ドイツのSLを訪ねて 2001/07/08〜07/15

 久しぶりに時間を何とか作り旧東ドイツに残っている狭軌のSLを訪ねました

SLが一番の趣味でいろいろな保存鉄道を訪ね歩きたいと思っていますのでいつも次はどこに行こうかと考えています

 その中で今回選んだのは旧東ドイツのバルト海の海岸沿いに残っている2カ所の保存鉄道を訪ねることをメインに計画しました

 保存鉄道の資料を集め、トーマスクックのヨーロッパの時刻表をめくりまして1週間の休みでいかに多くのSL保存鉄道を訪ねることが出来るかを繰り返し繰り返し検討しました。休みを最大限活用するために綿密なスケジュールを決定しました。

07/08(日)

 例によって鯰田を列車にて出発。大韓航空の安売りのビジネスクラスにて福岡空港を出発。当然いつものように一人旅です。航空券と到着日のハンブルグでのホテルのクーポン券、そうしてドイツの鉄道乗り放題のチケットを持って出かけました。
ソウルの空港が金浦空港より新しく仁川空港に変わっていまして、ともかく広くなっていました。実は帰りのソウルから福岡間の航空券がとれなかったので日本航空のソウル−福岡のチケットを別途購入していましたので一端、韓国へ入国しまして航空券をウオンにて購入しましたが往復で3万円台と日本で買うより安価で助かりました。
            新しい仁川空港

 ソウルからフランクフルト行きに乗り継ぎましていつものように中国、モンゴルからロシア上空を経てフランクフルトへ飛ぶのですが飛行時間が短く、福岡で預けた荷物は関空や成田の乗り継ぎのように国内線から国際線へと持って回ることなく、ヨーロッパの目的地まで運んでくれますのでヨーロッパへの旅はこのソウル経由が一番だと思っています

 今回荷物を預けますとドイツへの入国手続きを行うフランクフルトではなく、ドイツ国内線の乗り継ぎ先であるハンブルグまで荷物を預かってしてくれました。ドイツ入国に際し手荷物のチェックは行われない、ということになりますのでこれでよいのかな、と思いました。すなわち出国の際は荷物の中身の検査は爆発物の検査を除き行われません、とするとドイツへの密輸は簡単だなと思いました

 フランクフルトの空港には17:35定刻に到着、乗り継ぎは余裕を見ていますのでしばし、空港で暇つぶしをしましてハンブルグに20:35に到着、荷物も無事受け取れました

 バスにてハンブルグ市内へ到着、22時近かったのですが夏ですのでまだまだ明るい時間でした。ホテルをなんとか無事に訪ねあて、寝酒を持ち込みまして入浴後すぐに休みました

 07/09(月)

 早朝4時には時差もあり一端目が覚め、しばらくうとうとしまして6時から市内の散歩に出かけました。あいにく小雨で傘をさしての散歩でしたが約1時間ほど駅とホテルの周辺を一回りしました。運河の発達した町ですが閘門もみることが出来ました。
           ハンブルグ市内の運河にある閘門
 ホテルに戻り、朝食をすませましたが、早い時間に出発できましたので13,14世紀頃にハンザ同盟で栄えた港町リューベックの町を経由して行くこととしました。
            ハンブルグ中央駅構内

 

 リューベックの駅より約10分ほどで旧市内の入り口にあるホルステン門(最近薬のメーカーの宣伝に出ています)を始め13世紀頃にたてられた多数の建物が有りますがその一部を眺めわずか45分の見物で本来の目的地ロストックへ向かいました。
           リューベック ホルステン門

 早めの列車にてロストックへ向かったのですが列車が途中遅れまして乗換駅で時間がなく、あわててしまいなんと逆方向への列車に飛び乗ってしまいました

 次の停車駅で下車しましたがすぐの折り返しの列車がなく昼食を食べながら時間をつぶし、少々遠回りの経路にて何とかロストックへ13:40に到着。

 駅前を眺めますと「地球の歩き方」にもあるホテルアムバーンホフが目に入りました。空室が有り早速チェックインし、荷物を置いただけですぐに駅へ引き帰しましたがこの間わずか20分ほどで、ロストック14:04発の列車にてバード・ドーベランへ向かいました。列車は最新型のスマートなディーゼルカーではじめて乗車しました。

