2007年7月オーストリアのSLを訪ねて  

 7月10日(火)

 例によって大韓航空にて福岡より出発であるがチェックインでは初めてeクーポンなるA4用紙の紙切れであった。無事にウイーンまでの荷物の送付と搭乗券をフランクフルトまでをもらったがフランクフルトからウイーンへのチケットは貰わなかった。

 インチョンからフランクフルト行の飛行機に搭乗すると予想通り新しいシートになっていた。

 フランクフルト空港でのウイーンへの搭乗券の入手場所が指示されて居らず少々ウロウロしたがカウンターが判るとすぐに終了した。 オーストリア航空にて移動するがかすかに夕焼けが残るウイーンへ到着、荷物も無事に到着しており、バスにてウイーン南駅へ、その後徒歩にてホテルへ向かい早々にシャワーを浴びてビールを飲んで寝る。

 

 7月11日(水)

 5時には目が覚めてゆっくり準備してチェックアウト、外は涼し過ぎるぐらいであった。直ぐに駅へ向かい、朝食のサンドイッチと多めの飲み物に非常用のパンも購入するがこれは必須である。

 最初の目的地ウンツマルクに5分遅れで到着、接続時間が短く少々心配したが小さな駅でバス乗り場もすぐに解り無事にバスに乗車、約2時間近いバスの旅でTamsweg駅前終点に到着す。この鉄道は私鉄の狭軌の路線でどういう訳か火曜日と水曜日だけSLの運転が有っているのだ。

 MurauからのSL列車が到着して間もない時間でSLに石炭を積み込んでいる最中で、早速沢山の写真とビデオも撮る。SudBahnhofSLの付け替えが終わったのでTamsweg駅のレストランにて昼食とする。ビールは地元のメーカーのようであったが酵母の味が残っているビールだった。

 時間となり早めにレストランを出たのだがすでに列車にはどこから来たのか多くの客が乗っており、どうにか一人がけの席にありついた。出発間近になるとアコーデオン奏者がやってきて演奏を始めたが、やがて出発前に客車に乗り込んで車内での演奏が始まった。        

 列車は下りなので煙もあまり吐くことなく増水した川の横を下って行ったがスピードはゆっくりであった。Murau駅に到着後SLの入れ換えと給水、さらに格納庫のなかのSLも撮影し、途中で検討を着けていた撮影ポイントへ向かう。行きつ戻りつ迷いながら、さらに坂の上り下りもしながら汗をかきかき何とか40分ほどでたどり着いた。

 思った時間より少々遅れて列車がやってきたのでゆっくり撮影が出来た。荷物を片付け、またまた汗をかきかき駅まで引き返し、レストランでビールを飲む。このビールが後で効いて、列車でUnzmarktへ向かうが下り勾配で景色も単調なためについ寝込んでしまい終着駅で他の乗客に起こされてしまった。

 本日の宿泊地Villachでは駅から歩いてホテルを探すがなかなか解らず地元の人に尋ねやっとたどり着いた。メールチェックを2ユーロですませ、シャワー、洗濯をして夕食へ出かけるが夜の9時過ぎのホテル近辺にはレストランは無く、ホテルのレストランにて済ませた。当然ビールを飲んでバタンキューで就寝す。

 

 7月12日(木)

 駅までの石畳の道を歩き、早めに着いたVillach駅で昼食のサンドイッチと水を購入する。列車は乗客が少なくのんびり出来た。途中の車窓はすばらしく、高い山々には雪が残り、しかも数日前雪が降ったように感じられた。アルプス山脈の末端を越えるだけに高いところまでくねくねと上り左側には深い谷が続いていた。やがてサミットに達し、長いトンネルを抜けたがトンネルの出口の駅ではカーキャリーに車の積み込みをやっていた。

乗換駅Schwarzach-St.Veltに到着。途中では小雨が降っていたが高原地帯を抜け、オメガカーブを通るとやがて雨上がりのJenbachに到着、荷物をロッカーに預ける。このロッカーの使用方法が判らず少々観察を要し、うまくいって引き替えのコインが出てきたので喜ぶと見ていた人が笑っていた。

 Achensee鉄道のSL列車には乗る時間が無く、駅から近くて地図にて検討をつけていた撮影ポイントにて待つことしばし、下りの列車があまり大きな音を立てることもなく降りてきた。急いで撮影にかかりビデオとカメラの両方で撮影する。大忙しである。

