「科学技術&アニメーション」第2集・夢 発行記念
2004.1.23 東京中央局(初日指定局) 絵入り手押しハト印 & 機械ハト印 |

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「スーパージェッター」は絵は久松文雄、原作は筒井康隆 他・・・。
筒井康隆と言えば、その後「時を駆ける少女」を書いている。
ジェッター君は30世紀からやってきたタイムパトロールで、悪人を追いかけているうちにタイムマシン流星号が20世紀に不時着した、と言う設定だ。いつも特種を追いかけている女流カメラマンの水島カオルさんは、たまたまジェッター君と出遭い、科学省長官を紹介し、その後もジェッター君と行動を共にすることが多い。そう、この物語のヒロイン。 |
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「年賀葉書展示会」小型印
2004.1.1 水戸千波局・水戸下市局・水戸元吉田局 小型印 |
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水戸市の吉田神社で臨時郵便局が開設され、小型印が使用されていました。
年賀状には絵入り印を押して差し出したかったので、はるばる押印に行きました。(^^ゞ
「見ざる、聞かざる、言わざる」はよく聞く言葉ですが、無関心や知らんふり、はいけないと思います。ただ、他人のプライバシーに首を突っ込むおせっかいはいけない、過ぎたるは及ばざるが如し・・・と思っています。 |
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神田北神保町局 新風景印使用開始記念
2003.12.19 |

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台切手 1999.8.23発行 20世紀デザイン切手シリーズ 第1集より 夏目漱石「吾輩は猫である」「坊ちゃん」
風景印意匠は千代田区立お茶の水小学校にある夏目漱石作「吾輩は猫である」の石碑と本を描く。
右は「開局100周年」記念小型印。意匠は明治39年頃使用されていた日付印を描く。
近くにあるお茶の水小学校(当時は錦華小学校」)に漱石が11歳の頃通学したので、碑がある。
テーマがおもしろいのでぜひ絵を描きたくなった。(^.^)
「吾輩は猫である」は小5のときのクリスマスプレゼントで、ポプラ社の「新日本少年少女文学全集」が今も手元にある。後に買った文庫本は紙が焼け、文字も小さくてとても読む気になれず、大半は処分してしまったが、この本は、年少の親戚の子にあげなさい、と言われてもどうしても手放せなかった。他に「シートンの動物記」もほんとうは手放したくなかったのだが・・・。こちらは甥に受け継がれているようなのでありがたいことでしょう。(^^ゞ
さて、漱石の本は、学生時代にほぼ読了したが、ほんとうは理解はしていなかったと思う。(^_^.) それぞれに印象に残っている部分はあるが、人生経験ですよね・・・。
今回、絵を描くに当たって「猫」を部分的に読み返してみた。「吾輩」はペルシァ産の猫のごとく黄をふくめる淡灰色にうるしのごとき斑入りのひふを有している。・・と言う記述があり、主人に似てやせている・・・。主人、くしゃみ先生は、漱石がモデルでもあり、胃弱でカイゼル髭を生やし、教師で、勉強家らしく見せているが、実は書斎で読みかけの本によだれをたらしながら居眠りをしている・・・。
漱石の絵は早稲田南町の漱石山房の書斎での写真を参考に、カイゼル髭に変え、居眠りをしている図にした。「吾輩」は縁側でまどろみながらも、片目を開けて世間の様子を覗っている・・・。
切手は10連刷に1枚の切手で、こんなことが起ころうとは思っていませんでしたから大変でした。(^_^.)
局長へ記念に1部差し上げてきましたが、とても喜んでいただいたようです。(^.^)
他には、赤いポストの上で寝ている猫の切手も使いました。
合わせて、12/19の日記もご覧ください。 |
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「科学技術&アニメーション」第1集・夢 発行記念
2003.12.16 東京中央局(初日指定局) 絵入り手押しハト印 & 機械ハト印 |

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鉄腕アトムは2003.4.7が誕生日。
・・・その記念すべき年でもあり、SFアニメの王道、と言うことでアトムが選ばれたのでしょう。現在放映中の鉄腕アトムは見ていませんが、手塚治虫氏が執筆していた頃の鉄腕アトムを思い出して・・・。アトムはいつも正義の味方で、人間との狭間でいろいろなことに悩み・・・その最後は壮絶でした。ほんとうはその場面を描きたいとも思ったのですが。
切手は1シートに2枚と6枚入っている2種が発行され、全部でアトムの切手は4種類。それぞれ連ですが、ほんとうは別の種類をきれいに貼り合わせられればよかったのですが、自信が無いのでできませんでした。(^_^.)
小さなこだわりは、スプライン曲線でアトムの顔型を作って、切手の表題と同じようにしてみたこと。(^.^) |
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「平成16年・年賀切手」発行記念
2003.11.14 東京中央局絵入り手押し特印 & 機械特印 |

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サイズ 124×183ミリ |
お正月にはまだ間がありますが。(^^ゞ
何しろ切手貼りが難しかったです。(^_^.) パターンとしてはここ3年、同じようにカードを作成しているので楽なのですが、プリンタの調子が悪いので大変でした。(;_;)
★近日中にこのカード(と、今年の未年のカード)の分譲をいたします。
やはりお正月に間に合うように手元に欲しいとのご要望がありましたので。 |
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「奄美群島復帰50周年」発行記念
2003.11.7 東京中央局絵入り手押し特印 & 機械特印 |