 バード・ドーベランからバルト海沿岸の海水浴場キュールングスボルンまでの約15Kmを結ぶ、狭軌のSL鉄道を訪ねました。ここが今回の旅行で最大の目的地でした。

1886年から走っているSLが走る鉄道で愛称が「モリー」と呼ばれています。国鉄の駅と共用していますプラットホームに停まっている客車と少し離れて止まっている機関車を撮影しながら発車を待ちました。

 バード・ドーベランを発車すると数分で列車は道路の中へと進みます。そうしてなんとSL列車なのですが市内電車のように狭い町中の石畳の道路を走り出したのです。私がどうしても訪ねたかった理由がこれです。
            市街地を走るSL

 町中に2駅ほど有り、その後は再び郊外の耕作地の中や松林沿いに走りまして終点のバルト海が目の前にあるハイリゲンダムへ往復をしました。同じ列車にて戻りまして町中の駅スタッドで下車、石畳の道路の真ん中を車をよけさせて走るSL列車の撮影にかかりました。しかし、この列車の運行は1〜2時間毎で合間には喫茶店に入ってケーキを食べたりしながらの撮影でした。日は長いのですが最終と言いましても18:16に通過する列車までしかありませんでした。

 ホテルに戻りましたが早い時間ですのでカメラをかかえてロストック市内の中心部方向へ散歩に行き良く解らないなりに1時間半ほど歩いてきました。夕食時間は遅めですのでふたたびホテルに戻り、シャワーを浴びまして、脱いだものの洗濯をしました。2泊の際にはシャワーを浴びた後で必ず足踏み洗濯をしますがこれは荷物を減らすにはどうしても必要です。ヨーロッパは乾燥していますので翌朝には必ず乾いていますが乾かす要領は洗濯物を良く絞った後でバスタオルに巻き込んで再度よーく絞りますと必ず乾いています。

その後夕食へ行きますが、これからが私にとっての少々つらい時間です。と申しますのはやはり一人旅のつらさで、まず食べる場所を探すのが面倒です。ホテルにはもちろんレストランが付いていますのでそこで食べれば良いのですが朝食は当然ホテルのレストランですのでどこかほかの店で食べたい、と考えます。それで出かけるわけですがロストックの駅前は町はずれらしくなかなかレストランが見つかりませんで駅の中にあるコンビニのような店にて飲み物(ビールとジュース)を購入、駅前の売店にて大きなソーセージの入ったホットドッグ、さらにソーセージを夕食として購入しホテルでビールを飲みながら寂しく食べました。

*一人旅の夕食のつらさ*

この日は結局売店で買ったホットドッグで夕食をすませましたが、いつも一人旅での夕食はつらいですね

レストランを見つけようと歩いていますといろいろな店があります。オープンカフェ形式の店、高級そうな感じの店、暗い感じの店、よしここに入ろうとの決心がなかなか付きません。

 お店を決めて入ってもさらにつらさが続きます。当然のことですがメニューがわかりません。ドイツ語会話集やガイドブックの本は持って行きますので少々の単語は載っていますがその程度ではメニューは読めません。今回のように旧東ドイツの、しかも田舎の小さな食堂に入っていますと英語のメニューや英語が何とか通じる人もいません。従いましてこのような状況の時は会話集に載っています「定食をお願いします」となりまして定食をつい頼まざるをえません。それにビールまたはワインを頼みまして一人寂しく夕食をすませ少々酔っぱらってホテルへ戻りましてバタンキューです。おかげで早く寝てしまい、翌朝は朝早く目が覚めるを繰り返します

 07/09(火)