 次のAchensee行の登りの列車もここで撮影することにして待っていたが発車時間となり駅の方を見ていると黒煙が噴き上がるのが見えだした。やがてドラフトの音が聞こえ始め、だんだん大きくなり、間近に黒煙が見え出すと先頭車両が顔を出してきた。登りなのでスピードは遅く沢山の写真がとれたがどれか使い物となるのが有ればよいのだが・・。通り過ぎてからもしばらくの間ドラフトの音が鳴り響いていたが余韻がすばらしかった、

 もう一度下りの列車の撮影後に駅まで戻ると先ほど下った列車の石炭の積み込みと水の給水が行われているのが撮影できた。

その後、マイヤーホーフェン行の乗り場へ向かう。SLの入れ替えとSL列車の発車して行くところを撮影後に後続のディーゼルカーに乗車。途中でSL列車を追い抜くのである。

 ZellamZillarにて下車するが結構大きな街で駅前にてSL列車を迎え、到着と発車を撮影する。

 Jenbachへ戻り、預けた荷物を取り出し、Salzburgへ向かうが空いていてほっとする。この列車はドイツ領内を経由するがドイツ領内はノンストップでオーストリアの乗車券だけでOKなのである。

雨のザルツブルグに到着、持ってきた地図を頼りにホテルにたどり着けたがホテルの部屋ではインターネットが出来ない!ホテルのレストランで夕食とす。雨は上がったようで明日の天気を気にしながら、ビールとワインで酔っぱらってバタンキュー。

 

 7月13日(金)

 メールで福岡は台風接近とのこと、今回はインターネットの接続が利用できず自宅のTVが見られないので情報がさっぱりである。早朝のザルツブルグ市内を歩き、7時になったので急いでホテルへもどり朝食をいただき駅へ行く。

 駅前のバスターミナルの自動販売機でのチケットの購入方法をゆっくりと観察、なんと地元の人に教えてあげられるまでになり、往復の切符を購入できた。バスにてSt.Gilgenへ向かうが、St.Gilgenの街が見えたところの景色は素晴らしかった。

 船に乗り換えだが接続が悪く、しばし時間つぶしに散歩するがモーツアルトゆかりの地で記念館や小さなバイオリンを弾く像があった。

 船は途中の港に数カ所寄ってSt.Wolfgangに向かったがその途中で山の中腹に黒煙が上がるのが見えたがノスタルジックトレインの煙であろう。ミュージカル映画「サウンドオブミュージック」に出てきた列車である

まもなく水上飛行機が数機泊まっている港へ到着。港の真ん前がシャッフルベルグ鉄道の駅ですでにお客さんがいっぱいで行列をしていた。

 列車は2両編成で2組の列車が連続して出発する森の中を進み森林限界を過ぎたところのSchaflbergAlp駅で下車する。

 ここから頂上へ向けて登りながらSLの撮影をするつもりであるが早速下車した列車の発車風景と、やがて上方に見えだしたのをしっかり撮影する。さらに、20分ほど登った所で線路沿いの地点で先ほどの列車が下って来るのを撮影する。

 撮影後再び急いで登り、頂上駅にたどり着いた途端に1時間後の列車が到着、急いで撮影するがさすがに有名観光地日本人のグループも多い。

山頂まで登ると反対側は断崖絶壁で90度以上かと思われる。ゆっくり景色も撮影後にホテルのレストランで昼食。

 次の列車の時間となったので駅から少し下った急傾斜地で足場をしっかり考えて立ち、下りの2編成を撮影後に線路沿いまで出て線路横の登山道を下る。SchaflbergAlp駅で交換したノスタルジックトレインがやってくるので早めに場所を見つけビデオカメラをセットしカメラを構えて待機する。

 ノスタルジックトレインは旧型のSLと車両を使っていて、スピードが明らかに遅く、途中で止まってしまうのではと思うほどに遅い。天候は晴れですばらしく、ゆっくりと背景の山々を入れた写真が撮れた。

 再び下山、疲れもあってSchaflbergAlp駅にて後続の列車に乗車。満員の列車に乗り込み、St.Wolfgang駅に到着後はしばらく港にてぼんやりする。数種類の水上飛行機がしばしば離着水しているがなかなか離水しないものだ。3発の水上飛行機は始めて見た。

