会場のざわめきと音楽が入り混じってフランソワーズの声は途切れ途切で聞き取りづらいが、声の調子からすると、彼が電話をかけてきたことにかなり動揺しているようだった。
迎えに行くことを告げると開口一番彼女は言った。
『そんな、わざわざ迎えに来るなんて悪いわ。』
その言葉を無視してレストランの名前を訊ねる。
答えながらも無理しないで、と何度もフラソワーズは付け加える。
その店だとここから5分とかからないだろう。
彼はすでに歩き出し、店の方へ向かう。近くにいるからすぐ着く、と言いかけたとき、彼女の後ろからキンキン声の女性の声に混じって男性の声が響いた。

『ねぇ、ねぇ、誰、彼氏なの?』
『俺がフランソワーズさんを送っていくよ。』

途中で受話器を手で押さえたのか男の声は途切れたが、最後まではっきりとジョーの耳に届いた。
歩くのをやめて歩道の真ん中で立ち止まる。
受話器の向うの雑音が耳障りに響き、彼女と他の誰かが話しているのがぼそぼそと聞こえる。だが何を話しているのか内容までは聞き取れない。
ジョーは次の言葉を聞くまでに何故かもう一方の手を固く拳にしていた。
『やっぱり悪いわ。ジョーだって今日帰ってきたばかりでしょう?』
「僕のことはいいよ、とにかく迎えに行くから。」
『でも悪いわ。』
歯切れ悪くフランソワーズは同じ言葉を繰り返す。
ジョーは唇をかむと言った。

「僕が行ったらマズイわけ?」
『え?』

彼の突っ掛かるような言い方にフランソワーズは戸惑って言葉を詰まらせる。
しばらく沈黙。
ジョーは髪の中に手を突っ込んで大きく深呼吸すると、険のある言い方になってしまった自分に舌打ちした。
『ジョー?』
不安気な彼女の声が届くと、ジョーは歩き出した。
「ごめん、さっきのは気にしないで。―――とにかく、迎えに行くよ。もう、近くまできてるんだ。」
できるだけ冷静になろうともう一息つくと、自分のいる場所を告げてフランソワーズが何かを言う前に電話を切って走り出した。










切られた電話に視線を落としてフランソワーズは呆然とする。手の中の携帯電話はすでにライトが落ち初期画面に戻っている。


ジョー?
どうしたんだろう、一体。いつもの彼らしくない。
首を傾げたくなる。

「どうしたの?」
反応のない携帯電話をじっと見つめるフランソワーズに貴美佳が心配そうに尋ねる。
彼女の呼びかけに我にかえるとフランソワーズは首を横に振って笑った。
「何でもないの、ただ―。」
「ただ?」
正面に向き直ってテーブルに両手を乗せてその中で携帯電話を大切そうに囲い、入口にあたる奥の扉を見つめる。


ジョーがここに来る?
人前に出ることを好まない彼がここに来る?
バレエ教室でさえ大勢の生徒にあうのを嫌がって門の前まで来るのを躊躇う彼が、張大人の店を手伝うのをあれだけ逃げ回っている彼が・・・。
そんな彼がここに来る?


何となく緊張し始めて、喉がからからになり出した。
フランソワーズはグラスに残っていたワインを一気に煽ると再び入口に視線を向ける。
「ねぇ、何が『ただ―。』なの?」
フランソワーズのぎこちない仕草を見つめて、貴美佳は彼女の手の中にある携帯電話を指差した。
「彼氏からだよね。」
フランソワーズが頷く前に、彼女たちの前に座っていた新垣がフランソワーズに言った。彼もフランソワーズの手の中にある携帯電話に視線を向けている。
「迎えに来るって?」
貴美佳は次の言葉を待った。
曖昧に微笑しながら首を傾けると、その仕草を貴美佳は肯定と取りパチン、と指を鳴らした。
「わおっ、すご〜くタイムリーだよね。そのハンサムな彼に会えるってワケだ。」
慌ててフランソワーズは手と首を同時に振り、言葉を探そうと顔をしかめたとき、会場の灯りが突然消えた。


辺りが闇に包まれる。
非常灯だけがぼんやり黄色く浮かび上がり、隣にいる人の顔すら見えない闇になる。
一瞬周りがざわめき、とっさにフランソワーズは視聴覚能力を使って周囲に視線を這わした。
手にした携帯電話を握り締め、警戒態勢を取りながら目を凝らすが、すぐそれは安堵の表情に変わった。