 早く寝ますので当然早く目が覚めます。

5時に起床、2泊の予定なのですが一応荷物を片付け、5:50にホテルを出発、朝食は当然食べられません。ふたたびバード・ドーベランへ向かいます。朝の町中を走るSLの撮影が目的です。朝食をバード・ドーベランのパン屋さんで食べました。バルト海の方からくる列車のSLが正面を向いていますし、朝日がちょうど当たりますので到着する列車を撮影し、その出発する列車に飛び乗ります。車掌が見ていまして一駅分のチケットを買おうとしましたら「良いよ良いよ」とジェスチャーでまけてくれました。SLキチガイと解るからでしょう。

 ロストックへ引き返し、今回のもう一つの目的地リューゲン島のSLを訪ねに向かいました。ロストックを宿泊地としたのは2カ所のSLを訪ねるのとその後の移動を考えて毎日荷物を抱えてホテル探しをしなくて良いように決めたのでした。

 ロストック発8:02の列車にて出発。日本で言うグリーン車に載りましたががらがらの状態でした。途中に小さな空港がありまして飛行船らしきものが見えましてさすがドイツだなと思い見ていますとなんと見覚えのある緑色の「フジカラー」の広告付きの飛行船が停まっていました。こんなところまで宣伝しているのかとびっくりしました。

 途中1回乗り換えましてプットバスに到着。ここからゲーレンまで約1時間15分のSL狭軌鉄道が走っているのです。機関庫がありましてのぞきますと数両の機関車が有り、しかも何か手入れをしているようです。早速線路を横切り機関庫へ行きました。厚かましくもカメラを掲げて「OK?」と言いますと何となく「ヤー」、といったようなので庫内まで入り込みカメラとビデオと撮影させてもらいました。

           洗缶中のSL

 5両のSLがこの機関庫に停まっていましてすべてが動いているようでしたが、その内の1両の機関車は点検中なのか走行部をはずしてジャッキの上に載せてありました。また1両は機関車の中にある蒸気管にたまった湯垢でしょうが石のようになった固まりを取る洗缶の作業をしていました。一人の機関手さんが一生懸命ドイツ語で説明してくれましたが誠に残念ながら全く解りませんでした

 やがて列車が到着。機関車の入れ替え、石炭や水の補充や積み込みを撮影し、折り返しの列車に乗車。昨日のSL列車はあまり込んでいなかったのですがこの列車は結構乗客が多く、途中からは満員となりました。それまでは例によって列車の窓からカメラとビデオを抱えて右の窓、左の窓とSLの走りと、煙と音を楽しみました。耕作地や平原地帯を抜け終点は海の近くの海水浴場となっていました。

            途中駅にて

 ここでお昼を食べるとともに機関車の付け替え、水の補給を撮影、再び同じ列車にて引き返しました。途中の区間は満員で撮影したくても右の窓、左の窓と言うわけには行かず我慢をしなくてはなりませんでしたがSLの旅がこんなに人気があるのだ、これなら当分はSLが無くならないだろうとうれしくなりました。途中では所々で車から降りてカメラを構えて撮影している人たちも多く、出来たらレンタカーで良い場所を求めながらの撮影旅行をしたいなと思いました。

 再びプットバスにてSLの入れ替え、水や石炭の補充作業を撮影しました。さすがに疲れを感じまして帰りが少々遠いこともあり最終列車まで撮影をする気力が無くロストックへ引き返しました。

 とこらが時間表を見間違えたらしく途中のスロラスンドの町で2時間ほどの暇つぶしをさせられました。大きめの電気屋さんがあり中を覗きましたがコンパクトフラッシュなどのメモリーカードは置いてありませんでした。

 この日はホテルに戻ってシャワーを浴び、ホテルのレストランで夕食(ワイン込み約20DM)を食べましてやすみました。

 07/11(水)

 8時の列車で出発し、夕刻にケームニッツに到着するまで一日列車の旅の予定ですので朝はゆっくりできます。

6時に起床、荷物を整理して7時過ぎにホテルのレストランにて朝食、私には充分なボリュームがありましてパンやコーヒーのお代わりを勧められますがとても入りません。しかし、朝食の中身は質素でパン(バターとジャム)とコーヒーとスライスした数種類のソーセージにサラダでした。支払いをクレジットカードでしましたが2泊(2朝食込み)でDM170、日本円では約1万2千円ほどで税サービス料込みでした。