 次の列車が降りてくる時間となり鉄道駅に行くと一部の乗客が機関庫を覗いているではないか、あわてて下車口から降りてきた乗客の振りで入って行った。旧型の機関車があり、また解体した機関車の写真も含めて撮影できたがラックの歯車の着いた車輪も有った。

 バスにてザルツブルグへ戻る。シャワーを浴び、夕食へ向かう。ホテルでオーストリアンレストランを教えて貰ったが思った料理がなく不満であった。ビールとグラスワインでホテルに戻りバタンキュー。

 

7月14日(土)

  午前4時過ぎに目が覚め、まずは日記をつける。6時過ぎになり散歩に出かけモーツアルトの生家を探す。

7時になり教会の鐘の根を録音してホテルへ戻り朝食を済ませ、チェックアウトし荷物を持って駅へ向かう。

 ザルツブルグ始発のICでウイーンへ向かう。きわめて順調でほぼ定刻にウイーン西駅に到着するが車内や駅で日本人かな?違うかなと思うほとんどが韓国人ある。

 駅横のWestbahnホテルに早速荷物をあずけて本日の目的地ハンガリーのNagychenkへ向かう。まずは市電で南駅へ移動、12時57分発でWiennerNoustadtへ、乗り換えてGraz行に乗車する。

 この列車はオーストリアの列車なのにハンガリーの西の端を回って再びオーストリアのGrazへ行く列車でNagychenkへ直行する。Sopronからはハンガリーの国内列車となり、車掌が交代して出発、2駅でNagychenkに到着。すざましく田舎の駅で降りたのは私だけ。駅前には全くなーんにも無く、人っ子一人居ない。左右に行く道が有るだけで当然地図などの表示も無く、どちらに歩いて行くのかも解らない。

 検討をつけて右へ歩き出す。1Kmほどで教会の前で大きな道路に出る。ここに数名の人が居たので一生懸命Museamを尋ねるが地元の人では無いようだった。おじいちゃんが出てきて何とか解って左へ行きなさい、そうして右へと言っている様子。すると簡易な地図が立っていてそれで示して貰ってやっと判明、線路が遠くに記載してあった。

 そこから灼1Km位であったが右折する交差点の手前にMuseamへ800mの標識があった。急いで歩いて駅から約25分で到着。駅舎が見えたがその手前に公園のようなった所に数台の小さなSLが客車や貨車と共に展示してあった。とりあえず駅に行き何とか尋ねるとDL牽引の列車で、SLの運行は年間で数日しか無い、ことが判明する。

 次の運行は15時35分発で往復して16時30分帰着とのこと、折角ここまで来たのだから往復乗車することにする。発車前に急いで駅前に展示されているSL群を撮影する。時間になってやってきた列車にがっかり。まるで遊園地の乗り物である。そうしてその乗り心地のすごいこと、日本遊園地以下であった。

 とろで、気がつくと駅員もだが車掌にも子供が制帽をかぶったりカバンを持ったりして仕事をこなしている。踏切番も子供たちが立って敬礼して見送っていた。おそらく共産国時代には子供手鉄道として利用されていたのではなかろうか。

 終点まで約25分であったが終点のすぐ手前に車庫があり中が覗いてみると真っ暗な中にSLが駐まっているが見えた。鍵が掛かっており中を見ることは出来なかったのは遠路はるばるかすかな情報を頼りに来た者にとっては残念であった。

 終点は別の鉄道の駅に隣接しており情報が有り、接続が有るのならばこちらの方が楽では有る。再び、まさにがたがたと揺られて同じ道を引き返す。

 今度のNagychenkからの列車もWiennerNeustadt行きでしかもハンガリーの車両であったが、Sopronで下車してWienSudbahnhof行に乗り換える予定である。 Sopron駅で下車するとSudBahnhof行の列車が表示してあるプラットホームが見つからない!時間が迫るので改札口の女性に尋ねるとインターナショナルへ行けとのことであわてて駅舎から外に出た隣の出国口のある改札へ向かう。パスポートコントロールを抜けて改札口を通ると表示のプラットホームがあった。

 SudBahnhof行はオーストリア鉄道の電車であったが乗り心地は良い。しばらくカタンカタンと軽快に走っていたが国境の印が有ったかな?と思った途端にカタンカタンと言わなく無くなった。長尺レールに変わったのであるが、つまりオーストリア鉄道の管轄になったのだと思われた。お金のかけ方が違うのが良くわかる。

