瞳の先に。










「003! 003!」

ブチッ。ブチブチッ・・!

003の後頭部に取り付けられたケーブルを、002が忌々しげに引き抜いた。

「おい! しっかりしろ!」

やや乱暴に肩を掴んで揺さぶると、

「う・・・ん・・・・」

小さな呟きが漏れ、003は目を覚ました。

「大丈夫か・・・?」

心配そうないくつもの顔。

003はぼんやりした頭で

「ええ・・・・・」

額に手を当ててみんなの顔を見る。



「・・・ったく心配させやがって・・・・」

相変わらず口は悪いが、002の口調は明らかにホッとしている。

「コンピュータなんぞに好かれちまうなんてお前も隙があり過ぎ・・・・」

002の言葉を遮り、003がハッとしたように叫んだ。

「009・・・・009は?!」

「おっと・・・!」

急に立ち上がったため眩暈を起こした003を、傍にいた004が支えた。



「009なら中央制御室だ」

「中央制御室・・・・・怪我は?」

「怪我? いや、大丈夫だ。アイツは・・・・」

「009はキミを助けるために、スフィンクスの心理回路に入り込んだんだ」

008の言葉に003は首を傾げてみんなを見る。

「これと同じケーブルを使ったのさ。君が無事だったんだからきっと彼も大丈夫」

「カッコ良かったぜ〜、009。『スフィンクスの誘惑からボクが003を守ります!』 なんちゃってな・・・」

「え・・・・・?」



007のからかい口調に、003の青白い頬にわずかに血の気がさす。

「とにかく無事で良かった。早く戻ろう。博士たちも心配して・・・・」

004が言いかけたとき、部屋のスピーカーからギルモア博士の声が響いた。



「ああ、こっちからは見えておる。003、気分はどうだね」

「博士・・・・。すみません、ご心配おかけして。頭が痛くて・・・何だかぼうっとしてます・・」

「そうか。まあ無理もないじゃろ。戻ってきたら一応調べてみよう」



「・・・・スマン、許して下され・・・・カールが・・・・」

打ちひしがれた老人の声が、ギルモアに続く。



―――カール。

ではあれは・・・・夢ではなかったのね?



自分を拉致し、仮想の世界で愛を強要したカール。009と自分に銃を向けた彼に、003は今、

怒りも憎しみも感じなかった。あるのはただ――憐れみだけだった。

彼の世界はとても美しくて、でもどこか空虚で哀しかった。





「なんとお詫びをしたらいいいのか・・・」

「いいえ、エッカーマン博士。スフィンクス・・・いえ、カールは・・・?」

「・・・・もう、いない。あの子は・・・恥を知っていたんじゃ。自分で自分を・・・・破壊して・・・・・」



003の長い睫毛が伏せられたのを見て、002が口を挟んだ。

「いいじゃねえか。都市機能は普通に働いてるんだろ。コンピュータに感情なんざ必要ねえ」

「まぁ、そういうことだな」

004も何かを吹っ切るようにきっぱりと言う。

「それより早く戻ろう。そうだ、博士、009は?」

「ああ、さっきそっちへすっとんでったよ。待ってろと言ったんじゃが・・・・・。009も一応

調べてみんとな。みんな早く引き上げてきなさい・・・・・」



エッカーマンの手前、003の無事を手放しで喜ぶのは控えているギルモアだったが、その

口調は安堵に満ちていた。

それを感じて微かに微笑んでうなずいた003が、ハッとドアに顔を向けた。



ウィィン・・・!

