1996年6月イタリア旅行

6月21日金曜日、福岡空港のHISのカウンターにてバウチャーを航空券及

びイタリアレイルウエイチケットに交換をして今回の旅行が始まりました。チ

ケットは例によって大韓航空で、ビジネスクラスをおごっての一人旅でした。

 最新の飛行機には車のナビゲーターと同じ現在の飛行位置と方向を示す装置

がありテレビに写され、飛行経路、現在地が良く判ります。ヨーロッパへのル

ートは当然シベリア経由ですからソウルを離陸後西向かった飛行機は反転し日

本の方へ向かうはずでした。ところがそのままどんどん西へ向かうのです。こ

のまま進むと黄海を横断し遼東半島に近ずき中国領にはいるのにと思っていま

すと北西に方向を転じました。その後北京の東を通り、ウランバートル、ウラ

ル山脈を越え、モスクワから南西に方向転換しオーストリアからローマへと向

かいました。飛行時間はなんと12時間でした。日本発のシベリア経由の飛行

時間より短くなっていますのでこれからのヨーロッパ行は大韓航空がおすすめ

だと確信しました。

 ローマ空港に着きゲートを出ますと手招きする人がいます。近ずきますと日

本語でハーイ、ローマ?、タクシー?と声をかけ、身分証明書のようなものを

見せます。これが地球の歩き方で有名な暴力タクシーの呼びかけだなと思われ

ました。一方、別の人はローマへの鉄道駅はこちらだよと案内図でおしえてく

れました。

 ローマよりシシリー島のパレルモへ向かいましたが、22:10にパレルモに到

着、さすがにホテルは予約してあるのでバスで市内へ向かいました。

 ホテルの住所は判っているものの地図がないので何処にあるか全く見当が付

かないので終点のバスターミナルまで行きましたがこれも不安なものです。幸

いにターミナルのすぐ手前でホテルが見つかりほっとしました。

 6月22日、翌朝は早朝より市内を徒歩で観光。10:36のローマ行IC

(特急)に乗る。海岸沿いを走っていましたが発車後50分ほどたったCefalu

`駅にて停車すると極めてゆっくりの丁寧な車内アナウンスがありました。も

ちろんイタリア語は全く不明です。しかし今までのアナウンスとは全く口調が

違うのでこれは何かあったのだな、との察しは付きました。すると同室の(コ

ンパートメントの6人掛けなので)鉄道マンと思われる家族連れが一緒で、ゆ

っくりとイタリア語ではありますがエレクトリカ・・・・、ウノ・・・・と話

してくれましたが、ゼスチャーを含めて解釈しますと架線が切れており約1時

間止まるのだと云ったようでした。結局2時間して列車がやっと動き出し、そ

の時にデュ(2)・・・と云って笑いかけてきましたので、私のやっと動きま

したねとの気持ちを込めて笑って返しました。これで感じたのイタリアン人は

英語が全くダメだなと言うことでした。数字さえも英語が出てきません。です

が考えようでは日本人があまりにも普通の言葉に日本語を捨て、英語を始めと

する外国語を取り入れすぎているのかも、とも考えましたが。

 19:00ゴロCATANIAに着きますと駅前にはバスターミナルがあるだけ

でした。観光客用のインフォメーションは市の中心にしか無いのですが地図が

ないのでどうして市の中心街まで行くのかが問題でした。

 市の中心まで約1KMとは地球の歩き方に書いてあるので見当を付けて歩く

ことにしました。少々遠回りをしましたが無事に中心街に着いたものもうイン

フォメーションはしまっていました。回りを見当を付けて歩きますがホテルが

ありません。こうなりますとさすがにわびしくなります。丁度交通整理をして

いるお巡りさんがいましたので「ホテル?」と一言尋ねますとあっちと指さし

てくれましてやっと1件のホテルを見つけました。1泊68000リラでシャ

ワーつきでした。日本円で約3500円の朝食付きと安ホテルでした。

 夕食に行かなくてはなりません。フロントで観光地図にいくつかレストラン

の目印をしてもらい歩いていますと、歩道にテーブルを並べそのテーブルに魚

介類も並べ、丁度開店準備が出来たしゃれた感じのレストランに席を取りまし

た。魚は並べてあるのからチョイスさせてくれました。ワインを飲みながら待

つことしばし、お待ちかねのまずはSpaghetti alla Normo、期待を込めてずる

ずる、とは言わせず一口食べると、まずーい。麺のゆで方が悪く芯があるので

した。次にメインディッシュの魚のムニエルが出てきました。小さいからと云

って2匹もチョイスされたものでした。店員さんが骨をはずしてくれましてサ

ービスはいいのかなと思い直して一口食べますと、まずーい。全くがっかりで、

味付けが全くなっていませんでした。途中でやめて帰ってきました。私は何で

も食べられますし、割と鼻は効く法で良い店を探し当てる能力はあるつもりな

のですがさすがに参りました。ひどいものでした。その気の周りを見回します

とお客さんはまだだれも居ませんでした。間違いなくはずれの店だったようで

す。ワインで酔っていましたのですぐに寝てしまいした。

 MESSINA海峡は素晴らしいものでした。船はイタリア国鉄の航送船で客車

もそのまま積み込むタイプでした。日本では青函連絡船、宇高連絡船のいずれ

もは貨車のみの航送でしたから初めての経験でした。従いまして鉄道ファンと

しましては車両の出し入れ、車両の固定、車両甲板の様子、船首部分の開閉の

様子などなど、くまなく観察しました。

 つま先の町REGGIOで昼食を食べ、長靴の底を走る列車に乗りましたが一両