 ホテルに戻り改めてチェックイン、インターネットが出来るのを確認して早速30分の接続料でメールチェックをする。新たに160通ほどが来ていたが防災メールの多いこと。台風4号関連と思われた。そのほかに大事な連絡メールは無く、ほっとした。残りの時間はNHKの台風情報を見ていたが九州南部を横断し、九州北部にはあまり大きな被害はなさそうであった。

 その後シャワーと洗濯をして夕食へ。駅構内のレストランへ行くがテラスに出ると駅の上とは思われない静けさであった。例によってビールとワインであったが量を遠慮したので帰りに缶ビールを購入し部屋で飲んでやすむ。

 

7月15日(日)

 5時に起床、早速日記をつける。6時半になり出発準備をして朝食へ。本日はトラムに乗るにあたり24時間切符を購入する。SudBahnhof駅にて昼食用の非常用パンと水を購入して列車へ、時間があるので車中で日記の続きを書く。

WienerNeusdatでの乗り換えは余裕が有るはずであったがプラットホームを間違えてあわてることになった。1両のディーゼルカーで乗客は少なく谷間をどんどん登って行くが景色もなかなかであった。終点のRuchbergamSchneeberg駅に到着、下車するとなんと人だかりである。列車から降りたのはわずかなのに!

 早速切符購入の行列にならが案の定列の進みの遅いこと、やっと順番が来たが女の子だったが全くドイツ語だけ!!12時以降の列車には空席有りとの表示が出ているのにダメ!だけ。こちらの意図の伝えようもないので一端諦めて駅から徒歩圏内でSLの撮影場所を探すことにする。

 急いで線路沿いを歩き、汗をかきかきたどり着いた牧場の中に入り込んだ地点でビデオを設置し、カメラを構えてSLを待った。

 10時15分発のSLは定刻を過ぎたあたりに煙が上がり動き出した。やがて先頭の客車が見えだし、少々の上り坂なのでドラフトの音を立ててやって来るのをしっかりと撮影する。

 すぐに駅まで戻り再びチケットの行列に並ぶ。こちら(海外)では窓口での相談者が多くて一人一人に時間がかかり気の短い私にはつらいものがある。並んでいる間に切符の販売状況を見ていてキャンセルが出たりしているのを確認、11時と12時の列車には各一人の空席が続いていた。一人で来る者が少ないのだろう。やっと順番が来て今度は時間のメモを渡すとスムースにOKとなりなーんだ、であった。

 12時発の切符を手に入れたので少々時間があり、駅のカフェにてアイスクリームを食べ、ちょっとパソコンを入力して、11時半に行列の先頭に並ぶ。ここで先発列車の先頭に並んだ日本人グループとしばし話となるが地元駐在の方々で、福岡市内出身の方も居られた。

 町並みを抜けると森の中でいよいよ風が吹かず大変暑く子供たちがむずかっている。高度があがってもなかなか涼しくならない。どういう訳かヒュッテ?の前で休憩があった。ここで名物のパンが販売(先ほどの日本人からの情報)されており昼食に購入するが焼きたての柔らかい食パンみたいで中にジャムが押し込んであった。

 10分ぐらいの休憩タイムで出発。まもなく森林限界をこえて景色は良くなるが暑さはあまり変わらない。高度は1770mほどだがあまり涼しくない。とりあえず乗客の下車風景を撮影した。

 間近なホテルへ向かう人たちもいたが時間つぶしをかねて人が歩いて行く山道を登る。しばらく登ると山頂が見えだし、雪の残りも見えたがジャージー種と思われる牛の放牧も有っていた。はい松も生えた草地は花盛りで白、黄、紫などの花がいっぱいであった。少し先にヒュッテが有ってみんながそこへ向かっているのが解った。

 しばし休憩の後、時間を見計らって下山、停車中のSLの撮影を済ませ、降りてゆくSLを撮るために草原の中に入り込む。一面お花畑で気が引けるがなるべく花を踏まないように入って行く。しばらく待ってSLを撮影し、駅に戻り次の列車で下山する。

 RuchbergamSchneeberg駅に着くと乗り換え列車が停まっており、日本人のグループの方と再び顔をあわせたので挨拶して乗車、WienerNeustadt経由で帰る。