自動ドアが開いて009が現れた。軽く息を弾ませている。

「009!」



009はみんなに囲まれている003を目にすると、何とも言えない表情で彼女をじっと見つめた。

「003・・・・・」

一言呟いて、ゆっくり歩みをすすめる。 

「009・・・あの・・・ありがとう。怪我は・・・・?」

003はわずかに頬を染めて彼に礼を言った。あの仮想現実での出来事。

彼も・・・同じ世界にいたのだろうか。



小さく首を横に振って、009は003の前に立った。

「―――大丈夫かい?」

いつになく真剣に自分を見つめる009に、003は胸の高鳴りを覚えながら笑ってみせる。

「大丈夫よ」



あなたが・・・助けにきてくれたから。

でもそれは、今はまだ言えない。あそこでの出来事は私だけが見た夢だったのかも

しれないから―――



見つめ合う二人をイライラと眺めていた002がガマン出来ずに口を挟んだ。

「〜〜〜オイ! 何二人の世界作ってんだよ! さっさと戻ろうぜ」

「あ、ごめんなさい」

「いや〜、なんかいい雰囲気ネエ? お二人さん」

「そうそう。思わず見入っちゃったよ〜」

みんなにからかわれた003はますます頬を染めたが、009は複雑な表情でそっと目を伏せた。











傷心のエッカーマン博士に出来る限りの言葉をかけ、ゼロゼロナンバーは未来都市に別れを告げた。

新しいメカを搭載したドルフィン号は日本へ向かう。

003はメディカルルームでギルモア博士の検査を受けた後、言われるままにそこでしばらく眠った。







どのくらい眠ったのか、ノドの乾きを覚えて目が覚める。

瞳は閉じたまま無意識に使った”耳”には静かなエンジン音だけが響いてくる。おそらく

休憩時間に入っているのだろう。仲間たちの話し声も聴こえない。



―――ジョーに会いたい。



ふと、003は思った。

あの後――未来都市でスフィンクスの拘束を離れてこのドルフィン号に落ち着くまで、009とは

殆ど話をしていなかった。

あの仮想現実での出来事を彼も同じように体験したのか、それを聞きたいと思いながらも

他の仲間の前で聞くのは何故かためらわれた。

それに頭が割れるように痛んで、歩くことも覚束なかった。005が自分を抱えてメディカルルームに

運んでくれたのは覚えている。だが、その後検査を受け薬を注射されるまでの間の記憶が

途切れ途切れだった。

眠りにつく前、009が心配そうに自分の顔を覗き込んだような気がするが、それも定かでは

ない。



用心して静かに頭を動かしてみたが、もうあのひどい痛みは襲ってこなかった。

ゆっくり目を開けると、部屋は照明を落とされていて、機器類の明かりが細く目を射る。



「・・・・目が覚めた?」

ごく低い声が、思いがけずすぐ傍からして、003は飛び上がるほど驚いた。



「ジョ−?!」

彼女が寝ていたベッドの横から、一つの影がゆっくりと立ち上がるのが見えた。

「うん・・・・」

彼はベッドのすぐ脇で床に座り込んでいたらしい。身体をかがめて彼女を見つめる。



「びっくりした・・・・どうしたの? こんなところで・・・・」

慌てて上体を起こした003を009が支える。

「ん・・・? ああ、あの・・・ごめん。・・・・・キミがちゃんと休んでるかどうかね、見張り」

冗談めいた言葉とは裏腹に、わずかな明かりに浮かび上がる彼の瞳はどこか不安げだった。











「はい、水」

「あ、ありがとう」

手渡されたコップを、003は両手で包み込むようにして口に運んだ。

冷たい感触がのどを通る。

「おいしい・・・・・」

009を見上げて微笑もうとした003は、自分をじっと見つめている009の瞳に相変わらず

頼りなげな色が浮かんでいるのに首を傾げた。



「・・・・どうかした・・・・?」

「え?」

「何だか・・・・私の顔ばかり見てるから」

「あ・・・・」

009は慌てて視線を逸らした。

「ごめん・・・」

「ううん。何でもないならいいんだけど・・・・・」



ドルフィン号の静かなエンジン音が急に大きくなったように感じる。





気まずい沈黙を破って、ようやく彼が口を開いた。

「スフィンクスの・・・・話をしてもいいかな」

003はハッとしたが、すぐにうなずいた。

「ええ。私も・・・・あなたに聞きたかったの」



傍の椅子に腰を下ろした009は、瞳を伏せ、ぽつりぽつりと話し出した。

スフィンクスが創り出した仮想現実。

一面に咲く赤いバラ。頭上高く揺らめくオーロラ。銃を撃つカール・エッカーマン。



それらは003が見たものと寸分違わず、彼と彼女が、あの時まったく同じ世界にいたことを

二人に示した。



「やっぱり・・・・そうだったんだ」

009が低い声で呟いた。

「バラの香りもまだ・・・身体に残っているような気がする・・・・」



うつむいてしまった009を003は訝しげに見つめる。

一体彼はどうしたんだろう。

努めて明るく言った。

「ほんと。夢を見てるみたいだった・・・。でも――あなたが来てくれて、とても嬉しかったのよ」

ほんの少しだけ、009が顔を上げた。



「また助けてもらったのね。―――ありがとう」

009は思わず目の前の003を見た。