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沖縄が戦後長いことアメリカに占領されていたことは知っていても、奄美群島のことは遠い歴史の中のことのように感じてしまいがちです・・・。
でも、奄美大島や喜界島出身の方を大人になってから知り、そう言うことにも思いを馳せることがあります。
田中一村は栃木出身で、晩年千葉から奄美に渡り、独特の風土を描き、死後、多くのファンを持つようになります。特に昆虫ファンには有名のようですね。
名画が切手になり、その記念カード用に絵を描いてみる・・・と言うのはある意味冒険ですが、本来の意味どおり、奄美群島の絵として、手押し特印に合わせて、ヒシバデイゴとツマベニチョウを描いてみました。 |
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「平成15年文化人切手 斎藤茂吉」発行記念
2003.11.4 東京中央局絵入り機械特印 ハト入り和文印 |

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斎藤茂吉・没後50年(1882-1953)です。
わたしにとっての斎藤茂吉は、北杜夫の父親像が全てと言っても過言ではありません。(^_^.)
歌について、文学について理解しているわけではありません・・・
父の本棚にあった北杜夫著「どくとるマンボウ航海記」を手始めに、高校の頃からクラスメートの影響でマンボウシリーズに親しみ、「楡家の人々」に感銘を受け、作中人物の楡徹吉のモデルとなった斎藤茂吉に思い入れがあったのです。(^^ゞ
大変な秀才でありながら、楡家に婿養子に来て、もっと研究をしたいのに、脳病院の再建に身を捧げさせられ、関東大震災、第2次大戦で貴重な資料を失くし、晩年は偏屈さを増し・・・ 北杜夫の描く活き活きとした人間像により、わたしの中の茂吉は出来上がりました。
この絵は何枚かの写真を元に、切手のように気難しい感じでは無く、柔らかい表情の時を描いてみました。 |
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国際文通週間 安藤広重画「東海道五十三次之内 宮」
2003.10.6
東京中央局ハト入り和文印
東京中央局絵入り機械印
川崎本町局小型印 |

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サイズ 132×176ミリ |
原画は安藤広重画 宝永堂版「宮(熱田神事)」
宮宿は熱田神宮から1里半。
この絵は、毎年5月5日に近隣の村人たちが馬を熱田神宮へ引いて行って奉納した「馬の塔」と言う行事を示している。
その時の馬には、豪華に飾り立てた本馬と、裸馬に粗篭(あらごも)を巻きつけた俄馬(にわかうま)があり、神宮へ拝礼した後、村人達は俄馬を走らせて競争する習わしとなっていたそうだ。・・・それぞれに揃いの半纏を着て、馬を走らせる集団。でも競争とは言え、それほど真剣勝負ではなかったのか、笑顔の人が多い。不思議なのは猫背の人が大変多いこと。ひとりひとりの役割、体格、姿勢、表情、履物・・・活き活きとした描写を写し取りながら、時代や、広重の技術を勉強して行っている感じです。
カードに仕立てる関係で、縦型に切り取り、わたしの絵では人は間引いています。(^_^.) |
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国際文通週間 安藤広重画「東海道五十三次之内 川崎」
2003.10.6
川崎中央局小型印
川崎本町局小型印
川崎港局小型印 |

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サイズ 132×176ミリ |
原画は安藤広重画 宝永堂版「川崎(六郷渡舟)」
八幡塚村から川崎宿へは六郷川(多摩川の下流の呼び名)を渡らねばならないが、橋は大洪水のたびに流され、その補修の費用が嵩むので、渡し舟に切り替えられたとのこと。この日は良い天気で、遠く富士山や大山を望みながらゆったりと船旅を楽しんでいる模様。(^.^)
こちらも、縦型にまとめるため、富士山を左に寄せました。(^^ゞ
版画ですから少ない色数で、部分によっては黄と黒を重ねて緑を表現したり・・・カラーマークがあったら・・・と思いながら、色分解をしてみます。(^^ゞ
刷りによって、赤が濃いものも、切手のように薄いものもあるようです。 |
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台東竜泉局 風景印新規使用記念
2003.10.1 |

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台切手 1981.11.27発行 近代美術シリーズ第11集 鏑木清方「一葉」
開局45周年に合わせ、すぐ近くの台東区立一葉記念館と樋口一葉を描いた風景印が使用開始になりました。一葉は明治5年生まれ、肺炎で24年の生涯を終えますが、明治26年7月から10ヶ月ほど竜泉寺町に暮らし、この地を舞台に「たけくらべ」を制作しました。
来年、一葉が5000円札に登場するので、注目度もかなり上がっていますが、記念館は早々に建て替えとのこと、また図改されるのかな?とちょっと心配でないこともありませんが。(^_^.)
一葉記念館に行くと、あの時代にもかかわらず、一葉の写真は何枚もあることが分かりました。子どもの頃から大変な記憶力と理解力で、本を読むのが大好きだったが、母親が女性に学問は要らないと小学校しか行かせてもらえなかったため、隠れて暗い場所で本を読んでいて近眼になったそうだ。そのため肩こりがひどく、大変な頭痛もちだったそうです。時代が悪かったのですね・・・。
でも、どの写真を見ても、一葉はとても美貌です。
鏑木清方の絵(上の切手)も、羽石光志の絵(風景印)も、24歳で夭折した一葉にしては老け込んでいるし写真と似ているように見えません。
左の8円切手は少し顔が腫れぼったいような・・・?(^_^.)
戸主として家族を養うのに大変な苦労をしていたとは言え、世間知らずでもなく、世の中を深く見つめ、恋もした一葉・・・ひたむきな表情で描きたいと思いました。いつのまにか、自分の作り上げた一葉の姿を描いているようで、写真とは似てはいないかもしれません。(^_^.) |