たくさんのロウソクが立てられたケーキがワゴンに乗って中央にいる佐智子の前に運び込まれる。
ゆらゆらと白い炎が浮かび上がり、幻想的な雰囲気を醸し出している。


♪happy birthday to you 〜 
♪happy birthday to you 〜


誰かが歌い始めた。
周りのみんなも後に続いて歌い始める。ロウソクの炎に照らされてはしゃぐ佐智子の表情に思わずフランソワーズも笑みを洩らした。

「願い事をするのよ!」

誰かが叫ぶ。佐智子は頷いて、わざとらしく両手を広げて大きく息を吸い込むと、目を閉じた。




『蝋燭の火を消す前に、願い事をするのよ。』




小さなフランソワーズに母親は言った。
すぐに蝋燭の火を消したがる彼女の口に人差し指を当てて、母親は言った。
『いいこと、蝋燭の火を消す前に、願い事を一つだけするの。神様が年に一度のあなたの生まれた日のお祝いに願いを叶えてくださるわ。』

テディベアが欲しい。
ケーキが毎日夕食に出てきますように。
バレエの発表会に出られますように。

今思えばつまらない願い事をしたものだ。だた、そのときはそれなりに真剣に考えて考えて願い事をしたのだ。
母親が一つだけ、と言うのに反して三つも四つもお願いをして欲張っていた。両手を合わせて目を閉じる。口の中でもごもごとお願い事を唱えてからふっと蝋燭に息を吹きかける。
一瞬だけ闇に包まれるが、すぐ母親は明かりをつけてくれた。
小さなフランソワーズは瞳をぱちくりと瞬きして、蝋燭の煙が彼女の欲張りな願い事と一緒に天井へ昇っていく様を見上げた。


いつの間にか兄と二人で祝う誕生日。
必ず彼はケーキを手に提げ、その日ばかりは仕事を早めに切り上げて帰ってきてくれる。 家族が二人だけになってしまった寂しさはあるが、その分を埋め尽くすように、兄はたくさんの愛情をフランソワーズに注ぎ、フランソワーズも兄を慕い、友達の間ではちょっとばかし有名なブラコンだったかもしれない。
兄は母の言葉を覚えていて、蝋燭を吹き消そうとするフランソワーズに人差し指を当てて必ず言う。
『いいか、願い事は一つだけだぞ。』
きっとそれは彼も一つと言われながらも幾つも願い事をしたに違いない。
はいはい、と口をすぼめて返事をすると、フランソワーズは目を閉じて両手を合わせた。


ふっと息を吹く。


佐知子がロウソクの火を吹き消すと、パッと会場の灯りがついた。
そして一斉におめでとう!っと歓声が沸きあがる。フランソワーズたちも例に漏れず、嬉し涙を浮かべる佐知子に向かっておめでとうと声をあげた。
何処から持ってきたのか新しいボトルを抱えて新垣がまたもやフランソワーズたちのグラスにワインを注ぎ始める。
あちこちでグラスを合わせる音が響く。新垣がグラスを挙げたのでフランソワーズも貴美佳と一緒にグラスを上に挙げて何度目かの乾杯をした。
クラッカーが弾けテープが宙を舞う。
流れていた音楽の音量がいっそう高くなり、飛び込んでくる音の洪水にフランソワーズは片方の耳を塞いだ。
貴美佳が大声で彼女に話し掛ける。
フランソワーズが首を傾けて貴美佳の方へ向いたとき、ジョーを見つけた。










ジョーは奥まった入口付近に立ち、瞬く照明に目を細めていた。
会場は熱気を帯び、あちこちで笑い声や話し声が飛び交い歌声までが響いてくる。
みんなが我先に佐智子と乾杯しようとグラスを持って彼女の周りを取り囲む。彼女は切り分けるケーキに目を輝かせている。
その集団の向うにジョーはいた。
彼はまだフランソワーズに気がつかず、それよりも会場の熱気に圧倒されているようだった。
沸き起こる騒音に眉をひそめる。
平日もあって参加者は仕事帰りが多く、男性の大半はスーツにネクタイをしめていた。別に服装を指定したわけでもないが、普段着の男性が圧倒的に少ない。それでなくてもラフなフィールドジャケットにジーンズ姿は浮いてしまうのに、彼の戸惑ったような赤銅色の瞳、本人は嫌がるだろうが日本人離れした整った顔立ちはなおさら目立っていた。