穏やかな碧の瞳が優しく彼を見つめている。



―――009はきゅっと眉を寄せ、小さく首を振った。



「違う」

「え?」

009の洩らした呟きに003は首を傾げた。

「・・・違うよ。あのとき助けてもらったのはボクの方だ。彼がボクに向けた銃を・・・キミが・・・・」

「ジョー・・・・」

膝の上で固く組んだ両手に視線を落とし、009はさらに首を振る。

「ダメだよ」

「? なに・・・?」

「もし・・・あれが現実の戦闘だったら。キミはあんなことしちゃいけない」

「ジョー?」

「自分の身でボクを庇うなんて・・・・絶対ダメだ!」

思いのほか真剣な彼の声音に、003は驚いて009を見つめた。

「ジョー・・・どうしたの? あれは・・・だって、あなたがいつも私にしてくれていることよ?」

「・・・・・・・・・・」

「あの時は夢中だったけど・・・・でも、もし現実に同じ状況になったら、また私はああするわ。

あなたが傷つくのを黙って見ているなんて・・・もう嫌なの」



そう、一体自分は何度、捨て身で敵に向かう009を見たことだろう。

0010に、スカールに、アポロンに・・・・・・。

彼はたった一人で向かっていった。

自分はただ見ているしか出来なくて。

これからもそうかもしれない。明らかに戦闘能力の違う私はいつも足手まといで。

でもせめて・・・・彼を助けるために、自分に出来ることがあるなら。

それがこの身を捨てることだとしても。

だって私は―――





「・・・アナタには何度ハラハラさせられたかわからないわ」

うつむいたままの009に、003は悪戯っぽく微笑んだ。



「・・・・で・・・」

009の長い前髪の下から漏れた言葉は、よく聞こえなかった。

「なぁに?」

「ボクは・・・一度で十分だ」

009が顔を上げてまっすぐ003を見た。

その瞳。

003はそんな目をして自分を見る009を初めて見た。

泣いているような、怒っているような、そして―――



「フランソワーズ・・・・・」

003はハッとした。防護服を着る状況で、彼が自分の名を呼ぶのは滅多にない。

「キミが・・・本当に死んでしまったかと思ったんだ。ボクの目の前で、あんな・・・・」

009の顔が辛そうに歪んだ。

003は、捕らわれていた中央病院からここに運ばれる間に仲間たちが言ったことを思い出した。





『009のヤツ、オマエの偽者が爆発したのを見てびいびい泣いてたんだぜ。ちょっと見りゃ

ロボットだってすぐわかりそうなもんなのによ』

『え・・・?』

『あ、あれは・・・・・』

『私の偽者・・?』

『そう。自爆装置をつけて009に近づいたんだ。でもいよいよ、って時に自分から離れて

いったんだとさ。009を庇って』

『・・・・・・・・・』

『009の泣きっ面かぁ、見てみたかった気もするなぁ』

『002は大袈裟だからネ、どこまでホントかわからないヨ』

『何だよ、006。ホントだって!』

『・・・もう止そう。ロボットだからって、自分にそっくりな奴が爆発したなんて気持ちいいもんじゃ

ないだろ』



008が私の顔色を見てみんなのおしゃべりを止めてくれたっけ。そしてあの時ジョーは―――

ジョーは、少し顔を赤くしてうつむいて・・・・・だから表情は見えなかった。

そのまま黙って、彼は私たちの後ろにまわった。





一瞬考え込んだ003の耳に、009の少し震えを帯びた声が届く。



「・・・ホントにそっくりだったんだ。顔も・・・声も。すぐ傍に来ても、ロボットだなんて気づかなかった」



―――目の前で仲間が死ぬ。バラバラに弾け飛んで。

確かにそれは想像するのも辛い光景だ。考えたくもない。

もしも逆の立場だったら・・・? 私の目の前でジョーが・・・・・・。



003は身震いした。

人一倍優しくて感受性の強い彼が、どんなにショックを受けたかやっとわかった気がした。

でも、同時に思う。

それは・・・自分が仲間の一人だから? それとも――――



「あれがキミじゃないとわかって・・・・混乱したけどすごくホッとした。そして・・・もう、二度と

あんな思いはしたくない、そう思ったのに」



009はまた自分の膝に目を落とした。

―――カールが造った仮想現実の世界で、両手を広げて自分を守る003の姿が―――光線を浴びて

細い叫びを上げる声が―――むせかえるような薔薇の香りとともに009の胸に焼き付いている。





「・・・ダメだよ」

「・・・・・!!」



ふいに頬に触れた手に、003は目を瞠る。

009のいつもより深い茶の瞳がじっと自分を見つめていた。

左頬の少し冷たい009の手のひらの感触に、003は一気に頬が熱くなるのを感じた。

こんな風に自分に触れる009は初めてだった。



「・・・・フランソワーズ・・・・・ボクは・・・・」





そのとき、ドルフィン号がいきなり降下を始めた。

「きゃ・・・!」

「うわっ・・・!」

思わず悲鳴を上げたところへ艦内スピーカーから大音量が響く。



『お〜い、起きろ起きろぉっ!! もうすぐ到着だぜ!!』

『あっ・・・馬鹿! オマエ博士の部屋とメディカルルームのスイッチ切ってねえだろ!』

『あん? あ、そうか、わりいわりい・・・ええと・・・』



ブチッ!!





