閉架(へいか)とは<図書館

 

図書館の話。 開架(かいか)・閉架(へいか)について語ってみる。

開架とは利用者が自由に手にとれる状態で蔵書が陳列されていること。 その逆に閉架とは利用者が自由に手に取って選べない場所に保管されているもの。 図書館によって理由は様々のようだが、すべての蔵書を開架棚に置いておく場所がない、利用頻度が低い・古いものをしまう、希少価値の高い蔵書の痛みを少しでも防ぎたいなど・・・らしい。

今どきのたいていの図書館は、電子端末で検索をすれば自分の探している本があるのか・無いのか、あるとすれば貸出中なのか、どこにあるのか、など簡単にわかる仕組みが提供されている。この「仕組み」の提供は素晴らしいもので、会員カードを作れば自宅のネット端末から予約手続きをすることが出来る図書館もあるようだ。

俺の場合、目的の決まった本を探すことももちろん多いのだが、それ以上に「本との出会い」を楽しみに図書館に行くことが多い。新着図書の棚・今日返却されたコーナーは俺が好きな場所の一つで、特に後者のコーナーを設けている図書館が俺は好きだ。返却されたばかりの本というのは、つまりは回転率の高い「活きている」本だと俺は思っている。自分の全く興味のなかったジャンルや世界に触れてみるいいきっかけになる。

どんな本と出会えるか、という醍醐味は俺がいちばん興奮する時でもある。俺が本を選んでいるのではなく、運命のように素晴らしい本と出会える瞬間があるのだ。これは開架でしか味わえないものである。いくら技術が進んで、某大手ネットショッピングサイトのように「あなたにおすすめ」・「これを買った人はこちらもチェックしています」など、検索したアイテムに関連するものを提案してくれる押しつけがましいサービスも技術的にはかなり進んでいるのだとは思うが、開架式の図書館にはまったくかなわない。

ちなみに閉架に収められている本は、館内のみの閲覧しか許可されない場合と、貸出しが許可される場合と、いろんなパターンがあるようだ。それは図書館の運営方針によるらしい。また 「禁帯出」(きんたいしゅつ)という赤いラベルが貼られている本は開架に置かれていても、貸出はしないというもの。これは辞書・事典などが指定されていることが多いようだが、図書館によって指定の仕方は差があるようだ。

繰り返しになるが、俺は本との出会いを大切にしたいと思っているので、閉架の仕組みには否定的な考えを持っている。運営側にもいろんな事情があるのは分からないでもないが、手に取って選ぶことのできる楽しさこそが図書館の魅力なのではないか。可能な限り、開架にて提供してもらいたいと切望してやまないのである。

 

岐阜市立中央図書館(メディアコスモス) こちらの図書館は2015年夏に新しく出来たということもあり、素晴らしい取り組みがたくさんあって俺もそのたくさんの魅力にとりこになっているのだが、今回は「本の蔵」を紹介する。 この図書館はメインの開架スペースは2階部分にあり、広々としたスペースに様々な趣向を凝らして比較的新しい活きた蔵書を収納・展示している。(機会があったらまた詳しくこの趣向について後日お話ししたい。) 完全な閉架とは別に、「本の蔵」と名前が付けられた開架なのだが、1階部分に降りていく形で少々古くなった本や、利用頻度の低い本、そして電話帳や、新聞年鑑などがしっかりと手にとって見れるように展示されているのである。これは俺にとってはたいへん魅力的な事なのである。とにかく開架にこだわってほしいのです。図書館関係者の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

2017.5.10.
2017.5.12.(加筆)

HOME 戻る