何故か体が動かなかった。
今すぐジョーのそばに走りよって声をかけたいのに足が動かない。
手を挙げて彼に気付いてもらいたいのに、それすら出来ない。
その場に凍りついたままで声も出せず息すらできず、胸が苦しくなってくる。
ジョーはゆっくりと首を動かして辺りを見ていた。


「フランソワーズ?」
グラスを持ったまま動かない彼女に貴美佳が声を掛ける。その言葉がフランソワーズにまきつく糸を切り、はっとして振り返る。
「あ、え?」



「島村くん!?」
輪の中から佐智子が飛び出して彼のほうへ駆け寄った。
名前を呼ばれてジョーは体を向ける。フランソワーズは息を飲む。
佐智子は無邪気にジョーの手を取ると、ぶんぶんと大きく上下に振る。
「わーお、来てくれたんだ、嬉しい!それに、プレゼントありがとう。彼女からもらっているわよ。」
周りの視線が彼に集中する。
突然集まった周囲の視線と佐智子のはしゃぎぶりにジョーはたじろぐ。そして、戸惑いを隠すように前髪を掻き揚げると、はにかむような笑顔を見せた。


ばか!


フランソワーズは手にしたグラスをテーブルに置く。
両手を頬に当ててぎゅっと目をつぶると息を潜めた。
耳を塞いでも、目を閉じても伝わってくる。

ほら。

「あそこにいる茶髪の人、モデルみたいで素敵じゃない?」
「ねぇ、佐智子さんの横にいるカレって誰?」
「え、わわわっ、すごく格好良くない?」
飛び交い始めるひそひそ話。
「モデルかな?」
「そうかも・・・・、佐智子さんと並ぶと、お似合いよね。」


いつもの無愛想なジョーだったら、仏頂面なジョーだったら。
いつも一緒にいる私でさえほとんど見ることがない笑顔を何もここで振り撒くことないのに。


「フランソワーズ?」
貴美佳は呆然と立ち尽くすフランソワーズの肘をつついて、彼女が見つめる視線の先を目で追った。
親しげに話す佐智子とジョーの間に割って入って何か飲み物を勧めようとする女性に彼は首を振って断る。
佐智子がジョーの肩において言葉をかけると、それに頷くジョー。フランソワーズは視線をそらしてため息をついたとき、貴美佳が彼女の耳に口を寄せた。
「わあ、佐智子さんの横にいる男の人、凄く美形だけど、ハーフかな?」
フランソワーズは答える代わりに首を振る。

前髪をかきあげて周囲に視線を投げかけるジョーを見た。
何度か小さく頷いた後、彼はこちらに視線を据えて向かってきた。




「なんだ、彼女を迎えに来たのね。」
佐智子はつまらなさそうに口を尖らすと、ジョーは顎に手を当てて半分うつむいた。
その仕草にぷっと吹き出し口を歪めて佐智子は笑った。
「そんなので照れてどうするのよ。」
ジョーの肩に手を置いて軽く揺さぶってみる。
「フランソワーズが心配するのもわかるわ。あなたみたいにシャイでハンサムだったらあっという間に誰かに迫られないかって不安になるだろうし。」
「迫られるって――、僕が女性に?」
「あら、最近の女性は強いのよ。ホラ、見て。」
佐智子が右手をひらひらとさせて指にはまったキラリと光る指輪を彼の目の前にちらつかせる。
「迫ったからこれをもらえたの。」
「え。」
「私はあなたにとってどういう存在?って聞いたら・・・・うふふふ。」
口元を手で覆い、幸せそうに目を細める。
「これ以上は幸せが減っちゃいそうだから秘密。」
ジョーも笑みを浮かべる。そして前髪を梳きあげるようにして髪に手を突っ込むと会場内をぐるりと見渡した。
何人かの女性と目があう。片目を閉じてくる女性もいれば、流し目を使って手を振る女性もいる。再び顎に手を当ててジョーは首を傾ける。