 8時発の列車にてベルリンへ向かいましたが横に乗ったの人たちがなんと中国人のグループでした。スーツ姿でいかにも会社員といった感じでコピーの束を見ながら延々と話していましてこれは少々うるさかったですね。ドイツの平原地帯をひた走りに走りましてベルリンのズー駅に20分ほどの遅れで到着しました。

実は今回の旅行で列車の旅のほかにもう一つの目的としましてインターネットでのメールをしようと考えていました。ホテルや海外通話の出来る公衆電話にパソコンを接続するように一式抱えて行きました。ところが昨夜まで泊まったホテルの電話は旧式でパソコンとの電話回線の接続が不可能でした。そのためベルリンで電話回線との接続を期待していたのでインターネットカフェなどを探しました。やっと国際電話をさせている店が見つかりましたので電話回線だけの使用を頼みますと断られてしました。

インターネットカフェでは当然インターネットの接続は出来るのですが何せドイツのパソコンを使いますと表示は当然ドイツ語ですので文字化けを起こします。設定を変えますと英語の表示にはなるかと思いますが日本語表示にはならないのです。日本語のフォントをパソコンに入れますと表示可能ですがそんなことは出来ませんのでそのため私はポータブルのパソコンを抱えて行きました。

昼食にハンバーガー(と言いましても内容は適当に指示して買えるのですが)にてすませまして再び列車に乗りベルリン市内を半周ほどしまして中心街を抜け、ケームニッツへ向かいました。やはり平原地帯を走りましたが徐々に丘陵地帯となり、遠くに山が見えるようになってきましたが途中で風力発電の設備が多数有るのが目に付きました。

15:40ケームニッツ着、駅前のホテルを探しまして2泊しますので安めのホテルにチェックインしました。珍しく早い時間の到着ですので早速市内観光へ出かけましたがガイドブック(「地球の歩き方」)には載っていない町で、案内所に行きますと英語のパンフレットがあり眺めますと歴史的な遺産がいろいろあるようでした。市内電車もある結構大きな町で地図を頼りに検討をつけながら電車道を中心に歩きまして、屋台の集まった市場や大きなショッピング街もありました。大きなショッピングモールがあり中にパソコンショップを見つけましたのでのぞきましたが、店の中にはいるのに大きなバッグやザックは入り口で預けさせられました。万引き防止なのでしょう。しかし、その商品内容は簡単で部品やメモリーなどはほとんど無くゲーム関係が主体のようでした。ついでに夕食のレストランもさがしながらうろつきました。

一回りしましたがそれでも早いので一端ホテルに戻り入浴と洗濯をすませまして夕食へ出かけることとしました。ホテルのフロントで夕食におすすめのレストランを訪ねますと先ほど夕食にどうかなと検討をつけていた店の名前が出てきましたので安心してその店へ出かけました。

ドイツのこの地方の名物が豚を使った料理でしたので豚のすね肉の煮込み料理とビールを2杯頼ましてパンにはほとんど手をつけずに満腹で(DM23.5=約1700円)良い気持ちでホテルに戻りました。レストランのデザートのケーキもうまそうでしたし、途中でみたチョコレートパフェも大きくてうまそうでしたが残念ながら満腹で食べられず残念でした。

 07/12(木)

 夜半に雨が降っていたようで起きますと路上はびしょびしょでした。6時からの朝食に一番に行きまして6:35の列車にて本日の目的地クランツァールへ向かいました。この地は数年前にドレスデンなどを訪ねたときに寄ったことのあるSL鉄道なのですがどうしてももう一度訪ねたくて再訪しました。

この鉄道はチェコスロバキアとの国境に接した山奥にあり、前回訪問時にはつながっていたドイツ国鉄の路線が廃止なった陸の孤島的な存在になった狭軌のSL鉄道です。高原地帯を走り、目の前の川幅が50cm程度の小川の向こう岸はチョコスロバキアというところを走るのですが森の中を抜けたり、牧場を走ったりとSLに合う風景が続くので訪ねたかったのです。