再びしんとした部屋で、009と003は顔を見合わせた。



「・・・やっぱり002だったな、この乱暴な操縦は」

「ふふっ・・・」

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」



二人は何となく赤くなってうつむいてしまう。



「あ、ええと・・・・・じゃ、ボク行くね」

目をそらしたまま009が立ち上がった。

「あ、待って・・・。私も」

「え? でも・・・・」

「大丈夫よ。もう頭も痛くないし」

ベッドから降りようとする003に009が手を貸す。

ぐっと引っ張って立ち上がらせると、また二人の目が合った。

003のほんのり赤く染まった頬と潤んだ瞳がすぐ近くにある。

「あの・・・・・」

009が、決意したかのようにもう一度口を開きかけたとき。





シュン!という音とともにメディカルルームのドアが開いた。

同時にパッと部屋が明るくなる。

「やれやれ・・・002は相変わらずじゃの。003も目が覚めた・・・・・」

仕切りのカーテンから顔を覗かせたギルモアの声が途切れた。



「009?!」

「あっ・・!」

009は握っていた003の手をパッと離した。

「じゃっ、じゃあボクは行くから・・・! 後はお願いします、ギルモア博士」

「そっ、そうね・・! ありがと、ジョー」



そそくさとメディカルルームから出て行った009と、真っ赤になっている003を見て、

「・・・お邪魔だったようじゃな」

一言呟いて首を振ると、ギルモアは脈をとるため003の腕を取った。

しかしそれが無駄なことだと知るのに3秒とかからない。

「・・・・・随分脈が速いの。ああ、もうみんなのところへ行って構わんよ。いいのぉ、若いモンは・・・」

「博士・・・!」

小さく抗議の声を上げ、それでも「ありがとうございました」と礼を言うのは忘れずに、003は

メディカルルームを飛び出した。



どんどん高度を下げる船の中でも、もう慣れてふらつかないで歩くことができる。

コクピットに向かいながら、003はそっと左頬に手を添えた。



・・・・・ジョー。

さっき、何を私に言おうとしたの?

もしかしたら・・・・私がずっと望んでいたこと・・・・?

もしそうなら・・・・・どんなに嬉しいだろう。

もう一度、あなたから聴きたい。

今度こそあなたの気持ちを―――











コクピットに入ると、既に席についていた仲間たちから口々に声がかかる。

「ありがとう。もう平気よ」

答えながらちらっと前方の席に目を向ける。002と代わったのか、009は操縦席にいた。

みんなが彼女を振り返った中で、彼だけがまっすぐ前を向いたまま操縦桿を握り締めている。



―――残念。



正直に003は肩をすくめた。

彼は009に戻ってしまった。彼のことだ。家に戻ってもみんなの前ではもう、名前で呼んでは

くれないだろう。ましてや・・・さっきの言葉の続きなんて。

でも―――



「何か嬉しそうだな、003?」

隣の席の007が不思議そうな顔で覗き込んでいる。

「え? そう・・? ホラ、だって家がもうすぐなんですもの。だからよ」

声をひそめて答えて、肩越しにもう一度、操縦席に座る一つ年下の青年を見つめる。

彼に向けた左の頬が、まだ少し熱い。





まるで照れ隠しのような、いつもより張りのある009の声を聴きながら、003は思った。



―――いそがなくてもいいんだわ。

今は・・・・さっきの彼のあの瞳と、頬に触れてくれた手のひらだけで十分。

だけど、私たちはきっとこれから変わる。・・・うぬぼれかしら? でも・・・そんな気がする。



私たちの未来には、哀しいことや醜いことがたくさんあるだろう。

それでも、私は彼と・・・ジョーと一緒にいたい。

彼と一緒に、この不確かな現実を生きていきたい。

あなたは・・・・あなたも、そう思ってくれるかしら。





そんな彼女の心の声が届いたかのように、ようやく彼が後ろを振り返った。

003と目が合うと、わからないほどに小さく微笑んで軽くうなずく。









―――未来の恋人たちを乗せ、ドルフィン号は今まさに昇ったばかりの陽を浴びる海原へ近づいていく。

そして、次の瞬間、009の凛とした声とともに、煌く水面へとその身を躍らせた。







《END》















あとがき(?)

   ああっ・・・! スミマセンスミマセン(>_<)
   思いっきりタイミングが遅れたばかりか、ヤマなしオチなしイミなしで、しかも甘々。
   最後も何だか無理やり終わらせてしまいました。
   とりあえず・・・あの「未来都市」の後、彼らはこんなふうかな、こんなだったらいいな、という願望を
   書いてみたんです。
   タイトルは全然思いつかなくて超テキトーだし。
   ・・・・う〜ん、なんかホント謝るしかないって気が。
   スミマセンです・・・・。