こういうところはやっぱり苦手だ。
誰彼もがいい顔を見せて、善人に見せようとする。
簡単に人の心のなかに忍び込んでこようとする。


「フランソワーズは?」
ジョーは佐智子に顔を上げた。
「そうね、島村くんは可愛い彼女を迎えに来たという大事な使命があるんだっけ。」
場に馴染めそうにない彼の表情を面白そうに佐智子はからかう。
「彼女はたぶんあの辺にいたような気がするわ。」
首をめぐらして端にあるテーブルを指差すと、もう一度彼の肩に自分の手を置いた。
「恋愛自由の国で育ったくせに彼女はどうも奥手よね。」
「え。」
「島村くんがこんなにシャイで彼女があんなに奥手だったら始まるものも始まらない気がする。彼女があなたから指輪をもらえる頃はきっとお婆さんになっているか、それとも―――、」
佐智子はそこで言葉を切ると目をぐるりと回して意地悪く笑った。
「他の誰かと一緒になっているかもね。」
もう一度自分の指にはまった光る指輪を彼の目の前にかざす。
「それどういう意味さ?」
佐智子はフフフと笑って片目を閉じる。
「からかって楽しんでない?」
「面白いもの。」
ジョーは肩をすくめると、言い損ねた礼のの代わりに佐智子に頭を軽く下げてその場を離れた。そして佐智子が言った方へ群がる人を分け入って進んだ。





そこにフランソワーズはいた。
隅に近いテーブルの端で彼女は座り込んでいた。途中、ジョーが近づいていくのに気がついたらしく、顔を上げてこちらを見ていた。
表情は明るいとは言い難く、どちらかといえば困ったような顔つきで、彼がテーブルのそばに来ても彼女は何も発しなかった。

「フランソワーズ。」
最初はジョーのほうから声をかけた。
とっさに反応したのは、ジョーに背を向けていた男性だった。彼は背後からジョーの声が聞こえると振り返ってジョーを見上げる。
フランソワーズはまだ呆然と固まったようにジョーを見上げているだけで何の反応もなく、もう一度ジョーは彼女の名前を呼んだ。

「フランソワーズ。」
貴美佳がフランソワーズの腕に手をかけると、彼女は思い出したように我にかえり首を横に振った。   
「あ、ごめんなさい。」
誰に謝っているのか知らないが、フランソワーズは背もたれにかけてあったバッグを取ると立ち上がりテーブルを回ってジョーのそばに近づいた。
「もしかして、彼がそうなの?」
貴美佳も立ち上がって彼女の背中に声をかける。
振り返ったフランソワーズはしどろもどろにジョーを貴美佳と新垣に紹介し始めた。

「あ、あの、そう、彼はその、島村ジョーさん・・・・で・・・あの、えーっと、ジョー、こちらが新垣さんで彼女が貴美佳さん・・・です。」
「わーいい、島村さん、宜しく〜、貴美佳です!」
身を乗り出さんばかりにしてテーブルを超えて右手を出す彼女に一瞬ジョーはたじろぐが、彼女の手を取ると少しはにかんで頭を下げた。
彼の前に立った新垣は真正面からジョーを見据えて軽く頭を下げる。
「初めまして、新垣です。あなたのことは佐智子さんからも、フランソワーズさんからも聞いています。」
何を聞いているんだか、とジョーはフランソワーズに一度顔を向けるが、うつむいたままの彼女の表情は読み取れず再び新垣に向き直る。

「島村です。こちらこそ色々フランソワーズがお世話になっているようで。」
言葉に棘が出ないよう、ジョーは一呼吸置いて答えて二人に頭を下げた。
「すみません、慌しくて。でも、これで失礼します。」
ジョーはフランソワーズの腕を取ると、そのままくるりと向きをかえて出口に向かう。フランソワーズは一瞬振り返り、貴美佳たちにさよなら、と小さく言うだけで、後は大人しくジョーに従ったままレストランを後にした。