国鉄の列車から途中から代行バスに乗り換えましてクランツァールに到着、下車した客は数名のみでしたし、狭軌のSL鉄道へ乗り換えるのは私だけでした。景色の良い路線ですので少しは鉄道ファンがいるのかと思いましたが残念ながらゼロでした。

ところが、30分もしますと乗客が徐々に集まってきました。夏休みになっていたのかもしれませんがハイカーとサイクリングに向かう人たちが多く、地元にとけ込んだ鉄道なのだと思いました。

がらがらの状態で9:40に発車。丘陵地帯を縫って走り、森を抜け、橋を渡り車窓を右に左に思うままに楽しんでのっていました。ところが途中駅からだんだんと乗客が増えてくるのです。子供連れの家族、中高年の夫婦などなど、またカメラを抱え列車の写真と撮っている人もいます。やはり観光列車で途中の町にあるホテルなどに泊まっていてこの列車に乗ってきているようでした。

終点の町は東ドイツの時代には政府のお偉いさん達の別荘地帯で有ったそうですが、最近は観光開発が進んでいまして、前回訪問時にはなかった大きなアパートがいくつも建っていました。この鉄道は終点に機関庫がありまして、例によって機関車の入れ替え、給水などを撮影し、折り返し列車の出発を見送りました。次の列車の到着までしばらく時間があるので町中へ出かけまして昼食を食べたり、公園の中に市場が開いていましたのでその中をのぞいたり、写真を撮ったりしていました。
            水を補給中

列車の到着を撮影すべく駅はずれまで行きまして列車の到着を待ちます。天気はよいししばらく草原の上に横なっていました。やがて遠くに汽笛が聞こえまして、徐々にドラフトの音も近づいてきますと撮影準備です。ビデオとカメラを抱えていますので三脚にビデオカメラを据えまして構図を決め、そうしてカメラでの撮影ポイントの確認です。間近に機関車の煙が見え出す頃には準備OKとなっています。ビデオカメラのスイッチを入れましてビデオは回しっぱなしです。カメラのファインダーを通してSLを追います。連続でシャッターを切り、一端ビデオカメラの方向を変えまして、すぐまたカメラで列車を取ります。

到着した列車の入れ換え、水の補給を見まして折り返しの列車に乗車します。なんと満員でした。家族連れ、中高年のグループが多くわいわいがやがやとうるさいですね。しかし、このように多くの人たちが山の中のSL保存鉄道を利用してくれるのは大変良いことです。日本でもSLは保存されて走ってはいますがほとんどが週末などに1往復のみする運転です。ヨーロッパの保存鉄道は多くが日常の足としても使いながらですから本数も多くて鉄道本来の姿で残っているのが良いですね。

途中での列車の交換を撮影しながらさらにくだりまして途中のある駅で下車しました。ここに来たもう一つの目的である高原を走るSL列車を俯瞰して、背景に広い風景を入れて撮影をしたかったからです。乗ってきた列車が折り返して登ってくるのを撮影しようと言うわけで、地図を頼りに約1時間、カメラを担いで、時間を気にしながら一生懸命歩きました。

少々時間に余裕をみて目的地に無事到着撮影ポイントを探します。ちょうど牧場のすぐ横に位置していまして撮影に良いところが有ったのですが間の悪いことに放牧の牛がその付近に集まっていました。牛は珍しがり屋さんといいますか見知らぬものに興味が有るようで全部が寄ってくるのです。モーモーとうるさくもありますが牛にたかっているはえがこちらまで寄ってくるのと糞のにおいがくさいので堪りません。よそを向いていたら興味が無くなって離れるよと言われていたのですがなかなかそうならずに大変でした。

しばし待ってやっと遠くで汽笛が聞こえました。煙が見え、機関車が見えだし、結構素早く列車が近づいてきました。三脚に据えたビデオは回しっぱなしにして、カメラを構え撮影します。思ったより機関車が小さく通り過ぎてしまい少々がっかりでしましたがまあまあ満足してカメラやビデオを片付け、駅まで再び歩きです。