SudBahnhof駅からNo18のトラムでホテルへ戻り、例によって入浴、メールチェックを済ませ、残った時間でTVの相撲を見てから夕食へ。再度トラムにてSudBahnhof駅近くのオーストリア料理店へ出かけて行く。24時間チケットを持っているので気楽に移動できる。日本人の団体や外人さんの団体も居たが地元の人も居たので良い店なのでしょうが料理はお肉と別にサラダを頼んだが量の多いこと、味はそこそこであった。 

 

7月16日(月)日本は祭日

 5時過ぎに起床、例によって日記をつける。本日の出発は8時過ぎと遅いのだ。朝食後に西駅へ、8時25分発のブダペスト行きに30分前には乗車して待っていると横のホームにミュンヘンからの夜行列車が到着、夜行は疲れるだろうなーと思って眺めていた。するとその車両の後半4両ほどが切り離されて私の乗った車両の前方に連結された。

 定刻に出発、路線はきわめて単調で時に丘陵の間を走ることもあるが平原の農業地域をひたすら走る。麦、ひまわり、トウモロコシとブドウがほとんどである。一部に甜菜?パプリカ?がある。ブダペスト市内入ってからドナウ川を渡るが思ったほど大きな川幅ではなかった。

 ブダペスト東駅に到着後まずは現金(フリント)の入手であるがキャッシュディスペンサーを試みる。使用法は画面で何となく解り、無事に3000フリント(約1500円)をゲット。これで足りるのだろうかと心配になるが・・。そうして移動のために地下鉄へ向かう。

 ここで問題発生、地下鉄が工事中でバスの代行運転中である、地下鉄ならば路線は単純、乗り方も単純で乗り場もすぐに解るのだが。地下鉄の駅が閉まっているので切符売り場も解らない。運転手が切符販売や検札をせずに時々いきなりの取り締まりで無賃乗車を摘発するやり方なのでトラブル回避にはまずは切符である。上がったり下がったりするも不明、ついにポリスに尋ねて端っこに開いた売り場を発見し無事に一日券を購入する。

 今度は代行バスの乗り場探しである。案内の矢印で駅前に戻ると目の前を代行バスが通り過ぎるが目の前のバス停には止まらない。反対側で乗せてUターンをしているのかと移動するも不明、やっと目の前を通り過ぎたはるか先の方でバスが停まり乗降が有っているのを発見。地下に降りてやっとたどり着く。1種類の案内紙をあちらこちらに貼り付けてあるので方向が不正確だったし、駅前に停まるものとの思いこみで地下鉄の駅前に停まるのだと解る。

 バス代行から地下鉄へ無事に乗り換えるが地下鉄のプラットホームの深いこと、博多駅よりも深い。次に地下鉄から王宮バスへの乗り換えであるがこの案内もまるで無し。駅前のバス停に乗り場は無く、ウロウロして尋ねてやっと解るが階段を上がった道路にバス停はあった。なんと不親切なこと。バス停にお城の絵が描いてあるので城バスの停留所と解るがバスには10番と書いてある。もちろん地名も描いてあるが意味は全く不明。運転手に尋ねて乗車する。 

 無事にお城に到着、徒歩でくさり橋の見える側で写真を撮りながら移動。ここのくさり橋は残念ながら期待外れであった。プラハのカレラ橋があまりにも素晴らしかったので今回も歴史有るくさり橋には大いに期待していたのだったが。

 城内にレストランが有ったので昼食に入る。名物のグヤーシュスープを頼む、それだけ?という感じだがボリュームが心配でそれだけ、で済ませるがやってきたのはまさに小さな普通のスープ。で、追加に奮発してフォアグラのソテーを頼む。ハンガリーはフォアグラの名産地であるので。さすがおいしかったですねー、満足しました。もっとも料金も今回の旅行中で最高の食事代金でしたが、といっても4千円ぐらいであった。

  昼食後しばらく王宮からくさり橋と市内を撮影する。その後ケーブルカーを700フリントはたいて乗車するが2分も乗ったかな?くさり橋を渡った公園の日陰に行きしばらく寝そべってのんびりしていた。時間を見計らって地下鉄で西駅へ行く。早め早めであるが観光は目的でないので列車の出発時間までひまなので仕方がない。

 チェコのブルノ行に乗車するが車内の暑いこと!!プラットホームに出て待ち、その間に夕食のサンドイッチとジュースを買うが700フリント(約350円)であった。この列車の車両はチェコのもので古くて汚いなーだった。