外に出ると、ひんやりとした空気が彼らを包む。
レストランの熱気がまだ体に残っているが徐々に冷めていくのがわかる。フランソワーズの頬も目の縁もほんのりピンクに染まっている。
「飲んだの?」
「ええ、いつもより多い量を飲んだかもしれない。」
ほてる頬を白い手で押さえてジョーと一緒に並んで歩く。
街は夜が深まるほど活気が出てくるようで、ジョーが車を停めて駐車場を出た頃よりさらに人が増え、騒音が増していた。
けたたましく鳴るクラクションの音、通り過ぎてゆくパトカーのサイレン。若者の話し声や、深夜営業の店から流れる音楽。 5分程度の道を二人は何も言葉を交さず並んで歩いた。
時折前から来る集団を避ける為に、ジョーがフランソワーズの肩を引き寄せるぐらいであとはほとんど触れ合うことはなかった。



清算を先に済ませて車に乗り込み、フランソワーズがちゃんとシートベルトを締めたこと確認してから車を発進させる。
車は冷え切り、急に冷めていく体温にフランソワーズは両肩をさすっていたのでジョーは後部座席に放り出した自分のフィールドジャケットを彼女に掛けた。
「ありがとう。」
ジャケットの端を握り締めてフランソワーズはジョーに言うが暗闇の中、彼は前方を見据えたままで何も答えなかった。
かすかな音楽がFMから流れてくる。
安定したエンジンの音、時折響くウィンカ―の音。
静寂に近い車の中でフランソワーズは小さく息をつくと窓外を流れていく街頭を眺めた。


沈黙が続く車中にジョーは後悔する。
強引だったかもしれない。
いきなり彼女を迎えに行って連れて帰るなんて。
盛り上がった会場を思い出せば、フランソワーズは残りたかったのかもしれない。なのに、自分は彼女をつれて帰ることに必死になっていた。

緩やかなカーブで丁寧にハンドルを切りながらジョーはちらりと助手席の彼女を見た。半分窓のほうへ体を傾けて、彼のフィールドジャケットにくるまって外を眺めている。

会場の隅のテーブルに腰掛けていた彼女を思い出す。
人込みを分けて進んだ先にフランソワーズはいた。東洋人の中で一人、西洋人が混じるとより目立つが彼女の深く碧い瞳はどきっとするほどに異彩を放っていた。透き通った陶器のような肌に、肩からこぼれ落ちる亜麻色の髪は彼女の美しさを存分に引き出し、あまつさえ天使を思わせる。


最初は彼女に会いたくて仕方なかった。
その次に、電話に苛立ってとにかく会って話がしたかった。
そして会場で彼女を見た途端、誰にも触れさせたくなくて、なんにしても自分のそばから離したくなくて、連れて帰りたくなったのだ。


信号が赤に変わり、一旦サイドブレーキを入れる。
窓枠に肘をついて額に手をおくとジョーは小さく舌打ちをした。
一体、なんだって言うんだ?
いつから自分はこんなに独占欲が強くなり、融通が利かなくなったんだ?
彼女はいつもとかわらない彼女でおかしなところはなに一つない。
おかしくなったのは自分だとしか思えない。


「ジョー?」


か細い声が聞こえた。
ジョーは額から手を離すと助手席の彼女に顔を向ける。
「どうしたの?」
温まった車内でフランソワーズはフィールドジャケットをひざ掛け代わりにしてシートに深く体を沈めてくつろいでいる。
「なにか、困ったことでも?」
彼の舌打ちを彼女は聞き逃さなかったのだろう。
ジョーは首を横に振って、青に変わる信号に備えてサイドブレーキをあげた。
車が発進するとまたしばらく沈黙が続く。
ジョーは気持の整理の一つとして彼女に詫びた。
「ごめん、強引に迎えに行ったりして・・・。もう少しパーティに残りたかったんじゃないのかな。」
「ううん、ちょうど良いときに迎えに来てくれて助かったわ。」


そこで再び沈黙。
彼女との沈黙には慣れていて、心地よく感じるときもあるのに、何故か今の沈黙は気まずくて落ち着かない。
ジョーは運転に集中しようとするがその沈黙が気になって仕様がない。


彼女はまた遠慮してるんだろうか。
言いたい言葉を言えず、胸の中に閉じ込めてしまっているんだろうか。
ハンドルを握る手に力が入る。そしてふと、佐智子の言葉を思い出した。