線路沿いまで下り地図を頼りに駅までたどり着きました。その後国鉄の代行バス、列車を乗り継ぎまして夕刻にケームニッツへ戻りました。ここでもレンタカーが有ったらなーと思ったことでした。

夕食は面倒でしたので駅の中の売店、といってもコンビニみたいなところでソーセージとパンやヨーグルト、ビールなどを買って帰りまして夕食としました。

これにて今回の旅行の目的であった3カ所のSLを尋ねる目的は無事に済みました。土曜日の夕刻までにフランクフルトの空港に着けばよいので、金曜日、土曜日の2日間が残りました。以前訪ねたドレスデンのSL狭軌鉄道の訪ねるかまだ訪れたことのないドイツの最南のスイスとの国境のボーデン湖を訪ね、さらにドイツの黒い森の中を抜ける景色がよいことで知られている路線を乗るか思案しました。結局ジャーマンレールパスを持っているのでなるべく長距離を乗ろうという浅ましい結論を出しました。なお、ここのホテルでも電話回線を何とか利用してインターネット接続を試みましたが使うことが出来ませんでした。

07/13(金)

翌朝朝食をゆっくりと食べ、7:55のICEにてニュールンベルグへ向かうこととしました。駅にて待っていますと見慣れない形のICEが入って来ました。乗客が結構多く最後尾に席を取ったのですがこれが正解でゆっくりと景色を楽しむことが出来、写真を撮るにも誰にも気兼ねせずに済みました。

走行中に車両の動きが何となく変で、しかもカーブの度に「シュー」と音がしていたのでよーく観察しますとこの車両は振り子式車両でした。振り子式とは急カーブでスピードを出したまま曲がるために車輪のある台車の上で乗客の乗った車両部分が強く内側に傾いてバランスを取る仕組みであす。九州のJRでは特急「かもめ」と「ソニック」とに使われているシステムです。(帰国後に確認しましたが5月末からの夏ダイヤから実際に走り始めたばかりで新型のディーゼルカータイプのICE3型でした。)

途中ツビッカウの駅を通りましたがここは前回訪問時に予定の列車がなく急遽宿泊をせざるを得なくなった思い出の町で車窓からそのホテルが確認できました。

ニュールンベルグで乗り換え、つぎにアーレンという駅からローカル線の乗り換えましたが途中に世界中の子供たちの人気者になっているテディベアの工場が有ります。もってかえって喜ぶこども達がいましたら寄るのですが幸いに皆大きくなっていますので素通りしました。次にウルムで乗り換えましたがいずれも接続が良く、しかも車内販売もなかったのでこのウルムの駅構内で昼食用にやっとサンドイッチを仕入れました。このウルムには世界一高い大聖堂が駅から近くにあるので出来たら見物したかったのですが乗り継ぎ時間が良すぎてパスすることにしました。これらの列車には1等車がつながってなく、満席で混雑していたのですが空腹で堪らず遅い昼食を大勢の乗客に囲まれたなかで食べました。

15:22、目的地のボーデン湖に面したフリードリヒスハーフェンの町に到着しましたが、なぜこの町に来たのかの理由は、有名なツェッペリン博物館がある町だからでした。駅の正面が博物館の正面入り口となっていました。ボーデン湖はその博物館の裏にあり、乗り継ぐ船の乗船場となっていました。乗り継ぎ時間を1時間少々取っていましたので急いで博物館を見学しました。ニューヨークで火災炎上して墜落したヒンデンブルグ号の一部を実物大で復元した客室があったり、歴代の飛行船の模型があったり、いろいろな部品が飾ってあったりしました。急いで一回りしまして船着き場へ行きました。