 時間に出発、途中ドナウ川沿いの景色の良いところを抜ける。平原の中を走るのみで途中で夕食にサンドイッチを食べる。夕焼けの中をブドビッチェに到着、駅前の写真を1枚撮って、ウイーン南駅行きに乗車するがスロバキアの車両であった。

 発車するとすぐに出国のパスポートチェックがあった。南駅からそそくさとトラムにて西駅へ、ピザのテクアウトとビールを買って帰り、メールをしながらの夕食となった。日本透析医会のホームページを見ると報道の具合からは大変な地震であったようだが透析施設の被害は全くなしのようで一安心する。このホテルはネット接続が30分1.5ユーロであったので毎朝晩利用する。その後入浴後にビールを飲んで眠る。

 

7月17日(火)

 5時前に目が覚め荷物の整理もあることだし起き出す。バッグの中身の整頓を行いきちんとパッケージをする。ウイーンで預けて福岡で受け取るつもりでカメラバックの不要のものも移す。来たときよりもほとんど増えていないつもりだが重く感じる。最後のメールチェックを行うがワードの添付文が来ていたがオフィスの認証が済んでなくて使えないのが傑作だった。

 朝食後にチェックアウトしホテルに荷物を預け、ドナウ川沿いの路線を乗りに行く。7時30分発で、StPeltenで乗り換え丘陵地帯をゆっくりと下ってゆきKom'sadDonauへ、終点直前でドナウ川を渡る。さらに乗り換え終点のSpitzanderDonauまで行くが途中はみごとなブドウ畑、ワイナリー地帯でまるでライン川流域とそっくりであった。

 帰りの列車までは特にすることも無いので河畔へ行きノンビリと時間を過ごすが大きな観光船が泊まっており、大きな犬の散歩をする姿も眺められた。

 早めに町中をウインドウショッピングしながら駅へ。11時10分に乗る予定で待っていると駅員がその列車は乗れないので次の11時31分発に乗りなさい、とのことで一段と駅で待つことになった。

 その列車が時間になってもやってこない!6分ほどの遅れでやって来たがすぐに折り返そうともせず出発が8分ぐらいの遅れとなったがこの程度の遅れならば接続するだろうからとほっとする。途中で台湾人の親子が乗ってきた。

 Krem'sadDonauに着くと台湾人とおぼしき親子は向かいの列車にこれだこれだといった感じで乗ってしまう。こちらは間違ったら大変だと時間表を覗いてこの列車で良いのだと思ったときにはその列車は出て行ってしまった!

 さすがにこれはしまった!!である。慌てて時刻を調べ12時36分発の普通列車にて予定の路線をWienFranz-josefs駅へ向かうか、来た路線を逆戻りするかであった。いろいろ考え、接続列車の遅れなどいろいろと考え目前に止まっている普通列車でウイーンへ帰ることにした。その頃に本来乗る予定だった列車が到着した。

 タクシーでホテルへ向かうも思ったより遠く10ユーロであった。荷物を受け取り駅前のエアポートバス降り場へ行くと発車時間間近になってやっとバスが来たひやっとしたがこれで間違いなく飛行機に間に合うだろうと思われた。

 空港でチェックインの際に福岡まで荷物を預けた。搭乗券はフランクフルトまででそこで福岡までのチケットを貰ってくださいとのこと。

フランクフルト国際空港では大韓航空のカウンターにて搭乗券を手に入れ出国手続きに並ぶが身体検査が厳密で海外ではベルトまで外さされる。中ではワインを1本だけ購入、ユーロが高いこと高いこと。その後はラウンジサービスに行き日本語新聞と飲み物を貰い時間をつぶす。

夕食後少々居眠りをしてその後はがんばって起きていることとし、ビデオを見て、日記を付け、さらに雑誌を読んで時間をつぶす。横の客はずーっと寝ているが時差ぼけにはどちらがいいのだろう。窓の外はきれいな夕焼けが見える。地平線全部が夕焼けでいわゆる白夜と同じなのだろう、かすかに地表の形が見える。

 

7月18日(水)

 朝食のサービスが始まったのは中国の国境を越えてからであった。13時前にインチョン空港に無事到着。早速KALラウンジに行き、メールチェックを行ったがインターネットを使用するには受付でID、パスワードをもらう必要があった。その後は睡魔と戦いながら日記をつけ、新聞を読んで時間をつぶす。

時間となり職員へのおみやげを買って出発、福岡空港に到着。一人旅だが税関で目を付けられることもなく無事帰国しました。