「他の誰かと一緒になっているかもね。」


誰と?
自分に振り返った新垣が浮かぶ。
幾つか年齢が上なのか、落ち着いた物腰で対応に余裕があった。
それなのに自分はろくに相手の顔も見ず、彼女を連れ出すことばかり考えていた。自分の身勝手な行動や子供っぽい態度に頭を掻きむしりたくなる。
フランソワーズをもう一度見ると、彼女は窓にもたれかかるようにして外を見ている。気分を変えて何か会話の糸口でも見つけられれば、と思いジョーは言葉を捜す。


「あのさ、佐智子さんにプレゼントを渡してくれたんだってね、ありがとう。」
「ふふふ、すぐ目の前でプレゼントを広げてくれたの。ジョーのグラスコートも私のカバンも凄く喜んでくれたのよ。贈って本当に良かったわ。」
そこで背伸びをするようにフランソワーズは両手を絡ませてうん、とその手を前に伸ばした。
「あ、でも一番嬉しいプレゼントは指輪だった見たいよ。」
「それ僕も見せてもらったよ。指につけたやつを嬉しそうにね。」
「知らなかったんだけど、遠距離恋愛だったのね、佐智子さん。離れていて不安だったみたいだけど、指輪をもらって安心したみたい。」
どうやらフランソワーズのいつものおしゃべりが戻ってきたようだ。
体を捻じ曲げるようにジョーのほうに向けるとパーティに出てきた料理の話を始める。ジョーの視線は前方に向いたままだが、彼女の話に耳を傾け時折小さく頷いてみる。話に熱が入るとフランソワーズの身振り手振りが大きくなっていく。
信号で止まるたびに、ジョーは彼女の仕草一つを見逃さないように見つめて彼女が微笑むと一緒に微笑んだ。




車は海沿いの国道に入る。
少しあけた窓から潮の香りが流れ込み、ほんの数時間はなれていただけでも懐かしい香りとなって彼らの鼻腔をくすぐった。
潮騒の音が耳に届き、時どき崖にぶつかる波の音が大きく響いてくる。風のない静かな夜。ギルモア邸を出る前に見た月はずいぶん高い位置で彼らを待っていた。

国道から私道にそれる手前で車を端に寄せて停める。 11時近くの時間はこの付近を走る車はほとんど見かけない。
晴れた夜空は満天の星を輝かせ、打ち寄せる波が心を穏やかにさせる。
「ごめん、ちょっといいかな。」
ジョーは後ろポケットから煙草の箱を取り出すとフランソワーズに見せる。彼女がこくりと頷くと車の外に出た。ボンネットにも垂れて煙草を引き抜いたとき、フランソワーズも車から降りてきた。

「ジョーも疲れていたのに、わざわざ迎えに来てくれてありがとう。」
ジョーの隣に来ると一緒にボンネットにもたれる。
「テストはどうだった?」
ジョーは引き抜きかけた煙草を箱に戻して後ろポケットにしまい、ひんやりとした空気を大きく吸い込む。
ボンネットから体を浮かせて立ちフランソワーズに声を掛けた。
「少し歩く?」
「うん。」
彼女の返事を聞くまでにジョーは歩き出していた。

彼女がそばにいることで何故か息苦しくなり、じっとしていられなくなった。
車に戻ってこのままギルモア邸に戻る事だってできるがそれも嫌だった。
ただ、何となく。
ただ何となくこのままこうして彼女と歩いてみたかった。


浜辺に続くスロープまで歩く。
そのスロープは普段浜辺に降りることがない博士が時どき利用するぐらいでジョーはその道を歩くのが初めてだった。緩やかな傾斜で道幅も広く二人は肩を並べてその坂を降りはじめた。
フランネルの長袖シャツだと少し肌寒いが、彼にとってはそれがちょうどいい按配に思える。フランソワーズはワンピースにジョーのフィールドジャケットを羽織っている。袖が長すぎて彼女の手は隠れている。
カツカツと彼女の高いヒールの音が響く。
フランソワーズは歩きにくそうに一歩一歩踏みしめてスローブを降りていく。
先を歩いていた彼は立ち止まると振り返って手を出すと、フランソワーズは恥かしそうに笑って彼の手に自分の手を重ねる。ぶかぶかのジャケットからほんの少し出てきた彼女の小さな白い手。
その手を握ると彼女の歩調に合わせて浜に降りた。
砂浜に足を踏み入れて少し歩いたところで二人は立ち止まった。
白波が闇の中で浮かび上がりリズムを取って打ち寄せる。
高く上った月は二人の頭上にあった。
二人は手を繋いだまま目の前に広がる黒い海を見つめる。
風は凪ぎ、空気は冷たいけれど気持が良いい。
フランソワーズは空に瞬く星を掴むように手をかざした。