なお、最近飛行船が見直されこの近郊の空港からボーデン湖観光の飛行船が飛んでいるようですが確か乗車賃が6万円と非常に高かったようです。

ボーデン湖は大きな湖でスイスとの国境にもなっていまして大きな客船やフェリーが頻繁に行き来していました。この港からコンスタンツの町まで約2時間の船旅で数カ所の港に寄りながらの航路でしたが観光客や地元の人たちが結構乗り降りしていました。コンスタンツはローマ皇帝のコンスタンツが築いた町で宗教的にも歴史のある町で、港町でありスイスとの国境の町でもあります。

船着き場から駅まではすぐ近くで駅前の少々高級そうなホテルにチェックインしました。最後の泊まりでありますし、高級なホテルだとインターネットが出来るかなと思ったからでした。部屋に入りますとなんと屋根裏部屋といった感じの部屋でしたがスペースはゆったりしており、バスルームも広く、寝具も上等で贅沢した気分になりました。

入浴後早速インターネットを試みましたが高いホテルに泊まった甲斐がありまして少々苦労しましたが何とかインターネットの接続に成功しました。約一週間の間に溜まっていたメールはなんと276通も有りまして受信時間が長く接続はこれで良いのだろうかと途中で心配になりました。もちろんメールを読みましたがドイツからの記念のメールを友人達や自分宛にも送りました。しかし、海外でのインターネットの接続の部品を通販で購入したり接続方法を予習したりして行きましたが接続に成功したのはたったこれ1回のみでしたが記念となりうれしかったです。

その後、例によって夕食へ一人で出かましたがコンスタンツは大きな町なので多くのレストランがありまして入る店がなかなか決まらずうろうろしました。やっと決めて飛び込んだ店には幸いに英語のメニューがありボーデン湖名産のますの料理を食べることが出来ました。この店で頼んだグラスワインは1杯がなんと250mlの有りました。ハーフボトルが375mlですから1杯の多さにびっくりしましてアルコールはグラスワイン一杯ですませました。

07/14(土)

朝早くに目が覚めましたのでホテル近辺の市内散策をしていましたらスイスとの国境にいきなり出てしまして道路の真ん中に税関が建っていましたが日本では経験できない為か、平穏な国の国境なので緊張する必要もないのですが緊張感というかちょっと不思議な感じを抱きました。
            早朝のボーデン湖

最後の日ですのでなるべく多くの路線に乗ろうと出発しました。まずはドイツの有名な森林地帯「黒い森」を抜ける路線にむかいました。途中にドナウエッシンゲンと呼ばれるドナウ川の流れの源と言われる小さな泉のある町をとおりますがドナウ川はここから東へ東へと流れ、ドイツからオーストリア、東欧諸国を抜けて黒海へ注ぎます。

このドナウエッシンゲンから峠越えになっていまして森林地帯を右に左にくねくねと走りますが景色は大変すばらしいところでした。この峠を越えた所を流れている川はドイツ国内を北へ北へと流れライン川となりオランダで北海へ注ぐのです。当たり前ではありますが日本の川と言いますか国の広さといいますか比べましてスケールの違いをひしひしと感じました。

 途中で乗り換えながらわざわざ遠回りをしました。シュッツガルトの駅前にでましたらなんと駅舎の塔の上にスリースターのマーク、つまりベンツのマークが付いているのに驚きましたがシュッツガルトはベンツの工場のある町なのです。古城街道を走る路線で学問の町ハイデルベルグを抜けフランクフルト空港駅に飛行機の出発時刻2時間半前に無事到着。ソウルでの日本航空へ乗り継ぎを確認し、チェックインをすませ荷物を福岡空港まで預けやっと身軽になれました。おみやげを買いに空港内をうろつき、ワインを少々買いまして飛行機に搭乗、ソウルへ向けて出発しました。

 隣の席に座ったのは団体旅行のお客さんでオーバーブッキングのため数人がビジネスクラスに座ることとなりくじで当たったラッキーな人で座席やサービス、食事の違いに喜んでありました。

 07/15(日)

 ソウルの仁川空港で最後の買い物をすませ、日本航空の福岡行きに乗り継ぎまして無事帰国、荷物も無事同じ飛行機で到着していました。今回の旅行も無事終えました。