の陣で大坂方についた者の処刑され近くの川は血で染まったらしい。
刑場の跡地近くにあったという京街道沿いに榎並地蔵(えなみじぞう)がまつられている。

つぎに目指すのは蒲生墓地。
京橋の商店街のアーケードを自転車を押して通り抜ける。
焼き鳥が美味しそうやなあ。
京橋駅近くにある蒲生墓地は、なじみのある墓地。
なんせ有名な居酒屋とよの裏だ。
まだ開店前だったので、人は少ないのでよかった。
蒲生墓地は、資料によると最も昔の旧態を残しているとのことだが、中に入ることはできないのが残念。
入ったところに六地蔵がある。
また「金」という字をばらした墓石がある。商いは忍耐が第一ということらしい。
見たかったな。
自転車は南の方角に向けて走る。つるさんの公団の住まいを見上げて合掌
腹が減ってきたので東高津公園に行こうとしたが、真田山の陸軍墓地に。
大阪七墓巡りに含まれていないが、ここを外さない手はないだろう。
昔はどこからでも入れたように思ったが、最近は出入口が厳しくなったようだ。
北側の入り口に自転車を置いて中に入る。
明治になって大阪を陸軍の地にしようとしたようだ。
近くに陸軍病院が作られている。
西南戦争で負傷した兵士が陸軍病院に入院し亡くなった人の墓標がある。
古い墓標は砂岩でできており、もろくなっているのも多い。
この墓地と隣接している三光神社の空き地で昼飯、
目の前で人になれたノラ猫が遊んでいる。
RONさんに、温かい豚汁をいただいてのんびりタイム。
しょうもない話をいつまでもしていたら時間がなくなる。
昼飯の場所代として三光神社におまいりをした。

小橋墓地は、廃止されて移転してしまったが、東高津公園の片隅に墓地にあった3体の地蔵をお祀りした東高津延命地蔵堂あるのみとなった。
繁華街に近づいてきた。
日本橋から難波の間にある三津寺墓地に向かう。
ここは千日墓地が廃止・移転して移動してきた安井道頓などの墓があるのみとなっている。
西成の中心を通って、南墓地に向かう。
昼間から集まって酒盛りをしているようだ。
いきなり大きな墓地が見えた
信号を渡って細い道に入ると、大阪の歴史街道のマークが入っている。
後で、まだまださんの調査によると、天下茶屋聖天に向かう街道らしい。
帰り道か、女子高校生の集団の中に中を自転車をゆっくりと走る。
そうしたら阿倍野墓地である、大阪市南霊園にきた。
これは、かなり大きいし整備されている。
入り口のところにある鳥居のある大きな墓は、東洋紡関係のようだ。
今までの墓地は狭かったけど、ここは広々としている。
大阪七墓巡りはこれでエンドなのだが、まだ行くところがある。
道を戻って天王寺の一心寺に向かう。
会長もここに納骨されている。線香とローソク買っておまいりをする。
境内でアホな話に笑い転げながら解散としよう。
次回をお楽しみに。
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