「小さいときね、あの星が欲しいって兄にねだったことがあるの。」
ジョーは彼女の横顔を見た。
「そしたら取って来てくれたの。」
「え?」
フランソワーズはジョーの方を向いてにっこり笑う。
「真っ赤な赤い石。でもそれはすごく甘くて、あっという間に口の中。」
「飴か。」
「ふふふふ。」
二人は同時に夜空を仰いだ。

雲ひとつない晴れた夜空。
黒い海に続く夜空に輝く星。
二人は黙ったまま首が痛くなるほど今もなお広がる宇宙に続く空を見上げる。

「まだ欲しい?」
フランソワーズが横を見るとジョーは空を仰いだまま続けた。
「まだ、星が欲しい?」
「届かないから欲しくて、手に入らないからきっと憧れるんだろうけど、星はやっぱりあそこにあるから輝けるんだわ。」
ジョーが頭を下げると、にっこり笑う彼女がいた。
フランソワーズはジョーの肘に手をかけてその場でヒールを脱ぎ捨てる。
そのときだけ、二人の手は離れるが、また自然と手を絡ませると、緩い歩調で歩き始めた。


「佐智子さん、みんなに誕生日を祝ってもらってとっても嬉しそうだったわね。」
フランソワーズは、ほうっと、思い出して言った。
「指輪を僕にちらつかせてすごく幸せそうだったよ。」
「指輪! そうね、きっと一番それが嬉しかったのかも。」
「迫ったって。」
「え?」
「彼氏に迫ったら指輪をくれたって自慢してた。」
フランソワーズは佐智子さんらしい、と呟いて笑う。


「バースデー・ケーキのロウソクを消すときに願い事をするの。」
人差し指を出してジョーに見せる。
「一つだけよ。佐智子さんも、ロウソクを消すとき願い事をしてたわ。」
「願い事か。」
「小さいときは欲張って三つも四つもしたわ。」
「どんな?」
「つまらないことよ、毎日ケーキが食べられますように、とかね。ふふふ、食いしん坊だったのね、私。」
フランソワーズは舌をぺろりと出して笑う。
そこでジョーはタルトのことを思い出した。
「『ロビュション』のリンゴとクランブルのタルトをギルモア博士が土産にもって帰ってきたよ。」
ぱっとフランソワーズの瞳が輝いたとき、海から風が吹いて彼女の髪を揺らした。サーチライトが二人を照らす。フランソワーズは振り返って、国道沿いを車がブーンと通り過ぎていくのを見る。


「もどろうか?」
ジョーの言葉にフランソワーズは首を横に振る。
だがすぐまたうつむき加減にポツリと言う。
「でも、ジョーが戻りたいなら。」
「僕のことはいい。キミってさ、いつも――、」
ジョーはそこで言葉を切るとフランソワーズの手を離した。後ろポケットから煙草の箱を取り出すと一本抜いて口にくわえる。
フランソワーズは顔を上げて、片手で風を避けて煙草に火をつける彼を見た。
「いつも僕に遠慮してない?」
「え?」
自分の吐いた煙草の煙を目で追うようにジョーは斜め上を見上げると、言葉を重ねた。
「もどりたい?」
フランソワーズはまた首を横に振る。
「大好きなタルトが君を待っていても?」
コクリと頷くが、またすぐ顔を上げる。
「でも、ジョーが―――。」
「ほらまた。」
思ったよりもジョーの口調はきつくなった。
フランソワーズは口元に手を当てるとジョーから離れて2、3歩前に出る。彼は彼女の背中を見つめた。ぶかぶかのジャケットは彼女をより華奢に見せる。
吹き始めた海からの風に彼女の亜麻色の髪がなびく。ジョーは顔をそらすとフー、と白い煙を吐き出した。



「嫌われたくないもの。」



小さな声が耳に届く。
ジョーは顔を上げる。
前にいる彼女はうつむいて砂にうずまる足を見ていた。砂を蹴ろうとしても、靴をはかないストッキングだけの彼女の足では逆に足が砂にのめりこんでしまう。
「ジョーに嫌われたくないもの。」
フランソワーズは繰り返した。さっきよりも幾分声は大きかった。