のディーゼルカーにもかかわらずファーストクラスが8席付いていました。こ

の路線はかかと近くまで延々と海岸線沿っています。

 約2時間ほど過ぎた駅で10分間ほど停車する駅に着いたときでした、私は

イタリア国鉄の時刻表を持っていますので停車時間が長いのが判っていたので

すが、横の席で仕事をしていました国鉄職員が立ち上がって、「付いてこい、

コーヒーを飲みに行くか?」とゼスチャーをするではありませんか。それまで

全く話をしたわけでもなったのですが。ついて行きますと駅のバーは日曜日で

したので休みで、駅前からどんどん歩いて行きます、やっとバーに着きまして

エスプレッソを飲み列車に戻りました。なかなか親切なものだなと感謝しまし

た。

 ところで、今回なぜ南イタリア旅行を決めたかと言いますとイギリスの作家、

ジョージ・ギッシング(1857〜1903)の『南イタリア周遊記』を読んだからで

した。彼はナポリを起点に南イタリアを廻っていますがその中でCATANZARO

とCONSENZA の二つの町が印象に残ったからでした。

 そのCATANZAROの入り口の駅に到着しますとバスが待っていましたので

さっそく乗車。くねくねといろは坂の様な感じで上って行きました。断崖の上

の尾根に連なった町がありましてどこまでも続いていました。私の愛読書「地

球の歩き方」にも載っていない町なものですからどこで降りて良いのやら見当

もつきませんでした。結局終点近くで運転手に地名を知らせますと「何だ、と

っくに通り過ぎているではないか、帰り道で降ろしてあげるから時間までバー

で休んで行こう。荷物はおいていて良いよ、車には鍵をかけるからと言ってバ

ーへ案内してくれました。以上は運転手さんが日本語はもちろん英語を話した

訳ではありませんで、総て私の想像であります。しかし、バーに行きますと彼

はエスプレッソを注文しましたが私はジェラード(イタリアンアイスクリー

ム)がありましたのでそれを注文し、支払おうとしますと運転手さんのおごり

と言って料金を取らず「グラーシアス」と云ってごちそうになりました。

 その後CATANZAROの中心部で降ろしてもらいましたがホテルがありませ

ん。インフォメーションは閉まっていますのでTAXIで途中見かけていたな

んと四つ星のホテルまで戻りましたがロータリーの例会場となっているホテル

でした。昨夜のホテルの2倍以上の料金でさすがにきれいな部屋でした。

 翌朝は6:55の列車でこれは私鉄で南イタリア周遊記で気になったもう一

つの町COSENZAとを結んでいます。この路線は半島の山脈を横切って走り、

トーマスクックの時刻表でも景色が良いとあったのでちょうど都合の良い路線

でした。CATANZAROの町は断崖の上にある町ですから走り出した列車はすぐ

に断崖の崖っぷちをくにゃくにゃと走り、さらに山を抜け、谷を越えトンネル

をくぐり青々とした森や林、そして畑作地帯の中を走って行きました。みなさ

んはイタリアの景色を想像しますとどんな景色が思い浮かばれますでしょうか、

私はこの路線に乗ってイタリアの地理的なイメージがすっかり変わってしまい

ました。イタリアとは何となく平野と丘陵地の國で山や森林はアルプス付近に

しかないものと思っていましたがまるで日本の景色でした。ちょうど雨が降っ

ていたせいもあるかもしれませんが。

 約3時間でCOSENZAに到着。本で読んだ町のイメージとはすっかり違うよ

うにビルが立ち並んだ開発され近代化された町になってしまっており、ガッカ

リしてしまいました。

 その夜はナポリに泊まりましたが夜に着いたためか余りよい印象はありませ

ん。

 6月25日、ローマ経由でフィレンツェへ向かいました。ローマは列車が遅

れ10分間テリチミール駅にいただけでした。フィレンツェでは、ホテルを探

しチェックイン後市内観光に行きましたがドームはびっくりしました。改めて

歴史の勉強をしてもう一度来たいものだと感激しました。それにしてもメディ

チ家の資産とはいかほどあったのでしょうか。

 ホテルへの戻り道で一軒のレストランを嗅ぎ当てまして夕食をとりましたが

ここはやすくてうまくて大正解でした。

 6月26日フィレンツェの中央駅に行きますと目的の列車がありません。な

んと日曜日のみの運行の列車に乗る予定を立てていたのです。ヨーロッパの町

によくあるように次の列車は別の駅発で中央駅は通らない列車となっていまし

た。慌ててその駅に向かう列車に飛び乗り事なきを得ました。アペニン山脈を

越える旧本線への乗換駅で列車を待っていますと時間になっても来ません。乗

客は誰も待っていなかったのですがローカル線なのでそんなものかと思ってい

ました。ところが日本のテレビでイタリアの大洪水と報道されたあの洪水で線

路が流されバスの代行運転が行われているのでした。これには参りました。イ

タリア語が全くわからない付けがここででたのでした。あきらめて本線の長い

トンネルでアペニン山脈を越えました。

 ミラノに泊まりチューリッヒから再びモスクワ上空から北京上空経由の最短

路線の大韓航空で帰って参りました。

 ソウル乗り継ぎでチューリッヒ発の便はどういう訳か乗り継ぎ時間が8時間

もあるのでした。そのため乗り継ぎ客のために大韓航空がしています昼食付き

でタダの市内観光について行きました。

 今回はいろいろと面白いことの多い旅でしたが、無事にほぼ予定通り、南イ

タリア列車の一人旅を終えることができ福岡に帰り着きました。