ジョーの心の中で何かが満ちていくようだった。
穴が開いていたわけじゃなく、物足りなかったわけでもないが、何となくパズルのピースがぴったり当てはまるように何か形を成していく感じ。
それは優しく、海の上を流れる風のように、彼の心の中を包み込んだ。
ジョーも2,3歩前に歩き彼女の横に並んだ。
だらん、と下げた彼女の手を自分の手で包むとフランソワーズは驚いたように顔を上げた。
「嫌わないよ。」
ジョーは繋いだ彼女の手を自分の胸に引き寄せると、右の踵に体重を移してフランソワーズを見る。
碧い瞳を大きく見開いてフランソワーズはジョーを見つめ、しばらくすると目を伏せて呟いた。


「手を離さないで。」
「うん、離さない。」


フランソワーズが顔を上げてジョーを見ると彼は顔をそむけた。彼女もすぐに前を向いて黒い海を見つめる。
表情は柔らかくこぼれそうな笑みを堪える為に唇をかんだ。


ジョーは自分でも驚いていた。
彼女の言葉にさらりと返したことに。
自分の気持がすっと出てきたことが信じられない。
彼女の瞳になんだか照れ臭くなって顔をそむけてしまった。
でも、彼はちらりと彼女の横顔を盗み見る。
でも、今はそれが正しかったと思える。

それが自然で、一番正しい返事だったと思える。
少し頬を染める彼女の横顔に彼はますますそう思うのだ。


彼の視線に気付いてフランソワーズが振向く。
濡れたような碧い彼女の瞳にぎゅっと胸が締め付けられるように痛くなる。
指を絡めた手をきつく握り締めると、同じように彼女も握り返してきた。
「離したくないから。」
ジョーははにかみながらも、はっきりとした声で言った。















fin







一体何を書きたかったのでしょうか・・・。
最後まで読んで「これで終わりかよ」とクレームの声が聞こえそうです。
ジョーの恋する自覚ちゅーのを書いてみたかったんだけど、これで彼は自覚したのかどうか自信がないなぁ。
なまこさん、ラブシーンも萌えシーンもないただ長すぎるオチ無しのお話を受取ってくださってありがとうございます。
そして妄想をかきたてる素敵なイラストを描いて頂いて感謝感激でした。
これに懲りず、妄想を駆り立てる萌えなイラストを期待しております。
読んでくださった皆様、最後までお付き合いありがとうございました。 

 mayo



mayoさんありがとうございました〜。
こんなに素敵なお話を我が家に頂いてしまって・・・半ば強引に私が書かせたような記憶があるんですが(汗)
気前よく書いてくださってありがとうっっ(>_<)。mayoさん男前!!

ジョーの恋スル自覚、とってもよく伝わってきました。萌えシーンはもういっぱいあるじゃないですかっ。
ジョーがヤキモキするところとか、ジョーがヤキモキするところとか、ジョーがヤキ・・・<もうええって。
何よりお嬢さんが美しく、ジョーが見惚れてしまうのが素晴らしい!お嬢さんはそうなのよっ。美人なのよっ。もっと早く気づかんかい!

mayoさんの書くふたりはいつも、繊細で揺れる不安な気持ちを抱えてるんですよね。だからそれがドラマになるんですよ。見ていて私まで切な〜くなってしまいます。ツボが多くてたまらん! o(><)O O(><)o
要はジョーがしっかりすればそれで済む話なんですけど、それだと揺れ動く心の切なさを読むことが出来なくなるので、彼はあれでいいのかも・・・。ジョーってある意味結構天然ですよね? 鈍感すぎ。
(どうもジョーには厳しくなるなあ・・・(^_^;))

本当にお疲れ様でした。

最終話のレイアウトが一番簡素になっちゃってすみません。ネタ切れです(^_^;)
(最近シンプルに目覚めた・・・訳ではなく、単なるネタ切れですの。そもそも私はSSのレイアウト考えるの超ニガテなんですよね〜。素材やさんをあまり巡らないので(巡るぐらいら自分で描くほうが早い)壁紙素材をあまり持ってないのです〜〜。<言い訳)

namakochan